三章四話 近距離パワー型の話
「やっほ〜ミオくん、会いに来たよ♡」
「雨ずっと降っててイヤになっちゃうね。ねえミオくんって部活入ってないんでしょ? バイトしてんの? 暇なときは、りあのと一緒に帰らない?」
「ミオくーーん! 先週ぶり! 土日は会えなくて寂しかったな……♡ ね、連絡先交換しよーよ。スマホ出して出して〜」
「ぁは、今日も来ちゃった。そろそろりあのにも慣れてほしーなー……もー、こっち向いてよ〜」
明地水脈の「距離感がバグっているギャルな先輩に死ぬほど愛される学校生活」は、苛烈を極めていた。
二年の横山琳愛乃は、水脈を発見してからというもの、毎日のように一年の教室に足を運ぶようになっている。相当な美人なので、クラスの男子はそれを見て羨望の眼差しを向けるのだが、
「はぁ……はぁ……も、もういないよね……?」
水脈は何故か琳愛乃が来る度に、爆速で教室から飛び出して逃亡してしまうのだ。言い寄られる度に顔面蒼白になり、追い掛けてこないところに身を隠す。
慎之介も追い掛けるのだが、一度逃げた水脈を発見するのは至難の業であった。
「お前なあ、なんで毎回逃げてんだよ」
「逃げるっていうか……いや、怖いだろ普通に。知らない先輩にあんな態度とられて正常心を保てる奴いる!?」
「……それもよく分からないな。知らないってどういうことだ?」
空き教室の隅で縮こまる水脈は、未だに身体を震わせている。その様子はとても嘘をついているようには見えない。
自分にあれほどベタ惚れしている相手のことを“知らない”など、有り得るのだろうか。慎之介は腕組みして考える。
「……羅衣斗の姉貴は、お前とどこかで会ったような口ぶりだったろ。よく思い出せって」
「何回も考えたよ! でも本当に覚えがないんだって!」
普段のクールな表情を乱す水脈は、今にも爆発しそうな勢いで反論してくる。相当メンタルにきているのだろう。
しかし身に覚えがないだけで、ここまで取り乱すのだろうか。彼の反応は、まるで──
「お前……なんかあるんだろ、女子と」
「──!」
水脈のまぶたがピクリと震えた。当たりのようだ。
「おかしいと思ってたんだよな、めちゃくちゃモテる割に告白は全部断ってるって聞くし……そもそも、入学してからお前が女子と話してるところを見たことがない」
「……か、彼女がいるんだよ。他校に」
「前に俺ん家で遊んだ時、彼女いないって言ってたけどな」
「うっ……」
慎之介が冷ややかな視線を送ると、水脈はがくりと項垂れた。色の薄い茶髪が彼の目を隠している。
「……慎之介は、変に鋭いね。自分だって彼女いないくせに」
「俺は別にそういうのは要らん。……昔、女子となんかあったのか?」
「話したくない」
項垂れたまま拒絶の言葉が飛んできた。
水脈と知り合って二ヶ月と少し。飄々とした態度で軽口ばかりの彼とは掛け離れた、弱々しい声音だ。
慎之介はしゃがみ込んで彼の顔を覗き込む。まだ恐怖の色が残っていた。
「……ずっとそのまま、先輩から逃げんのかよ」
「どうでもいいだろ、慎之介には関係ない」
「お前なあ」
子どものような態度をとられて思わず溜め息が出た。同時に、教室に訪れた際に琳愛乃が慎之介にも意味ありげな視線を送ってきたことを思い出す。
あれは、牽制だ。
彼女の視線は「変な気を起こすなよ」という意味を含んでいるのだ。彼方閑流のところに再度足を運ばないようにと、琳愛乃は水脈に会いに来ると同時に慎之介のことを監視に来ているのだ。
(どうしたもんかね……状況が動かん……)
下手に強行突破しようものなら、琳愛乃が以前の比にならないレベルの妨害を仕掛けてくるだろう。勘がそう言っている。
まずは横山琳愛乃からどうにかするべきなのだが、
「なんなんだよ……俺がいつあの人に会ったんだ……?」
頭を抱える友人を案じる一方で、慎之介の脳裏にはある考えが浮かんでいた。
すなわち、琳愛乃が水脈に言い寄られているこの状況は――突破口になり得るかもしれない。
そのためにはまず、水脈が逃げ続ける現状から改善すべきだ。
(まあ……過去のこと話したくないのは、俺もそうなんだけど……)
今は水脈の言動の大元を辿って、状況を改善するのがベスト。少し無理を強いてでも彼の過去に触れなければならない。
慎之介は水脈を見ながら立ち上がった。
「明地、体育館行こうぜ」
「……なんで?」
「バスケがしたくなった。帰宅部だと体がなまってなー、お前中学でバスケ部だったんだろ? ちょっと付き合ってくれ」
肩を回して言うと疑いの視線を向けられた。なにか企んでいるのはバレているのだろう。
「1対1だ。俺が勝ったらお前が逃げる理由、話してもらうぞ」
「はあ……嫌だよ。俺にメリットないじゃん。それにバスケなら、現役の羅衣斗とやればいい」
「横山と? いやいや、するわけないだろ」
二ッと口角を吊り上げ、慎之介は不敵な笑みを浮かべ、挑発的な視線を送った。
「──俺バスケ経験ないから。横山とやったら絶対勝てねーもん」
「……なんか、聞き捨てならないこと言ってない?」
水脈が遅れて立ち上がる。顔色はまだ悪いが、それを歯牙にもかけない闘志が瞳に宿っていた。
「“明地になら勝てる”……って?」
「おう、正直楽勝だと思ってる!」
「よし、じゃあ俺が勝ったらオルバスミスターの化粧水セットね」
「やべ、挑発しすぎた」
こうして賭け事が成立したことで、二人は体育館に向かうのだった。
◇◇◇
火曜日の昼休みは何故か体育館が空いている、と聞いたことがある。迷信だと思っていたのが、意外にもコートを丸々占領出来る程度には生徒がいなかった。
「丁度いいな、全面使おうぜ」
ケラケラと笑って慎之介が言う。バスケットボールの弾む音が、雨音の中に大きく響いた。
「賭けたからにはちゃんと買ってね、慎之介」
「調べたらゲームソフトぐらいの値段じゃねーか。化粧水とか男が使うのか?」
「今の時代、肌が命だよ」
水脈はコートの真ん中に立つ慎之介にボールを渡し、数歩下がって「いつでもいいよ」と告げた。挑発された手前、徹底的にやろうと決めたのだ。
「よっしゃー、じゃあスタートで──」
「はいもらった」
「はっおい、速すぎねえか!?」
彼の合図を聞き終えるなんて行儀のいい事はせず、水脈は床を蹴って瞬間的にボールを奪い取った。反応の遅れた慎之介を置き去りに、素人では絶対に追いつけないドリブルさばきでゴールに向かう。
そうして、開始から数秒でいきなりダンクシュートを決めた。
「俺が三本決めるまでに一回でも決めたら、慎之介の勝ちだっけ?」
「……やっぱ五本にしねえ?」
「二言なし!」
コートチェンジして再スタートする。
今度は奪われまいとドリブルに意識を集中させる慎之介。走り始めると追従で精一杯なのは水脈も同じだった。
「速いし上手いね!」
「スポ少の頃から鍛えてるんでな! バレーだけど!」
荒々しいドリブル音を響かせ、慎之介は瞬く間にゴール下に到達する。そのままシュートを決めようとするが、シュートに意識が向いた瞬間を水脈は見逃さない。
「はいっもらった」
「加減してくんね!?」
再度ボールを奪い取ってすぐさま攻守を逆転させる。体格差はあるが、一度走り出してしまえばこちらのものだ。
先程はダンクシュート。今度はスリーポイントの距離から緩やかに投球した。綺麗なフォームから繰り出された一球は、慎之介の妨害を許さずゴールネットを通過する。
「よし。次ラスイチねー」
「大人気なくないか? 俺ほぼ素人よ?」
「挑発してきた方が悪いでしょ」
再びコートチェンジ。多少の情けで全て慎之介からのスタートを許しているのだが、それでも経験の差が大きかった。スピードドリブルが開始するよりも早く、水脈は掠めるように横からボールを奪い取る。
「くそおおおおおお!」
「じゃあね〜」
もはやワンサイドゲームと化した勝負だが、手を抜くわけにはいかない。負けたら過去を打ち明かさなければならないのだ。
“みおっていうんだ。私はいい名前だと思う。かっこいいよ”
刹那、脳裏を過ぎった亡霊の声。併せて頭痛が鳴り響くが、気を取られないよう軽く首を振って気を取り直した。
(もういいんだよ、どうでも──!)
自分に言い聞かせるように心の中で声を荒げ、水脈は最初と同じように高く跳び上がってゴールにボールを送る。
中学時代、脅威の跳躍力で彼はエースとして活躍していた。当時「フリーにさせたら確定ダンク」とまで言われた彼の跳躍を阻止できる選手は、一人もいなかった。
「っしゃ、化粧水──」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
「は……っ!?」
ゴールネットにするりとボールが吸い込まれていく直前、怒号に似た雄叫びが体育館内に木霊する。慎之介が鬨の声を上げながら、いつの間にか水脈と同じ高さまで跳び上がっていた。
「ふん──ッ!」
入った、と油断してボールは手から離れている。彼はその一瞬の隙に、ゴール直前のボールを拾い上げて後方へ吹き飛ばした。
バチィン! と破裂しそうな音が鳴り、ボールは反対側のゴールへ豪速で飛んでいく。空中で繰り出したとは思えない速度で、そのまま吸い込まれるようにゴールインした。
「っしゃああっ! 今のバスケ的にはどうなんだ!?」
二人の着地とほぼ同時、向かいの壁際でボールがバウンドする。水脈は目を丸くして呆気にとられたまま立ち尽くしていた。
「……そういえば、体力オバケだったね……」
ルール的にはどうだとか、そんなことが有り得るのかとか色々考えたが、一本取られたのは間違いない。負け惜しみを挟む暇もなく、水脈は両手を上げて敗北を認めるのだった。
◇◇◇
彼方閑流は悩んでいた。
「オッチー今日弁当持ってきたぁ? うち忘れちゃってさ~。購買か学食だわ」
「彼方さん。授業中に寝過ぎです。ちゃんと起きてくださいね……中間テストもかなり怪しかったですし」
「ぁは、ごめんネ、おシズ~。りあの、今日も愛するダーリンのとこ行かなきゃ♡」
「しずる、もうちょっと早く起きないと、次はトースターの角でぶん殴るからね」
人付き合い、テストの点、友人の色恋沙汰、今朝聞いた母親のヤバい発言。
それらは然したる問題ではない。生まれてこの方、ノリと雰囲気で生きてきた閑流にとって、多少の困難はさざ波のようなものだった。
では何が問題なのかというと。
(……なんだっけ。何が問題なんだっけ)
彼方閑流は頭が悪かった。
かなり、だいぶ、壊滅的に。高校入試もほとんど運で受かったようなものだ。
悩みや辛い思いも全て少し経てば忘れてしまう。記憶力というより思考力に問題があった。漠然と抱えていた思いは覚えているのだが、その何が問題なのかを覚えていないのだ。
『――、……』
どこからか声がする。彼女だけに聞こえる声、閑流だけに許された意思疎通。
「……あー、そっか。なるほど」
ホームルームが終わり、生徒が一斉に動き出す。閑流は自分だけに聞こえる声のおかげで抱えていた悩みを思い出した。
「そうだ、イブちゃん。どーするか、だ」
朱島伊吹をはじめとした数人と、改めて会話をする。現状の整理をするために必要不可欠な会合ではあるのだが、閑流はできるだけそこに顔を出したくない。
しかし伊吹には返答を先延ばしにしておきながら、何か答えを出せるような気もしなかった。どうしたものか、と唇を尖らせて考えていると――
「――。なあ、聞こえてるか……?」
「ん」
遠慮がちに横から声を掛けられ――というよりずっと話しかけられていたらしい――閑流は首だけ捻って目線を上げる。そこには一人の男子生徒がいた。
見覚えがあるような、ないような。なんとも言えない長さの髪と、目尻がやや垂れ下がった男子生徒だ。
気が弱そうというか、なんというか。
若干猫背になって声も細い。琳愛乃がこの場にいたら倍以上の声量で聞き返しているだろう。
「彼方。ちょっと、話があるんだけど……いいか?」
「……いーよ。でもごめん、誰だっけ」
「白藤だよ!
「うそ。マジか」
どうやら結構前からの顔見知りらしい。
ひとまず閑流は白藤の話を聞くため、教室を出た。彼女だけに聞こえる声は――そこからしばらく反応がなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます