曲流座

相宮祐紀

一曲目 出会いと旅路

一   祝福と呪い

 うすら寒さを覚えるほどに、高く、青い、空の下。とりどりの衣を着たひとびとが行き交う、にぎやかな町の一角。いつものように、笛を吹いていた。

 町の喧騒はぼんやりと、虚ろで、ひとびとの気配は少し、遠い。己の奏でる音だけが、やけにくっきりと聞こえる。でもそれも、やがて消える、去っていく。ひやりと首筋をなぞった風とともに、去っていく。歌口を離し、ゆるりと、伏せていた視線を上げる。

 ふっと息をのむような一瞬の静寂のあと、皓夜こうやは拍手と歓声に包まれた。まわりをたくさんのひとが囲んで、聞き手になってくれていたのだ。少し遠くからも同じように、たたえてくれるような声が聞こえた。

 皓夜が立つ道の両側には、たくさんの店が並んでいる。しっかりした建物の中で反物が広げられていたり、ざるや椀など小物を置いてある屋台があったり。その合間で地面にむしろを敷き、野菜を売っているひともいるし、ほかの店の軒下で穀物を量り売りしているひともいる。ほうぼうからいろいろな声が聞こえて、どこからか香ばしい匂いもしてくる。雑多な感じもするが、それだけ活気のある町だ。

「やっぱりいいねえ」

「ほんとにね」

「いい音」

「涙出てきたよ」

 皓夜の笛を聞いていたひとたちは、口々に言った。

「ありがとうございます」

 皓夜は笑って頭を下げる。

「でも、ほんとに行っちゃうの?」

 そばにいたひとに聞かれて、皓夜はうなずいた。

「はい。この町でももうずいぶんお世話になったので、つぎに行こうと思います」

「行かなくていいのに。ずっとここにいればいいのに」

「そうだね。わたしが雇おうか? うちの店で毎日演奏してよ」

「それいいな」

「皓夜の坊ちゃんみたいな一流、雇えないだろ。おまえさん破産するよ」

「うるさいね。皓夜くんは、そんなにうちから巻き上げたりしないよね」

 ひとびとが笑いながら言い合っている。その笑顔は、本音と冗談が半分ずつという感じだった。旅の笛吹きを本気で引き留めることはしなくても、別れを惜しんでくれていることがわかる。皓夜も、とても名残惜しかった。

「みなさんありがとうございます。ここは本当にいいところで、来られてよかったです。お会いできてよかった」

「え、照れるなあ」

「見て、あんたこの子を見習って」

「うるせえ」

「こちらこそ、ありがとね」

 こたえが返ってきて、じんわりとあたたかい気持ちになる。いままでも、こうやってたくさんのひとと出会って、別れてを繰り返してきた。普段ひとりで歩いていることもあって、ひとの言葉や存在はいとおしく感じられる。勝手にしあわせを願ってしまう。

 それでも、ひとりで心細いことはない。もう二年ほど続いている、この終わりのないひとり旅は気ままなもので、すきなところにすきなだけいて何をしてもよい。それでもこれまで、ひとつの町に長居したことはなかったが、この琴弾ことひきの町にはひと月ほどいた。大雨で壊れた橋の修繕工事を手伝ったからでもある。でもきっと、居心地がよかったのだ。

 笛を吹けば、町のひとはたくさん集まって聞いてくれて、小銭や団子や握り飯をくれた。商人が、屋敷で演奏をする仕事をくれることも多かった。商いで栄え、豊かなこの町は、ひともおだやかで明るい。町を歩くと、笛をしまっていても声をかけられた。いいところだった。

 でも、ずっとここにいる気はない。どこにも住まわない。旅人で、流れ者だ。笛を吹きながら、風みたいに雲みたいに生きていく。

「笛のお兄ちゃん、これ、あげる!」

 大人たちの足元をくぐり抜けてきた小さな男の子が、伸び上がって何かを差し出してくれた。竹でできた風車だ。

「かっこいいな」

 かがんで目線を合わせると、男の子はもったいないくらいうれしそうに大きくうなずいた。

「もらってもいいのか?」

「うん!」

 皓夜は小さな手から風車を受け取って、その頭を撫でた。

「ありがとう」

 大人たちが微笑ましげに見守っている。

「ところで皓夜ちゃん、つぎはどこ行くの?」

 たずねられ、皓夜は男の子の頭をかき回しながら顔を上げた。

飛迎ひむかえに行こうかなと思ってます」

 ああ、飛迎ね、とひとびとがどよめく。

「飛迎って、戦があったばかりじゃないか」

「まだやってるんじゃないの?」

「いや終わってるよ、飛迎が負けた」

「まるごと桜雲おううんのものになっちゃったんでしょ」

「王さまの一族はみんな死んじゃったって聞いた」

歌代うたしろさんだっけ」

「そう。みんな死んじゃったの?」

「うん、王女さまも山の中で見つかって短刀渡されて、こう、やったらしいよ」

「うわあ……」

「きれいな髪を先に切ってね、それで」

「もういいよぉ」

 この琴弾の町を擁する国、明砂あけすなの隣は、飛迎という国だ。飛迎は、隣国桜雲と戦をした。その戦は少し前に終わっている。飛迎は都を攻められて桜雲の手に落ちていた。ただ、戦が終わったばかりでも桜雲は飛迎を荒らしていないという。いまから治めていく土地なのだから、そこに暮らすひとびとに反感を抱かれたくないのだろう。領主の本城近くは、焼き払われたと聞くが。でもそのあたりでないのなら、戦のあとでも、普通の暮らしが続いているはずだ。

 戦は、珍しいことではない。皓夜もいままで、巻き込まれそうになったことや、遠くから眺めたことも、あった。

 皓夜はひとびとの話を聞いて、うなずいていた。しばらくそうしていると、ふと風車をくれた子が、皓夜の袖を引っ張った。

「ねえお兄ちゃん、気をつけてね」

 まんまるな目で、皓夜を見つめて言う。皓夜は笑ってうなずいてみせた。

「そうだ、気をつけてね」

「また来てね」

「いつでも雇うよ」

 大人たちも言ってくれる。

「ありがとうございます」

 皓夜はぺこりとお辞儀をした。撫でてくしゃくしゃにしてしまった男の子の髪を軽く整える。くすぐったかったのか、きゃらきゃらと笑い声を上げた。

「最後に一曲、頼んでいいかい」

 控えめな申し出に、すぐにうなずく。

「もちろんです、なんでも」

「『弥栄』がいいね」

 明砂や飛迎、桜雲などいくつもの王国を擁する、この臥竜列島がりょうれっとうに昔から伝わる曲。誰かの、何かの、末永い繁栄を願う、祝福の曲だ。皓夜は立ち上がり、すぐに笛を構えた。

「坊ちゃんの『弥栄』は、おめでたいけどなんだかちょっと寂しくていいんだよ」

 その言葉に、皓夜は目を閉じ微笑んだ。

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