あなたのメインヒロインになれたなら
棚旗夏旗
序章 青春インプレッション
序章一話 なりたいものはなんですか?
“あなたは物語の主人公です”と言われたら、それを信じられるだろうか。
平凡な日常に非日常を、真っ白なキャンバスに絵の具を一滴垂らすような、突然訪れる出来事。青天の霹靂と言っても差し支えないほど、それは前触れもなくやってくる。
今までの人生を味のないガムと嘲笑うほど強烈で、勝手に脳裏に焼き付くほど鮮烈な、運命か何かの引力に引き寄せられる大きな出会い。
その出会いを切っ掛けに無味無色だった人生は一転――色鮮やかに華やかに、世界が息吹くように視界は輝きを覚える。動き出す物語の中心に、自分が立つことになる。
そんなものを信じるとしたら、果たしてどんな時だろうか。
4月21日、その日は特に何もないただの平日だった。
高校生活も新入生が落ち着きを見せ始める頃。部活動勧誘の動きもある程度収まり、生徒一人一人の行動もパターン化され始めてくる頃合いだ。
「……ん?」
放課後、生徒たちが散り散りに行動を取り始めてから数分。下駄箱のスニーカーに手を掛けて、慎之介は覚えのない物体に触れたことに気付く。
手紙だ。丁寧に封筒に包まれたそれは、飾り気もなければ上質な感じもしない。その辺で安く買えるレターセットで用意されたような手紙。宛先がなければ差出人も書かれておらず、怪訝に思いながらも開封する。
まず本当に自分宛てであるかどうかを疑うべきなのだが――この時の彼には、猜疑心に勝る何かの感情が渦巻いていた。
『 親愛なるきみたちへ
今日、16時ちょうど。夕日を背景にひとつ鐘が鳴るその時、丁花公園の時計前にて君たちは運命の出会いを果たすだろう。
その出会いを無碍にせず、縁を生涯大切にしなさい。そうすれば君たち一人ひとりの願いが、夢が叶う。
記された願いは君たちが心の奥底で一番強く願っているもの。心当たりがあるのなら、16時ちょうどに丁花公園に行くことだ。
“御手洗 慎之介”
きみの願いは
“ ” 』
「――――」
馬鹿馬鹿しい、と今すぐにでも破り捨ててしまいたい気分だった。いたずらにしても文章が尊大で気味が悪く、恋文にしてはあまりにも心躍らない。
ただ、気味の悪さの中に無視できない部分があった。彼の名前がしっかり最後の方に記載されていることと――その下に書かれていた内容だ。
「願いか……」
そこに書かれたものがあまりにも的確で、心の繊細な部分を踏みにじったような内容で。
それは誰にも打ち明けたことのない秘めたものだ。今日という日までずっと胸の奥に仕舞って隠し続けてきた、ある種彼の生きる意味を担っている、命より大切なもの。
「よりによって、今日……」
誰も知らないはずのことを何故か、差出人不明の手紙は知っている。無視できるはずがない。
気付けば慎之介はその丁花公園に向かって走り始めていた。校門を抜けていつもの通学路の途中で曲がり、知らない住宅街に足を踏み入れていく。16時といえばもうすぐだ。今日はいつもよりのんびり病院に向かおうとしていた分、気づくのが遅れてしまった。
――いや、別に16時丁度に間に合わせる必要はないんだが。
いくら不可思議な点があったとして、息を切らしてまで向かうことではないはずだった。本当なら病院に向かわなければならないし、行ったとして何もなければただの徒労に終わるし、そもそも運命の出会いだとか縁だとかそんなもの――。
「――はあ……はぁ……いや、近いな……割と」
丁花公園は高校からそれほど遠くない位置にあった。全力疾走をしてもすぐに息が整う程度には近く、しかし歩けば五分ほどはかかりそうなところ。閑散とした住宅街に囲まれて鎮座するそこは無人で、遊具もそれほど多くない。
一度乱れた息を整え、最近の運動不足を感じながら慎之介は公園内を一瞥する。時計は滑り台の隣に立っていた。
そして、おそらく彼と同じ目的で集まった人物の姿も。
慎之介の他にいたのは、四人の女子生徒。先についていた彼女らも慎之介に気づいたらしく、全員の視線が突き刺さる。
「――あっ!」
「……また来た」
「はぁ……どんだけ手の込んだいたずらなのよ、これ」
「……」
赤と、白と、紫と、薄緑。
何の変哲もない、彩りのない慎之介の生活にはない色たち。予感がした――これから、その色が混ざって何かが起こるのだと。
そうして時計の針は16時を指した。どこか遠いところで鐘の音が鳴り、誰もがそれを
耳にする。広がる夕日と五人の少年少女たち――感じることは多種多様だったが、それを合図に何かが始まったことだけは、その場の全員がすぐに理解した。
“あなたは物語の主人公です”と言われたら、それを信じるだろうか。
それがどんな物語であったとしても――
◇◇◇
あれっ、と思った。
なんか、思ってたのと違う! とも思った。
15歳。誕生日は8月28日。趣味はお菓子作り、好きな食べ物は甘いもの全般。勉強は嫌いではないし、運動は好き。昔に自衛隊員だった父親譲りの運動神経と、調理師の母親に憧れた趣味。今年から社会人になった兄と小学一年生の妹がおり、幸せな家庭環境に恵まれて今日まで生きてきた。
親の遺伝というべきか、容姿にもそれなりに恵まれている。ぱっちりとした赤の瞳に癖のない茶髪、平均寄りではあるがしっかりとした発育がみられる体つき――身長が160に満たないうちに成長が止まったように感じるのがやや不満だが、彼女にとってそれはさしたる問題ではなかった。
持ち前の明るい性格で小・中学校では常にクラスの中心におり、誰にでも分け隔てなく接することができるコミュニケーション能力も備わっている。悩みらしい悩みを抱えず、常にポジティブに生きていた。
朱島伊吹は、いってしまえば欠点のない超恵まれた女子高生だ。
だが、そんな彼女にも不運に見舞われた過去がある。
今の妹と同じ小学校一年生の頃、丁度今くらいの時期だった。だんだん慣れてきた帰り道で横断歩道を渡る際、居眠り運転で突っ込んできた軽自動車にはねられたのだ。何か所かの打ち身と骨折、しばらくの入院生活を余儀なくされた。
幸いにも後遺症らしい後遺症は残らず、退院後は普通の生活に戻れた。しかし彼女はその一連の出来事の中、車が自身に衝突する直前にある“お告げ”を聞いたのである。
『 親愛なるあなたへ
あなたが15歳になった春の、4月21日の16時ちょうど。夕日を背景にひとつ鐘が鳴るその時、丁花公園の時計前にてあなたは運命の出会いを果たすだろう。
その出会いを無碍にせず、縁を生涯大切にしなさい。そうすればあなたの願いが、夢が叶う。
記された願いはあなたが心の奥底で一番強く願っているもの。心当たりがあるのなら、16時ちょうどに丁花公園に行くことだ。
“朱島 伊吹”
あなたの願いは
“運命の相手のメインヒロインとして、結ばれること” 』
これは天啓だと確信した。
メインヒロイン、とは何か。当時小学一年生だった伊吹にはそれが何なのか、漠然とした知識しかなかったが――その知識だけでも理解できた。
それは彼女の兄、朱島大地が事故の数週間前に言っていたこと。
“なんでだよ……絶対メインヒロインはナナちゃんだろ……!”
毎月のお小遣いで買っていた漫画が完結したらしく、最終巻を手にワクワクして帰って来た兄の様子は一時間後に一変した。閉じた漫画を横に寝転がり、涙を流していたのである。
どうしたのかと聞くと、隠しきれない哀しみを瞳に宿して彼は答えた。
“ナナちゃんが、主人公と結ばれるメインヒロインだと思ってたんだ! そしたら後から出てきた女の子が付き合って、そのまま終わり!? おれはかなしい!”
メインヒロイン。
どうやらヒロインには、メインとサブがあるらしい。大地が読んでいた漫画は主人公の男の子が、運命的な出会いを果たしたナナと仲を深めていき――中盤から登場したサブヒロインのソラと結ばれて終わった。後から興味本位で読んでみて、確かに不可解な終わり方だと思ったのを覚えている。
大きくなった今思えば、あれはきっと製作する人々に何かしらの都合があっての変更だったのだろう。しかし当時の読者は結末に対する傷が深かったそうで、今でも検索すると結末に対する批判が多くみられる。
――そっか、メインヒロインって、ほんとは主人公と結ばれる人なんだ!
幼いながらに、大地から教えられた知識をしっかりと頭に焼き付けた。彼は心の喪失感を埋めようと、反論するかの如く他の漫画を伊吹に紹介して読ませたのだ。それらはどれも全てかわいい女の子が、かっこいい男の子と結ばれる物語――理想の甘酸っぱい青春ストーリーたち。
伊吹は「大きくなったらお嫁さんになりたい」とませた思考を幼稚園時代から持っていたため、その目標はそのまま「大きくなったらメインヒロインになりたい」へと変換される。
――だって、メインヒロインって、最高に幸せになれるんでしょ?
事故で走馬灯のように浮かんできたお告げ。
兄から叩き込まれた、少し歪んだ恋愛知識。
そして彼女は退院を機に、15の春に出会うであろう“運命の人”のメインヒロインになるための努力を重ねることになった。
車にひかれたとか骨が折れたとか、そんなことはどうでもいい。ただその時がきて、丁花公園とやらに向かったとき――すぐにメインヒロインだと分かってもらえるくらい魅力的な女の子にならないといけないと、直感した。
運命の人が誰にも横取りされないように。自分を真っ直ぐみてくれるように。
勉強は出来ておいた方がいい。あんまりにも成績が壊滅的だとがっかりされるから。
優しくて友達が多い人の方がいい。たった一人に振り向いてもらうためには、色んな人に素敵だと思ってもらう必要があるはずだ。
運動は得意だけど、折角ならもっと得意になりたい。それで健康で過ごして、長生きして、その人と長く長く一緒に過ごしていきたいから。
料理に裁縫、掃除に洗濯――家事全般、なんでもこなせるようになりたい。結ばれた先のことを考えれば当然、家庭の在り方はともかく家事をこなせていた方が、相手のサポートもしやすい。
そうやって一つずつ『やるべきこと』を組み立てていって、できることを増やしていって、誰よりもいろんなことに手を伸ばした小学生時代。少し大人になって恋愛についての理解も深めようと、友達の話を聞いたり架空のラブストーリーを読み漁ったりした中学時代。事故の時に聞こえた声だけを頼りに、いつか出会うはずの運命の相手のために、彼女はその時間の全てを研鑽に費やした。
誰に相談することもなく、ただ真っ直ぐ前だけを見て、信じて。
一年、また一年と踏みしめるように歳を重ねていき――やがて朱島伊吹は、高校一年生にして『なんでも万能にこなせる少女』になった。
そして訪れた15の春、4月21日。何度も下見に訪れていた丁花公園に余裕をもって辿り着けるよう、部活動の勧誘も全て保留にして、終礼直後にダッシュで向かう。
ついに、ついに、ついに、ついに――ついに、会える!
今日は人生で最も輝かしい日。いや――これからはもっと、今日よりもキラキラした日が待っているに違いない。そんな確信があった。
運命の人。待ち望んでいたこの日に、16時に出会う名前も知らない誰か。どんな人だろう、素敵な人だろうか――何度も何度も何度も、妄想と空想を繰り返してこの日を待ち続けた。
(待っててね――!)
たいした道のりではないが、全力疾走するには少し遠い距離。しかし彼女はその道がこれまでの人生に一つの区切りをつける階段に思えており、走ることに一切の疲労を感じなかった。
「――よしっ、到着!」
公園を見下ろす時計を見る。15時47分、終礼の後に飛ばせばこんなものだろう。
15歳になった春の、4月21日の16時ちょうど。もうすぐだ。
(来るかな……!? 来る、よね? だって絶対あの時の声、夢なんかじゃなかった……!)
確信。あれは夢でも幻でもなく、平凡な自分に神が与えてくれた祝福なのだと、今日まで信じて疑わなかった。
空は少しずつ茜色に染まりつつあるが、公園の時計を前にすると、その発展途上の夕焼けだけがピンポイントで視界に映る。まだ夕方とするには早い時間だというのに。
「……~っ」
一分、一分と時間が過ぎていく。一秒の経過すら遠く感じる。呼吸を一つするだけで心臓がいつもより大きく鳴っていた。
緊張と期待。迫る約束の時間。準備万端な彼女に出来ることはそれ以上ない。永遠にも思える10分と少しを、今までの人生以上に長く感じながら待った。
そして、その時は訪れる。
「――あっ!」
制服を着た少年が、荒げた息を整えながらやってきた。まるでこの時間、この場所に間に合わなければいけないという衝動に駆られたような顔だ。
伊吹は運命の相手は男だと勝手に思っていた。彼女の触れてきた作品のだいたいが、男女の恋愛ものだったからだ。
しかしこの日、その認識すらも間違っていたのではと思ってしまった。何故なら公園にやって来たのは伊吹とその少年だけではなかったから。
一番乗りの伊吹の後から、三人ほど同い年くらいの少女が――少年よりも先にやってきていた。
「……また来た」
少年や伊吹たちと同じ制服を着た一人の少女Aも、少年に反応して声を上げた。伊吹の次にやってきた少女は、白い髪と青い目をしている。背も高く、美人だと素直に思った。
「はぁ……どんだけ手の込んだいたずらなのよ、これ」
同じく制服を身に纏った少女Bも、次々と増える人物に辟易としながら溜め息を吐く。三番目にやってきた彼女は髪も瞳も深い紫の色をしており、やや棘のある印象を受けるが魅入るだけの魅力が確かにあった。
「……」
そして唯一、梯田高校のものではない制服を着用している少女C。凛然たる態度でこの公園に現れ、一言も発することなく本に視線を落としている。少年の登場にも一瞥くれただけでそれ以上の反応はないが、薄緑の髪と無機質な翠眼からは、筆舌に尽くしがたい冷気を感じ取った。
『 夕日を背景にひとつ鐘が鳴るその時、丁花公園の時計前にてあなたは運命の出会いを果たすだろう。
その出会いを無碍にせず、縁を生涯大切にしなさい。そうすればあなたの願いが、夢が叶う。』
そう、今も脳裏に焼き付いて離れないあのお告げはそう言っていた。
実際に五人が揃ったとき、夕日を背景にどこかから鐘の音が一つ鳴った。普段はほとんど誰も寄り付かないこの公園に同じくらいの年齢の男女が集まるなんて、どう考えても皆があのお告げを聞いたからに違いない。
そうか、これが、運命の――
「……………………………………え?」
そうして伊吹は、五人揃った状況で初めて頭上に疑問符を浮かべる。
いや、おかしい。運命の出会いは? この中に居る誰と今、運命の出会いを果たしたと言えるの?
時間が過ぎてから皆どうしていいのか分からず、辺りに沈黙の空気が流れる。しかし伊吹はそれを払拭できるだけの状況整理ができていない。未だに頭の中では混乱が渦巻き続けている。
(え、ちょっと待って、まさか)
そして朱島伊吹は少し考え込んだのち、今この場に居る全員をもう一度見渡してから一つの結論に辿り着く。
少女が自分含めて四人、少年が一人。全員、何らかの理由でこの場に導かれてきた。
ともすれば、今ここにいる人たちは――
(ぜ、全員が、メインヒロインってこと――!?)
これは、自分のことを主人公とは言われていないが――
――自分のことをメインヒロインだと信じて疑わなかった、一人の少女の物語である。
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