三章十五話 おかえり、わたし
「明地、あのことなんだけど」
「んー?」
色々と片付いた日の帰り、慎之介は青空に照らされる水脈の横顔に声を掛ける。
琳愛乃はどうしても閑流と二人で話がしたいと言い、頼んだものの代金だけ渡して去っていった。その後ファミレスで待っていた水脈と合流。予定が潰れたので家でゲームでもしよう、という話に落ち着いたのだ。
「あのことって……メールのやつ?」
「それだ。先輩たちの話が落ち着いてからにしようと思っててな」
水脈に届いていたけれど、スマートフォンの状態が悪く見過ごしていたメッセージ。改めて状況を整理すると、本来丁花公園には6人の男女が集結していたということになる。
スタートから欠けていたことで何か不都合があるのか、今からでも水脈はそのメンバーにカウントされるのか――考えることが山積みだ。
けれど、とりあえず。
「追々説明するから、まずそのことを朱島に伝えてもいいか?」
「いーよー」
「軽いなオイ」
薄笑いで即答されて少し心配になる。メインでみんなを集めようとしている伊吹に水脈のことを伝えるということは、彼もその一員として今後の話をするということ。異性に恐怖心のある彼があのメンツに入れられても大丈夫なのかという懸念は、どうしても拭いきれない。
「……ま、なんとかなるか」
まずは話すところからだと、慎之介は面倒な思考を全て丸投げした。
◇◇◇
翌週、嘘みたいに暑くなった。
防寒具もまだ使える、なんて父親が言っていたがあれは多分頭がおかしいのだろう。
「あち~……」
「衣替えって言われたのに長袖で来るからじゃん。バカ」
「そーなんだけど」
長く続いた雨が上がって、六月ももうすぐ終わる頃合いだ。先週までの肌寒さとは雲泥の差で、世界は月曜の朝からぶっ飛ばして気温を上げまくっていた。
「まだいけるだろう」と長袖で登校した閑流も流石に後悔している。琳愛乃はそれを見て、炭酸水を飲みながら機嫌よく笑っていた。
「……うれしそーだね、りあのちゃん」
「ぁは、なんか天気と一緒にスッキリしたからかも。一番はミオくんとお話できるからなんだけど♡」
「あー、それか」
琳愛乃はどうやら、意中の相手とそこそこうまくいっているらしい。そういえば以前も「ダーリン」がどうとか言っていた気がする。
机に突っ伏すとひんやりとした冷たさがあって気持ちがいい。放課後になったが、日が暮れるまではこうしていたいなと思った。
「じゃ、りあのは行ってくるね。ミオくんバイトいっぱい入れてるから、お話タイム短いんだー」
「そういう営業みたいだね、なんか」
「ミオくん相手ならいくらでも積んじゃう♡」
超絶ご機嫌に教室の外へ琳愛乃が向かう――と、入ってこようとした男子生徒とタイミングが被った。お互い止まって無言になる。
相手は白藤だ。
「……ぁは、おさきどーぞ?」
「……どうも」
鼻に絆創膏を貼り付けた白藤は、肩身狭そうにして琳愛乃の横を通り抜ける。鼻周りは赤く、絆創膏では隠し切れない痛々しさがあった。
自分の席に向かう途中の彼と目が合う。視線が絡み合い、閑流は一瞬だけ目を見開いて反応してしまった。
「……」
けれど、一瞬だ。
彼は何か言うでもなく顔を背けて歩いて行った。話したいと思うことはないがもどかしい距離感だ。
「……わたしも、いくかー」
立ち上がって廊下に出る。しかし帰る気はない。琳愛乃と同じ炭酸水を買いに行くだけだ。
自動販売機があるところまで歩きながら閑流は思考する。
白藤は結局、何が一番不満だったのだろうか、と。
(……わたしが、約束忘れてたから)
人は、信じていた相手に嘘をつかれたときが一番傷つく。
琳愛乃はそう言っていた。ならば白藤もきっとそうだったのだろう。些細なやり取りから、どうでもいいと思って言った言葉でも――彼にとっては覚えていてほしかった。それを忘れていた。
忘れられているのを分かっていて、気持ちの行き場がなくなって。感情が暴走してしまった――そうだとしたらそれはやはり、閑流のせいだ。
『んなことねーよ。結局あいつが陰気な被害妄想野郎だったって話だろ』
桔花の幻影が言う。
閑流はスマートフォンを耳元に構えた。
「どーかな、分かんないや。わたしには」
『アイツは周りの奴ら全員に見下されてるようなこと言ってたが……あれは誇張しすぎだな。少なくとも高校で、アイツはそれなりに楽しくやってたはずだ』
「……なんで分かるの?」
『見てたからな。オマエのいるところをずっと』
胸がチクリと痛む。まるで桔花本人がそう言ってくれているようで、そうだったらいいなと思ってしまう自分がいて。
そう簡単に未練は捨てきれない。だからこの鮮明な幻影は未だ健在なのだ。
『ま、一部の人間と反りが合わなかったのも事実だ。今後どーやって生きるかは、アイツが自分で決めていくことだからな……オマエが気を負う必要なんて、どこにもねーよ』
「そっか――……そっか」
諭されて、本当にそんな気がしてくる。
もしもまた話すことがあるのなら、その時はもう少し穏やかな関係でいたい。閑流は今回のことを忘れないよう、その思いを胸に刻み込んだ。
「――お、偶然すね」
「あ」
自動販売機のあるところに辿り着くと先客がいた。御手洗慎之介だ。
彼もこの暑さに耐えられず買いに来た一人らしい。首筋を汗が伝っていた。
「みたらしくん、この度はご迷惑をおかけしまして」
「いーっすよそんなの。終わったことなんだし。あと御手洗です」
「ふふ、知ってる――けどかわいいなって、みたらし」
「何がですか」
微笑むと笑い返される。穏やかな空間だ。
一陣の涼しい風がどこからともなく吹き抜けて、閑流の白い髪が揺れる。機械には繰り出せない清涼感に見舞われ、心地のよさに目を細める。
「……みたらしくんには、お世話になったね。いろいろ」
「や、俺マジでなんにもしてなくて。つーか今年度始まってからこれしか言ってなくて」
「そんなことないよ。聞いたから。りあのちゃんに……きみのおかげって」
琳愛乃曰く、今回の件が解決したのは慎之介の行動あってのことらしかった。
彼が明地水脈を説得して、その明地水脈が琳愛乃を説得して、巡り巡って琳愛乃が閑流を説得してくれた。勿論他二人にも感謝すべきなのだが、閑流が伊吹を突き放した上でなお行動してくれた彼の影響は大きい。
「だから、ありがとう。……あ、まっくろくんって言ってごめんね」
「結局、それは何なんですか? 変な呼び方しますけど」
「んー、なんていえばいーかな。ヒトの魂みたいなのが見えるんだけど」
突然不思議なことを言い出すと混乱するかと思われたが、閑流がこの手の話をすると聞き手は以外にも納得してくれる。そういうキャラだと思われているのだろうか。
「きみは、黒かった。誰よりもまっくろ。だから呼んだ、まっくろくんって」
「……魂? が黒いってことですか?」
「うん……なんでかは、分かんないけどね」
険しい顔をする慎之介だが、自販機のラインナップを見る閑流はそれに気づかない。それに彼女の目は何も万能ではない――せいぜい、泣いている誰かの精神状態を知る程度のことしかできないのだ。
「あ、これオススメっす」
「なにこれ」
何を買おうか悩んでいると、横から指差される。彼の指先が示すのは『辛口バブルスター』という、水色のデザインに似つかわしくない名前の炭酸飲料水だった。
閑流は特になにも気にせずそれを購入した。
「……魂が見えるって、つまり初めて会ったときに言ってた変な呼び方も全部」
「そー。名前覚えるの苦手だから、そっちの方が覚えやすくて。まっくろくん、いちまいめちゃん……パズル失敗ちゃん、イブちゃん」
「なんで朱島だけ名前?」
問い掛けられて確かに、と蓋を開ける手が止まる。
公園で出会ったとき、全員の魂を見てそれに名前をつけた。しかし伊吹に関しては初めから名前を憶えていた気がする。
「……イブちゃんは、イブちゃんだったから?」
「なんすかそれ」
苦笑。彼も同じものを購入した。
炭酸は名前の通り辛くて、喉を通るたびに過剰な刺激が転がり込んできた。しかし悪くない味だ。
晴れた空を見ながら飲むには、十分適していた。
◇
――時は遡って、月曜の朝。
朱島伊吹は悩んでいた。
彼方閑流に「関わらないで」と言われて二週間と少し。
茉莉花と沙凪の相性が悪いのを解消しようと何度か出掛けたが、それも効果なし。
紆余曲折ありつつなんとかなってきたこれまでとは異なり、今回は先が見えない。本当にどちらも丸く収まるのだろうかと、彼女は焦り始めていた。
「ん~~~~~~~……やっぱり、閑流先輩のとこ行こうかな……」
彼女を尊重したけれど、それにしても待たされすぎな気がする。待っている間に梅雨も明けてしまった。あまりにもいい天気なものだから、つい早朝に登校してしまうほどだ。
「――うん、閑流先輩にもっかい会いに行こう……! それでちゃんと、お話して……」
「呼んだかい」
「わぁ!?」
校門まで辿り着くと、壁にもたれかかってポーズを決めた閑流がいた。今日から暑くなると予想されているにも関わらず、彼女は変わらず長袖カーディガンスタイルだ。
「し、しずる先輩……暑くないんですか?」
「暑い。めっちゃ。ばかみたいに」
よく見ると彼女は額にかなりの汗をかいている。当たり前だ。
閑流は衣替えして半袖制服になった伊吹を舐め回すように見て、親指を立てた。
「いーね。爽やか」
「ありがとうござ――じゃなくて、あのっ! わたし、やっぱり――」
「今日はイブちゃんに言いたいことがあって、待ってた」
「お話したいと思……え?」
意を決して話題を切り出そうとすると、先に向こうから告げられて伊吹は硬直する。
そういえばなぜこんな早くに校門でポーズを決めて佇んでいるのだろうと思ったが――話をするためだったのか。
「よ、よかったぁ……なにか悩みがあるんですよね! わたしでよければ相談に乗ります! なんでも手伝いますよ、願いに関連してることでもそうでないことでも」
「解決した」
「……へっ?」
「色々悩んでたけど。解決した。ちゃんと」
閑流は汗を搔きながら髪を手でふわりとかき上げ、ふっと笑ってみせる。
「りあのちゃんと……なんだっけ。あかち? あけちくんか。あと、みたらしくんが手伝ってくれたから……先輩の悩みは無事、解決です」
「……そ、そうなんですか?」
「まだ全部じゃないけどね」
空にある色をそのまま落とし込んだような半眼がいつになく煌めいていて、言葉以上に説得力があった。今の閑流には陰りや曇りが感じられない。
彼女が口にした人々が、伊吹の知らないところで解決してくれた。その事実だけが重くのしかかる。
「だから、決まったら教えて。予定。また遊びにおいで。お菓子、用意しとく」
「は、はい」
「あと……ごめんね、待たせて」
そう言い残すと閑流は先に校舎に入ってしまった。
残された伊吹は、ぽかんとしてしばらく動けない。じりじりと照りつける日差しが段々痛くなってきて、遅れて校舎内に入った。
「……」
昇降口から教室に向かうと、教室にも先客がいた。
茉莉花だ。スマートフォンを慣れた手つきで弄っていた彼女は、伊吹が来たのを見ると電源を落とした。
「おはよ、伊吹」
「あ、うん。おはよー、茉莉花ちゃん……半袖似合うね」
「どーも。ちょっと言いたいことあるんだけど、今いい?」
「え? 大丈夫だけど……どうしたの?」
珍しく伊吹の言葉に深く反応せず切り出してくるものだから首を傾げる。いつもなら「うっさい、衣替えなんだから長袖のままくるバカなんていないでしょ」くらい言うはずなのに、今日はドライだ。
席を離れて近寄ってきた彼女は、言い辛そうに告げてくる。
「氷室……沙凪なんだけど。あの子とあたしが上手くいかなくて、ほら。あたしから提案したのに申し訳なかったっていうか」
「あ――ああ、うん! 全然大丈夫! わたしに任せてよ! 二人が仲良くなれそうなプランも考えてき」
「だからってわけじゃないんだけど……意外と仲良くできそうってこと、伝えておきたくて」
「はぇ?」
再度首を傾げる。
何を言っているのかと思ったが、何度も彼女の言葉を頭の中で揉みしだいていくと理解できた。
閑流に続き、茉莉花も――解決したと、言っているのだ。
「……え、え? 何かあったの?」
「この前偶然出会って。ちょっと話してみたら、今まで何が嫌だったのか分かんないくらい盛り上がっちゃって。まあだから、その……心配いらないわよ、って話」
伊吹が言葉を重ねるより早く茉莉花は話を切り上げ、若干恥ずかしそうにして席へ戻っていく。再びぽつんと取り残された伊吹は――何度も何度も瞬きをして、現実を受け止めていた。
何度も、何度も。
◇
姿見に映る自分はいつもと変わらない。
毎日、自室を出る前に確認するそれだった。
「――」
明るい茶髪に赤のインナーカラー、潤んだ赤の瞳。やや小柄だが歳相応の発育をみせる肢体。お気に入りのカチューシャを着けた、いつもと変わらない朱島伊吹がそこにいる。
『何か一つ、忘れてない?』
ズキリと頭が重く痛む。嫌だ、いやだ。聞きたくない。
囁きはそれでも無常に伊吹の脳を支配する。
『いつものっていうなら――それも、でしょ』
嘲笑うかのような声に呼応して、それまで意識しないようにしていた“傷”がくっきりと映し出された。
頬に横薙ぎに刻まれた線。
確かに、これも、すっかり馴染んでいた。
馴染んでしまっていた。
「事故だよ、事故……違う」
『違わないよ。それも朱島伊吹だ』
「違う」
頭がぐらぐらする。思考を支えていたパーツが一つ外れたみたいに安定しない。苦しい。
――違う。苦しくない。こんな顔はしない。
『ねえ、なんだろうね? 朱島伊吹って』
――意味が分からないことを聞かないでほしい。
『もしも人生を大きな物語とするなら、どのへんのポジションに配役されてると思う? 生徒Bとか、友人Cとか……あ、エキストラかなあ?』
「やめて」
赤い瞳が揺れている。そもそも視界が安定していないのかもしれない。
姿見の向こうには自分と、もう一人誰かが映っている。置き去りにして封じ込めたそれが今更になって起きてしまったのだ。
『メインキャラクターはないよねー。だってさ、いなくても世界は回るって分かっちゃったじゃん。やっぱりそうなんだよ、朱島伊吹は――』
「やめてって……言ってる、でしょ――!」
押し潰した悲鳴を鏡に飛ばす。すぐに声が反射してくる。虚しさだけが残った。
息が荒くなった伊吹は、止まない声に顔を歪めて反論する。
「よかった……んだよ、閑流先輩も、茉莉花ちゃんも……明地くんも……っ! 何事もなく解決したなら、それでよかったの! 余計なこと言わないでよ……!」
『ふうん。何事もなく、ね。確かに何事もないのが一番だ』
鏡の奥で黒い影が嗤っている。幾重にも連なるように聞こえる声が響いて、頭が痛くて、心臓が鳴りっ放しだ。
閑流が何を抱えているか知らないまま、事後報告で解決したと告げられた。茉莉花と沙凪の仲を取り持とうとしたのも同様に、自分のいないところで話が終わっていた。慎之介も明地水脈について色々言ってくれたが――正直、頭の中がこんがらがりすぎて処理しきれていない。
『わたしたちは、傷ついて、ルール破って……ようやく解決できたのにね?』
――関係ない。関係ない。関係ない。そんなことは些細な問題だ。取るに足らない。
「だから、事故だって言ってるでしょ。わたしは……後悔してない。二人と仲良くなれて良かったんだよ」
『他の人が乾茉莉花や氷室沙凪と関わっていたら』
「やめて……!」
『もっと上手くできてたかもしれない、よね?』
影が嗤っている。
醜悪な表情で、露悪的でありながら、邪悪だ。そんな感情がどこからわいてきているのか、伊吹はよく知っている。
『じゃあやっぱり……朱島伊吹が動く必要はなかったんじゃないかなあ?』
茉莉花と関わって、顔に傷ができてしまった。
悪いことではない。結果としてそうなっただけで、彼女が悪いわけではないのだ。
沙凪と関わって、自身の定めたルールを破ってしまった。
ただでさえ全て達成できているか怪しいのに、さらに理想から遠ざかるような真似をした。けれど必要なことだった。結果として沙凪を救えたのだからそれでいい。
――だったら、どうして。
――自分のいないところでも話が進んでいるんだろう。
「……はぁ……っ……はぁ……違う、そんなこと、考えてない……!」
『認めて楽になろうよ。そう思ってるから苦しいんでしょ?』
向こうで影が嗤っている。
向こうで誰かが嗤っている。
向こうで、朱島伊吹が嗤っている。
『やっとこっち見てくれた――おかえり、わたし』
それは到底、メインヒロインを目指す者の表情ではなくて。
理想像から掛け離れた悪意を内包した、輝きの一切ない闇の中で。
蓋をしていた中身が飛び出すように、静かに背後に佇んでいた。
―――――――――――――――――――――――
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。三章「極彩色ハイファイゴースト」はこれにて終了となります。
主人公不在のため今までと少し毛色の異なるお話になったと思いますが、次章でようやく伊吹がメインのお話が始まります。(長かった…!)
近いうちに三章の幕間を投稿し、そこからできるだけ早めに四章の投稿を始めようと思いますので、また読んでいただけると嬉しいです。
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