第38話 永遠に消えてしまえ

「ラピスの医院へ行けって? それって、警護隊長のためなのか」


 不覚にも、ココに従わされてしまったスカー。乱暴に馬を走らせる彼の前に座ったココは、落とされまいと馬の首にしがみついて言った。


「ラピスが診療用のカバンと薬品箱を取って来てって。早くしないと、ゴットフリーが死んじゃう!」


 あんな奴、死んだって……


 だが、その続きをスカーは口にすることができなかった。


「しかし、こう頻繁に熱を出したり、瀕死になったり……あいつ、一体、どうしちまったんだ。何か悪い病気にでもかかってんのか」

「わからない。でも、何か嫌な空気が……ゴットフリーの回りに浮かんでた」


 BWブルーウォーターのように黒い吐息は見えはしなかったが、確かにココにも闇の戦士の気配は強く感じられたのだ。

 その時、前方で砂煙が巻き起こった。


「何だ? えらく急いだ奴らがやって来るぞ」


 スカーの声にココは正面から猛スピードで駆けて来る馬に目をやった。そして、叫んだ。


「タ、タルクッ、それにジャン!」


 すれ違いざまに、お互いに顔と顔を見合わせる。


「スカーとサライ村の泥棒娘? まさか、てめえら、またゴットフリーを拉致しやがったのか!」

「警護隊の大入道か。何を言いやがる。瀕死の隊長を保護してやってる俺たちに向かって」

「何っ」

「場所がわかってんなら早く行け! でなきゃ、


 人の悪い笑みを浮べて、スカーは馬を鞭打った。憮然とした表情のタルクだったが、ジャンに急かされて彼もまた鞭を打ち、スカーとは反対の方向に馬を走らせた。


「ジャン、ジャンっ、 私、ココ! こっちを見て!」


 あらん限りの声で叫んだはずなのに、確かに目と目が合ったのに……


 ガルフ島で、ジャンは言った。レインボーヘブンを見つけたら、必ず私を迎えに来ると……


 ココは、泣きそうな気分でつかまった馬の鬣をぎゅっと握り締めた。


 ジャン、何で知らん顔をしてるの。

 

*  *


 ゴットフリーは夢を見ていた。

 

 火の玉山が燃えていた。彼の故郷、ガルフ島で唯一の活火山。その山がその名のごとく真紅の炎を吹き上げていた。

 月の影に隠れた黒い太陽は、無慈悲な表情をして崩れてゆくガルフ島に手を差し伸べようとはしない。

 どうしようもない胸の熱さと、息苦しさに喘ぎながら、ゴットフリーは燃える火の玉山を駆け下りていった。行く手を阻むように巻き上がる紅の灯。日食の日に火の玉山には邪気の群れが集結する。それを人々は“うみ鬼灯ほおずき”と呼ぶのだ。


 早く麓へ、ガルフ島の人々を早く海へ逃がすんだ!


 突然、目の前に広がった紺碧の海。

 だが、次の瞬間、その海は火の玉山をはるかにしのぐ高さまで膨れ上がった。


 “BWブルーウォーター、なぜ、お前はこの地を滅ぼす!”


 大地の声とともに炸裂する蒼の光。

 響いてくる断末魔の声に耳を覆ってしゃがみこんだ。ガルフ島を、黒馬島を、そしてレインボーヘブンを飲み込んだ海に消え、“海の鬼灯”に変わり果てた住民たち。


 “止めてくれ!”


 その声を俺に聞かせるのは。


*  *


「ゴットフリー」


 さらさらと流れるような美声。にもかかわらず、この声はいつも有無をいわさぬ力で彼を目覚めさせる。

 運びこまれたサライ村の宿営地で、まだ、朦朧とした意識のまま、ゴットフリーは心配げに顔を覗きこんでくる緑の髪の男を目をこらして見つめ返した。


 BWブルーウォーター……レインボーヘブンの欠片 ”紺碧の海”


 緑の髪の男をそう認識した瞬間、ゴットフリーの脳裏に再び崩壊し、海に沈んでゆくガルフ島の夢が蘇ってきた。


「ゴットフリー、良かった。気がついたんですね」


 だが、BWが浮べた安堵の笑みは、一瞬にしてとまどいの表情に変わった。

 灰色の瞳が、鋭く自分を睨めつけている。突然、体を起こすと、ゴットフリーはBWの襟首に掴みかかり、叫びのような声をあげた。


「なぜ、お前は住民たちを海に沈めた! なぜ、彼らの命を飲みこんだっ」

「ゴットフリー……」

「レインボーヘブンだけでは不満足か! お前は、ガルフ島にまで手をかけたな!」

「違う……違います! そんなつもりは……なかった……あの時は、自分がわからな

くなってしまって……、怒りや悲しみや後悔の気持ちが大きすぎて……私はそこから逃げたくなってしまった」


 そして、その心の隙間を“海の鬼灯”につけこまれた。


「ゆ、許して下さい。私は……私は……」


 上目遣いに睨むゴットフリーの灰色の瞳に、BWは凍りついたように体を震わせ、まともに視線を合わせることもできない。


 耳に流れこんできたBWの悲愴な声。その時ラピスは、


 ゴットフリー? 熱のせいで混乱してるのか。何か悪い夢でも見たのか。


 たまらずに、二人の間に割って入ろうとした。


 だが、半ば夢の中をさ迷う意識の中で、ゴットフリー強く握り締めたBWの襟首を、どんっと突き飛ばして言った。


「俺の前に姿をみせるな。失せろ! お前の顔は見たくもない」


「ゴットフリー、止めるんだ!」

 ラピスが叫んだ。


 駄目なんだ! BWをこれ以上責めては。駄目……


 ところが、ラピスの手をふりほどこうと、ゴットフリーが振り返った時、


 灰色の瞳?!


 心の奥まで見透かされてしまいそうな鋭い眼光に、ラピスは思わず、後ずさりをする。にしても……


 なぜ、見えた? なぜ……。



「BW、消えてしまえ! この世からお前は……」


 

 駄目だ、その先を言葉にしては!



   ― 永遠に ―



 言うな! 言ってはいけない、ゴットフリー!

 

 

「ゴットフリー、ごめんっ」


 ラピスは拳を強く握りしめると、ゴットフリーに駆け寄り、その鳩尾に一撃を食らわした。

 ごほと嫌な咳を残して崩れ落ちた彼の体を両手で受けとめる。ぽたりと床に落ちた血玉に苦々しい気分を感じながら、ラピスはBWの方向に顔をあげた。


 薄れてゆく……BWの気配が……


「BW、待てっ。こんなのゴットフリーの真意じゃない。熱のせいなんだ、本気なんかじゃない。だからっ……」


 だが、寂しげな笑みを残しながら、BWはゴットフリーの言葉に従うように、その前から姿を消してしまった。


「BW、行くなっ、帰ってこいっ」


 ラピスは泣きたい気分で叫び声をあげた。……が、それと同時に、突然開いた部屋の扉。



「ラピス、この野郎っ、ゴットフリーに何をした! お前やっぱり、スカーとつるんでやがったな」


 まずいぞ……この最悪の状況に、一番やっかいな奴がきちまった。


 気まずそうに腕にかかえたゴットフリーをベッドに戻すと、ラピスは言った。


「ジ、ジャン、落ちつけ。落ちついて、俺の話を聞け」


「問答無用だ! ゴットフリーのそばから離れろっ」


 ジャンの髪が蒼く燃えて逆立った。その手のひらが開かれたと同時に、ラピスの体はピンポン球のように吹っ飛んでいた。


「ゴットフリーっ」


 血相変えて、ベッドに駆け寄るジャン。意識がなく、体がひどく熱い。おまけにあたりには吐血したかと思われる血痕までがちらばっていた。


 畜生っ、何てことをしやがるんだ!


 ジャンのとび色の瞳が黄金色に変わってゆく。小刻みに震える体全体を蒼の光が覆いだした。


「ジャン、駄目だっ、暴走しては!」


 ジャンに続いて部屋に入ってきたタルクは、いきなり響いてきた金属音に、ぎょっと目を見開いた。飛び散った窓ガラスの破片が頬をかすめてゆく。蒼の旋風が部屋の中にあった椅子や食器類を激しく巻き上げている。

 部屋の壁に嫌というほど強く体を打ちつけられたラピスは、その背の後ろがぴしぴしと崩れてゆく音を聞き、血相変えてタルクに叫んだ。


「タルク、誤解なんだ。何とかしてくれっ。このままだと、ジャンはこの集落全部を吹き飛ばしてしまう」

「そんなこといったって、リュカがいないんだ。あいつ以外に暴走したジャンを止めれる奴なんか、思い当たるか!」

「まったく、どいつもこいつも役立たずばかりか!」


 ラピスは半ば、やけくそになって戸口に掛けてあった自分の弓に手を伸ばした。


「おい、ラピス、どうするつもりだっ。まさか、お前、その弓でジャンを射抜くつもりじゃないだろうな」

「だって、そうでもしなきゃ、あいつは止まらないだろ!」


 だが、吹き荒れる蒼の旋風が邪魔をして、うまく的をしぼれない。


 的なんかどうだっていいじゃないか。とにかく一番、強く力を感じる場所に俺は矢を打ちこんでやる!


 ラピスは渾身の力をこめて弓を引いた。ひゅうっと、弦がしなった瞬間、その手から離れた矢は、ジャンに向かって一直線に飛んでいった。

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