第21話 レインボーヘブンの欠片 ”夜風”


 萬屋黒馬亭の2階。


「タ、タルク、タルクっ!」


 息せき切って、部屋に走りこんできた天喜あまきを、タルクはいぶかしげに見た。


「何だ、血相変えて。今度はドラゴンでも出たか?」

「ち、違う。ミ、リュカが……」

「空でも飛んだか?」


 俺は、あいつやジャンが空を飛んでても、別に驚かないぞ。


「そうじゃなくって! リュカって、リュカってまるで別人じゃない!」


 はあ? とまるで合点がいかない様子のタルクに天喜はいらだった。天喜が風呂場で見たリュカは、普段とはまるで違った、銀の髪を輝かせた妖精のような少女なのだったから。


「だ・か・ら……」


 天喜が次の言葉を口にしようとした時、


伐折羅ばさらが帰ってきたよ」


 戸口の方から声がした。振り返って天喜は唖然とする。黄ばんだような白い髪、薄汚れた服。そこには、前から見慣れたリュカが立っていたのだ。


「リュカ、本当のリュカ?」

「天喜、どうしたんだ? お前、変だぞ」


 不思議顔のタルクに、天喜は納得がいかない。タルクは、そんな事はおかまいなしにリュカに話しかける。


「伐折羅はどこへ行ってたんだ?」

「近くの池で服を洗ってたって。レストランの騒ぎで血がついたから」


 伐折羅が洗濯……。天喜は首をかしげたが、よくよく考えてみれば、伐折羅は一年の半分は学校の寄宿舎で過しているのだ。自分で洗濯をしていたとしても不思議はない……でも、どうして池なんかで……?


「……で、伐折羅はどこ?」

「お風呂。気持ち悪いから綺麗にしたいって」


 それを聞いていたタルクは、顔をしかめた。


 気持ち悪い……か……そりゃそうだろう。あれだけの蝙蝠の死骸を見たんだ。しかし、あの血だらけの頭を皿に盛った当の本人にしては、なんだか白々しい言い分だな。それに、もう夜だろ。暗がりの中で洗濯してたっていうのもえらく嘘臭い。


 タルクは、壁にかかった時計に目をやった。

 午後10時。

 隊長とレストランで別れて優に2時間は経っている。「少し用がある」と言った割には時間がかかりすぎているじゃないか。


 窓の外は、とっぷりと闇に覆われていた。月も星も姿を消しているのか、この時間にしては深すぎる闇。嫌な感じだ……闇がはびこりだすと、絶対良くないことが起こるんだ。


「隊長を探してくる」 


 タルクは居ても立ってもいられなくなって、がたんと椅子から立ちあがった。壁に立てかけたあった長剣を背負い上げる。その時、


「ジャン……?」


 ジャンがむくりとベッドから起き上がったのだ。座ったまま、夢遊病者のように宙を見つめている。タルクは驚いてジャンの元へ駆け寄った。


「おい、ジャン、しっかりしろっ!」


 強く肩を揺さぶられて、ジャンは、はっとタルクを見た。


「タルクッ! ゴットフリーを行かすなっ!!」

「待て、お前っ、どこへ行く気だ? それに、隊長の居場所を知っているのか」


 タルクに捕まれた腕を振りほどいて、ジャンはベッドから飛び降りる。


 ゴットフリーの声が……聞こえた。紅い…紅い花の中で……


「ザールの花園だ! 急げタルクっ、ゴットフリーを闇に獲られるぞ!」


 ジャンが叫んだと同時に、するどい金属音が部屋に鳴り響いた。ベッド側の窓ガラスが弾け飛んだのだ。


「な、なに、何っ?」


 驚いた天喜の顔に、冷たい夜風がびゅうと吹きつけてきた。壊れた窓の外から、蹄の音と、かすかな馬の声が響いてくる。


 ― 何をやってるの! 力が戻ったあなたは、もう体から出れない。だから、ここの馬を使って早く行って! ―


 ジャンははっと宙に目を向ける。


 この声はレインボーヘブンの欠片 ”夜風”!


霧花きりかか? 馬って、黒馬亭に飼われている馬のことか」


 何もない場所に向かって話すジャンを見て、天喜は大きく目を見開く。


 ジャン、夜風に向かって、話しているの……?


 そうとしか思えなかった。なぜなら、黒馬亭の2階の部屋に吹きつけてくる風には天喜でさえも意思を感じた。怒っている……、窓ガラスを叩き割るほどに、この風は怒っている。


 ― 窓の下につれてきたわ。だから早く! ―


「解った。タルクっ、お前も来てくれ!」


 ジャンは、タルクの太い腕をぐいと掴むと窓際へ引っ張っていった。ガラスのない窓を大きく開け放つ。窓の下には霧花のいうとおり、一頭の馬が彼らを待ち構えていた。


「タルク、飛び降りるぞ!」

「おいっ! ここは2階だぞ」

「だって、僕は馬の扱い方をしらない。だから、お前が乗せてくれ」

「そうじゃなくて、お前と違って、俺がここから飛び降りれるわけがないだろ!」


 タルクは身長2mを軽く越える大男だ。おまけに背には馬鹿でかい長剣まで背負っている。


「大丈夫だから、さっさと、飛び降りろっ!」


 ジャンは、有無をいわさずタルクを外へ突き飛ばした。見かけは子供でもジャンの力は岩をも動かす。


「リュカ、後から来てくれっ!」


 そう言い残すと、窓辺に駆け寄った天喜の頭を軽々と飛び越えて、ジャンもタルクの後に続いた。

すると、


「タルクが空を飛んじゃった……」


 あの大男のタルクが、ふわりと空を舞い下の馬に飛び乗ったのだ。ジャンは、いとも簡単にその後ろに着地した。


 リュカが空でも飛んだかって……


「タルク、あんただって、そうじゃない」


 天喜はあまりの光景に目を白黒させて、タルクとジャンを乗せた馬が駆けて行く様を見送るのだった。



*  *


 タルクとジャンを乗せた馬が、闇の中を駆け抜けてゆく。


「おい、この馬、本当に黒馬亭の馬か? サラブレッド並のスピードじゃないか!」

「気にすんな!風に乗っているだけだから」

「それに、窓から落ちた俺を支えた奴がいる」

「以外と力持ちだろ」

「それって誰なんだ!!」


 いらだつ心をぶつけるように、タルクは馬の胴体に蹴りを入れる。知らない事が多すぎる。俺はゴットフリー隊長の一の従臣だっていうのに。


「ジャン、隊長を見つけたら洗いざらい話してもらうからな」


 乱暴なタルクの馬術に、ジャンは苦い笑いをもらす。

 

 ザールの屋敷が目前に迫ってきた時、夜目が効くジャンが大声で叫んだ。


「花園が燃えている!」

「何だって!」 

「いけないっ、あそこにはゴットフリーがいる」


 紅い花園から、無数の火の粉が沸きあがっていた。それらが描く炎の渦が一つ、二つと烙印を押すように夜空に広がってゆく。


 花園への扉は堅く錠で閉ざされていた。


「タルクっ、つき破れっ!!」

「とっくに、そうするつもりだよ!!」


 タルクは、長剣を背から引き抜くと馬の背から、それを扉に振り下ろした。そして、扉をトタンの壁ごと切り裂くと、突っ込むように花園に馬を走らせた。


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