ブレイヴ・ハート・ブレイカー

@inori_poke

ブレイヴ・ハート・ブレイカー

「勇者なんてただの呼称だよ。大事なのはどう呼ばれるかより、何を為すべきかだろう」

 そんなふざけたことを言うやつだった。

 ルカ。私は、あいつのことがずっと嫌いだった。

 その理由を仔細に挙げれば両手の指の数でも足りない。勇者候補生主席のくせにその自覚がない。何を言われてもヘラヘラとしている。次席の私を歯牙にもかけない。ちょっとは自分の立場を省みろってもんだ。

「だったら勇者の座を私に寄越せ」

 そう言ってやったら、「僕も君の方が勇者に向いていると思うよ」なんてふざけたことをぬかすものだから引っ叩いてやった。そういうところだあんぽんたん。

 認めたくはないけれど、ルカには資質がある。勇者に最も必要な、強さという名の資質。なのにあいつときたら、「勇者に最も必要なのは、きっと意志の強さだよ。勇気と言い換えても良い。その想いの大きさが、人を勇者たらしめるんだ」なんてほざきやがる。意志で魔王が倒せてたまるか、すっとこどっこい。

「ならお前の意志はどうなんだ」

 思わずそう口にして、言ってから少し後悔した。

 今のは失言だった。

 自分の意志で勇者候補生になった奴なんていない。親に売られたか、捨てられたか。どうであれ私たちは皆、不本意な理由でここにいる。

楽園ガーデン』。

 私たちはそう呼ばれる施設で暮らしている。

 多くの思惑と建前、様々な利権が絡んで作られたこの施設は、表向きには、勇者を担う人物を選定するための養成所、ということになっている。私たちは誉れある勇者となるべく育てられた、勇者候補生の一人だ。

 ──実態としては、王都に住まう孤児や浮浪児を集めた収容所とでも呼ぶべき場所だ。

 何せ命の価値の低い連中だ。勇者が育てばそれで良し、失敗してもまた新しいサイコロを振れば良い。そのための使い捨ての消耗品が、つまりは私たちという訳だ。

 不幸中の幸いだったのは、私とルカはその中でもまだ出目の良い方だったということだろう。とりわけ主席の成績を収めるルカは、事実上勇者に最も近い立ち位置にいると言える。

 それを本人が望んでいるかは、また別の話ではあるが。

「僕の意志はどうだって良いよ」

 さして気にする様子もなく、ルカはそう答える。

「元来選り好みが出来るような立場でもないからね。僕はただ、すべきことをするだけだよ」

「主体性というものはないのかお前は。すべきことの前に、したいことくらい自分で選ぶべきじゃないのか」

「温かい寝床に3度の食事。それから、大切な友達。欲しいものなんてそれくらいで、それはもう満たされている。これ以上望むものなんてないよ」

 首を傾げるような動作を見せながら、ルカは肩をすくめる。

 注釈をするのであれば、私たちに与えられた寝床と食事は粗末な毛布と味気の無い固形食料のみだ。大切な友達というものに至っては、もはや誰を指しているのか考えたくもない。

 小さく、溜め息をつく。恐らくは本気でそう言っているのだから手に負えない。

本当に、こういうところが嫌いなんだ。

 私にはないものを持っていて、本当はなんだって出来るはずなのに、どうしたってそんな風に何もかもを諦めてしまえるんだ。

 私は、こいつとは違う。

 私にはしたいことがある。そしてそれは、勇者にしか出来ないことだ。



 全ての始まりは、巫女と呼ばれる少女が告げた一つの予言だった。


"神託である。神託である。9年の時を経て、王都に厄災が訪れるであろう"


 彼女は国の抱える神官であり、政治的にも絶大な影響力を持つ人物だった。必然、王都は大きな混乱に包まれたが、これを鎮めたのもまた、件の巫女の告げた新たな予言であった。


"神託である。神託である。最も高潔なる勇者が現れ、これを誅し討ち滅ぼすであろう"


 予言に示された厄災は魔王と呼ばれ、大いに恐れられた。反対に、まだ見ぬ勇者の存在は絶大な歓迎をもって迎えられ、民衆は一旦の落ち着きを取り戻した。それから間もなく、王命により大々的な捜索隊が組まれ、役人による勇者の捜索が始まった。

 けれど、その捜索は難航を極めた。顔も名前も分からない相手だ。有力な手がかり一つない。時間だけが刻一刻と過ぎていき、厄災の日は迫りつつあった。

 その過程で作られたのが、勇者候補生育成施設の『楽園ガーデン』だ。

 顔も名前も分からない勇者を捜索するのではなく、勇者なるべき人物を一から育て上げる。『楽園ガーデン』はそのような思想のもとに設立され、多くの子どもたちが半強制的に収容された。私もそのうちの1人だ。

 実際のところ、そのお題目がどこまで本音だったのかはわからない。けれど現実として、私たちの境遇は過酷そのものだったと言って良い。育成とは名ばかりの、人権を超越したした人体実験、投薬、調練の日々。多くの子どもが廃人になり、その倍の命が失われた。同時期に収容された子どもたちの中で五体満足なのは私とルカくらいのものだ。


 私が『楽園ガーデン』に収容されてから、既に8年もの歳月が経過した。当時7つだった私は今や15になり、予言の示す厄災の日までは、もう1ヶ月を切ろうとしている。間もなく正式に勇者を選定する頃合いだろう。

 とはいえこちらについては、主席のルカが当確と言っても過言ではない状況だ。

 過程はどうあれ、結論そのものについては納得はしている。より優れた者が勇者となるのは道理だ。不満などあるはずもない。

 何より、残された勇者候補生がどうなるかが分からない。

 ただ一人の勇者が選ばれれば、その他の候補生はお役御免となる。そして私たちは、王都の役人が非道な収容が行ったことを証明する生き証人でもある。タダで生きて帰れるはずもない。

 不要なものとして処分されるか、一生飼い殺しにされるか。どちらにせよ、ろくな未来を辿らないことは確かだ。

 あの軟弱者にその役割を押し付けるわけにもいかないだろう。だから本当に、未練なんてものはない。

 ──あぁでも、心残りはあったな。

 したいことがあった。それは勇者にしか叶えられなくて、そのためにこれまで走り続けた。

 ──叶うなら、私の手で叶えたかった。

 それだけがずっと、胸の奥につかえていた。



「本当はね、今でも君が勇者を務めるべきだと思っているよ、実際」

 ルカがそう溢したのは、王都の役人から一通の手紙が届いた日のことだった。それは概ね、以下のような文面から始まる。

"──秩序というものはつまり、統治によって力の均衡が取れた状態のことを指す。この均衡を維持するのが役人の務めであり、王都はこれまで、そのために力を尽くしてきた。

 しかしながら今、この均衡を破る存在が現れようとしている。これを誅するため、最も高潔な人物を選定しーー"

 文面はまだまだ続くが、つまるところ、結論は一つだった。

 ──ルカが、勇者に選ばれた。

 けれども、ルカの反応は芳しくないものだった。

「『最も高潔な人物を選定し』か。君は僕がそんな人間に見えるかい?」

 それを言うならお前には私がどう見えているんだと言いたくなったが、話がややこしくなりそうなのでどうにか堪える。

「巫女の思惑はどうであれ、勇者に選ばれたのはお前だ。お前の好きにすれば良いだろ」

「王都に仕えるわけだからね、好きにというわけにもいかないよ。勇者にもなれば特にね」

「はん、つまんないやつだな。せっかく自由の身になるんだ。勇者としての本懐を果たすのは良いが、少しは自分の人生に目を向けてみたらどうなんだ」

「これだって僕の人生だよ。誇るようなものじゃないけど、蔑ろにしているつもりもないな」

「してるだろ、ばか。王都のため、国のため、人のため。お前の人生、本当にそれで良いのか?」

「……別に、そういうつもりじゃないんだけどな」

 ぶっきらぼうな口調だった。まるで叱られた子どものような。ルカにしては珍しい態度だ。

「なんていうかさ、これは僕の役割みたいなものだと思うんだ」

「役割?」

「そうだね、どう言えば伝わるかな……」

 ルカは少しだけ考える素振りを見せると、それから、こう言葉を続ける。

「君は、触覚の潰れた蟻を見たことがあるかい?」

 やや唐突にも思える質問だった。「なんだそれ?」と、私は首を傾げる。

「蟻は触覚で世界を認識しているんだ。触覚の潰れた蟻は、真っ直ぐに歩くことが出来ない。どこに辿り着くこともできず、少しずつ群れから逸れていく」

「悲しい話だな」

「全くだ。多くの人にとってそうであるように、社会との関係性を失うことから悲劇は始まる。これはそういう教訓だ」

「私たちもそうだって言いたいのか?」

「違うよ、僕自身の話だ。蟻が触覚を媒介に群れを作るように、人もまた自分の持つ役割を通して社会との繋がりを得る。僕にとっての勇者とは、そういうものなんだと思うんだ」

「なるほどな」

 ため息混じりに、私は相槌を打つ。

「つまりはお前は、なんだって良いんだ。例え勇者でなくても、それが役割と呼べるものなら、なんだって」

「乱暴に纏めるなら、そうなる。とはいえ、勇者という役割の持つ価値を軽んじているつもりはないよ」

「だからって、それに殉じるだけの人生で良いのか。価値と言ったな。勇者の役割が持つ価値の他に、お前自身が持つ価値もあるはずだ」

「人に価値を付けるのはいつだって、自分じゃなくて他人だよ。僕自身の自己評価は問題じゃない。僕に価値があるとすれば、ほんの少しだけ人より力が強いことくらいさ」

「ほんの少しばかりいう形容には大いに疑義があるがな。それに、それだけってことはないだろ」

「それだけだよ。夢だとか理想だとか、愛だとか正義だとか。生まれつき、僕にはそういうのがよく分からない。空っぽ無価値なんだよ、僕は」

「誰だって生まれた時はそうだろ。そういうのは、生きていく中で後天的に獲得していくものだ」

「そうかもね。でも結局、今になっても僕にはそれがわからなかったな」

 独白のようにルカはいう。悲しみというよりはむしろ、諦めを伴った口調で。

 その内心を窺い知ることは出来ない。心とは銀紙に包まれた駄菓子のようなもので、その包装を解かなければ色も形も匂いだってわからない。

「僕には、君が羨ましいよ」

「羨ましい? 私が?」

「したいことがあるんだろう。それは僕にはないものだ。だからそれに邁進する君の姿は、何よりも高潔で尊く見える」

 ふざけた話だった。私にないものを持っているのはお前だ。莫迦莫迦しいほどに見当違いで──だからこそこれは、ルカにとっての偽らざる本心なのだと思った。

「……勝手にしろ、ばーか」

 不貞腐れながら、私はそう返す。

 納得したわけじゃない。的外れにも関わらずその口の端は頑なで、何を言ったって無駄だと悟ったから。

 人の心は真に驚くほど複雑で、その全てを理解しようとするには余白はあまりにも狭過ぎる。空を飛ぶ鳥に海の底の魚の気持ちが分からないように、誰だって他人の心は分からない。

 楽園の奥底の異邦人。お前にも、人の心はあったんだな。



「つまり、お前はあれなんだな」

「あれ?」

「人でなし。ろくでなしのすけこまし。浮かれポンチのすかぽんたん」

「悪口のコンプリートパックかな?」

「話しかけるな。童貞が感染る」

「感染らないよ!? 女の子がそんなことを言うものじゃないと思うな……??」

「なんだ、今度は男女差別か。差別主義者なのか」

「そうかな、どうかな……」

「つまりそう、差別が問題だ。私はそう言いたかった」

「さいですか……」

 閑話休題。

 納得がいかないとばかりに胡乱な顔をするルカを尻目に、コホンと咳払いを一つ。さて、ここからが本題だ。

「したいことがあるんだろうとお前は言ったな。その通りだ。そのために私は勇者になりたかった」

「……ならやっぱり、僕よりも君が勇者になるべきだよ。今からでも僕が王都の役人に掛け合って……」

「却下だ。次同じことを言ったら本気でぶっ飛ばすからな」

 もっとも私の力でルカをぶっ飛ばせるとも思えないが、それはそれ。こういうのは気持ちの問題だ。

「お前が勇者に選ばれたのは、お前こそが勇者に相応しいと誰もがそう認めたからだ。もちろんその中には私だって含まれる。だからお前はそのことに、絶対に後ろめたさなんて覚えるな」

 今更の話だ。とうの昔にその折り合いはつけている。今更同情なんてされてたまるか。

「建設的な話をすべきだ。私には出来ないことでも、お前にだったら出来るはず。そう思ったから話しているんだ」

「君のしたいことだろう? 僕が肩代わりするようなものじゃない」

「それは内容次第だろ。最後まで話を聞いてくれ」

 困惑混じりに尻込みするルカを他所に、私は言葉を続ける。

「差別が問題だ。王都に深く根ざした、差別と排斥と蔑如と目。私はこれを排したい。平等とは言えないまでも、人道的で理不尽のない社会を作りたい」

「……大きく出たね。具体的な手立てはあるのかな?」

「勇者の力だ。勇者が魔王を倒して、民衆の支持を得られれば。王都の役人も無視できないほどの発言力が手に入れば。連中だって無碍には出来ない。耳を傾ける派閥だってあるはずだ」

 私は一度、そこで言葉を区切る。

「手始めはこの施設の子どもたちだ。不本意に収容されて、今なお非人道的な扱いを受ける子どもたち。私はこれを救いたい。救わなくちゃいけない」

「はぁ……僕もそうだけれども、君も大概頑固だな」

 溜め息をつきながら、ルカはそう相槌を打つ。

「それで? 僕にならそれが出来ると」

「お前にしか頼めない。それは、お前が勇者だからってだけじゃなくーーお前になら託せると、私がそう信じたからだ」

「それは……うん、光栄だな」

 遠慮がちに、瞳を眇めながらルカはそう答える。

「……その割には、冴えない顔だな」

「顔のつくりは生まれつきだよ。今更言われることじゃないな」

「茶化すな。本意じゃない相手に委ねるのは私だって望むところじゃない。不満があるならそう言え」

「ここで梯子を外される方がよっぽど不本意な話だ。不満なんてないよ。ただ……」

「ただ?」

 ──眩しいな。

 それを私に聞かせるつもりだったのかはわからない。ただ、ルカが口の中で小さくそう呟いたのが、確かに私には聞こえた。


  ※


 どうあれ、ルカは私の望みを聞き届けた。「約束するよ。君の願いは、絶対僕が叶えるって」なんて、キザなセリフを残しながら。

楽園ガーデン』に任命式の報せが届いたのは、それからまもなくのことだった。勇者となるべき人間が王都に招かれ、王から聖剣を授かる。王や巫女を始めとする王都の重鎮が一堂に会し、その場でルカが勇者として任命されるのだ。喜ばしいことだ。

 全てが完璧は時間だった。黄金比で形成された絵画のような、調和の取れた四重奏の旋律のような。

 あいつは晴れて自由の身になり、私の願いも叶えられる。自分の手で叶えられなかったことだけは少しだけ残念だが、そこは妥協するほかない。現実的に考えられる選択肢の中では、最善と言って良い結末だった。でも。

「エンドマークというものがあるだろう? 僕はあれが苦手なんだ」

 任命式の前日、ルカはそんなことを言っていた。

 エンドマークとは、物語のフィナーレに添えられる終とか了とかめでたしめでたしといった文字列のことだ。私は観たことがないけれども、映画なんてものに使われているらしい。

「一つの物語が区切りを迎えても、人生はまだ続く。その先の未来を軽視しているようで、あまり好きじゃない」

 それはそうだ、と思った。

 勇者になったあとも、ルカの人生は続く。これは終わりではなく始まりで、魔王を誅す物語はこれから幕を開けるのだ。だから、結末と言ったのは少しばかり早計だった。

 つまるところ。

 これから話すのは、『その後』の物語だ。

 それをどう解釈するかは私の知るところではないし、どのような結論が演繹されようとも、誰一人として及ぶところではない。

 夜空に浮かぶ星のように、私たちは個別の物語の中を生きている。天幕の裏側を覗き見ることが出来ないのと同様に、どうしたって他人と交わることはなく、孤独に光り続けていく。

 けれどもその断絶に手を伸ばす行為を、私は無意味とは思わない。星々の間に星座を導くように、触れることはできなくとも繋がりを見出すことできるのだと、私はそう信じる。

 だから私は語ろうと思う。この物語のエンドマーク──ただ一人の勇者が選ばれた、その先の物語を。


  ※


 その凶報が届いたのは、任命式が始まってすぐのことだった。

「なぜだ」「どうして」「任命式が」「王の安否は」「やはり奴を勇者にすべきでは」「だから私は最初から」「きっと次は」「予言はどうなる」「勇者の真意は」「生存者の証言を」「報告はまだか」「もういやっ‼︎」

『楽園』に飛び交う職員の怒号から紡ぎ出された結論は、つまりはこういうことだ。

 ──ルカが、王を殺害した。

 聖剣を受け取ったルカは王を斬首すると、そのまま虐殺の限りを尽くした。教皇、巫女、その他王都の重鎮を悉く切り捨てて、その命を刈り取った。

「……………………………………………………………………………は?」

 ──あり得ないだろ。

 と、私は進言した。王都の役人の虚偽申告か、何かしらの陰謀に巻き込まれたのか。どちらにせよ、何の理由もなくルカがそんなことをするなんてあり得ない。でも。

「──やぁ、久しぶり」

「────────」

 血に濡れた聖剣を携えたルカが、にこやかに笑いかけながら『楽園ガーデン』に舞い戻ったのを見て、私は言葉を失ってしまった。

「……説明しろ。何があった⁉︎」

「何って? そりゃ、約束を果たしたんだよ」

 ルカは端的にそう答えると、それから補足するように、こう言葉を続ける。

「『楽園ガーデン』に収容されたみんなを助ける。王都の上層部の人間はみんな死んだから、重要な意思決定を下せる人員は今はいない。これでみんなを救うことができる」

「──っ」

 絶句する。

 なんだそれ。常軌を逸している。まともじゃない。

「……お前、本当に私の知っているルカか?」

 思わず、そんな腑抜けた質問をする。そうであるはずがない、なんて都合の良い幻想を抱きながら。

「……はぁ。どう思おうと勝手だけどさ、そもそも、君の知っている僕って何さ」

 心底うんざりしたかのような態度だった。サンタクロースを夢見る子供を諭すような。私の嫌いな王都の役人たちに似ている。

「そもそもこの世界は、僕が生きるには複雑過ぎた。温かい寝床に3度の食事。それから、大切な友達。それだけあれば十分なのに、余分なもの多過ぎる。だから差別なんてものが生まれるんだ」

「余分だから? そんな理由で殺したのか? なんの罪もない人たちを⁉︎」

「罪ならあるだろ。王都の現況を知りながら放置した。あまつさえ加担までしていた。大罪さ。君の目的にも邪魔だったろ、アレ」

「──だとしても、他の方法があったはずだ……!」

「他の方法か、もちろんあったさ。それこそ君にでも任せておけば、僕よりよっぽど上手く立ち回れたんだろうな」

「だったら──」

「でも、これが最速だった」

 つまらなそうに、ルカはそう吐き捨てる。

「拙速は巧遅に勝る。魔王を倒して、民衆の支持を受け、発言力を手に入れて。君のプランは時間がかかり過ぎる。その間にみんなが殺されない保証は? ──君が無事でいられる保証はどこにある」

「私のため、とでも言いたいのか」

「……まぁ、それだけでもないさ。君には君の理想があるように、僕にも僕の事情がある。もっとも、その全てを詳らかにする気はないな。だってほら、嘘と秘密は悪役の専売特許ってものだろ?」

「……どうしても、話す気はないんだな。良いさ。それなら、お前好みのやり方力尽くで聞いてやる」

 拳を構える。

 半身を向けて、腰を落とす。ファイティングポーズだ。

「徹底抗戦か。念のために聞いておくけど、どいてくれるつもりはある? ここの職員も皆殺しにしておかないと、みんなを自由に出来ないだろ」

「どいて、か。随分と控えめな表現だな。──私も殺すと言えよ、英雄」


  ※


「触覚の潰れた蟻がいたんだ」

 血飛沫が舞う。

 剣と拳が交差する。

「幼い頃の話だ。僕はそれを可哀想に思って踏み潰した。けれども世の大人たちは、そんな僕を指して可哀想だと言った。僕はただ、善い行いをしたかっただけなのに。──君も、彼らと同じなのかな!」

「知るか、ぼけなす!」

 言葉を交わす。

 交わした言葉の倍以上の、致死のやり取りを交わす。

「結局僕は、勇者にはなれなかった。夢も理想も愛も正義も、何一つだって僕には分からなかった。そんな異端者が、どう呼ばれるかを知っているかい?」

「さぁな、興味がない」

「──魔王、だよ」

 その一言で。あるいは、ルカが私の前に立ち塞がった時から。

 私には、ルカの考えが読めてしまった。 

 ──あいつは、死ぬつもりなのだ。

 より正確に言うなら、殺されるつもりだ。きっと、私の手によって。

 予言の成就。王都を訪れる厄災は、最も高潔な勇者によって討ち滅ぼされる。あいつは自らを魔王に仕立てることで、巫女の神託を成立させようとしている。私によって殺されることが、この物語の結末だと信じて。

 なんだそれ。ふざけるな。だってそれは、私が真に勇者であるという前提がなければ成り立たない。どうしたってそんなこと、あり得るはずがないのに。

 ルカの言っていた、私の計画の欠点は正しい。拙速は巧遅に勝る。その通りだ。そしてそのことは、誰よりも私自身が気付いていた。

 その上で、私はある程度の犠牲を許容していた。より多くの人たちを救うための必要な犠牲であると。そんな私が、どうして勇者になんてなれるだろうか。

 ──でも、誰よりも高潔なお前は、それさえも許せなかったんだな。

 やっぱり勇者はお前だよ。王都を訪れる厄災──つまりは、歪んだこの社会の仕組みそのもの。これを破壊したお前こそが勇者だ。ずっと昔から知っていたさ。

 あぁそうか──と、今になって腑に落ちる。『楽園ガーデン』。どうしてこの施設が生まれたのか。

 私もお前も、王都の連中も同じだったんだな。最良の方法じゃないとわかっていても、他に選択肢なんてなかった。より大きなものを守るために、そうするしかなかったんだ。今になって連中の気持ちがわかるとはな。

 だったら私も、戦わなくちゃいけない。これまでの全てに報いるために。

 それは、私が勇者だからではない。

 魔王も勇者も関係ない。巫女も予言も意味がない。

 私は、ただ1人のお前の友達として、お前の魂を守るために戦うんだ。


  ※


 かくして、戦いに決着は付く。

 終わらない物語がないように、勝敗のない闘争はない。結果としてそこには必ず、勝者と敗者が存在する。

「──やっぱり、悪役なんて張るものじゃないな」

 血に濡れ、倒れ伏すルカと。

 それを見下ろす私の姿が、そこにはあった。

「違うな。勝敗を分けたのはそこじゃない」

 もはや虫の息のルカに向けて、私はそう投げかける。

「英雄を殺すのはいつだって、取るに足らない愚かな民衆の一刺しだ。これはそういう話だ」

「愚かか。確かに、そうかもしれないな」

 静かに目を伏せながら、ルカは言う。

「でも君はいつだって、愚かなほどに輝いていたよ。月のない空に慣れた夜の虫には、いささか眩し過ぎたな」

 それはきっと、独白であり、懺悔であり、後悔でもあった。壊れた楽器から鳴る不協和音にも似ている。

「予言の真意はどうであれ、世間は君を讃えるだろうさ。そのための道筋は作った。あとは君の好きにしなよ」

「ペラペラとよく口が回る。遺言か? 最期に遺す言葉はそれで良いのか」

「遺す言葉なんてないよ。一つの物語が幕を閉じ、次の物語が幕を開ける。それだけの話だ。幕間に時間なんてかけるものじゃないさ」

「これだけのことをしておいて何もないのか。ふざけるな。お前になくても、私にはある」

 もっと多くの言葉をお前と交わしたかった。

 もっと深く、お前と関わりたかった。

 そうすれば、もっと他の、もっと良い結末に辿り着けたかもしれないのに。

「嫌いだ。お前なんて嫌い。嫌い、嫌い、大嫌いだ」

「はは、知っているよ。でも僕は君のこと、結構好きだったな」

 その言葉に込められた意味を私は知らない。

 私たちは深い深い断絶の中を生きている。孤独なんだ。誰も彼も。この世のどこにいても、何をしていても。

「……でも、そうだな。謝らなくちゃいけないことがあった。一つだけ、嘘を付いた」

 老いた枯れ木のような、朽ちた化石のような。

 今にも壊れそうな息をしながら、ルカはそうこぼす。

「したいことがあったんだ。叶うなら──君と2人で、自由に街を歩きたかった」

 音が消える。

 視界が滲んで、景色が揺れる。

 人の魂は21グラムなんて言われるが、そんなのは嘘だと思った。この胸に空いた喪失感は、幾億の天秤を積み上げても尚も足りない。

 赤く濡れた肌に吹き抜ける風は冷たい。叶うなら、きっと次は冷たくない季節を。雪解けの春に焦がれる少女のように、強くそう願った。


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