第23話

「――……ん、……うさん……――」

 何か、聞き覚えのある声がする。

「お嬢さん、大丈夫?」

 ぺちぺちと頬を叩かれ、リジーナは目を開け、項垂れていた首を持ち上げた。

 そうだ、私どうなったんだっけ。

 もぞもぞと体を動かし、まだ手首が縛られたままなことに気付いた。足元が重いと思ったら、右の足首に足枷がはめられていた。縛られてはいないため、一応歩き回ることは出来そうだ。

「ごめんねー、逃げられると困るからさ」

 へらへらとした喋り方に憤りを覚えるが、聞き覚えのある声にハッとする。声の主はリジーナの前にしゃがみ込み、「やあ」と微笑んだ。

「……アリウムさん?」

「覚えててくれたの? 嬉しいなあ」

 鉄紺色の髪を指先に絡め、アリウムは心の底から嬉しそうに瑠璃色の瞳を輝かせた。

 どうしてここに、と聞くより先に、彼が纏う服に気が付いた。それは自分を襲った男たちと全く同じものだったのだ。

「父さんが乱暴したみたいで申し訳ないね。怪我とかしてない?」

「父さんって、まさか、アリウムさんはセシルの」

「え? うん、息子だけど」

 気づいてなかったの? と確認するように何度も尋ねてくるアリウムに、ただ茫然と首を横に振った。

 違うと言ってほしかった。自分を助けに来たと言って欲しかった。

 しかし彼は、「逃げられると困る」と。

「本当はペンダントを奪うの、僕の役目だったんだけどさ。城に潜入するのを何回も繰り返してたんだけど、もたもたしすぎって怒られちゃった」

 苦笑したアリウムは、よいしょ、と立ち上がる。その腰にはポーチが幾つもついたベルトが巻かれ、鞭と思しきものも下げられていた。

 ベッドに座り込んだ彼は、少しだけ悩むようにため息をつき、「僕さー」と口を開いた。

「君に一目惚れしちゃったみたいなんだよ」

「……は?」

 いきなり何を言い出すのか。訝しがるリジーナがおかしかったのか、彼は小さく笑う。

「最初はただの好奇心だったんだ。隣国から王女が来るって聞いて、潜入を終えた後に覗き見ようとして、結果的に鉢合わせしたんだけど」

 指を絡め、僅かに頬を赤らめたアリウムは目を細めた。

「見たことなかった、君みたいに綺麗な人は。最初はバタバタしててそそっかしい人だなって思ったけど、なんだか可愛らしくてね。本当は行くつもり無かったんだけど、舞踏会にまで顔出しちゃった」

 それに、とリジーナの目をまっすぐに見つめ、

「精霊が選ぶほどの清い心の持ち主って聞いてさ。あーダメだ好きだって思った」

「随分と突拍子もない理由な気がするけど」

「自分にはないものに惹かれるって事だよ」

 清い心なんて、僕には生まれた時からないからね。

 小さく呟いた一言は、やけに悲しそうだった。

「父さんもさ、本当は君を殺そうとしてたんだよ。でも僕が止めた。逃げない様に見張っておくからって説得してね。嬉しい?」

「殺さないでいてもらえたことは嬉しいけど、あなたがそばにいることが嬉しいかと聞かれたら返答に困るわ」

「そりゃ残念」

 言葉の割には、あまり残念そうには見えない。

 とにかく、今はここから出る事を考えなければ。しかし、両手は縛られているし、足には枷もつけられている。どうすることも出来ない。

「アリウムさんお願い、私をここから出して」

「じゃあ聞くけど、君はここから出たとして、どこに行くつもり? 父さんたちが攻め入ろうとしているっていうのを城に戻ってみんなに伝えたいって言うなら、もう手遅れだよ」

「手遅れって」

 父親そっくりの嘲笑を浮かべたアリウムは、リジーナが困惑している事を楽しんでいるように見える。

「君が気絶してどれだけ時間が経ったと思う? もう昼だよ。父さんたちは既に首都に攻め込んでる。今頃は城にいるだろうね」

「そんな!」

 城にはフォセカもエリアナ王妃もいるだろうし、アルネやビアナも取り残されたままだ。

 ――まさか。

「私に嘘の手紙を出したのも、あなたたちなの?」

「それは少し違う。僕はちょっと手伝っただけ」

「手伝う?」

 焦ったように顔の前で手を振って否定し、アリウムは「君のお姉さん」とこちらを指さした。

「君と兄さんが精霊について話していた時、あいつの部屋の前には君のお姉さん……なんだっけ、名前」

「ビアナよ。……兄さんって」

「ああ、王子の事。従兄弟なんだけど、あいつのが生まれたのは早いからね。僕が勝手に呼んでるだけ」

 それで、と仕切りなおす様に、アリウムは両手を叩く。

「彼女は精霊が宿ったペンダントを手に入れれば、兄さんを独り占めできるって考えたらしい。君と兄さんが接近したのもペンダントが切っ掛けだったから余計にね。彼女は君が寝入ってから部屋に入ってペンダントを奪おうとしていたみたいだけど、そこに僕が話しかけた」

 ――王子を自分のものにしたいんなら、僕が協力するよ。

 ――そのためには、そうだね、まず妹君を王子から引き離さないと。

 ――君はまず城から妹を追い出せるような嘘の手紙を書くといい。城から飛び出した妹君はペンダントを持っているだろうから、それを僕が奪うんだ。

 ――君の部屋を教えてくれる? ……ああ、あそこね。分かった。じゃあ奪ったその日の夜に、お届けするよ。

 ビアナとの会話を、丁寧に声色を変えながら再現してみせたアリウムに、リジーナは怒りをあらわにした。

「けれどペンダントはセシルが持っているじゃない!」

「一方的に僕を信じた向こうが悪いのさ」

 くすくすと笑うアリウムに反省の色はない。いや、するつもりもないのだろう。

 つまり姉は、知らぬ間に反乱に加担してしまったことになるのだ。いくらあのビアナと言えど、罪悪感に苛まれるに違いない。

「でも、君は喜ぶべきだと思うよ」

「え?」

 この話のどこに喜ぶべきところがあったのか。

「城が攻め入られてるってことはビアナも無傷では済まないだろうし、君としては嫌いなお姉さんが傷ついてざまあみろって笑うところだよ」

「そんなわけないじゃない!」

 びりびりと牢屋が震えるほどの声を張り上げ、リジーナは立ち上がった。驚いたように目を丸くするアリウムをキッと睨みつけ、ずかずかと歩み寄る。

「確かにお姉様は苦手だわ。けど嫌いなわけじゃない! 確かに謀ったのは許しがたいけど、でも、傷ついたところを見て笑うほど私は歪んでない!」

 縛られていなかったら形振り構わず殴っていただろう。リジーナは大きく肩を上下させ、「そりゃ残念だ」と困ったように首を振ったアリウムを見下ろした。

 反乱を起こして王家を追われた首謀者の息子と、ただ国外から訪れて巻き込まれただけの自分とは、まるで立場が違う。彼はフォセカやエリアナ王妃を恨んでいるかもしれないが、リジーナはフォセカたちが純粋に好きだ。

 これ以上ここに留まるわけにはいかない。リジーナは大きく息を吸い、

「私をここから出して」

 と詰め寄った。

「嫌だよ。そんなことしたら、君は間違いなくライラックを取り返しちゃうじゃん」

 それは困るしね、と口をヘの字に曲げた彼に対し、リジーナはすうっと息を吸い込み、

「このままじゃ、あなたのお父さんも危ないの!」

 突然父のことを言われて疑問に感じたのだろう。眉を寄せて立ち上がったアリウムは、「どういうこと」と低い声で問いかけてくる。

「セシルは今、間違いなく病に侵されてる。こんな場所だもの、まともな処置なんてしていないでしょう!」

「確かに咳き込んではいたけど、あのくらいで参るような父さんじゃ、」

「そんな簡単なものじゃないわ! あのまま放っておけば、セシルは死んでしまう」

「!」

 リジーナの表情から嘘ではないと察したに違いない。飄々としていたアリウムの表情が次第に暗くなっていく。

「エリアナ王妃も同じ病に侵されているけれど、セシルのあれはもう末期と言っても過言じゃないはず。今すぐに処置しないと、本当に間に合わなくなる!」

 言われている事をまだ飲み込めていないのか、混乱しているらしいアリウムは額を押さえ、そんな、まさか、とぶつぶつ呟いている。

 もうひと押しだ。ぐっと拳を握り、リジーナは彼の前に膝をついた。

「あなたのお父さんを助けるためでもあるの。それに、私の国は医学と薬学に関して長けてるし、私自身にも知識はある。だから信じて。お願い」

 私を、ここから出してほしい。

 じっと彼の瞳を見つめ、訴えかける。

 自分が嘘を言っているわけではないという事を、伝える為に。

 やがて、

「――分かった。君をここから出すよ」

 決断を下したアリウムの声と表情は、強張っていた。

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