曲流座

相宮祐紀

一曲目 出会いと旅路

一   祝福と呪い

 秋の、うすら寒い風のように。

 消えかけた、灯火のように。

 どこかものがなしい音色が、しっとりと空気に染み込んでいく。

 

 どうして逃げないのだろう、といつも思う。

 なぜ向き合おうとするのか。

 なぜ立ち向かおうとするのか。

 なぜ貫き通そうとするのか。

 その先に何が待つのか、わかっているはずなのに。

 結末を知っていても、それでもたたかおうとするのはどうして。

 進み続けた先にあるものが、見えないのだろうか。聞こえないのだろうか。

 あるいは信じているのだろうか。

 たたかい続ければいつかきっと報われるときが来ると。

 報われずとも、その道を選んだことは正解だと。

 そんなことはない。

 ひたすらまっすぐに歩み続ける道は、人を輝かしい世界に連れてはいかない。


 消えるのだ。

 消えてしまう。

 向き合い、立ち向かい、貫き通す人たち。

 その人たちは、決まっていなくなってしまう。

 二度と帰らないところへ導かれてしまう。

 

 きっと、美しいいきかたなのだ。

 麗しくて、気高くて、あまりにはかなくてかなしい、いきかただ。

 

 きっとそんな、いきかたをした人たち。

 みんなもういない。

 あたたかく包んでくれた人も、強くて優しかった人も、憧れの人も。救ってくれて、仲間と呼んでくれた人たちも。

 

 一緒にたたかえばよかったのだろうか。

 前を見据える人々の姿に背を向けて、逃げてきた道を振り返る。

 そうやって、生きてきた。

 それは決して恥ではなくて、でも誇りでもなくて。


 どうして逃げないのだろう。


 笛を口から離す。

 ふっと息をのむような一瞬の静寂のあと、皓夜こうやは拍手と歓声に包まれた。

 澄んだ青空の下の、にぎやかな町、琴弾ことひき

 皓夜はいつものように笛を吹いていた。

 まわりをたくさんの人々が取り囲み、遠くのほうや店の中からも、足を止めてこちらを見ている人がいる。

 「やっぱりいいねえ」

 「本当にね」

 「涙出てきたよ」

 「今日は奮発しちゃう」

 手を叩きながら人々は口々に言い、地面に置いた漆塗りの椀に小銭をばらばらと入れていった。

 「ありがとうございます」

 皓夜は笑って頭を下げる。

 「でも、本当に行っちゃうの?」

 そばにいた人に聞かれて、皓夜はうなずいた。

 「はい。この町でももうずいぶんお世話になったので、つぎに行こうと思います」

 「行かなくていいのに。ずっとここにいればいいのに」

 「そうだね。わたしが雇おうか? うちの店で毎日演奏してよ」

 「それいいな」

 「皓夜の坊ちゃんみたいな一流、雇えないだろ。おまえさん破産するよ」

 「うるさいね。皓夜くんは、そんなにうちから巻き上げたりしないよね」

 人々が笑いながら言い合っている。その笑顔は、本音と冗談が半分ずつという感じだった。

 旅の笛吹きを本気で引き留めることはしなくても、別れを惜しんでくれていることがわかる。

 もう二年ほど続いているこの終わりのないひとり旅は気ままなもので、好きなところに好きなだけいて何をしてもよい。この町には三月ほどいた。ひとりになってからはひとつの町にひと月以上いたことはなかった。でもこの久喜くきという国の町琴弾には長居してしまった。大雨で壊れた橋の修繕工事を手伝ったからでもあるけれど、居心地がよかったのだと思う。

 皓夜が笛を吹けば町の人はたくさん集まってくれて、椀の中に小銭を入れてくれた。店で演奏をする仕事をくれることも多かった。それで日銭を稼いでいるわけだが、ここでずいぶんお金がたまったような感じがする。

 いいところだ。

 でも、ずっと久喜にいる気はない。

 どこにも住まわない。

 皓夜は旅人だ。流れ者だ。

 笛を吹きながら、風みたいに雲みたいに生きていく。

 「笛のお兄ちゃん、これ、あげる!」

 大人たちの足元をくぐり抜けてきた小さな男の子が、伸びあがって何かを差し出してくれた。竹でできた風車だ。

 「かっこいいな」

 かがんで目線を合わせると、男の子はもったいないくらいうれしそうに大きくうなずいた。

 「もらってもいいのか?」

 「うん!」

 皓夜は小さな手から風車を受け取って、その頭を撫でた。

 「ありがとう」

 大人たちが微笑ましげに見守っている。

 「ところで皓夜ちゃん、つぎはどこ行くの?」

 たずねられ、皓夜は男の子の頭をかき回しながら顔をあげる。

 「飛迎ひむかえに行こうかなと思ってます」

 ああ、飛迎ね、と人々がどよめく。

 「飛迎って、戦があったばかりじゃないか」

 「まだやってるんじゃないの?」

 「いや終わってるよ、飛迎が負けた」

 「まるごと桜雲おううんのものになっちゃったんでしょ」

 「王さまの一族はみんな死んじゃったって聞いた」

 「王女さまも山の中で見つかって短刀渡されて、自分でこう、やったらしいよ」

 「うわあ……」

 久喜の隣の国、飛迎は、隣国桜雲と戦をした。その戦はすでに終わっている。飛迎は都を攻められて桜雲の手に落ちていた。ただ、戦が終わったばかりではあるけれど、桜雲は飛迎を荒らしていないという。今から治めていく土地なのだから、民たちに反感を抱かれたくないのだろう。だから戦のあとでも、あまり治安が悪くなってはいないはずだ。

 それに戦は、珍しいことではない。皓夜も今まで巻き込まれそうになったことや遠くから眺めたことがあった。

 「気を付けてね」

 「また来てね」

 「いつでも雇うよ」

 みんな言ってくれる。

 「ありがとうございます」

 皓夜は笑った。くしゃくしゃにしてしまった男の子の髪の毛を軽く整える。

 くすぐったかったのか、男の子がきゃらきゃらと笑った。

 「最後に一曲、頼んでいいかい」

 控えめな申し出に、すぐにうなずく。

 「もちろんです、なんでも」

 「弥栄がいいね」

 久喜や飛迎、桜雲などいくつもの王国を擁する、この臥竜列島がりょうれっとうに昔から伝わる曲。誰かの、何かの、末永い繁栄を願う曲だ。皓夜は立ち上がり、すぐに笛を構えた。

 「坊ちゃんの弥栄は、おめでたいけどなんだかちょっと寂しくていいんだよ」

 その言葉に、皓夜は目を閉じ微笑んだ。

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