第15話 ナターリエのちょっとした過去

 さて、翌日、飛竜に檻を括りつけて、魔獣研究所に向かった。ヒースは今回は同行をしないという話で、邸宅に残る。


「ヒース様は行かれないのですか?」


「ああ。フロレンツに任せた。そう毎回は行かず、半分はフロレンツに頼んでいるんだ」


 二頭の飛竜が並んで飛び上がる。その二頭の間に、檻がひとつ。そして、更にその後ろに二頭の間にひとつ。更に、前後に飛竜が一頭ずつ。6人体勢で飛び上がって、いつもよりも若干ゆるやかに飛ぶ様子をナターリエは見送った。


「今日は、あれだろう。先日仕立て屋に発注したものが届くんだろう? 俺も、ついでにいくつか服を発注していたのでな」


「あっ、そうなんですか」


「そうだ……ああ、そういえば、グローレン子爵から手紙が届いた。あの火竜が火を吐いたらしいぞ」


 歩いて邸宅に戻りながら話すヒース。ナターリエは「本当ですか!」と目を輝かせた。


「食べ物を変えたらてきめんだったらしいな。よく人に慣らされた竜なので、人に向かっては吐かないようだ」


「今度、また見せていただけるかしら……」


「そのうち、挨拶にいこうと思っているが、一緒にどうだ?」


「えっ、いいんですか?」


「ああ。グローレン子爵から、よかったら見に来てくれと書かれていてな。古代種の捕獲がそこそこ終わったら、共に行こう」


「嬉しいです」


 にこにこと笑うナターリエに、ヒースも微笑む。


「そういえば、竜のことはさすがにお詳しいようですけれど」


 その「さすがに」というのは、飛竜に乗っているから、という意味だ。


「うん。リントナー辺境伯領には、もともと竜が多くてな。昔は絶滅した古代種になるところだったが、実は細々と生きている竜が結構いる。そもそも、遠い昔、竜と関係が深かったらしいんだ」


「まあ、そうだったんですか」


 そういえば、飛竜はどうやって捕獲したのか、とナターリエはそれから竜に関する質問をヒースに山ほど投げかけた。それに応じながら、ヒースは「魔獣のことになると、本当に真剣だな」と笑った。




「ナターリエ嬢は?」


 仕立て屋から衣装を受け取ったので、クローゼットにしまってからヒースはナターリエを訪問した。すると、そこにナターリエの姿はなく、ユッテが購入した衣装をクローゼットに片付けているところだった。


「あっ、ヒース様……先程、仕立て屋の方にいただいたクッキーをもって、厨房へ」


「厨房?」


「美味しい料理を作られる方々に、美味しいものをとおっしゃって」


「……なるほど? 戻って来るまで待っても良いだろうか」


「はい。どうぞ、お座りくださいませ」


 そんな発想はなかったな、と思うヒース。しかも、ユッテに言わずに自分で持って行ってしまうあたりが、ナターリエらしいとも。


 ふと見れば、テーブルの上にはエルドを描いた絵が広げられていた。あれこれと書き加えられたその紙をじっと見るヒース。


「あまりナターリエ嬢は絵がうまくないな」


 しみじみとそう言って笑う。ユッテは、さすがに「そうでしょうか」と同意はせずに微笑んで、話を絶妙な形で逸らした。


「お嬢様は昔から魔獣の絵を描かれるのがお好きだったので……」


 それと、上手い下手は別だが、とヒースは思う。ユッテもそれはわかっていたし、普段からナターリエにはっきりと物を言ってはいるものの、ヒースを前にしてそれは出来ない。


「書物を見て、書き写していたのかな」


「そうですね。あと、体調が悪い時は、ベッドで想像上の魔獣を……あっ……」


 ユッテは「口を滑らせた」と困った表情をする。ヒースは、彼女の顔を見て


(ああ、これは、聞いてはいけなかった話なのか)


と、冷静に判断をしたが、聞いてしまった以上は仕方がない、と話を続けた。


「体調が悪いのか」


「その、お嬢様は、お体が弱かった頃の話を人にしたがらないので……」


「今はもう大丈夫なのだな?」


「はい。今は、本当に、ええ、健康になられて。本当に……本当によかったです」


 ユッテも、そう年齢が高いわけではない。20代の半ばぐらいで自分と同じぐらいかとヒースは思う。となると、案外とナターリエが倒れていたのは最近のことなのではないかとも。ベッドの上で、空想上の魔獣をスケッチ出来るほどの年齢。10歳前後かな……と、ヒースは勝手に想像をした。


「じゃあ、いいじゃないか。今も倒れるとなれば、話は別だが」


 そう言って、ヒースは朗らかに笑う。


「はい……ですから、多分、とても魔獣に憧れがあるのでしょうね。自分が見たこともない、きっと、見られないだろう存在というか。野生動物とはまた違う魅力を感じていらっしゃるようで、おとぎ話の中の存在のように思っていらしたようです」


「それは、少しわかる……どうして、その、体が弱かった頃の話をしたがらないのかな」


「ええ、それは、何の役にも立たないとおっしゃって。他に意味はないそうです」


「ふはっ!」


 そのユッテの言葉に、ヒースはつい噴き出した。


「特に何もなく、ただ体が弱く倒れていただけの話なんて、それ以上でもそれ以下でもないわ、とおっしゃっていまして。今はもうお元気ですし」


「いや……そうでも……いや、そうか。まあ、そうか」


 ヒースはナターリエがそう言っている姿を容易に想像できる。きっと、ユッテのその説明は本当にそのままなのだろう。何か気遣ってとか、恥ずかしがって、ということではなく、正しく「特に意味がない」程度に思っているに違いない。


「本当はヒース様に、当時お嬢様が描かれていた魔獣の絵をお見せしたいところですが」


「おおっ、あるのか?」


「ハーバー伯爵邸に、大事に保管されておりますので、ここでお見せ出来ないのが残念です」


「それはちょっと見てみたいなぁ……」


 そうにやにやとヒースが呟くと、ちょうどナターリエが戻って来た。


「あらっ、ヒース様、どうなさったのですか」


「遅くなったが、あなた用の鞍の素材も変えてみたので、試していただけないかと思って」


「まあ。ありがとうございます!」


 そう言ってから、ナターリエは何かに勘付いたようで、ヒースを見て、ユッテを見て、ヒースを見て、もう一度ユッテを見た。


「……ユッテ、何か変なことをヒース様にお話ししたんじゃないでしょうね?」


 突然のその言葉に、ユッテは目を逸らす。


「ユッテ!?」


「特に、変なことはお話しておりませんよ」


「じゃあ、変じゃないことは話したってこと?」


 そのナターリエの言葉に、ヒースは笑う。


「そうだな。変じゃない話はした。普通のことだ」


「ううん? 確かに、確かにそうですけど……なんだか怪しいですね……?」


 なかなかの推察力だ、とヒースは思ったが「まあまあ」とそこは話を流したのだった。




 飛竜の元に行き、新しい鞍をつけてナターリエは座る。その日の彼女はドレスだったが、実際に飛ぶわけではないので、ドレスでも特に問題はない。


「あっ、全然違います。柔らかくて、少し弾力が……」


「うん。これなら、あなたの、その、尻も大丈夫かなと……」


「ご、ごめんなさい……」


 今更ながら恥ずかしくなってきて、ナターリエは頬を赤く染める。だが、何にせよ鞍が柔らかくなったことはナターリエの尻事情としては助かった、と思う。


「お恥ずかしい話なのですが、そのう、あまり、お尻にですね、女性らしい、なんというか、お肉がついておらず……」


 飛竜から降りて、ナターリエは言い訳のようにぶつぶつと言う。


「そのう、普段はドレスで隠れているのですが……はい……」


「ナターリエ嬢は、あんなに甘いものを食べるのにな?」


「!」


 その、悪気のないヒースの言葉にナターリエは更に真っ赤になる。社交界でそんなことを言えば絶対に誰かに怒られるだろう発言だったが、ヒースは本当に悪気がなく、本気でそう考えているようだ。


「もう~! そんなことおっしゃらないで……とはいえ、本当にどうしてでしょうか。成長期に、よくベッドで寝ていたせいかしら……それでお尻がこう……こう……」


「ああ、すまん……ちょっと、言いすぎたか。ああ、そうだ。体が弱かったとユッテから聞いた」


「まあ! やっぱり、変なことを聞いていらしたのね!」


「変なことではない。ただ、そうだったのだという話だろう。今は元気になったようで良かったな」


「あれは、何といいますか。知恵熱のようなものといいますか」


「知恵熱?」


 それが乳幼児が時折出す熱のことを差すことをヒースは知っている。実際は、知恵をつけたから発熱するわけでもなく、単に周囲のことを子供が反応するようになった時期に出る原因不明の熱だと。


「体調が良くなったら、スキル鑑定のスキルが発現したのです」


「そうなのか」


「はい。そういうことがあるのだとは聞きました。半信半疑でしたが。ただ、そうなるまでちょっと時間がかかって……ですから、両親は、わたしがそんな体調を崩して苦しんで得た特別なスキルなのだから、と思っています。今となっては、魔獣鑑定士になれたので、わたしも、それは悪くなかったなって思うんですけど」


「ナターリエ嬢は、スキル鑑定士になっていたことは、そう、よろしくなかったのかな?」


「そうですねぇ……国に貢献できるという意味では、とてもやり甲斐がありましたけど……」


 ナターリエはそう言ってから


「でも、魔獣鑑定士の方が、ロマンがありません?」


と笑った。ヒースもそれには笑顔で「ああ、そうだな」と返した。

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