幕間「ニブンノイチランデブー」2/2

 朝から自分で身体を動かすことができる。なんて素晴らしいことなんだろうか。自分で身支度をして自分の足で学校まで歩いて行けることに、私は感動していた。


 衣替えで半袖になった制服、縞模様の赤いリボン、紫髪のサイドテールをまとめる水玉模様のシュシュ。なんて可愛い衣装。アプリコットジャムみたいな可憐な立ち姿──青春の象徴。


「生きるってこういうことなんだ……って、思ったよ」

『変な感傷に浸らなくていいから、ちゃんとバレないようにしなさいよ』

「はいはーい」


 耳かき代行を条件に身体を一日譲ってくれたリカちゃんが不満そうに言う。私が下手なことをして今後の学校生活に支障をきたすんじゃないかって心配しているんだろうけど、それは杞憂というやつだ。


「んんっ……あたしは乾茉莉花。あたしは乾茉莉花。……うっさいわねぶっとばすわよ! 鼻に爆竹突っ込まれたいの!?」

『あんたの中のあたしのイメージどうなってんの? それ絶対やんないでよね』

「えー、だいたいこんな感じでしょ?」


 予行練習もほどほどに、一番乗りの教室で待機する。リカちゃんはいつも朝早くに登校して課題やら読書やらをしているので、ホームルームまでは余裕があった。


 しばらく待っていると一人目の生徒がやってくる。明るい茶髪に赤のインナーカラーの女の子、朱島伊吹ちゃんだ。おおよそ今のクラスでリカちゃんが一番お世話になっている子で、配信関係者以外で唯一私のことを知っている人物でもある。


「茉莉花ちゃん、おはよっ!」


 教室に入るや否や、彼女は私の方に駆け寄ってきて可愛らしく挨拶してくる。愛嬌たっぷりな立ち振る舞い。まさに人気者って感じだ。

 彼女にはリカちゃんの真似をする必要はないんだけど、折角なので私の悪魔的演技力を見せつけてやることにした。


 目つきを悪くして、ムスッとした表情。なんにも興味ないみたいに素っ気なく、そんな感じで。


「……おはよ。ホント朝から元気ね」

『えっ怖。やればできるじゃない』


 当たり前です。どれだけ近くでリカちゃんを見てきたと思っているんですか。

 珍しく褒めてくるリカちゃんの声にふんぞり返ってやりたいところだけど、今は伊吹ちゃんもいるのでそうはいかない。

 さて、彼女は気付くかな?


「今日は何してたの?」

「課題。……レイナの配信が思ったより長引いたから、夜にできなくて」

「そっかー、大変だね……わたしが手伝いましょうか!」

「いーわよ別に。こういうのは自分でやんないと為にならないでしょうが」

「茉莉花ちゃんってそういうとこ真面目だよね……」


 はいバレてない。天才です。対戦ありがとうございました。

 もしかして演技もイケちゃうのではなかろうか。自分の才能が恐ろしいね、全く。


『……ん……?』


 伊吹ちゃんが自分の席に向かっていくと、リカちゃんが何か腑に落ちないことがあったみたいで声を上げる。私は小声で尋ねた。


「どしたの?」

『いや……伊吹、なんかあったのかな』

「えー? いつも通りだったと思うけど」

『一回も目が合わなかった気がしたんだけど……ま、気のせいよね』


 リカちゃんには引っかかるところがあったみたいだけど、私は特に気になるところはなかったと思う。確かに会話中一度も目は合わなかったけど、そういう日だってあるんじゃないかな。


 ともあれ、私の入れ替わり学校生活計画は順調なスタートを切った。色んな人に話しかけまくって、学校生活を楽しむぞ!


 と、意気込んだのはよかったんだけど。


「リカちゃん友達少ね〜から、話す相手もそんなにいないじゃん……」

『うっさいわね。文句言うな』


 よく考えてみたらちょっと前までぼっちだったし、伊吹ちゃんと話せるようになったのも特別な機会があったからだ。あと日常的に会話している相手といえば、


「よっすおはよーまっさん!」

「おはよ……もうちょっと声量どうにかなんないの?」


 伊吹ちゃんの友達、保住鈴蘭ちゃん。この子くらいだ。

 ぴょこぴょこ跳ねた桃色のお団子ヘアーと、桃色の目。144センチの背丈から凄まじい声量と活力を発揮していて、バスケ部でも大活躍なクラスメイト。小動物みたいで可愛いなと私は思っている。


「声って言われてもさ~、ウチいつもこんな感じだし。逆にまっさんがドライすぎるんじゃないか? もっと元気出していこーぜ!」

「暑っ苦しいのよ、衣替えしたの分かる? あんたこそちょっとはクールダウンした方がいいんじゃない? 溶けるわよ」

『ホントに言いそうなこと言うのやめてくれない?』


 再現度の高さにリカちゃんが若干引いている。今日一日、交代することなく過ごせそうだ。


 それからは普通に授業が始まって、伊吹ちゃんや鈴蘭ちゃんと休み時間に喋って、昼休みは前から気になっていた購買に行ってみたり、体育館で球技を楽しむ男どもを眺めたりなんかして過ごした。


「……なあ、あれって3組の乾さんだよな。何してるんだ?」

「俺らのこと見てるのか? ……見てるわ」


 ステージに座って足をぷらぷらさせながら、コート半分を使ってゆるくバスケを楽しむ男子生徒たちを眺める。スマホばっかりいじっているリカちゃんの生活では絶対に見られない光景だ。

 男子生徒たちも汗を拭いながら私の方を気にしている。普段居ない人間、それも女子が一人で、しかも無言で座っていたら誰だって疑問に思うよね。


「どうする? 声かけた方がいいのか? 意外と怖くないらしいじゃん」

「入学当初はヤバイって噂立ってたけど、最近は朱島さんとよく一緒にいるらしいもんな」

「……てかずっとこっち見てるよな。聞こえてんのかな、これ」

「いや大丈夫だろ流石に」


 まあ、丸聞こえなんですけど。

 どうやらこの身体は聴力に相当優れているみたいで、ボールの音や靴音が響く中でも小声をしっかり聴き取ることができていた。地獄耳っていうのかな。


「よし、話し掛けてみるわ。俺前からちょっと気になってたんだ。……あのー……乾さん、だよね? どうしたの? 何か用?」

「は? あたしが何しようが勝手でしょ。いいから続けなさいよ」

「はいすみませんでした。さっ続きやっちゃうぞー」

『理不尽過ぎない?』


 私だって折角話し掛けてくれた男子生徒を突き放すような真似はしたくないんだけど、このシチュエーションをリカちゃんに置き換えるとこの回答しか浮かばなかった。ごめんね男子。ちょっと見学したかっただけなんだ。


 しばらく体育館に留まって観察していたけど、そのあとは十分ほどで出た。

昼休みの終わりが近付いていたので少し早めに掃除場所に向かうことにする。廊下でクラス担任に遭遇した。


「おお、乾。体育館いってたのか? 珍しいな」


 体つきのいい30歳くらいの爽やかな男性教師。生徒からの人気も高くて、よく女子生徒に囲まれているのを見掛ける。私にはあんまりよさは分からないけど、リカちゃんが体育館の方から歩いてきたことを「珍しい」と思う程度には気にかけてくれているみたいだ。


「……ちょっと、男子が何して遊んでるのか気になっただけですよ」


 やや不機嫌そうに目は合わせず、声の調子を落として警護だけは崩さない。教師への喋り方もしっかり再現していく。


「そうかー、乾もそういうの気になるんだな。楽しそうにしてたろ」

「まあ、はい。いつもは見ないので……」

「はは、そうかそうか。……なあ、最近クラスで困ってることとか、ないか?」


 なんと間が悪い男だろう。そういうのは本人が居るときに言ってほしい。代わりに私が答えても意味ないじゃないか。

 でもここでリカちゃんにバトンタッチしたら「じゃあこれでおしまいね」とか言われそうだし、自分で答えるしかない。


「楽しいです。……友達ができたから」

「朱島たちか、よく一緒にいるもんなあ。実をいうとちょっと乾のこと、心配してたんだ。4月はずっと一人だっただろ?」

「そんな時期もありましたね……」

『……ふん』


 当たり障りのない返しをしたけれど、この手の話題は聞くだけで恥ずかしいらしい。頭の中で照れくさそうにそっぽを向くような声が聞こえてきた。

 伊吹ちゃんと仲良くなれたのは本当に良かったと思う。お陰でリカちゃんは今の学校生活を楽しんでいるし、氷室沙凪ちゃんとも打ち解けることができた。恩人だよホントに。


「お――そろそろ昼休みも終わりか。じゃあな、掃除遅れるなよー」

「はーい」


 身体を借りまくっておいて言うのもなんだけど、リカちゃんは今とても良い環境に身を置いていると思う。中学までとは比べ物にならないくらい充実している。


 それこそ、もっと早くこうなっていたら――私なんて要らなかったと思うくらい。


「あれ、乾じゃん」

「……!」


 廊下の曲がり角で巨体と遭遇した。その姿を目にするだけで心臓がとくんと脈を打って、一瞬だけ目が大きく見開かれる。御手洗慎之介と会うとこういう反応をするように、と身体に刷り込まれているみたいだ。

 そういえば何か忘れていると思ったけど、席替えをしたからこの男の隣じゃなくなったんだった。今日初めて話す気がする。


「なんか変な感じだなー、今まで散々喋ってたのに、席が遠くなったら全然喋んなくなるんだな」

「そりゃそうでしょ、あたしたちそんなに仲良かった?」

「悲しいこと言うなよ! 俺とお前の仲だろ!」

「どんな仲よ」


 憤慨の真似をする御手洗。いちいちオーバーリアクションだ。ホームドラマにでも出演しているのか? 拍手でも送ってやろうか。

 正直なところ私はこいつのことをあまり好かない。リカちゃんはえらくご執心の様子だけど、何がいいのかさっぱりだからだ。もっと爽やかでシュッとした、明地水脈みたいな塩顔を好きになってほしい。


 それに。


「ん? どした?」

「別になんもない」


 リカちゃんみたいな可愛い子に好かれている癖に、その好意に全く気付かない鈍感さが腹立たしい。

 いや、この男の場合は鈍感というより――


「……んん?」

「何よ。なんもないってば。デカくて邪魔だから退いてくれる? デカくて邪魔だから」

「二回言ったなオイ。いや、なんか」


 何? 煮え切らない態度だ。リアルタイムで腹が立ってきた。言いたいことをバッサリ言ってくれない奴が一番ムカつく。

 私が少しキツめの目つきで睨みつけても、御手洗は構わず顎に手を当てながら凝視してくる。何だろう、購買の焼きそばパンの食べ残しでも顔についてるのかな。




「――なあ、何かあったか?」




 ……え、バレた?


「……。……何が?」

「何がというか、なんていえばいいんだろうな……いつもの乾じゃないっていうか。そんな感じだっけ? イメチェンした?」

「制服以外してないわよ。どう見ても乾茉莉花でしょうが」


 平静を装って冷たい態度で突き放す。バレたらまずい。私の高校生活の残り半日が失われてしまう。

 というかバレるってなんだよ。どこからどう見ても完璧にリカちゃんでしょ。


「うーん……気のせい、か? なーんか違う人に見えたんだが」

「気のせいよ、気のせい」

「そうかー……やべっチャイム鳴った! 掃除行くぞ掃除!」

「あ、廊下は走――……掃除に命賭けすぎでしょ」


 えらく疑われたけど、昼休み終了のチャイムが救ってくれた。ちょっと焦った。配信中にお腹痛くなったときくらい焦った。

 いや、それよりも。


『……なにあいつ、変なの。どっからどうみてあたしだったじゃない』

「……」

『あれ、おーい。レイナ? フリーズしてるけど。どうしたの?』

「いや、別に……」


 廊下を全力疾走する不法者の背中を見送る。逞しいこととノリが良いことだけが取り柄だと思っていたけれど、どうも違ったらしい。


「演技じゃ、ダメなんだ……」


 不意に自分の口から言葉がこぼれた。ほぼ無意識に発したそれに自分でもびっくりして、同時に今自分が何を考えているのかよく理解する。


 ああ、そっか。ちょっとだけ、嬉し――


「……! なんでもないです! はやく掃除いこーっと★」

『一人で何言って……ちょっと、素が出てるから! 黒い星出ちゃってるから!』


 少し軽くなった体と心で、浮くような気分で歩いていく。

 何がいいんだあんな男、と思っていたけど――意外と馬鹿にできないのかもしれない。


 ああ、顔が熱い。こんな気持ちなんだね、リカちゃん。

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