第27話 青天の喜び、夜の守り手

「空が燃えている……炎が夜空に沸きあがっている」


  突然の揺れに驚いて、萬屋黒馬亭よろずやくろうまていを飛び出した天喜あまきは、唖然と空を見上げた。

  背筋にぞっと震えがきた。空一面に広がった紅の灯は、おぞましい血の色をしていた。その間をぬって炎の馬が空を駆けて来るのだ。


「や、やっぱり、闇馬刀を天窓から出した天罰が下ったんだ! 天喜、早く逃げるんだ。炎馬の炎が町を焼け尽くすぞ」


 おびえた声をあげたサームは、天喜をおいて町と反対の方向に走りだす。


「待って! 叔父さん、私も連れてって!」


 呼んでもサームは振り返らない。その時、


「無駄だよ。天喜、サーム叔父さんに頼ろうなんて」


 後ろから聞こえてきた冷ややかな声。


伐折羅ばさら……」


「でも、本当にあの炎は、町を焼き尽くしてしまいそうだね」


「何を言ってるの! 早く、逃げましょう。ここにいては危ない!」


 臆病で怖がり屋の弟は、私が守らなきゃならないんだわ。天喜は不安ではちきれそうな気持を無理やりに胸にしまいこんで、伐折羅の手をとった。だが、


「天喜は逃げて。大丈夫。あいつら、全部始末してやる。黒馬島に手は出させない」

「え? な、何言ってるの……?」


 伐折羅の言葉に、天喜は自分の耳を疑った。空を見上げて笑みさえ浮かべている伐折羅は、天喜が知っている弟とはまるで違っていたのだから。


 本当に伐折羅なの?


「なるべく、町から離れていて。海岸へ行くといい。暗くても我慢するんだよ。闇が天喜を隠してくれるから」

「闇……嫌よ、闇は私を飲みこもうとしたのよ」


 天喜は、その時、はっと空を見上げた。黒い影が舞い降りてくる。


 あれは、伐折羅の黒い鳥……


「違うよ。闇は昔から、ずっと黒馬島を守ってきたんだ。ただ、あの紅い灯に惑わされてしまっている。僕が乗った機関車が暴走したのも、そのせいだったんだよ」


「わからない。伐折羅の言ってることが全然、わからないわ」


 また、大地が激しく揺れ出した。その時、炎馬の後方に現われた黒い塊に、町の住民たちが悲鳴を上げた。


「あれは何だ!? 黒馬島の大地が長く伸びて……しかも、炎馬を追いかけてる!」


 炎馬の炎はついに町を焦がし始めた。燃え上がる家々の屋根が空の紅い灯と溶け合って、町は紅一色に染まってゆく。


「あいつらを奈落の底までおとしてやる。地獄よりもっと深くて暗い場所に僕が突き落して」


 伐折羅の声に応えるように、黒い鳥が大きく羽を広げた。


 ― 伐折羅の黒い鳥……機関車が暴走した時に闇をからめとって現われた、あの巨大な鳥 ―


 伐折羅が黒い鳥に飛び乗るのを、天喜はなす術もなく眺めていたが、


「天喜、早く逃げろ! 海岸だ。後で必ず迎えにゆくから!」


 伐折羅の声には逆らうことができなかった。半ば追いたてられるように天喜は、海岸に向かって走り出した。


*  *


 海岸へ……海岸へ。暗くても私はおびえない。闇が守ってくれる……でも、伐折羅は……。


 駆けながら、見上げた空には、炎馬を追う黒い大地が天の道を作りあげていた。天喜はその先端に黒い馬を見つけた時、我慢していた涙がどっとあふれだしてきた。


 ゴットフリー! 黒馬に乗っているのは……彼だ。

 

 あの人がいれば……きっと免れる……この邪悪な紅の炎から…私もそして、伐折羅も!


 海岸までの道には明かりは一つも無い。天喜は聞こえてくる波の音と勘だけをたよりに走り続けていた。

 波の音が一際高くなった時、


 青白い光が見えるわ。


 岩場に薄く輝く光を天喜は、目をこらして見つめた。すると、人のような形がおぼろげに浮かんできたのだ。


「誰かそこにいるの?」


 突然、かけられた声に青白い影は驚いたように振り返った。


「それは、こちらが言いたい台詞です。こんな暗い中で一体、何を……」


 近づいてくる影の輪郭がはっきりと現われた時、天喜ははっと息を呑んだ。緑の髪が海風に揺れていた。顔色はひどく青白いが、それは端正な顔立ちを更にひきたてているように思えた。


 BWブルーウォーター、レインボーヘブンの欠片”紺碧の海”。


「ああ、あの紅の灯におびえて、海岸までやってきたんですね。それにしても……」


 BWは、天喜の頬にそっと手を伸ばすと、おやと表情を変えた。


「お嬢さん、美しいお嬢さん……こんなところであなたに会えるなんて、思いもしませんでした。レインボーヘブンの欠片……”空”……けれども、おかしいですね。あなたは完全な人間で、しかも青天の輝きしか持ち合わせていない」


「レインボーヘブンの空? レインボーヘブンってあの伝説の島の?」


「そう。”青天の輝き”と”星夜の深遠”さを兼ね持った、この世で一番美しい空です」


「レインボーへブンの話は、お母さんからよく聞かされたわ。その島は500年も前に海に沈んだって。でも、虹の向こうに、必ずその島は蘇ると」


 天喜は困惑の表情を浮かべたが、


 そういえば、タルクとジャンもレインボーへブンの話をよくしていた。どうして、彼らまでが、伝説の島の話をしてるんだろうと、私は不思議に思っていた……。


「虹の向こう! あなたのお母さんが、その虹を見たのですか」


「お母さんはいつも、空を指差して……いつか至福の島に私たちを連れていってくれるって。でも、私と伐折羅には何も見えなくて。私は御伽話だと思って、半分も本気にしていなかった」


「あなたにお父さんは……いるんですよね?」


「西の山で死んだわ……でも、何でそんなことを聞くの」


「……いや、ちょっと気になって。でも、もう一つ聞かせて下さい。 伐折羅っていうのは、誰なんです」


「伐折羅は私の双子の弟よ……」


 そう言ったとたん、天喜の目から大粒の涙が流れ出した。


「私の弟が、黒い鳥に乗って行ってしまったの。あの紅の灯を始末するって……あの子を助けて! そんなこと、伐折羅にできるはずがないのに」


 見も知らずのBWに、なぜ、こんなことを言ってしまうのだろう。だが、BWの瞳には、優しさと共に計り知れない力を感じた。天喜は、彼に懇願せずにはいられなかったのだ。


 そんなこともあるものなのか。


 BWは神妙な面持ちで、再び天喜の顔に目をやった。

 

 この娘は、レインボーヘブンの欠片……”空”……と人間の間に生まれた子供なんだ。


「お嬢さん、あなたの名前は?」


天喜あまき


「天喜、そして、弟が伐折羅ばさら。多分、その名はあなたのお母さんがつけたものです。レインボーヘブンの青天の喜びと……深遠なる夜を守る夜叉王……あなたたちは、二人で一つなのですよ。空に昼と夜の二つの顔があるように、天喜と伐折羅はレインボーヘブンの空の血を二つに分けて引き継いでいる。ただ……」


 この娘は確かに、人間だ。多分、伐折羅もそう。それにしても、天喜と伐折羅の母……レインボーヘブンの欠片、”空”……は一体、どこへ行ってしまったのだろう。


 その時、爆音のような大音響が海鳴りの音を打ち消した。海岸の闇でさえも、一瞬、紅く染まり、町の上空から夜の色は消えうせていた。


「怖い。あの紅の灯はまるで黒馬島を憎んでいるよう」


 BWは、紅の光におびえる天喜を包みこむように、彼女の肩を抱いた。


「あの紅の灯……うみ鬼灯ほおずきは人の怖れや憎しみを吸い取って大きくなってゆくのです。だから、怯えないで。強い心を持つ者にあの灯は打ち勝つ術を知らない」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る