君の好きな花
朱々(shushu)
君の好きな花
また会おうね、もっと話そうねという約束は、なぜだろう、かなりの確率で叶うと思ってしまう。
次会える保証なんて、どこにもないのに。
なのにどうしても、彼女の名前は、俺の心が揺れる。
初恋だった、たぶん。
「たぶん」というのは、きっとそれまでも憧れの対象はいただろうけど、明確に自分のなかで慕う気持ちがあったのは、彼女が最初だったんだ。
彼女と初めて出会ったのは高校二年生のクラス替えだった。春、気もそぞろになる季節、張り出されたクラス分けは自然と胸を高鳴らせた。通っていた学校はそんなに大きくなかったが、クラスに何名かは初対面の人がいた。
「ありさか」という名字の性か、出席番号が一番になることが多い。今回も同様で、自己紹介で何を話そう、と俺の頭はそれに支配されていた。
二年C組に入るともう既に何人かおり、知る顔も何人かいた。
「お!
「有坂去年も一緒だったよなぁ〜。よろしく〜」
顔馴染み達に挨拶するなか、窓際に、長い黒髪の女生徒が談笑していたのが見えた。知らない子だな、とそのときは思ったが、彼女こそ、最上薫子だった。
最上薫子、最上さんは、身長は平均的で、色白で、まっすぐに切られている前髪が印象的である。当初は見た目の美しさに正直目が惹かれたが、決定的に俺が気になったのは、とある現代文の授業でのことだった。
俺も彼女も文系で、現代文の授業はクラスごとに受ける。
「では、最上さん、次のところ音読してもらえる?」
「はい」
そうして始まった最上さんの声は小さな抑揚を付けながらもとても聞きやすく、俺の耳にやさしく流れ込んできた。難しいテーマのはずなのに、まるで絵本の読み聞かせを聞いているような、温かさのある声だと感じたのだ。
思わず振り向いて、文章を読む彼女の様子を見たかったが、そんな度胸はなかった。耳に神経を集中させ、聞き入る。俺は彼女の声を好きだと思った。
その後も、授業と授業のあいだ友人と話している様子や昼休みなど、つい聞き耳を立てるようになってしまった。
今思うと、普通に友達になればいいものの。なんて怪しいことだろう。
うちのクラスは割と全員が気軽に話せる仲で、さん付けでも距離感を感じることはそんなになかった。同じ文系同士、高校三年になっても同じクラスのままの俺たちは、みんながみんな仲良くなろうとしていた気がする。
高校二年生、十七歳。
将来を考えなくてはならないと頭ではわかっているものの、目の前のことも全力で楽しみたい年頃である。
クラスメイトは皆仲が良く、複数人でカラオケやボウリングに行ったり、近所にショッピングモールがあったので、アイスクリームを食べたりクレープを食べたりもした。俺もその会には数回参加し、最上さんも時々いた。
「あたしチョコミントかなぁ〜」
「俺もそーする! 有坂は?」
「俺はチョコミント苦手なんだよなぁ。どうしよう」
その日のアイスクリームの会では、俺も最上さんも参加していた。
「有坂くんも、チョコミント苦手なの?」
「最上さん」
声が聞こえた方へ振り向くと、やや苦笑い気味の最上さんが隣にいた。
「私はチョコミント苦手で」
「俺もそうなんだよね。ちょっと歯磨き粉っぽいかんじが」
「わかるわかる! まったくおんなじ。」
眉毛を少し下げながら笑う最上さんを、正直に可愛いと思った。
俺はキャラメルアイス、最上さんはチョコチップを頼むことにした。食べるときはそれぞれ別になってしまったが、それでも俺は満足だった。
高校二年生の文化祭はクラスの出し物で、クレープ屋を開店した。
クレープ屋でバイトをしているという女子数名と、盛り付け担当、チラシ担当、呼び込み担当と、役割はそれぞれあった。
最上さんはエプロンを付けながらレジ担当をしていたり、時には呼びかけ要員もしていた。俺は料理が一切出来ないので買い出しだったり、チラシを配ったりしていた。
「有坂くん!」
「最上さん?」
小走りで最上さんがやってきた。
「よかった、間に合って。なんかみんながね、そろそろ今日も終盤だから割引始めようかって話してたの。チラシは一旦回収ね」
そう言って最上さんは俺からチラシを取り、呼び込みの文言は変わった。
「こんにちはー! 二年C組、クレープ屋さんやってまーす! 今からでしたら10%オフです! よろしくお願いしまーす!」
澄み渡り伸びやかな最上さんの声は、夕暮れ時の空に色を与えた。
「ま、こんな感じで」
改めて俺の方を向き、にこっと笑う。
「かしこまりましたぁ〜」
俺は敬礼ポーズをして、笑顔で応える。
そうして俺は割引プライスの呼び込みをし、どんどんクレープ屋へお客さんを呼んだ。売り上げの観点はわからなかったけど、文化祭がとにかく楽しかったのは覚えている。
準備段階で何をするのかという出発点から、役割分担、お店の外装作り、メニュー設定。いつもの学校生活とは非日常で、青春だった。
なんでもないことに馬鹿みたいに笑い、夜遅くまで準備をして暗い学校にビビったり、写真を何枚も撮っては忘れないよう思い出を反芻した。
高校三年生の文化祭は自主参加である。クラスの出し物はなく、部活に入っている者のみがそちらで出展してもいいことになっている。
自分の将来、進路、進学、就職。まだ自分たちには遠いと思っていたアレコレは、どんどんと確実に近づいてきた。
十八歳の卒業式。
俺は地元企業の就職を決めた。涙を流すことはなかったが、胸に込み上げてくるものはあった。特に高校二年と三年は楽しかったように思う。クラスメイトたちはいつだって誰とでも仲が良く、居心地がよかった。
最上さんには最後まで、自分の気持ちを伝えることは出来なかった。
二十歳、成人式のあとに同窓会が行われた。
当時のクラス委員が幹事をして集まることになった。卒業してまだ二年だったので、そんなに大きな変化はないだろうとたかを括っていた。だが、自分自身が社会人になり疲弊していたこともあり参加は即決した。懐かしい仲間に会いたかったのだ。
会場の居酒屋へ着くと、最上さんも出席していた。見かけたが、臆病な俺は話しかけることは出来ない。噂によると、東京にある偏差値の高い大学に進学したという。高校を出てすぐに働き始めた自分とは境遇が違うのだ。
大学生の最上さんは、当時は言葉にすると恥ずかしかったが、さらに垢抜けてキレイになっていた。東京という街がそうさせるのか、新たな人間関係がそうさせるのか。
なんにせよ、故郷を忘れずに同窓会に参加してくれたことが嬉しかった。なのに最後まで話しかけられなかった自分は、とんだ臆病者である。
三十歳の同窓会。
報せが来たとき、幹事に確認したら出席率がかなり良いとのこと。みんなそれぞれオジサン・オバサンになっているんだろうか…と過ぎりながら、俺は、最上さんの出席が気になっていた。「最上さんは参加するかな?」と聞けなかったのは、やはり臆病者の証だ。
会場に着いてみると家庭を持っている参加者も多く、子どもの話をするメンバーもいた。バツイチもいたり、今度結婚するんだと報告をする人もいた。
俺はこのとき独身で、転職したばかりの仕事についていくのに精一杯の頃だった。
今年こそは無理矢理にでも最上さんと話したいと思った俺は、周囲を見渡す。カウンター席にひとりでいた最上さんに、チャンスと思い声をかけた。
「隣、いい?」
最上さんはチラリと俺を見る。
しばらくキョトンとしていたが、間を開けて、思い出してくれたようだ。
「…有坂くん?! ひさしぶりだね」
ぱあっと華やぐその笑顔は、高校時代から変わらぬ可憐さだった。
「久しぶり。最上さん、元気だった? 今、東京だっけ?」
「そうなの。大学から東京で、結局就職もそのまま」
「今東京住んでんのに、こうやって帰ってきてくれて嬉しいよ。東京ってどう?」
俺は人生でこの街を出たことがなく、当然東京にも行ったことがなかった。
「どう?かぁ…。人がいっぱいいて、モノがいっぱいあって、情報がたくさん集まる場所かなぁ。無性に逃げ出したくなるときもあるけど、なんだかんだ東京に慣れてる自分もいるのかもしれない」
そう語る最上さんの横顔は変わらずに美しくて、セミロングの濃いめの茶髪の艶やかさすら、高校時代から変わっていなかった。
左手の薬指に、指輪は無い。
「あのさ…」
俺は見切り発車で口に出した。
「今だから言えるんだけど、俺高校時代、最上さんのこと好きだったんだよね」
「………」
最上さんは大きな瞳をさらに大きくして驚いていた。
「…いや、今言ったからってどうってわけじゃないんだけど。なんとなく、伝えておきたくて」
「…ありがとう。有坂くん、私なんて眼中にないと思ってた」
「そんなことないよ。俺にとっては高嶺の花だったし」
「またまたぁ〜。今更そう言っても、なんもあげられないよ?」
眉尻を下げながら笑う癖は昔のままのようで、まるで一瞬、高校時代にタイムスリップしたような感覚に陥った。
最上さんが笑顔になってくれた。ただ、それだけでいい。
「…有坂くん、伝えてくれてありがとう。嬉しいのは本当だよ」
「うん。俺のほうこそ、聞いてくれてありがとう」
そのあとも俺たちは雑談を繰り返し、そして自然と別グループの会話に参加していった。
胸がチクリと痛むのは、初恋にピリオドを打った音だろうか。言えてすっきりしたのは本音だが、せめてもう少しだけ、今の彼女のことを知りたかった。
四十歳の同窓会。
変わらずに出席有無のハガキが家に届く。俺は三十代半ばで結婚し、娘も出来た。振り返れば、生活がガラリと変わった十年だった。
そして最上さんの左手薬指にも指輪があった。自分も家庭持ちである。詳しいことは、相手が話すまで聞かないことにした。
「最上さん、ひさしぶり」
「有坂くん! ひさしぶりだね。今も地元?」
「うん。上京しないままこの歳になっちゃったよ。最上さんは変わらず東京?」
「ううん、今は神奈川県。まぁ、東京にもすぐ行ける距離なんだけどね」
長い髪のイメージだった最上さんの髪型は少し短くなっており、年相応に年齢を重ねているように感じた。それでもやはり俺にとって初恋フィルターなのか、他のクラスメイトより綺麗に見えてしまう。
「もう四十歳なんて、私たちあっという間だね。高校時代なんてつい昨日のように思い出せるの。、実際はもう何十年も前だもの」
「たしかに。幹事たちのおかげでこうして皆と会えるのもありがたいよ。俺、なかなか他のじゃこんな大所帯の同窓会ってなくて」
「わかるわかる、私も! みんな、元気そうで嬉しい」
最上さんは周囲を見渡しにっこりと微笑む。
「あと、この歳になって君付けってのもここでしかないからさ、なんだか若くなった気分だよ」
「いくら歳重ねても、私たち高校時代の同級生だもんね」
「文化祭でクレープ屋したのとか、懐かしいよ」
「そうそう! 懐かしいなぁ〜。放課後何人かで遊びに行ったこともあったよね。それこそクレープの会とか、アイスクリームの会とか。楽しかったなぁ」
昔を懐かしむ最上さんの顔は、郷愁に満ち溢れたやさしい笑顔だった。たしかに歳を重ねてはいるが、それでも、俺の初恋フィルターは変わらない。
最上さんはいつ会っても、キラキラと輝いて見えた。
五十歳の同窓会。
最上さんの左手薬指から指輪が消えていた。
それを意味するのは、どういうことなのか。離婚をしたのか、たまたましていないだけなのか。臆病者な俺は、またしても自分から聞くことが出来ない。
最上さんは変わらずに綺麗な髪を維持し、東京から故郷までやってきてくれたという。その誠実さが嬉しかった。
「有坂くん、ひさしぶり」
俺がドリンクを待つカウンターで、最上さんは話しかけてくれた。あまりの咄嗟のことに、少し驚いた。
「最上さん、ひさしぶり。元気だった?」
「うん、なんとかね。今は東京に戻って、ガツガツ仕事してる! 仕事もさ、いつまで出来るかわかんないもんね。与えられたものを、一生懸命やってるよ」
最上さんの仕事は、正直面と向かって聞いたことがない。ただ会うたび、一生懸命なのは伝わってきていた。
東京で頑張る最上さん。俺には、応援する以外の選択肢がない。
「今もこうして戻ってきてくれて嬉しいよ。仕事も順調そうだし」
「まぁ仕事は愚痴りたくなるときもあるけど、なんとか踏ん張ってる。自分ひとりででも、生きていかなきゃいかないからね」
屈託なく笑う最上さんは、四十代とは違い、離婚を経たのだろうか。「ひとりでがんばる」というワードに、胸が痛んだ。
この小さな田舎町を出て東京へ行き、荒波にも揉まれたことだろう。最上さんはこれまでどんな経験をし、どんな出会いと別れを繰り返したんだろう。
本当は長い時間で、最上さんと膝を突き合わせて話がしたい。
それも、出来ない。俺が臆病者だからだ。
心の中で応援することが、俺が最上さんに対する最大の愛情でもある。
「人生いろいろあるけど、楽しいのが一番だよね!」
そう笑う最上さんの顔は、高校時代とオーバーラップした。肉体的にも精神的にも若く初々しく、エネルギーに満ち溢れていたあの頃。歳を重ねた今、同じ空気感を感じた。あれから、何十年も経っているというのに。
「有坂くんは? 今もこっちにいるの? ご家族と一緒?」
「あ、あぁ。妻と娘と息子がいるよ。今日は束の間の休みってところかな」
笑いながら答えると、一瞬、最上さんの顔が暗くなった。
やばい。もしかしたら最上さんにとって家族の話は、地雷なのかもしれない。しばらくの沈黙のあと、最上さんは言う。
「有坂くん、ご家族、大切にしてあげてね。たくさん愛してあげるんだよ?」
眉尻を下げる最上さんの口角はなんだかさみしそうで、胸が軋む。もしかしたら最上さんは、理不尽に家族とバラバラになってしまったのかもしれない。
「…うん。大切にするよ」
その日の帰り道、異様に早く家族に会いたくなった俺はそそくさと同窓会を抜け出した。最上さんの言う「たいせつ」に届いているだろうか。
帰り際の最上さんの笑顔は、夜中になっても脳内に残っていた。
俺たちの次の同窓会は、還暦、六十歳を予定していた。
最上さん、君の五十代に何があったか俺は知らない。けれど、知りたかったとこんなに強く思うなんて想像もしていなかった。
あぁやっぱり、話をしておけばよかった。何があってどんなことがあって、どうしたときにに笑い、苦しみ、泣いて、様々なことを乗り越えてきたんだろう。
俺は喪中のハガキを見ながら、呆然としていた。
五十歳まで元気そうだった最上さん。一体君に何があったんだろう。死の瀬戸際、苦しくはなかっただろうか。安らかに眠れたのだろうか。
どうして俺は最上さんと、せめて、親しい友達になろうとしなかったんだろう。
今もまだ俺のなかに、君の笑顔が繰り返される。
君のそのやさしい口調で、俺の事を「有坂くん」と呼ぶ声が響く。
俺は喪中ハガキを何度も熟読し、己に現実を突きつける。
初恋の人、「最上薫子」の死を、体に刻むように。
最上さんのことだ、きっと遺影も美しい。
どうしてだろう。同窓会ごとに君を意識して会っていたせいか、君を忘れて生きるのが難しそうだ。せめて、最後に会ったあの笑顔と声を思い出にさせてほしい。
最上さん、最上薫子さん。
あなたは間違いなく、俺の初恋でした。
大好きでした。ずっとずっと、大好きでした。
同窓会で会うたびに嬉しくて、心の支えにしていました。
俺の初恋の人になってくれて、ありがとう。
ハガキを持つ手が震える。喪服や、通夜に関するあれこれを準備しなければならないとわかってはいるものの、行動が出来ない。瞳に、涙が溜まる。
あぁせめて、君の好きな花くらい聞いておけばよかった。それが今の俺の最大の後悔かもしれない。
最上さん。いつかまたどこかで会えたら、会った瞬間抱きしめてもいいかな。
それくらいなら、許されるかな。
生涯愛する友人として、君を、忘れないで生きていきたい。
君の好きな花 朱々(shushu) @shushu002u
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