第3話 再会

 剣士がやってくる日の朝。私は早起きして家中の窓を片っ端から開けて回った。

 屋根裏の大きく開いた天窓からすっきり晴れた青空が見える。姉さんの部屋の窓も開けると、肌寒い空気が部屋の中に飛び込んで来て肩をすぼめる。テラスに出て下を見下ろすと、父さんもゆっくり眠って居られないのか、はさみを片手に庭木の手入れをしている。私は二階から手を振った。

「父さん、早いね」

「ああ、十年振りに離れてた甥っ子の顔を見れるかと思うと楽しみでゆっくり寝ていられないよ」

「母さんは?」

「まだ寝てるよ、麻子の子供だからな、あいつら子供の頃から仲が悪くて、いつも喧嘩ばかりしてたからイメージ悪いんだよ。うまくやれるか不安だな」

 そう言えば、夕べもテンション高かったよな。まるで仇が果たし状持って来るみたいな大げさなこと言っちゃって。

 麻子おばさんも、いくらおじいちゃんの頭が堅いから頼めないったって、母さんとだってうまく行くか考えものだよ。それじゃなくても仕事がうまくいかない時の低気圧のひどさったらないんだから。

 おかげで…父さんと、私は、こんなにノーマルに育ってしまった……これから先のことを考えると眠気も吹っ飛ぶ、ゆっくりしてられない父さんの気持ち、つくづくわかるなあ。

 私は、鏡を見ながら、太平洋の真ん中からやってくるサルみたいな、真っ黒な顔した、チビの(写真では私の方が大きかったから……)剣士を想像していた。元気な麻子おばさんの子どもだから、引っ込み思案の、すっごーい真面目の、黒縁眼鏡とも考えられる。だんだん想像が激しくなって信じられない像が浮かび上がった。

 もう止めとこう……考えたって仕方ない。黒いパッチン留めで髪を一つ留めて下に降りた。

 ようやく母さんも起きてきて、私たちは早めに父さんの作ったお昼を食べてから、地下鉄に乗って竹島桟橋に向かった。


 海からの風が頬に当たる。冷くて気持ちいい。親子三人揃って桟橋を眺めているなんて最近に無い光景。まるで夢のよう。良かったな、剣士が来ることになって(…そう思うのも今だけだけど)雰囲気が良くて悦に入っている。

 だって、船が港に入ってくるのって感動的だよ。出会いと、別れのドラマが、たくさん詰まってる白い缶詰って感じ。缶詰が優雅に少しづつ進んで、おお!やってきたっ!て声を上げたくなるよね。

「ねえ、なにしてるの?」

 悦に入っている私の横で母さんがもそもそやっている。

「もう一曲、急いでるのがあるの。イメージ浮かんだからメモしとかないと」

 母さん、いくら目が腫れてるからって(夕べ寝ないで仕事してた)慣れないサングラスかけて、字なんか書けないって。

「そろそろ待合室に行かないと。私、持っててあげるよ」

 私は鞄を肩にかけると母さんのサングラスを外した。二人でガタガタやってるうちに缶詰の蓋が開いて人が一斉に降り始めたとみえて、待合室の出口に人が集まる。

「父さん、わかる?」

 慌てて私が聞くと、

「わかるさ、写真だってあるし、高一だろ、見たらすぐああ、って感じだよ」

 写真って、そんな小さいときのそのままって訳にはいかないよ。いくらなんでも日頃ボーっとしてる私だって、そのくらいの見当つくよ。大丈夫かなあ。人はどんどん降りてきて、私たちの前を通り過ぎていく。みんな旅行帰りか、色もよく焼けて、だれが、だれだか、見分けもつかない。そのうち最後の一団が降りてきて待合室は空っぽになった。

「父さん、どうするの?」

「おかしいな、その辺で心細そうにキョロキョロしてる奴はいないか?おい、母さん」

「まったく世話が焼けるわね。でも絶対あれに乗ってたのよ。それは確か。昨日船に乗せたって麻子から連絡もらったんだから」

 めずらし~母さんが少しうろたえてる。さすが腹の据わった母さんも、預かることになった甥っ子を失えちゃったんで焦ってるんだろうな。まったくなんて子よ、知りもしない東京で待ち合わせにしくじるなんてどうしようっていうのよ。と、がらにもなく世話焼きのお姉さんぶってしまった。

「どうする、父さん?」

「とにかく、ひとまず家に帰ろう。連絡があるといけないし。ここじゃどうにもならん」

 写真をポケットに入れると、そそくさと帰り支度を始めた。

「母さん、帰るよ」

 と、私が声をかけると意外にも、

「でも、心細がってないかなあ、なんか立ち去りがたいね」

 なんて、いつになくしおらしい、まるで、それは私の知ってる母さんらしくない言いぐさだった。


 

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