第2話 萬屋黒馬亭
黒馬島には、意外にも緑の平原が広がっていた。
海へせり出している黒土とは裏腹に、入り江から続く低い丘には、芝のような丈の短い草が続いていた。その丘の向こうからは、甘い花の香が風にのって流れてくる。
なんだ、平和そうな島じゃないか。もっと怪しい土地を想像してたぜ。
リュカの後をゴットフリーと一緒に追いながら、タルクはほっと息をついた。右の肩には2メートル長の剣をかかえ、背にはジャンを背負っている。その重さはタルクにとっては気にするほどでもないらしい。ジャンは眠っているようだった。
「隊長、あの娘はどこまで行く気ですかね」
「さあな、ついてこいと言うから、そうしているだけだ」
「隊長、俺はまだ、こいつらのことが、よく分からないんだ。そんなに信用しちまっていいんですか」
「お前が、勝手に付いて来たんだ。今更、何を言う」
ゴットフリーは薄く笑ってタルクの方を振り返る。長身であるにもかかわらず、巨漢のタルクと比べれば、ゴットフリーは頭二つは小さく見えた。
「まあ、あきらめろ。ここまで来て、一人で後戻りするわけにもゆかないだろ」
「隊長ぉーー」
「情けない声を出すな。それと、俺を隊長と呼ぶのは、もう止めろ」
「そんな……隊長は隊長です!」
タルクの家はガルフ島でも、貧しい農家だった。そんな家の長男に生まれたのだ。働いても少しも楽にならない暮らしと、兄弟姉妹の世話に明け暮れる毎日に嫌気がさしたタルクは18で家を飛び出した。
行くあてもなかったが、腕には覚えがあった。そんな時、彼を受け入れてくれたのがガルフ島警護隊だった。
タルクがゴットフリーに初めて会ったのは、警護隊の認証式の日だった。自分より年下にもかかわらず、彼はすでに隊長と呼ばれていた。
― どうせ、島主リリアの七光で奉りあげられた若造だろう ―
そう高をくくっていたタルクは、彼の姿を見るなり、目をみはった。
灰色の瞳が自分の方へ向けられる度に、心の中を見透かされているような気がする。タルクは心臓の鼓動は高鳴った。
冷静だが、大胆。そして、的確
隊長の直属隊として、働くにつれ、ゴットフリーへの侮りの気持ちは、それらの文字へと変わっていった。それ以来、タルクはゴットフリーを隊長と呼ぶことに違和感を抱いたことは一度もなかった。
「ここには、ガルフ島警護隊はもうないんだ。お前一人が俺を隊長と呼ぶのは変だ」
「でも、他にどう呼んだらいいんです?」
「ゴットフリーと」
「とんでもないっ! そんなことはできません」
タルクは天変地異が起きたように目を見開いた。ゴットフリーは、あきれたような顔をする。
「その敬語も止めろ。うっとうしい」
「そんな――」
「敬称や敬語などというのは、集団の規律を守る為に使うものだ。年齢、階級、身分……、明確な上下関係を口頭で示すことで人は自分の位置を定め、そのように行動する」
「は?」
「だがな、ここには俺とお前とジャンとリュカ、たった4人しかいないんだ。こんな小さな集まりに階級も何もあったものではない。そんなものはかえって邪魔だ。だから、もう、俺を隊長と呼ぶのは止めろ! 敬語も使うな」
「でも……習慣になっちまってるんですよ。それをいきなり変えろと言われても……」
心底困った顔をして、タルクはゴットフリーを見つめる。
「それに隊長を隊長と呼ぶことが、私にとっては安心なんです。心の支えというか……お守りのような物で」
タルクの言葉に今度はゴットフリーが解せない顔をする。
その時、タルクの背が小刻みに揺れた。
ジャン?
タルクは、タルクは、
「お前、笑ってやがるな!」
「だって、お前らの話があんまり、面白いもんだから」
ジャンは、タルクの背から顔をあげると、にこと笑顔をみせた。
「もう、降ろしてくれていいよ。リュカの所へ行くから」
リュカは、先に見える小高くなった丘の大木の下でジャンたちを待っていた。
「お前、もう大丈夫なのか」
「海にいるより、ずっといいよ」
だが、タルクの背から降りた時のジャンの足元はおぼつかない。ふらりと倒れそうになったその腕を捕まえたのは、ゴットフリーだった。
「いらぬ迷惑をかけるくらいなら、黙ってタルクに背負われてろ」
ジャンは笑う。
「ここは黒馬島だろ。だから、大丈夫。僕のことは気にしないで」
* *
「なんだ、あの緑の平原はやっぱり見せかけか……」
ジャンとリュカと別れ、島の小道をゴッドフリーと探索しながら、タルクはぽつりとつぶやいた。
進むにつれて、足元の柔らかい土の感触は消えうせ、ごつごつとした岩のような地盤ばかりが目立ってきた。
「これは、溶岩だな。 度重なる火山噴火……溶岩が冷え、上に土が堆積し、また溶岩が流れ込む。その繰り返しが何年も続いてこの島を作ってきたのだろう」
「しかし、隊長って、色んなことをよく知ってますねー」
タルクはそう言った後、あっと気まずそうに口に手をあてた。
いかん……隊長という言葉も敬語も使うなと言われたばかりだった。
ゴットフリーは、眉をしかめタルクを見すえる。気まずい空気に耐えかねてか、タルクがぼそぼそと口を開いた。
「あの……すみません。俺はどうしても、できないんです。敬語を使うな。隊長と言うなといわれても……」
ゴットフリーは、わずかに俯き、薄い笑いを浮かべる。
「そうか……規律、礼儀、絶対の服従。それは俺が散々使ってきた言葉だ。いきなり総てを止めろといわれても困るのはお前か」
「隊長?」
「……だが、少しずつなら変えられるか」
「それは……はあ、時間をいただければ、なんとか……」
「そうか、頼む」
タルクは思わず自分の耳を疑った。
た、頼む? 隊長が俺に? 頼むだなんて……今まで一度だって言われたことがなかったぞ。…… 隊長は噂されているほど冷酷ではない。それは分かっていたが、こうもあらわに態度に示すなんて……?
タルクは信じられない気持ちでゴットフリーを見つめた。
変わってきている、この人は。あのジャンと出会ってから……。
その時、一羽の白い鳥が二人の頭をかすめて飛んでいった。ゴットフリーは、その後ろ姿へ目を向ける。
白い鳥が飛んでいった先に、看板が見えた。
―
「おあつらえ向きの店があるな。ちょっと、行ってみようじゃないか」
それは、古い石造りの商店だった。
* *
辺りには建物は一件も見当たらない。
”萬屋黒馬亭”
と、書かれた木製の看板の文字は、部分的に脱色し剥げ落ちてしまっていた。所々欠け落ちた壁には、深い緑の蔦がびっしりと這い登り、それらは煉瓦を敷かれた屋根へと続いていた。
「ずいぶん、古い建物なのに、あのモダンな屋根はなんだか不釣合いですね」
タルクの言葉にゴットフリーも同感だった。なぜなら、”萬屋黒馬亭”の煉瓦の屋根には普通の2倍はありそうな天窓があったのだ。
「おい、タルク、あれは、どういう趣向だ。あの天窓の中には剣が
「あ、本当だ。陽が眩しくて気づかなかった。でも、窓の飾りにしてもあんな所に剣を置くなんて妙ですね」
ゴットフリーは、食い入るように天窓の剣を見つめていた。そして、にやりと笑っって言った。
「面白い。ここにはきっと何かがある」
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