第1話 グラン・パープル
* *
レインボーヘブン、それはこの世の富をすべて集めた至福の島。……だが、五百年もの昔、その島は突然、海に消えた。レインボーヘブンの守護神アイアリスは、その島を大地と六つの欠片に分け、そして封印したのだ。遥か未来、住民たちの子孫にレインボーヘブンを返す約束を残して。
レインボーヘブンの伝説にはこう記されている。
― レインボーヘブンは再び蘇る。その欠片たちが力を取り戻し、その血を受継いだ住民たちが、その地を訪れた時に……また蘇る ―
* *
なぜ、残してきた……?
崩壊した大地。海を流離う島……故郷と呼べる場所のすべてをふりきって、たどり着く場所に価値などあるのか。
火照るような体の熱さと胸の痛みに耐えかねて、目を閉じている。
それでも、その道標は鮮やかに輝いて、俺を呼ぶ。
虹の道標……。
至福の島、レインボーヘブンへの
* *
「あ、目を覚ました」
きんと、はずむような声がした。どこか懐かしげな響きにゴットフリーは重い瞼を開く。
気分はすこぶる良くなかった。そして、意識がはっきりとしてゆくにつれ、それは最悪に変わっていった。
「ゴキブリ娘……」
いるはずのない少女が、彼の枕元に腰掛けていた。
襟元で少しはねた紅い髪。くるくるとよく動く大きな茶色の瞳。
「ゴキブリじゃないわよ。私の名前はココ。ガルフ島で一番賢い村、サライ村のココ!」
「……」
一瞬、時が錆付いたかのように、過去をさまよう。火の玉山で別れた泥棒娘……サライ村の連中とガルフ島を捨てると言っていた。
ゴットフリーの故郷、ガルフ島は崩壊した。至福の島、レインボーへブンの虹の道標が示された日食の日、邪気-海の鬼灯の浸食を受けて、島で唯一の活火山、火の玉が大噴火を起こしたのだ。
あの日、サライ村のココは、ゴットフリーとともに火の玉山に登ったジャンを追ってきた。だが、夜風の力を借りて、島が崩壊する前に、仲間の船に乗ったはずではなかったのか。
解せない様子で、ゴットフリーは、自分が眠っていたらしい部屋の中に目をやった。家というよりは、小屋といった方がよさそうな粗野な佇まい。そういえば、彼自身の記憶でさえも、おぼろげにしか思い出せない。
ジャンやタルクたちと、黒馬島を脱出して船に乗った……消えてゆく黒馬島を眺めていた……
その後のことはまるで覚えがない。
「どこだ、ここは」
「ここは、グラン・パープル島。グランパス王がおさめてる、れっきとした王国よ」
ココがふくれっ面で答えた。
その時、ドアを開けて男が入ってきた。
「グラン・パープル島へようこそ! ガルフ島警護隊、ゴットフリー・フェルト隊長」
派手なシャツに右の耳にピアス。同じ側の頬に傷がある。
ゴキブリ娘とくれば、次は、やはりこいつか……。
スカー。サライ村のリーダーで地質学者。ガルフ島一の頭脳の持ち主。だが、その頬の傷は、島主リリア・フェルトへの忠誠の証として、ゴットフリーがつけたものだ。
「歓迎痛み入る。と言いたいところだが、これは一体何の真似だ」
ゴットフリーが寝かされている真鍮のベッドの足に錠で固定されている重い鎖。その先に縛りつけたれた自分の右足。歓迎とは似ても似つかぬ処遇に、ゴットフリーは苦い笑いをもらした。
「ま、悪く思わんでくれ。警護隊長殿は、一触即発の兵器みたいなもんだからな。そうでもしとかないと、まともに話もできやしねえ」
スカーの意地の悪い笑顔に、少しばかりの優越感が見え隠れしている。それを読み取ってか、
「鎖に繋いでおかないと、俺が怖くて声も出ないか」
ゴットフリーはせせら笑うように言った。
「なんなら、左の頬にも右とお揃いの傷をつけてやろうか」
その瞬間、ゴットフリーの頬にスカーの堅い拳が飛んできた。その勢いのまま、体をベッドの後の壁に打ち付けられる。切れた唇の血をぬぐいながら、スカーを睨めつける灰色の瞳。
その鋭い眼光にスカーの心臓は、どくんどくんと鼓動を早める。
「スカー、警護隊長は、まだ、熱があるんだよっ。病人をなぐるなんてっ」
ところが、ゴットフリーを守るように、その前に立ちはだかった婦人がいたのだ。ふっくらした体つき、田舎風のエプロン姿。それは、サライ村の肝っ玉母さん、フレアおばさんだった。
だが、いつもの癒し系の笑顔はすっかり、なりをひそめている。
「そうよっ。だいたい、まいっちゃてたゴットフリーを、ラピスの医院から無理に連れてきたりして……おまけに鎖で繋ぐだなんて。絶対、嫌だったんだからね」
先ほどからその枕元にいたココまでが、彼の支援にまわる。
“何なんだ、こいつら、二人して警護隊長につきやがって……”
それに加え、
「スカー、お前、何で俺ん所から患者を盗むんだっ」
カーキ色のカーゴパンツに袖まくりの白のシャツ、細身で長身。今風に立ち上がらせた銀色の短髪。
突然、開かれた扉から現れた青年の姿にスカーは、眉をひそめた。
「盗むなんて、人聞きが悪いな。それに、この男に、俺たち、サライ村の人間がどんなひどい目に合わされたか、知らないお前に怒鳴られる筋合いはないぜ」
「それでも、医者の所から患者を拉致するなんて、とんでもないクソ野郎だ!」
青年は、スカーをどんと突き飛ばすと、つかつかとゴットフリーの傍へ歩みよってきた。そして、心配げにその額に手をやる。
「大丈夫か。熱は下がってるみたいだけど……」
合点がゆかぬ様子で、青年を見上げてゴットフリーは、はっとした表情をする。
こいつ……目が
歳は17~8くらいだろうか。だが、その瞼は眠っているかのように堅く閉ざされていた。
「ラピス・ラズリ! 余計な真似をすると、いくらお前でも容赦はしないっ」
仲間を呼ぶようにヒュッと口笛を鳴らす。だが、スカーがその仕草を終えないうちに数本の矢がその頬をかすめて飛んでいった。
「たった一人、それも万全でない彼を捕らえるのに、大層な人数がいるもんだ。でも、覚えておけよ。これ以上手を出すと、お前ら、全員串刺しだ!」
手にした小ぶりの弓を正面に構えて、ラピスと呼ばれた青年は言い放つ。
「少なくとも俺の患者であるうちは!」
ラピスが、瞬間的に放った矢は、3本。それらは確実に3つの的を捕らえていた。
その証拠に部屋の戸口に男が3人、昆虫採集の虫のように貼り付けになっていた。
その様子を眺めていたゴットフリーが、小気味よさそうに言葉をはさむ。
「ラピス・ラズリ……それが、お前の名か。目が不自由らしいが……弓の腕は並ではないな。一体どうやって的に狙いをつけている」
彼の手前に立ったラピスは、弓を構えたまま、にやと笑った。
「感覚さ。目など見えなくても、俺は感じる。この世のすべてがこの頭に、ピンと浮かびあがってくるんだよ」
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