第67話 新たな審判者
ステンドグラスの窓に浮かび上がった天使は、慈愛に満ちた笑みをたたえながら、こちらを見下ろしていた。
男とも女とも見えるたよやかな姿の白絹の衣を透かして、朝の光が頭上に柔らかな銀色の幕を下ろしてくる。
神と呼ばれる”忌々しい”創造主”作りだした……この世で最も
邪心の女神に翻弄し続けられてきたゴットフリーの口元からは、つい、そんな皮肉めいた呟きが漏れだしてしまう。
「しかし……どういうことだ?」
ゴットフリーは、目の上にかかった前髪をかきあげ、窓を見上げた。日の光に色を紅に変えられた髪が眩しくて、上を見るのが邪魔だった。
彼の漆黒の髪は日の光に晒されると紅に変わる。なぜ? と、尋ねられても、それも女神の気まぐれとしか答えることはできなかった。
……が、今はそんなことより、
瞳は、紅ではなく柔らかな青。
背にある二つの翼は黒ではなく輝く銀色。
窓に浮かび上がった天使の姿は、今まで最後の審判を司っていた
「お前は、黒白の天使とは別物か! そんな無垢な顔をして、また、俺たちを騙すつもりか」
その瞬間に、窓辺の天使は声をあげて笑った。
「ふふっ……無垢などという言葉をこの年になって向けられると恥ずかしくなってしまいます。私が生まれたのは500年以上も前なのですよ。それより、あなたの問いに答えるなら、私は黒白の天使であったけれども、今はそうではない。ゴットフリー、あなたが過去を変えたために、最後の審判を行う
「私の可愛い双子の姉弟だと?! まさか……お前は……」
ゴットフリーは、唖然と過去を思い出す。
華やかに微笑む水蜜糖の頬と、冷たく見据えてくる深淵な瞳。その両方ともが彼にとっては馴染みが深かった。
天喜と伐折羅
その二人を生み出したモノ、それは、至福の島の七つの欠片の中で、唯一、人との契りを交わし、子を成した……
「レインボーヘブンの欠片”空”!」
天喜と伐折羅は、レインボーヘブンの欠片”空”と人間の間に生まれた双子の姉弟だ。彼らは、至福の島の空を”昼”と”夜”の二つに分けて引き継いだ。姉は光の巫女になり、弟は夜叉王として黒馬島の夜の守り手になった。だが、その母 ― レインボ― ヘブンの欠片”空”の本体 ― は、黒馬島の紅の花園の毒気に飲まれて、滅びていったはずではなかったのか。
「いいえ、私は滅びてなどいません。天喜と伐折羅が思慕の情に逆らえず、口づけを交わした時、私は天喜の中に新たな命となって再び蘇ったのです。けれども、二人は姉弟。その時、彼らが持ってしまった背徳の思い。そこにすかさず
「……天喜を癒していたのは俺ではなくタルクだと思うが……」
ふと脳裏に浮かんだ元参謀の巨体と髭面の笑顔。だが、砂粒になって消しとんだタルクはもうこの世にはいない。ふっと小さく息を吐くと、ゴットフリーは話題を元に戻し、
「天使というには邪悪すぎる紅の瞳……なるほど、黒白の天使の黒の翼は、伐折羅。純白の体は天喜。だが、それを操ってたのは、海の鬼灯というわけか」
そして、その元締めは邪心の女神、アイアリス!
「なるほど、最後の審判が、”闇”にばかり偏るからくりがやっと分かった。とは言っても、あれが正当な審判などとは、最初から考えてはいなかったがな」
その時、突然景色が歪み、異空間に作り上げられた舞台が、エターナル城の礼拝堂から次の舞台へと様を変えだした。
頭上に広がりだした抜けるような青い空。
― レインボーヘブンの欠片 ”空” ―
礼拝堂の景色が空気の中に溶けだした。銀翼の天使は自分の姿が消えないうちに、黒衣の男に最後の言葉を投げかけた。
― ゴットフリー、私たち、レインボーヘブンの欠片たちは、ジャン以外は、もう人の姿を保っていることはできません。けれども、あなたには最後の七番目の欠片が、まだ名乗りをあげてこない理由が分かっているはず。それこそがレインボーヘブンへの虹の道標を私たちが追ってきた真の意味なのだから ―
ゴットフリーの足元に、天空の青の鑑のような紺碧色の海が波音を立て出したのも、その時だった。
― レインボーヘブンの欠片、紺碧の海 ―
「
人の姿を失い、次々に本来の姿に戻ってゆく至福の島の欠片たち。だが、それが、まだ、異空間に作られた幻想にすぎないことを、ゴットフリーは熟知していた。
まだ、”最後の審判”の判決は、”光”とも”闇”とも、結審はしていない。邪心の女神”アイアリス”に課された”最後の審判”に、かけられていない者が、たった一人だけ残されていたからだ。
そう、それは、”自分自身”。今、ここに存在するゴットフリーの魂の審判。
「そして、黒白の天使の代わりの審判者はお前か」
その時、波間に浮かび上がって来た者の姿に、ゴットフリーは、困惑とも憧憬ともいえぬ灰色の瞳を向けた。日の光に輝く飛沫の中に黄金の天秤を手にした乙女が現れたからだ。
淡い金の長い髪、透き通ったスミレ色の瞳。少女と乙女のちょうど、狭間にいるかのような繊細な顔立ち。優しく微笑んでくる表情は、硬く凍りついた心を真綿のような暖かさで包みこんでくれる。
「
それは、苦難の子供時代に、唯一、彼が心を開いた人。故郷のガルフ島で、周りから孤立した彼を諌め、支えてくれた姉のように慕った……
……いや、この世でたった一人だけ愛した……といえる人。
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