"暴れウォシュレット"の侵略、逆境、そして奇跡

真狩海斗

🚾

「それ、"暴れウォシュレット"じゃない?」

ユカリの口から聞き慣れない単語が飛び出した。耳を疑い、思わずこちらも繰り返してしまう。"暴れウォシュレット"?

聞き間違いを期待したが、ユカリは真顔を崩さない。ユカリは真っ直ぐにこちらを見て頷く。そして、繰り返した。

「そう。"暴れウォシュレット"」


ユカリとは高校からの付き合いで、お互いが結婚するまでは毎月のようにランチをする仲だった。

少しボーッとしていてインドア派な私と、流行に敏感でアウトドア派なユカリ。

タイプの違う2人ではあったが、自然と馬が合った。

だが、ここ3年は私が出産したことで、なんとなく疎遠になり、会えていなかった。

だから今日のランチは本当に楽しみにしていたのだ。夫よ、子守りは任せたからな。

久しぶりで距離が開いていたらどうしよう。そんな心配は杞憂に終わり、すぐに盛り上がる。夫の愚痴や惚気、育児の苦労、最近の推しなど、話は尽きない。

その流れの中で、私がポロリと溢した。トイレから水が溢れて困っているんだよね、という笑い話。その直後にユカリの顔つきが変わり、先ほどの単語が飛び出した。"暴れウォシュレット"。

なんだそれ?


「ウォシュレットって、確実に肛門に水を噴射してくるでしょ?あれ、どういう仕組みでやってるのか不思議に思ったことない?」

"暴れウォシュレット"の前に、ユカリが普通のウォシュレットについて語り始めた。たしかに、と私は頷く。たしかにどういう仕組みなんだろう。

「あれ、AIで肛門を感知して、そこ目掛けて噴射してるんだって。賢いでしょ」

ほんまかいな、と少し訝しむ。ここ数年は育児に追われてニュースも碌に見ていなかった。私の知らぬ間に技術は進歩していたのかもしれない。首を捻る私には構わず、ユカリは喋り続ける。

「そのうち、ウォシュレットのAIがシンギュラリティ起こしちゃったんだよね。超賢くなっちゃったみたいな。

ただ、問題があって、人間の悪意を学習したウォシュレットも現れたんだよね。それが、"暴れウォシュレット"」

ようやく本題に入りそうだ。姿勢を正す。私も復唱してみた。それが、"暴れウォシュレット"。


「"暴れウォシュレット"の危険性に目をつけて、売買する闇バイトも生まれて、社会的に問題になったんだよね。たまに、マンションで違法に"暴れウォシュレット"を飼育した大学生が逮捕されたり。

"暴れウォシュレット"を駆除した人には賞金を出すって県も現れて。大阪だったかな?」

ほう、と声を出す。賞金まで出すとは本気だ。それならもう駆除されたんだろう。安心安心、とストローを吸う。

「いや、それがさ。上手くいったのは最初だけ。段々とみんな気づいちゃったんだよね。

『これ、自分で"暴れウォシュレット"に育てて駆除して県に持っていけば儲けられるんじゃね?』って。そこから県は慌てて賞金を取り下げたんだけど、あとの祭り。じゃあええわってことで、育成済みの"暴れウォシュレット"が大量に野に放たれて今に至るわけ」

あらま、みんな悪知恵が働くものだ。ゴホッ、ゴホッ。ビックリしてむせてしまった。


そもそも、いくらシンギュラリティしてたとしても、水を出せる程度じゃないの。そんなに危険視する必要あるのかね。ユカリに素朴な疑問をぶつけてみる。

「いやいや、"暴れウォシュレット"はなんせシンギュラリティ起こしてるからね。もう噴射できるのが水だけじゃないんだって!自分で自分を改造しちゃってて、銃弾とかビーム出せるやつもいるらしいのよ。

そもそも、肛門自体が結構人間の弱点だからね。たまにニュースで見るでしょ?肛門にエアコンプレッサー突っ込んだり、アルコールぶち込んだりして死んでる事故」

たしかにそういったニュースはたまに見る。見てはアホなことする人がいるもんだな、とは思っていた。とはいえ、銃弾を自己生成するウォシュレットは信じがたい。うーん、と漏らしつつ、ケーキを頬張る。美味しい。じゃあ、いいか。


「そんなわけで、最近の暗殺のトレンドは"暴れウォシュレット"なんだってさ。CIAも中国もモサドも、みんな"暴れウォシュレット"に注目してるんだよ。

完全自律ドローンが顔認識で暗殺するのと同じ感じで、今ではどの国も"暴れウォシュレット"を使って肛門認識での暗殺を計画してる。だから、今では大統領も総理大臣もみんなウォシュレットは使えなくて、自分で自分のお尻を拭いてるらしいよ」

国家元首たるもの自分の尻は自分で拭く覚悟がなければいけない。名言っぽくて良いな。1人で少しウケる。


そんなに危険なら、ウォシュレット自体廃止すればいいのに、と私が零す。そもそもウォシュレットにAIつけなくてもいいじゃん。

「一度、国連でそういう話にはなったみたいよ。『"暴れウォシュレット"に限らず、全ウォシュレットを抹殺しよう』って提言。"持続可能な社会のための全ウォシュレット抹殺宣言"だったかな?

でも、そこからが大変で。なんせウォシュレットはみんなシンギュラリティ起こしてるからさ。普通のウォシュレットたちが激怒したわけ。『一部の"暴れウォシュレット"のせいで、どうして自分たちまで抹殺されるんだ!!』って。一理あるっちゃあるんだよね。

本当にニュースで見なかったの?トイレがデモ行進して大変だったんだから」

にわかには信じがたい光景だ。育児で数年間世間から置いてけぼりにされていたとはいえ、これほど乖離することがあるだろうか。人並みにテレビやSNSでニュースはチェックしていたはずだが、そんな話は全く覚えがない。だが、トイレがデモ行進している姿を想像したら、おかしくて笑みが溢れてしまう。

未来では人類vs"暴れウォシュレット"で全面が起きてそうだね、と茶々を入れてみる。


冗談のつもりだったが、ユカリが目に見えて動揺したので、こちらも動揺する。

ユカリは目を見開き、辺りをキョロキョロと見回した。表情が強張っている。何か失言をしてしまったのだろうか。ただの『ターミネーター』ネタのつもりだったのに。ユカリが決心した表情で口を開いた。こちらも身構える。

「そうなの!よく知ってるね。フォローしてるインフルエンサー曰く、未来の全面で人類を救う英雄がいるから、なんだかんだで心配はないみたいよ。

……ただ、問題があって、ここだけの話、その英雄を事前に暗殺するために、未来から選り抜きの"暴れウォシュレット"がこっちに送り込まれているみたいなんだよね。アーバレウォシュレット・シュワルツェネッガーっていうらしいんだけど」

おいおい、まんま『ターミネーター』じゃないか。絶対に騙されてるぞ、ユカリ。思わずズッコケてしまう。ズッコケた拍子にフォークとナイフが床に落ちた。カララン、カララン。



ただいま〜、と声をかけて玄関のドアを開ける。ユカリの話はヘンテコだったな、と思いながら、スリッパを履く。楽しかったからいいけど。

リビングを覗くと、夫が床に大の字になって眠っていた。寝息まで立てて気持ちよさそうにしている。呑気なものだ。この場で"暴れウォシュレット"に襲われたらひとたまりもないぞ。私と息子で先に逃げちゃうもんね。

そこまで考えたところで気づく。愛するわが子の姿がない。


トイレから、キャッキャという笑い声が聞こえ、安心する。なんだ、トイレにいたのか。よかった。トイレ???

いやいや、まさか、と思うが、ユカリの話が頭から離れない。そんなもの胡乱な陰謀論だと頭では理解している。でも、もし。もし万が一、"暴れウォシュレット"が本当にいて、襲われていたら。そう考えただけで、動悸が止まらなくなる。


わが子の無事を祈り、震える手でトイレのドアノブを捻る。ガチャリ。目の前では悪夢のような光景が広がっていた。卒倒しそうになる。


まず、愛するわが子が尻餅をついていた。満面の笑みでこちらを振り返る。天使のような笑顔。まあ、なんと可愛らしい。こちらまで笑顔になる。

笑顔のまま目線を上げたところ、惨憺たる状態の洋式トイレが視界に入り、青ざめる。洋式トイレはカラーペンであちこちに落書きをされ、その全面をトイレットペーパーでグルグル巻きにされていた。

トイレは、トイレットペーパーを引きちぎろうと、バタバタと蓋の開け閉めを繰り返していた。その度に、拘束するトイレットペーパーに切れ目が入る。

「人間の悪意を学習したウォシュレットも現れたんだよね。それが"暴れウォシュレット"」

ユカリの言葉を思い出す。息子の行為は、まさに人間の悪意と言ってもよいのではないだろうか。

洋式トイレが赤みを帯びつつある。"暴れウォシュレット"への覚醒を始めていた。


封印から解放されたトイレが、ガオオオ、と雄叫びを上げていた。いや、"暴れウォシュレット"か。引き裂かれたトイレットペーパーが、散り散りとなって床に落ちる。

悪魔の胎動を告げるように、ゴポポ、ゴポポという重低音がトイレ中にこだまする。

私は、"暴れウォシュレット"の攻撃を止めようと、便座を抑えにかかる。熱っつ!!便座温め機能が、拷問兵器となり、煉獄を体現していた。

思わず手を離した瞬間、"暴れウォシュレット"からレーザー光線が発射された。

レーザー光線は、私の右頬を掠めると、壁に穴を開けた。レーザー光線に思えたそれは、猛烈な勢いで噴射された水であった。レーザー水光線は空間を切り裂くように、鋭く連射され、壁に次々と穴を空けていく。

覚醒直後で、まだ狙いが定まっていないのか、私と息子には届いていない。

だが、それも時間の問題だろう。


脳裏に地獄の情景がまざまざと浮かぶ。

悲鳴を上げる人類。

瓦礫と化した建造物。

業火に燃やし尽くされる大地。

血に染まり行進を続ける"暴れウォシュレット"。


土下座をする。何度も何度も。ごめんなさい、ごめんなさい。息子だけでも助けてください。

"暴れウォシュレット"の怒りは収まらない。

床につけた頭の、すぐ側で穴が空く。息子の書いたドラえもんから、顔面が削り取られていた。無惨なドラちゃん。レーザー水光線が発射されたのだ。威嚇射撃。次はない。

私は、トイレットペーパーを大量に巻き取ると、一心不乱に振り回す。白旗のつもりだった。全面降伏の意思を伝える。

息子さえ。息子さえ助かれば。


長い、長い、沈黙の後、ウォシュレットから、ピュッと一筋の水が噴き出した。これまでとは異なり怒りはない。反対にどこか優しさを感じる。噴水はそのまま、ピューーッと緩やかな弧を描き、私の眼前にまで達する。美しい。私は右手の人差し指を伸ばして、噴水の先端に合わせてみる。温もりを感じた。温もりからメッセージが伝わってくる。

ト・モ・ダ・チ。


再びユカリの言葉が蘇る。

「人間の悪意を学習したウォシュレットも現れたんだよね。それが"暴れウォシュレット"」

それが本当だとすれば、逆に人間の愛を学習することもあるのかもしれない。私が子を守ろうとする必死な姿が、"暴れウォシュレット"に愛の存在を教えた。そのことで、彼の中で変化が起きたのかもしれない。


小窓から差し込んだ西陽が、ウォシュレットの噴水に反射する。奇跡が起きた。虹だ。平和の誕生を祝福するかのように、トイレに虹がかかる。

私は歓喜で、咽び泣く。トイレも呼応するかのように、次々と水を噴き上げる。ピューッ。ピューッ。噴水が増えるたびに、虹も増える。息子がパァと目を輝かせる。

それだけじゃない。トイレから美しい音色が聴こえてくる。『音姫』の名に相応しい、楽園を思わせる高貴な音色。このメロディーは……。『We Are The World』。

私はウットリと夢見心地になる。息子の落書きたちからも喜びの感情が伝わってきた。色とりどりの蝶々が舞い、お花は揺れ、ハートが浮かび上がり、アンパンマンが踊る。私も歌った。


We are the world ,We are the children

僕らは仲間、僕らは皆 神の子供たち

We are the ones who make a brighter day

明るい明日を作っていくのは僕ら自身


虹と音楽の夢の饗宴。

もう、これはパレードだ。

トイレットリカル・パレード。今までに観たどんなパレードよりも綺麗だった。この感動と興奮を、きっと一生忘れることはないだろう。

私は息子を強く抱き締め、この光景を目に焼き付けた。


かくして、わが家の人類vs"暴れウォシュレット"の小さな全面戦争は、和平条約の締結という形で幕を閉じた。

だが、これがトイレを調子に乗らせてしまったらしい。その日以来、私は感謝を伝えてからでないと、トイレを使用できなくなってしまった。今日も唱える。

いつも感謝しております、トイレ様。

一呼吸おいて、「よろしい」とでも言うかのように、ウィーンと音を立てて、厳かにトイレの蓋が開く。顔はないが、トイレの威張り腐った表情が目に浮かぶ。


お辞儀をして、トイレに腰掛ける。頬杖をつくと、途端に溜め息が出た。なんだかな、というなんとも言えない思いが詰まった深く長い溜め息。

うーん、共存も大変だなあ。

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