序章五話 羽化不全に似た氷塊
丁花公園に集まった中で、真っ先に姿を消した薄緑髪の少女。
記憶が正しければ、彼女は唯一他校の制服を身に着けていた。クラスや学年が違う程度ならば探せばいいのだが、高校まで異なると探すのは難しくなる。慎之介の言う心当たりがなければ捜索は難航していただろう。
お告げや手紙の内容の、“その出会いを無碍にせず、縁を生涯大切にしなさい”の部分。あの場にいた全員と仲良くすることが条件ならば――というかそうとしか思えないが――もう一人も揃わないと意味がない。
「それで、心当たりって?」
「俺、親の見舞いでよく行く病院があるんだけど……多分そこで何回か見たことあるんだよな、あの子」
「あ、そういう感じね」
時間が経過し、放課後になった。茉莉花は基本的に放課後は用事があるらしく、慎之介のいう「心当たり」には同行できないらしい。先輩の閑流を誘うわけにもいかず、かといってこの件に関係のない鈴蘭を連れていくわけにはいかなかった。そもそも彼女はバスケ部所属なので論外だったのだが。
「あんまり大所帯で行くのもな、怖がらせるかもしれないし」
と慎之介は言っていた。一理ある。
そうした結果、伊吹は彼と二人で学校から少し離れた病院へ向かうことにした。下校時に周囲からの視線を多く集めたが、二人揃って気にする性格ではないので問題ない。
「朱島、すごい人気だったな。声掛けに行かずに待ってた方が良かったか?」
席まで呼びに来てくれた時のことを思い出し、慎之介が頭に手を当てて苦笑する。
彼の少し尖った印象を受ける黒髪は癖が入っているのだろう。天然の流れを維持しながら綺麗に切り揃えられていた。
「全然! 呼びに来てくれてありがとね? あと別に人気じゃないよ」
「いや人気じゃないっていうのは無理があるだろ。色んな人に話しかけられてたし……一瞬声掛けるのやめようかと思ったわ」
「みんな話しやすい人に話しかけてるだけだと思うけどねー。でもありがと、ちゃんと呼んでくれて」
「まあ、今日の放課後って話だったしな」
「ふふっ――じゃあ今度はわたしが声掛けに行くね?」
程よい歩幅で進む彼の顔を覗き込むように見上げ、にこりと笑う。笑い返してくれる彼の表情の後ろにはまだ落ち切らない空があり、綿をちぎって捨てたみたいな空模様が絵画みたいだと思った。
「普段は自転車通学なんだ、御手洗くん」
「家もそこそこ遠いんだが……病院までさっと行けるようにな」
「わたし後から電車で追いつくよ? 自転車で先に行ってくれても良かったのに」
「いやそういうわけにもいかないだろ。ちゃんと案内するって」
二人が雑談しながら向かう病院は、最寄りの駅から一駅分離れたところにあるらしい。救急医療などには対応していない療養型の病院とのことだった。
「じゃあ風邪とかの人が診てもらうところじゃないってこと?」
「そうだな、長期間の入院がメインで……それこそ何年も入院する患者が大半だ」
「そうなんだ……お母さん?」
「……ああ、二年くらい前に体壊してな。それから」
聞けば、慎之介は中学の頃はバレー部所属だったらしい。背の高さや体つきからも想像には容易いが、レギュラーでそれなりのポジションにいたそうだった。高校に入ってからは何度も声を掛けられたと、ここ一か月の記憶を思い返しながら語ってくれる。
その間の彼の表情は、曇っているようなところどころ晴れているような、不思議なものだった。
「部活に専念すると見舞いに全然行けなくてさ、高校入ったら帰宅部になるって決めてたんだ。おかげで見舞い行かない日はめちゃくちゃ暇だよ」
「分かる分かる! わたしも中学だと部活で忙しかったんだけど、高校に入ってから放課後すっごい時間できたもん」
「朱島もなのか、何部だったんだ?」
「テニスだったよ、バレーは小学校でやってた」
伊吹は母親がバレー経験者であるため、勧められてスポーツ少年団に入団したことがある。中学は別の運動もやってみたいと思いテニス部に入り、どこでも結構活躍していた。
しかし高校では――特に高校入学後の一か月は絶対に入部しないと決めていたのだ。理由は当然、待ち望んでいた日に身動きが取れないと困るから。
それを話すと慎之介は感心していた。
「ガチだな、願いに」
「そうだよ? 高校だって公園が近いから選んだし」
「すごいわ、一途なタイプだな」
「当方、浮気は絶対致しません。死ぬまで貴方に首ったけ♪」
「なんか怖いわそれ」
話しながら並んで歩き、最寄りの駅に入って電車に乗る。一つ隣の駅だから歩いてもそこまで時間は掛からないのだが、二人そろって徒歩と自転車通学のため「たまには電車を使ってみよう」という提案が被った。
放課後が始まってすぐの電車内は梯田高校の生徒の姿がまばらに見られ、中には伊吹や慎之介と関わりのある生徒も乗っている。今まで特に接点のなかった二人が一緒にいるのは周囲からすれば好奇の対象であり、近寄って質問してくる生徒もいた。
「伊吹ちゃんどうしたの!? え、そういうカンジ?」
「違うよーちょっと用事があって、御手洗くんに案内してもらうだけ」
「御手洗お前、昨日もさっさと帰ったと思ったらそういうことなのか!?」
「隣の会話が聞こえんのかお前は。そういうのじゃないから」
思春期の男女はすぐ色恋の話に直結させる。直接質問してくれるぶん、誤解が解きやすいのは助かるのだが。
「まあ、明日も聞かれるだろうな」
「クラスのみんなはちゃんと言えば分かってくれるよ、だいじょぶだいじょぶ」
「軽いなー……慣れてんだな……」
「皆色々考えて生きてるからね、誤解はつきものです」
ある種達観した物言いに慎之介は「悟りすぎ」と笑っていた。
一駅分の乗車は会話が止まるよりも前に過ぎ去り、あっという間に到着する。二人は周りの生徒に別れを告げて駅を出ると、再び歩き始めた。病院は数分もすれば辿り着ける程度の距離にあり、想像よりも大きくない。もっと巨大な建物のイメージがあった伊吹は肩透かしを食らった気分だった。
「ここだよ。俺は週に三回来てるんだけど……このくらいの時間に来るとよくすれ違ってたな。中学の頃から見てた顔だから流石に覚えた」
「あの子もお見舞いなのかな――よしっ」
伊吹が入り口前の階段に座り込んだので、慎之介は不思議そうな顔をする。
「どした? 入らないのか?」
「だってわたし、ここの病院に知り合いいないから。御手洗くんはお見舞い行っておいでよ。その間にあの子が来たら話しとく!」
「あー……そっか、そうだな。じゃあちょっと行ってくるわ。早めに戻ってくるから」
「ごゆっくりで大丈夫~」
足早に病院内に入っていく慎之介を見送り、座った姿勢で頬杖をつく。見送ったはいいが暇になってしまった。先ほどまでは彼が話し相手になってくれていたから退屈しなかったのだが。
「ふ~んふ~ん……ふふ~♪」
手持ち無沙汰すぎて無意識で鼻唄が流れてしまうが、この病院はどうやらそこまで人の往来が激しくないらしく、五分ほど経過しても誰も通り過ぎなかった。
高校の近くの駅周辺は賑わっているのだが、隣の駅になると少しだけ寂れた雰囲気を纏っている。病院もそれに合わせて人の気配が少ないのかもしれない。
「……そんなところに座っていたら迷惑になると思いますよ」
「あ、そうだよね。ごめんなさ――あ!」
呆けていたところを横から声が掛かり、咄嗟に避けてから伊吹は目を丸くする。周囲への配慮的な助言をしてくれたのは知らない高校の制服を身に着けた、薄緑色をした髪の女子生徒だったからだ。
「……ああ、それで見覚えがあったわけですね」
そう――あの日公園に訪れた五人の中で、唯一梯田高校の生徒ではない人物。
無機質な瞳と氷のような表情をした少女だった。
◇◇◇
蝶の一生は儚い、というのが伊吹のイメージだった。
幼虫から蛹へと変態を遂げ、成虫になる。しかしその過程を経るのも容易ではなく、特に羽化は繊細なバランスを保つことで成り立つものだ。羽化不全の原因となる障壁は数多くあり、蛹から出た直後にどこにも掴まれず落下して翅が伸びなくなったり、翅が乾燥して開かなかったり、寄生されていたりと可哀想になるくらい多様だ。
伊吹も小学校の頃、同級生が持ってきた幼虫の成長過程をみんなで見守ったことが二回ほどある。そのどちらも当時はよくわからない理由で失敗し、二回目に至っては蛹から姿を現すことなく中で絶命していた。
あれ以来、蝶には儚さと――蛹には触れがたい恐怖を覚えている。
「話しかけなければ良かったですね。どうぞご自由に、赤の他人の助言なんて気にする必要ありませんよ」
「いや、ちょ……っと待って! ちょっとお話ししていかない!?」
そして今、何故か目の前の少女に対して蛹に似た恐怖を感じていた。
恐怖というより、下手に触れたらどうなるか分からないという畏怖だ。
「話ですか。私からは特に何も……強いていうならこの病院に用があるので、邪魔しないでいただけると助かるのですが」
「そんな冷たいこと言わないでよー。昨日会ったよね、わたしのこと覚えてる?」
黒を基調とした制服は、高校生らしいデザインの中に落ち着きのある大人っぽさも醸し出している。造りは同じブレザー型といえど伊吹たちのものとは少し異なっており、程よく刻まれた白のラインがとても綺麗だ。少し羨ましくすら思うほどに。
スカートもチェックのプリーツではあるのだが――上に着ているものが黒か紺かでかなり違うらしい。そこからすらりと伸びる脚は真っ黒なタイツで隠されており、傷一つないローファーには光沢が見られた。
「覚えてはいますよ。記憶力は良い方ですから。ただそれだけです」
「どこの高校? この病院よく来るの?」
「質問の多い方ですね……知ってどうするんですか」
大人びて見える黒の装いとは裏腹に、彼女の肌は新雪の如く白い。閑流には少し浮世離れした白さを感じていたが、彼女のそれはシンプルに美しいと思える色白さだった。
だが表情は閑流以上に乏しい。動きは少ないが微笑んだり驚いたりといった反応があった閑流に対し、目の前の少女は見ている側が驚きたくなるくらい無表情。煌めく翠眼には感情が宿っておらず、人形と喋っているのではないかと錯覚しそうになる。
髪色は艶がかった薄緑。セミロングくらいの長さを一本の乱れもなくハーフアップにまとめている。
「えっと、どうするっていうか……メッセージを見て公園に行ったんだよね。あなたの願いも書いてあったと思うんだけど……どうしたいのかなーって」
「それでわざわざここまで来たんですか。ストーカーの一歩手前ですよ」
冷静沈着、を通り越して冷徹。
耳辺りの髪をかき上げる仕草も非常に整っており、所作の全てが何かプログラムされているのではないかと思うほど整然としていた。
「……レイルは見ました。随分と気味の悪い内容だったので、どんな方から送られてきたのかと思って見に行きました。……結果的に、関わっても意味がないと判断して帰ったまでです」
口調はとにかく淡々としている。氷のような冷気が肌にまで伝わって来たようで、対峙しているだけで身震いしそうだ。
視線も毅然とした態度も、何もかもが冷たい。関わりづらいとか話しづらいとかそれ以前の問題――もっと、どうしようもない壁を感じた。
「要するに、通報しようかと思ったけれどその気も失せただけということです。分かったら避けてもらっていいですか?」
「……じゃあ、名前教えてくれない?」
「何故?」
「また来るから、その時名前分からなかったら困るもん」
反応はない。彼女はしばらくじっと見つめたかと思うと、ほんの僅かに表情を歪めて答えた。
「
「あれっ意外とあっさり教えてくれるんだ」
「早く通して欲しいので。名前くらい教えても別に減るものではありませんし」
言い終えるともういいですか、と言いたげに目で訴えかけてくる。沙凪と名乗った少女は伊吹が避けるとすぐに視線を外し、それ以上は何も言わずに病院の中へ入って行ってしまった。
それから数分後。立ち尽くしていた伊吹のもとへ、小走りで慎之介がやって来た。彼の見舞いは終わったらしい。
「お待たせ――って……会えたっぽいな」
「あ、分かる? 全然ダメだったけどね!」
何を見たのか、待っていた間の出来事を察してもらえたようだ。表情だろうか。
氷室沙凪――名前こそ教えてもらえたものの、彼女と関わるのはかなり難しそうだ。
「なんか、学校の外にまで来ると不審者になっちゃうのがよくないね。どうしたらいいのかな……」
「まあ、とりあえず全員とは話せただろ? これからどうするのか考えようか」
「うーん……これから、かあ」
これ以上病院の前で立ち話を続けるのもよくなさそうなので、話しながらその場をあとにする。行きに比べると少しだけ、足取りが重い気がした。
他者に冷たくされるのは堪えるが、沙凪からすれば押し掛けてきて辟易としているだろうし、彼女は悪くない。次会いに行くのも正直、本当に大丈夫なのかと思っている部分がある。
「これからって言い方が悪かったな、次はいつ会いに行くのか、だ」
「え、もう次がある前提なの?」
「そりゃそうだろ」
思わぬ訂正が飛んできて慎之介の顔を見ると、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。歳相応の男の子っぽさがあり、少しかわいいなと感じた。
「だって皆で仲良くできたら願い叶うんだろ? 誰にとっても悪い話じゃないだろ。諦めるのは勿体なさすぎるって」
「おー。前向きだね、御手洗くん」
「それが取り柄ってよく言われる。逆にそれだけとも」
春も過ぎ去る最中、もう見なくなったと思われた蝶が一頭だけ駅の前を通る。明確な拒絶を食らったが伊吹の心は欠片も折れてなどいなかった。
だが、慎之介はそんな彼女にガッツポーズしてみせる。
「次は俺にも話させてくれよ、朱島ばっかり辛辣に当たられるのも悪いし」
駅に入って日差しの届かないところへ。行きと違って制服は自分たち以外に見つからない。時間が止まったような気がして、少しだけ心が浮いた。
「……じゃあ、次は御手洗くんに話してもらおうかな」
「おう、任せろ。馬車馬の如く働くから」
「ふふふっ……頼りにしてるよ」
電車が来るまでの数分。短い時間だったけれど、それは間違いなくその日で一番充実した時間だった。
◇◇◇
その後、電車内にて。
「俺、偉そうなこと言ってたけど……よく考えたら、俺自身が乾と仲良くないんだよな」
「え、そう? 普通に話してたと思うけど……」
遠い目をする慎之介を見て、彼と茉莉花との会話を思い出す。といっても茉莉花と話し始めたのも今日で、彼女のことは知らないことの方が圧倒的に多いのだが。
拒絶されただけに終わった沙凪とは異なり、茉莉花は名前で呼ぶことを要求してくる程度には心を許してくれているはずだ。しかし大切にすべき「縁」とは一朝一夕で手に入るものではないだろう。
つまり、考えなければならないのは沙凪のことだけではない、ということ。
「――わたしもよく考えたらほとんど仲良くなれてない! どうしよ、家に招待して遊べばいいのかな?」
「距離感ヤバいだろ。でもまあ……そうだな。折角同じクラスの女子同士なんだし、まずは乾と仲を深めるのが良いかもな」
「そして二人とも俺とも仲良くしてほしい」と身体を縮めて言う慎之介。確かに三人は同じ三組の生徒なのだから、まずはそこから交流を深めるのが堅実に思える。
「よし、明日は茉莉花ちゃんにもう一回話し掛けよう。めちゃくちゃ仲良くなるぞ~」
「すげー意気込みだな」
乾いた笑いで返されたが、意気込む伊吹の目は本気だった。
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