車窓

ぬこみや

旅路

駅の構内に位置する

本屋に立ち寄った。


可憐な花の表紙を数ページ

ぺらぺらと捲り、

あるページに目を奪われた。


それは、母性のような、慈愛のような、

深く、深く胸の奥に訴えかける。


儚げな表情をした少女。


私は恋をした。


私は、何も言えなかった。

何も、出来なかった。


ただ、この眼で、見ることしか。

この目に焼き付けることしか。


もう、発車時間になるだろうか。


持ち合わせも少なかったので、

仕方なく表紙を閉じ、

別れを告げた。


今、彼女がどこで何をしているかなんて

分からないが、

今もまだ、あの本屋で儚げな表情を

浮かべていることを祈る。


階段を駆け上がった。


耳に届くけたたましい汽笛の声。

徐々に勢いを緩め

ホームに入ってくる満員電車。

全員が違う顔で、

何を考えているのかも分からない。


ふと目を離すと

そこに乗る顔ぶりは

がらりと変わっている。


雑踏。壁を背に座り込む酔っ払い。

人熱。青空。


満員電車に乗り込む。


ドアが閉まった。


ドアの前で自分の顔を

見つめながら、ふと考える。


僕もこの満員電車を

構成する一人。


そう、一人に過ぎない。


ただの人間。ただの雑踏。

ただの群れ。


ただし、この隣に立つ者も

座る者も、決して僕と

交わることはない。


客観の群れ。主観の他人。


ただの他人と、ただの僕。


ただの僕に何が出来るだろう。


生まれ持ったものに

頼って生きている。


こんなただの僕は、

誰かを幸せに出来るだろうか。


誰かに恋していいのだろうか。


誰かを愛していいのだろうか。


幸せにして、いいのだろうか。


ただ、窓の外を行き過ぎる景色を

眺めることしか出来なくなった。


ただ、この車窓に、

吸い込まれてしまいたかった。


あの青空に、消えてなくなりたかった。


それでも私は、恋をしている。



車掌のアナウンスがあった。


次が目的の駅、終点。


この物語の終点は。


この旅の終点は。


この文章の終点は。


この青空の終点は。


この生活の終点は。


この悩みの終点は。


この幸福の終点は。


この愛の終点は。


この人生の終点は。




この人生の目的は。




物語は幕を閉じる。


旅はまだまだ

続けるつもりだ。


文章の群れももう居なくなる。


青空の続く先を見に行く。


生活もいつか終わりを告げるだろう。


悩みは絶えることがない。


幸福は、いつまで続くか分からない。


愛は、決して枯れることは無い。


人生。いつか、終わりを迎える。



その目的を。運命の動機を。


私はこの恋に託す。

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車窓 ぬこみや @nukomiya

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