第49話 癒されぬ魂

 中海の沖から紅の灯に縁取られた波が、ゴットフリーの背に押し寄せてきていた。


うみ鬼灯ほおずきっ!」


 大量の紅の灯の襲来に反応した闇の戦士が、空から急降下してくる。スカーが、焦って外海に叫び声をあげた。


「お前ら、その先へ行くんじゃない! 海の鬼灯と闇の戦士との挟み撃ちに合うぞ!」


 黒馬亭を目指していた警護隊たちが、その声に慌てて後ろを振り返った。

 ……だが、彼らは、波に打たれたまま、身動きができなくなってしまったのだ。


 外海と中海の狭間の海岸に、ゴットフリーの黒いシルエットが異様に長く伸びて浮かび上がっていた。紅色に染まった波が、彼の背中を目指して押し寄せてきている。


 ぞくりと背筋に悪寒が走る。


 ただ、黒馬亭の天窓に灯るカンテラの灯だけは、変わらぬ温かな光を送り続けていたのだ。その灯りがきらりと煌めいた時、ゴットフリーの後ろに押し寄せる紅の灯がぴたりと止まった。


「え……?」


 その瞬間に、誰もかれもが言葉を失くしてしまった。あろうことか、紅の灯が、突然、鼠の姿に形態を変えて、ゴットフリーの足元に集結しだしたのだ。

 海岸線にずらりと並び、無数の紅の瞳を外海の方向へ向けてくる鼠たち。


「鼠……!? 何のつもりであんな姿に変化した? 紅の灯の姿の方が、殺傷力があるというのに……」


 鼠たちは、一心に外海の方向を見つめている。


「あいつら……一体、何を企んでやがる……」


 スカーが頬の傷を歪めた。

 ラピスは敵の空気をうかがおうと精神を集中している。

 ココの中でソード・リリーは沈黙し、

 そんな息を飲むような空気の中で、ジャンが唖然と声をあげた。


「黒馬亭のカンテラの灯だ……やつらが見ているのは……」


 ぞっとスカーの背中に寒気が走った。

「おまえらっ、早くこっちに戻ってこい!」


 だが、海に入って行った警護隊たちに向かって叫んだスカーをラピスが手で制した。


「待って! 戦意はまったく感じないぞ……畜生、何てこった。あいつら……あの鼠たちは、帰りたがっている。黒馬亭へ……。あの紅の灯は……癒されたがってるんだ。あのカンテラの灯に!」


 一瞬、全員が呆然と中海の方向を見やる。


 フレアおばさんが振るカンテラの灯。

 小さな鼠たちは、眼球に映る灯を見つめ、焦がれるように身を波打ち際に乗り出している。


 海の鬼灯の哀れな成り立ちを知るジャンは、その時、やっと分かった気がした。癒されながら死にたいと叫びながら黒馬亭に向かった警護隊を、ゴットフリーが敢えて止めようとしなかった理由が。


「でも、ゴットフリー、そんなのってないよ! そんなことを皆に知らせるのは残酷すぎる!」


 静寂の黒馬島を震わせた少年の声音に、人々は驚き、名指しされた黒衣の男に一斉に視線を向ける。

 彼はやっと重い口を開いた。 


「……ジャン、今更、何が残酷なものか。海の鬼灯 ― この鼠 たち- は、元々は、この黒馬島を根城にしていた盗賊たちのなれの果てだ。黒馬亭が、黒馬島の者にとって癒しの場所であるならば、この足元の鼠どもにとってもそう。戦意をなくした警護隊たちが、黒馬亭に帰りたいというなら俺は止めない。ただ、後悔したくなければ心して聞け! 黒馬亭での癒しは、生きるために訪れた者だけに与えられる特典だ。与えられた運命から脱落して死ねば、必ず悔恨の念が跡に残る。死ぬために……または、死して尚、癒しを享受できるなどと考えるのは自分勝手な思い込みにすぎない。それなのに、壊れた心は癒されることを願い続ける。己以外の者の幸せを恨みながら」


 黒馬島の外海に立ち尽くしてしまった警護隊たちに、皮肉な笑みを浮かべながらゴットフリーは言った。


「そうなってしまった魂のことを、お前たちは何と呼ぶかしっているか!」


 しんと静まり返ってしまった波間に、冷気を帯びた低い声が響いた。


「”うみ鬼灯ほおずき”と言う名の紅の邪気! この黒馬島で望み半ばに死んだ者は、誰もが悔恨の想いを引きずったまま、その名をもって、蘇ってくる。一時の癒しを求めて黒馬亭で死ぬのは自由。だが、その後には永遠の絶望がお前たちを待っている!」


 ゴットフリーは、足元にすがりついてきた鼠を振りはらうと、それを靴で無下むげに踏みつぶした。そして、キィと憤った金切り声をあげた無数の紅の瞳に向かって叫んだ。


「癒されたいか。あの家で。だが、海の鬼灯になったお前たちには、未来永劫、そんな時は訪れない!」


 ギイィィッ!!


 怒りの声をあげながら、鼠たちが紅の灯を纏う。紅のかまいたちの灯が黒衣の男の顔をかすめた。その頬から鮮血が飛び散った瞬間に、


闇馬刀やみばとう!」


 ゴットフリーは、黒刃の剣を闇の中から呼び出した。

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