第22話

 ひんやりとした空気が肌を撫でる。水滴が落ちる微かな音も耳に届き、リジーナはゆっくりと瞼を開けた。

 ――あれ、私……。

 一体何をしていたのだろう、とぼんやり思う。やがて、後頭部から感じる鈍痛に、徐々に状況を思い出した。

 ――私、気絶した?

 城を目の前にして意識を奪われ、どうやらどこかに連れてこられたらしい。目隠しをされているらしく、視界は真っ暗だ。

 手や足を動かそうとしても、きつく縛られているために全く動かない。

「リジーナちゃん!」

 今にも泣き出しそうな声が、目の前から聞こえてきた。

「ライラック?」ゆるやかに顔を持ち上げ、ライラックが居そうな辺りに目を向けた。「よかった、一緒にいたのね」

「ええ、ずっと。全然起きないから心配してたのよ。大丈夫? 痛いところはない?」

「頭がちょっと痛いけど、それ以外は特に」

 少しでも安心させようと微笑みかけ、そういえば、あの男たちはライラックの事が見えていないはずだと思い出す。彼が目隠しをされていることは無いだろう。

 それならば。

「ここってどこだか分かる?」

「山にある洞窟の中よ。そこに作られた根城の、一番奥にある牢屋ね」

「根城って、さっきの人たちの?」

「ええ。結構複雑に入り組んでるわよ、まるでアリの巣みたい」

 その直後、

「っ!」

 ライラックが息をのむ気配がし、それと共に重い足音が聞こえてきた。足音はリジーナの前方で止まり、じっと動かない。

 ――なんなの? なにこれ?

 足音の主と思しき気配に向かって顔を上げると、言い様のない恐怖に雁字搦めになった。

 迫りくる威圧感が恐ろしい。それでも震えない様に、ぐっと唇を噛んで威厳を保つ。

「どんな奴に憑いたのかと思えば、小娘とはな。もう少し人を選んだらどうだ」

 少し枯れた低い声は、何に対してかぶつぶつと不満を漏らす。初対面でバカにされる覚えなどないリジーナはむっと睨みつけるが、目隠しのせいでそれは相手に伝わらない。

 ただでさえ冷えていた空気がさらに凍っていく中、別の足音がリジーナに近づく。背後に回ったそれは目隠しを解き、足早に去って行った。

 急に視界が開けたせいで少し眩暈がしたが、自分が今いる場所はどんなところなのかさっと見回す。右側には簡素なベッド、左側には木製の机。窓はないらしく、光源はその机に置かれた燭台の蝋燭のみだ。そして、部屋と廊下とを遮るのは何本も並んだ無機質な鉄柱と、そこに取り付けられた重苦しい扉。

 私をこんなところに閉じ込めるなんて、いったい誰なの。リジーナは目の前で威圧感を放つ男を睨みつけ、

「ほう? ずいぶんと勝ち気な目をしているな」

「あなたは……!」

 血色の悪い顔に見下すような笑みを浮かべた男は、数日前に見たことがあった。

 長く伸びた白磁色の髪は首の後ろで結われ、赤銅色の瞳は鈍く淀んでいる。目の下には隈が出来ているが、かつての面影は残っていた。

 間違いない。夢で見た前王の弟にして、十数年前に起こった反乱の首謀者。

「セシル・ガニアン……!」

「私の名前を知っているのか。隣国の王女が一目で見て分かるとは、私も有名になったものだな」

 くつくつと低い声で笑い、セシルはまた一歩リジーナに近づいた。

 夢で見たよりは若干痩せているように見えるが、目に宿る猛々しさは失われていない。百八十センチ近くありそうな体に纏った衣装は、フォセカが纏っていたそれとよく似ている。ただ、着古されてボロボロになっていた。

 何気なくライラックを横目で見やると、今まで見たことが無いくらいに体を震わせ、怯えていた。普段の飄々とした雰囲気はかけらもない。

 しばらく観察するようにリジーナを眺めていたセシルだが、満足したのか「おい」と声を上げた。その数秒後、部下らしい男たち数人がかりで大剣を持って現れた。

 それを受け取り、持ち心地を確かめる様に柄を握りしめたセシルは、挑発的な目をリジーナに向ける。

「それは、ひょっとして」

「ほう、これが何か知っているのか」

 知っているも何も、それのレプリカを城で見た。

 地に突き立てられた全長百六十センチ程度の両刃の大剣は、微かに浅紫色に輝いている。柄と鍔の縁は緑黄色に彩られ、三つ葉を象ったような鍔の先には小さく丸い紅紫の宝石が埋め込まれていた。長い柄の下には何かが埋まっていたらしい細長い窪みがあり、柄頭は丸みを帯び膨らんでいる。

 城にあったものは純白に近かったが、実物はやはり違う。見入ってしまったリジーナが答えないのを知らないせいだと思い込んだのか、「まあいい」とセシルは指先で柄を弾いた。

「かつて私が、この手で振るった聖剣だ」

 それを今ここに持ってきたという事は。まさか、この人は。

 ――私を、殺すつもりなの?

 彼の顔からは表情のすべてが消し去られており、意図を窺い知ることは出来ない。だが、その瞳に迷いがないことだけは確かだった。

「私に何か用があって、ここに連れてきたのでは?」

 訳も分からないまま殺されるのはごめんだ。リジーナは彼を睨みつけたまま、強い語気で問いかける。

「用? 何のことだ」

 しかしセシルは意味が分からないと言いたげに首を傾げ、眉を寄せるだけだ。

「違う。違うのよリジーナちゃん」

 きゅう、とリジーナの肩を掴み、ライラックは首を振る。

 違うって、どういう事? 問いかけようとライラックを見上げた直後、

「そこにいるのか」

 獲物を見つけたかのような弾んだ声と共に、ペンダントに向かってセシルの腕が伸ばされた。

 がっしりとペンダントを掴んだセシルは、リジーナの右隣に立つライラックへと穏やかな笑みを浮かべ、対するライラックは肩をすくませて身を引いていた。

 ――そうか、この人が会いたかったのは!

「久しぶりじゃないかライラック。私がいなくて寂しかったんじゃないか?」

「冗談言わないで。あんたになんか、会いたくも、な……」

「ライラック……?」

 彼の口調が弱々しいことに気付き、そっと見遣る。頭が痛むのか、ライラックはそれを堪える様に空いている手で額を抑えていた。

 恐らく今、ライラックの中で色々なものがぶつかり合っているのだろう。その証拠に、彼の首に巻かれた鎖とペンダントを繋ぐ光が、淀んだり澄んだりを繰り返していた。

「こんな小娘と一緒にいては力が発揮できないだろう。私とまた一緒に戦おうじゃないか」

「アタシは自分の意思で彼女と一緒にいるのよ。戦いだなんてごめんだわ」

「戦い……? !」

 戦い、というのが何を意味するかに気付いたリジーナは目を見開いた。

 セシルが持ち去っていた聖剣は、ライラックがいなければ繰ることは出来ない。そして今、セシルは彼を封じ込めたペンダントを奪おうとしている。

 そこから導き出される結論は。

「反乱を起こそうとしているのは、本当だったの……?」

「賢いお嬢さんだな。誉めてやろうか?」

「彼女に触らないで頂戴! そんな事をしてみなさい、アタシが許さないわよ」

 撫でようとしていたのか、伸ばされかけた武骨な手をライラックが威嚇する。それが面白かったのか、セシルはくつくつと笑いをこぼした。

「随分とこの女に惚れこんでいるようだな。お前らしくない」

「アタシらしさをあんたが知ってるとは思えないわね」

「反抗的な態度も面白……っ!」

 余裕さを見せていたセシルの表情が、急に強張った。

 一体どうしたのだろうか。身構えたリジーナのペンダントから手を離し数歩下がったセシルは何度か咳こんだ。胸を抑え、片膝をつきかけたところを控えていた男たちに支えられる。

 苦しげに顔を顰めつつも、聖剣を支えに体勢を整えた彼は、落ち着こうとするように数回深く息を吸った。

 微かな風の流れに乗り、セシルの吐いた息のにおいがリジーナの鼻に届く。

 それは甘く、熟した果実の香りに似ていた。

 ――ひょっとして、これって!

「セシル、あなた病に侵されているんじゃ……!」

 このにおいは、エリアナから感じたそれと似ている。

 その問いかけに対し、セシルは僅かに眉を動かしただけだ。

 思わず近づこうとするが、どれだけ頑張っても身体の縛めは解けない。

「うるさいぞ、ゲホッ」

「このまま放っておけば、あなたは!」

 ただの風邪だと思ってまともな処置をしていなかったに違いない。エリアナの時と違い、セシルの熟しきった香りは危険だとリジーナの蓄えた知識が告げていた。

「とにかく、このままじゃあなたの身が!」

「私にでたらめは通用しないぞ、小娘」

「でたらめなんかじゃ……!」

「うるさい。自分の立場を考えろ」

 ひゅう、と細い息が吐きだされ、ゆるりと聖剣が持ち上げられる。再び伸ばされた手はしっかりとペンダントを握りこんでいた。

「囚われの身だという事を忘れるなよ」

「リジーナちゃ……――」

 聖剣が振り下ろされると同時に、ペンダントが引き千切られた。ライラックの姿も見えなくなり、最後に見たのは濁った光を放つ聖剣の剣身だった。

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