最終話 別れ



「黒馬島が声をあげるなんて……そんなこともあるんだね」


 西の山の頂に立って、伐折羅ばさらはつぶやくように言った。不思議なことに大地の揺れは伐折羅の足元には届いてこない。黒い靄に包まれた頂は、聖地のように静まり返っていた。

 澄んだ湖底の眼差しは、ただ、一点を見据えていた。肩に止まった黒い鳥に手をやると、伐折羅はそっとそれに頬をよせた。


「ありがとう。一緒にいてくれて。でも……もう、行っていいんだよ。あの人たちについてゆくんだろ」


 振りほどくように、鳥の止まった手を高く空に上げる。その瞬間、黒い鳥は眩しい光を放ちながら純白に色を変えた。すると、黒馬島を覆っていた厚い靄が、伐折羅の見つめる一角だけ溶けるように消えたのだ。


 黒馬島の靄に隠され、生まれてこのかた見たこともない青い海の輝きに、伐折羅は目を細めた。その中を一隻の船が東に向けてはしってゆく。


 ゴットフリー。やはり、僕はあなたに求めてしまう。僕の居場所を探してくれと。……あなたを殺してしまっていたら、僕の希望は永遠に失われてしまうところだった。

 僕は待っている……あなたが、僕を必要としてくれる、そんな日が来ることを。


 伐折羅は、船をめざして飛んでゆく白い鳥を見送りながら、透き通るような笑顔をみせた。


 さようなら。”伐折羅の黒い鳥”、そして”天喜の白い鳥”……寂しくはないだろう。お前たちは二つで一つなのだから。


*  *


「な、なんとかセーフか……、みんな乗ってるか」


 間一髪で乗り込んだ船の甲板で、タルクは激しく息を切らして言った。もともと、早くない足で、リュカを抱えながら全速力で駆けたものだから、心臓が破裂しそうな気分だ。

 そんなタルクに見向きもしないで、ゴットフリーは甲板の向こうを食い入るように見つめていた。


「黒馬島が消えてゆくぞ……」


 島を覆っていた厚い靄が、徐々に薄れてゆく。

 波がかかるほどに小さくなり、やがて、黒馬島は、靄の向こうに見えてきた青い空に溶け込みながら完全に姿を消してしまった。


 そこには何もなかったかのような、蒼天の空。

 視界の先には、胸のすくような青い海。


 ジャンはその光景をほろ苦い思いでみつめていた。


「虹の道標……」


 黒馬島が消えた場所から七色の虹が東に向かって帯をかけている。そして、虹の向こうから、こちらへ向かって一羽の白い鳥が飛んでくるのだ。

 

 レインボーへブンの欠片 ”空” 。


「なあ、ジャン。黒馬島って結局は何だったんだろうな」


 ジャンは横で同じ景色を見つめていたタルクに目をやって、笑みをうかべた。


 きっと、タルクにはレインボーへブンの虹の道標は見えてはいないんだな。それなのに、タルクは僕らに付いてくる。いや、ゴットフリーにか……。


「今回のことで俺はつくづく、自分の無力さに気がついたよ。お前や伐折羅のように俺はゴットフリーを少しも支えてやれなかった。ただ、天喜と二人でバタバタと動いていただけだ」


「そんなことはないだろう。実際、町が燃えた時だってタルクはよく働いたし、白妖馬とだって戦ってくれた」


「あれは、お前の力だ……。お前の力が俺の剣に宿ったから、白妖馬を倒せたんだ」


 おまけにジャンは、その力で白妖馬の魂まで浄化したんだ。それに比べて俺は……


 ジャンは、泣きそうな顔の大男を見すえて、にこと笑った。


「お前は持っているよ、ゴットフリーを支える大きな腕を。だって、タルクはゴットフリーがレインボーへブンの王であろうがなかろうが、奴についてくるじゃないか。それは、僕らにも海の鬼灯にも持ち合わせていない心だよ。無償の心でお前は、ゴットフリーについてくる。それは、何よりも強い支えになるんだよ」


「だが……」


「ほら、つべこべ言ってないで支えてやれよ。そうしないと、ゴットフリーが、甲板から転げおちてしまうぞ」


 はっと、振り向いて、タルクは大急ぎで崩れるように倒れてゆくゴットフリーの体に手を伸ばした。


「タルク、ゴットフリーを下の部屋で休ませてやれよ。あれだけの目にあって、血を流したんだ。普通に立っているだけでも大変だっただろうに」


「なあ、ジャン……」


 疲れ切って意識を失ったゴットフリーを抱えながら、タルクが言った。


「崩壊したといったって、大地には緑が芽吹いていた。ガルフ島には、何人も警護隊の精鋭たちが残っているんだ。レインボーヘブンへの旅が少しばかり遅れたって、彼らが何とかしてくれる。どこか、ゆっくりできる島を見つけて、二・三日、滞在するっていうのはどうだ。俺は、ゴットフリーを少しでも休ませてやりたい」


 その時、上空から白い鳥が舞い降りてきた。ジャンの後ろに立っていたリュカは、手を伸ばし、白い鳥を船に招きいれる。その様子を見ながら、ジャンが言った。


「そうだな。黒馬島の場合も然り、僕らの旅が何かに導かれているのだとしたら、休息もその一部なのかもしれない」


「よぉし、決まった! 次の島では、温泉を探すぞ!」


「おい、あまり羽目をはずしすぎると、後で、また、ゴットフリーの機嫌が悪くなるぞ」


 力強く宣言するタルクにジャンは思わず苦笑した。



*  *


 レインボーヘブンへの虹の道標は東に向けて光を伸ばしていた。船は風と波にのって、その後を追いかけて行く。


 次の島は、グラン・パープル。


 それは、六番目のレインボーヘブンの欠片が眠る島。




   「アイアリス・レジェンド」第2章 黒馬島奇談 ~ 完 ~




*  *


 黒馬亭の一階の食堂で話を終えた天喜あまきは長い息を吐いた。

 時計の針は、午後10時を指していた。天喜は空になった皿に目をやってから、まだ続きを聞きたそうに視線を向けてくる双子に言った。


迦楼羅かるらとグウィンもお疲れさま。『黒馬島』の話はこれでおしまいよ。ジャンとゴットフリーたちのレインボーヘブンを探す旅はまだまだ続くけど、この後の話は、また日を改めてからね」


 すると迦楼羅が、不満顔で言った。


「えーっ、終わりなの? ゴットフリーたちが、次に訪れた島のことも知りたいし、黒馬島に残された天喜と伐折羅ばさらのことももっと知りたいのに!」


グウィンまでがそれに口をはさんできた。


「僕も続きが聞きたいよ。伐折羅がゴットフリーさんの胸を、ナイフで刺したことはショックだったけど、その後、二人の関係がどうなったのか気になるし、それに、僕と迦楼羅が持っている金と銀のネックレスのことももっと詳しく聞きたい」


 迦楼羅とグウィンの好奇心に満ちた顔を交互に見て、天喜は小さく笑みを浮かべた。

 あの時、16歳だった天喜も今は30歳も半ばになろうとしている。そして、幼かった双子たちは、もうすぐ、あの時の天喜と同じ16歳になる。時が経つのは本当に早いなと。


「でも、私は黒馬島に残ったから、彼らが次に訪れたグラン・パープル島の詳しい話は、知らないの。あなたたちの金と銀のネックレスのことも。それは、ココでないと……」


 その時、夕食を食べながら、皆のやり取りを聞いていたココが、がたんと席を立ちあがった。


「そうね、でも、今日は時間も遅いし、話の続きはまた今度ってことにしましょう」


 表情が硬いココを見て、彼女も伐折羅とゴットフリーのことでショックを受けているのかも知れないと天喜は思った。すると、ココが双子に言った。


「さあ、ぐずぐずしてしないで、迦楼羅とグウィンは、フレアおばあちゃんの手伝いをしてお皿を片付けなさい。そしたら、家に帰るわよ」


 迦楼羅は不満顔でココに言う。


「えーっ! 母さん、それはないわぁ。明日もお休みなんだから、少しくらい遅くなってもいいじゃないの」 


 だが、

「あんたたちが休みでも、私は仕事なの。それに、二人とも、あんまり無理を言うと、父さんに言いつけるわよ!怒らすとおっかないって言ってたのは、迦楼羅じゃなかったっけ?」


 ココのその一言が双子をしゅんと黙らせた。黒馬亭の扉を開けて、すらりと背の高い銀髪の男が入ってきたのはその時だった。


「あれっ? もう食事会は終わりか? 天喜が『レインボーヘブンの伝説』を双子に話していたはずだけど。そんなに短時間で終わる話じゃないだろ」


 そう言って、こざっぱりした風貌の男が現れた。若く見えるが、実際は彼は天喜よりも一歳年上で、島の重要人物たちのご典医だった。銀色の短髪を逆立て、白いTシャツとカーゴパンツというラフな格好をしていたが、彼の緑青色の瞳は人を惹きつける魅力があった。


 彼の名前はラピス・ラズリ。


 ラピスは、迦楼羅たちの不機嫌そうな顔を見て、すぐに何があったのかを察した。


「ああ、わかった。ココに無理を言って怒られたんだろ。いいよ、じゃあ俺が話を続けてやるよ。でも……」


 ラピスは、黒馬亭の柱にかかっている鳩時計を指差して、双子に告げた。


「あの鳩時計が十二時を指すまでだ。その後の話は、また今度にする。それでいいか」


 優しく言ってくれるのに、迦楼羅とグウィンは、なぜかラピスに反抗できなかった。二人は頷いておとなしく席に戻った。

 フレアおばあちゃんと、明日の仕事があるココを笑顔で見送ったラピスに、天喜が食事と、双子には食後の飲み物を出してくれた。


「ラピスが、母さんの代わりに、レインボーヘブンの伝説を話してくれるってことは、ラピスもゴットフリーたちのことを知ってるの?どうしてなの?教えて」


 そう尋ねてきた迦楼羅に、ラピスが笑って答えた。


「知ってるっていうか、俺は、ゴットフリーが怪我と熱で倒れた時に、主治医として面倒を見てたんだ。っていっても、当時の俺は目が見えなかったけどな。それに、俺は元々、ゴットフリーたちが黒馬島の次に行った島、”グラン・パープル島”に住んでいたんだ」


「えっ、目が見えなかったって? なら、主治医になんてなれないんじゃないの?」


「ちっちっ、当時の俺は見えなくたって、心の目ってやつを持っていた。この世のすべてが俺の心に映し出されていたんだよ」


 そう言って、ラピスは戸惑った顔をした双子に話しだした。


 ― 華やかな王宮に差した光と、不吉に落とされた影 ― その舞台となった島”グラン・パープル”の物語を。       




  ~ アイアリス・レジェンド第3章『虚無の王宮 水晶の棺』に続く ~  


     


     


【後書き】


ここまでお読み下さった皆様、有難うございました。

「アイアリス・レジェンド第2章 黒馬島奇談」いかがでした? この章の舞台の黒馬島はかなり重苦しい雰囲気の島でしたが、第3章では、がらりと華やかに賑わう王宮のある島、”グラン・パープル”に舞台を変えてお話を進めたいと思っています。新しいキャラも出てきますので、ぜひぜひ、続きもよろしくお願い致します。


by RIKO(リコ)


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