第26話 ランカ(緑の花)
棺の中に横たわり、深い眠りで時間を止めるかのように、その人は、かたく瞼を閉じていた。
艶やかな銀の長い髪。少し青みがかった透き通るような肌。些細な刺繍を施した白い半絹の足元まである
ゴットフリーが知っているどのレインボーヘブンの欠片より、儚げで凛としたその姿。小さくため息をつく彼の横で、ココも引きつけられるように、水晶の棺の中に目をやった。
「綺麗な人……男? それとも女? この人がレインボーヘブンの欠片なの?」
「……とにかく、この棺を開けてみないことには何もわからない」
ゴットフリーはそう言うと、棺の蓋に手をかけた。相当な重量があり、彼一人の力では到底開きそうにない。ココの力など助けになるはずもなく、仕方なく押して蓋を少しずらしてみた。すると、
「待って。ゴットフリー、この人、目を開く!」
蕾から咲きはじめた花びらのように、ゆっくりとかたく閉じられた瞼が開いてゆくのだ。
吸い寄せられるほどに美しいその瞳に見入ってしまい、ココは身動きすらもできなくなった。
花緑青の瞳。水晶よりもさらに深く澄んだその色に。
水晶の棺の中の住人は瞬きもせず、横たえたままの姿勢でゴットフリーの灰色の瞳に目をあわす。ところが、
― レインボーへブンの王よ、水晶の棺を開いてはなりません ―
静かに頭に響いてきた張り詰めた声音。
えっ、今、頭の中で声が聞こえた……それに、レインボーへブンの王って……誰のこと?
ココは、少しうろたえた気分で、そばにいる黒衣の男に目を向けた。
まさか……こいつ?
その時、ゴットフリーの灰色の瞳が急速に研ぎ澄まされた色を帯び出した。がたがたと尖塔が小刻みに震えている。
「下がれっ! 何か異変がくるぞっ!」
ココの体が、ゴットフリーの手で後ろに跳ね飛ばされたのは、あっと言う間の出来事だった。
棺の中の人が持った緑の小枝が、突然、芽ぶき始めたのだ。
凄まじい速度で蔦を伸ばし、枝葉は幾つもに分かれ、蓋の間をすり抜けて棺の外へ溢れ出す。
量を増し長さを伸ばし……波のような緑の群れがゴットフリーとココの廻りを覆い出した。
尖塔の壁の隙間からも、同じような葉が芽吹きだしていた。みるみるうちに最上階の部屋は緑の海と化していった。
蔦はやがて小さな蕾をつけ、つんと鼻をつく香りと共に花が咲いた。
緑の花? 水晶の棺にいる人と、同じ瞳の色の!
ココは、ゴットフリーの背中にぴたりと体をつけて、四方に乱れ咲く花々を見つめた。
この花の香り? まさかっ!
押し寄せてくる緑の洪水の中で、ゴットフリーは唇を震わせた。
同じだ。ザールの紅い花園と。
黒馬島で俺を闇に招いた
一瞬、背筋が寒くなる。だが、
「痛っ!」
背中ごしに聞えたココの声。ゴットフリーは、はっと意識をそちらに切り替えた。見れば、右手を押さえながら彼の足元にうずくまっている。
「おいっ、大丈夫か!」
「緑の花の棘に刺された……手がしびれて動かない」
「何っ」
“手がしびれて動かない”タルクも前に同じようなことを言っていた。確か城下町の腕ずもう大会でヤクザに毒を使われて……ラピスがタルクの治療をした時のことだ。
あの時、ラピスはこう言った。
“それは、ランカっていう植物からとれる毒薬さ。どういうわけだか、ランカはエターナル城のまわりにしか生息しない。だから、エターナルポイズンって呼ばれてるんだ”
そういえば、鏡の迷宮で俺たちを惑わせた甘い香りも、これとよく似ていた。まさか……
「エターナルポイズン。この緑の花はその原料のランカなのか!」
だが、ランカの毒の本質は即効性の劇薬……ゴットフリーは、あせった様子でココに目を向ける。
「ゴキブリ娘、お前、大丈夫か?」
「だから、しびれてるって言ってるじゃないのっ」
悪態をつける元気は十分にあるようだ。短く息をつくと、ゴットフリーは緑がはびこる水晶の棺に目をやった。
― レインボーへブンの王よ、水晶の棺を開いてはなりません ―
その声が再び頭に響いてきた。おびただしく繁茂を続ける緑の葉――“ランカ”を睨めつけると、ゴットフリーは、突然、叫ぶようにこう言った。
「退け、俺の邪魔をするのは許さない!」
一瞬、空気が凍りついた。
すると突然、
ゴットフリーの足元から水晶の棺まで、はびこっていたランカの群れが、一斉に蔓を縮め出したのだ。
そう、まるで彼に道を開けるかのように。
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