第23話 リントナー家
ヒースとナターリエはルッカの町から飛び立ち、リントナー辺境伯邸に向かった。ナターリエはすっかりベラレタの様子に驚き、他のリントナー家の人々に対して、ある意味疑心暗鬼になっている。
「言っておくが、ナターリエ嬢」
「はい」
「姉貴が、特別なんだ。あの年齢で結婚をしていないことも珍しいことなんだが、まあ、あの気質でな……フロレンツもああいう人間なので、それで問題がないと言っているが、まあ、リントナー家では頭を抱えてはいる」
「あっ、そ、そうなんですか」
「だが、今はルッカの町もこの国の要所になっているのでな。今、一層関所の強化と、街道に続く道の整備やら何やらに金もかかっているし、人が増えれば治安も乱れる。その辺を、姉貴が全部やってくれているので、親父も多くは言わないんだが……ほんと、フロレンツが相手だから、あんな風に身勝手なんだろうなぁ」
「ふふふ。でも、とてもかっこよいです」
「かっこいい? そうか? ガサツなだけに見えるが」
「いえ、かっこいいですよ」
「ううん、それはちょっと賛同しかねるが……」
そうこう話しているうちに、森を抜けて眼下に邸宅が現れる。飛竜ならばあっという間の距離だった。
リントナー辺境伯邸に入ると、人々はドタバタと動き回っていた。が、ヒースの来訪を見て、それをぴたりと止める。
「ヒース様、お帰りなさいませ!」
「お帰りなさいませ!」
と言いながら、みな、じわりじわりと何か動き出しそうな気配だ。
「なんだ? お前ら……」
「その、その、ヒース様が、その、お嬢様をお連れになるとお伺いしまして……」
「は……?」
「お迎えの準備をですね……」
「は? 別に準備も何もいらんぞ……? 魔獣の資料を見に来ただけだ」
呆れたようにヒースが言えば、使用人たちはみな「あれ?」と顔を見合わせる。
「どういうことだ?」
「先程ベラレタ様からご連絡があって」
一体いつそんなことをする時間があったのか、とヒースは呆れる。どういう形で連絡を取り合ったのかはわからないが、こちらは飛竜で飛んできたので、それこそあっという間だった。そのあっという間に、バタバタと使用人たちが何やら「準備」をしていたというわけだ。
「親父たちに挨拶してから、資料を見せて、それから帰る。それだけだ。ナターリエ嬢、行こう」
「はっ、はい……」
困惑の表情で、ナターリエは使用人たちにぺこりと頭を下げた。使用人たちはそれを見て「可愛らしいお嬢様だ」「お美しい」と口々に言って「何故あのお嬢様が、ヒース坊ちゃまに連れられてきたのだろうか?」「どこでお会いになったのか」「王城でナンパをしてきたのだろうか」と、どんどん斜め上の感想に発展していく。どうやら、ナターリエが魔獣鑑定士であることは、使用人たちにまではきちんと話が通っていないようだった。
リントナー辺境伯は、邸宅裏にある竜舎――もともとリントナー家にも飛竜は何体かはいるのだ――で飛竜の世話をしていた。ヒースいわく「ただの趣味だ」と言う。
「親父、帰ったぞ。ナターリエ嬢、これが俺の親父で、辺境伯だ」
「なんだ、この放蕩息子が、雑な挨拶をしおってからに」
そう言って竜舎から出て来た辺境伯は、驚くほどのダンディズム、驚くほどの品位を持ちつつ、手には竜の住処に必要な藁などをかき混ぜるためなのか、ピッチフォークのようなものを持っていた。
「お初にお目にかかります。ナターリエ・ハーバーと申します」
「ああ、これは。わたしは、アーノルド・リントナーだ。リントナー領にようこそ。このようないでたちで申し訳ない」
確かにいささか格好はラフだったが、それでも不思議と品が良く見える。
「いいえ。こちらでも飛竜を飼っていらっしゃるのですね」
「ああ。わたしと次男が乗るのでな。ハーバー伯爵令嬢は、飛竜には慣れただろうか」
「はい。とはいえ、前に乗せてもらっているだけですので、大きなことは言えませんが」
「いやいや。前に乗るだけでも大変なことだ。空を飛ぶことが嫌でなければよかった」
「はい。とても気持ちが良いです」
そう言ってナターリエが笑えば、リントナー辺境伯も笑う。
「なかなかそう言ってくれるご令嬢はいなくてな。うちの家内もそうなんだが、空は恐ろしいと言って、決して飛竜には乗ってくれん」
「えっ? そうなんですか」
「うん。次女に至っては、飛竜が怖いといって寄り付かない。楽しいのになぁ?」
とヒースに言えば、ヒースはうんうん、と頷いた。
「資料室を使うが、いいかな?」
「ああ、自由にどうぞ」
「ナターリエ嬢、行こう。あと、申し訳ないが母上に挨拶を」
父親のことは「親父」なのに、母親のことは「母上」なのか、とナターリエは思ったが、なんとなく聞けず、ただ素直に頷くだけだ。
「はい」
「ごゆっくり」
そう言ってリントナー辺境伯は熊手を高く上げた。それに、ナターリエは笑って頭を下げた。
「あらあらあらあらあらあらあらぁ~~~~!!!!」
すさまじい「あら」の攻撃に、ナターリエは後退りそうになるのを必死に堪える。リントナー辺境伯夫人は金髪に碧眼で若々しい。そして、あまりにもテンションが高い。
「可愛いわ。とても可愛い。まあ~~~! ねえ、ハーバー伯爵令嬢、今日はお時間あるかしら? 一緒にお茶でもいかが? それか、一緒に……」
まさかの、ヒースの母親からの誘いに、驚いてナターリエはヒースを見る。
「あー、今日は、資料室に用があって来ただけなんでな……」
「あなたには聞いていないわ」
「そういうことじゃなくてだな!?」
「まあ、まあ、とてもとても、可愛らしいわ~~! 明日にでも、わたしがデザインしたドレスを着せたいわ。それから、わたしがデザインをしたヘッドドレスも、それから、わたしがデザインをした……」
ナターリエにヒースが耳打ちをする。
「母上はデザイナーなんだが、その、ちょっと……ちょっと前衛的なので……」
「えっ、凄いですね? デザイナーだなんて。辺境伯夫人でもいらっしゃるのに、デザイナーでもあるなんて、素晴らしいです」
「まあまあまあ、そんなことないわよ~~~! でもねぇ~、たまに王城付近にドレスを持っていくと、これがまた売れるのよ~~! だけど、誰もパーティーに着てくださらないのよ。きっと、お家の中で満足なさっているんだわ。それはそれでいいけど、ちょっと残念よねぇ~~」
その母親の圧からナターリエを守り、ヒースはなんとか、どうにかこうにか、資料室にナターリエを案内した。
そう大きくない部屋だったが、机と椅子が3セット置いてある。綺麗に整理整頓されていて、棚に書物や何やらがずらりと並んでいる。空いている壁面には、リントナー領の地図らしきものがいくつも貼られていて、過去からの変遷、それこそリューカーンが言っていた「大地震」前後での変革がよくわかる。
「ここが、うちの資料室だ。えーっと、こっちが、うちの歴史書で、それから、こっちが領地に関することで、それから、ここからかな。ここからが、魔獣に関する資料だ」
「まあ、沢山あるんですね」
「だが、内容は重複していてな。もともとある資料を見ずに、どんどん書いて行っただけのようで」
「見させていただいてもよろしいでしょうか?」
「ああ。勿論」
ナターリエは頬を紅潮させる。資料を数冊手にとって、椅子に座った。
「俺はちょっと親父とリューカーンのことを話してくるから、それが終わるまでゆっくり読んでいてくれ」
「はい。ありがとうございます」
ぱたん、と扉が閉まり、ナターリエは満面の笑みで資料のページをめくりだした。
ナターリエが資料を読み進めていると、カタン、と扉が開く音がした。ヒースが戻って来たのかと思って顔をあげると、5,6歳ぐらいの少女が開いた扉の隙間からこちらを覗いている。金髪で頭の両脇に髪を結っている。
「こんにちは。お邪魔しております」
「こにちは……」
「リントナー家のお嬢さんでしょうか。可愛らしいドレスですね」
「そう」
ナターリエは立ち上がって名乗る。
「わたしはナターリエ・ハーバーと申します。今日は、こちらの資料を見るためにヒース様と来ました」
が、少女はそれに何も答えず、ぴゅっと走り去ってしまう。そして、廊下を走る音と、叫ぶ声。
「おにいちゃーーーーーん! お姫様がいるよおおおおおおお! 誰ぇえええええ!?」
誰と言われても、名乗ったのだが……とナターリエは苦笑いを浮かべ、仕方がない、と資料に再び目を落としたのだった。
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