第35話 伝説の裏側

 急に吹いてきた風はゴットフリーの言葉を遮るように吹きすさんだ。それと同時に、天空に広がったアイアリスの像が薄く陽炎かげろいだした。


― 虹の道標は、あなたたちをもう導き始めている。あの虹はゴットフリー、お前が生きている限り輝き続ける。お前が死ねば虹も消える。だから、生き急ぎなさい。あなたは生ある限りレインボーヘブンを探す運命なのです ―


 そして、アイアリスの姿は空の中へ吸い込まれるように薄くなった。

 ジャンは叫ぶように言った。


「消える前に教えてくれ! あなたは、ゴットフリーを王に選んだ。それなのになぜ、伝説はレインボーヘブンはその住民だけのものと伝えているんだ!」


 だが、すでにアイアリスの姿は空にはなく、その答えは返ってこなかった。

 ジャンとゴットフリーはしばらく言葉もなく、その場に立ち尽くした。


「強引なやり口に唖然とするぜ。きっと、あの女は伝説に残したくなかったんだ。女神アイアリスの失敗を」


 ゴットフリーは吐き捨てるように言う。


 ジャンは、そのあまりの言いように、思わず吹き出してしまった。


 女神アイアリスもこの男にとっては“あの女”か。だが、リリアの館にあった『アイアリス・レジェンド』……あの本は真実を語っていた。

 女神アイアリスは己の良心の証として、唯一冊だけ真の伝説を残したんだ。そして、“黒馬島くろうまとう”で僕にレインボーヘブンの伝説を伝えたあの“占い師”。あれは、女神アイアリスの化身に違いない……きっと、彼女も探し続けているんだ。ちりぢりに散らばってしまった、レインボーヘブンの欠片たちを。


 ジャンは、ゴットフリーをまっすぐに見て言う。


「ゴットフリー、一つ聞いてもいいか」


 妙にかしこまった口調の少年に、ゴットフリーは怪訝そうな顔をする。


「お前は確か、幼い時に島主リリアに拾われたと言ってたな。その時、お前は一人だったのか」

「頭でも打ったか……この非常時に何を言い出す気だ」

「全然、正気だ。大切な事なんだ。答えてくれ!」

「馬鹿馬鹿しい! 戯言を言うな」


ゴットフリーは憮然としてそっぽを向いてしまった。ジャンは、その横顔を見すえ、口をつぐむ。


 紅い髪……ココと同じ。ココの父は海賊。ロケットの写真とゴットフリー、そして、その本性は、闇、略奪者たちの長。きっと、どこかで繋がっている……ココとゴットフリーは。


 その時、海岸の方からいくつかの人影が見えてきた。その中の一人が、大急ぎでこちらへ駆けてくる。


「あれは……タルク! 無事だったのか!」


 ゴットフリーは、自分の忠臣である大男の姿を見て破顔した。その後ろにも見知った警護隊の顔がある。


「隊長、よくご無事で……」


 ゴットフリーの元へ駆けよってきたタルクは目に涙をいっぱいにためて、上官の手を握り締めた。


「お前、よく生きていてくれたな!」


 ゴットフリーは強くその手を握り返す。だが、次の瞬間、顔を曇らせ言葉を続けた。


「島主……リリアは……?」


 無言で首を横に振る家臣にゴットフリーは、そうか……と声にならない声でつぶやいた。タルクは言った。


「隊長、住民も少しは生き残っています。早くみんなの所に行って下さい」


 だが、ゴットフリーは首を横に振ると、タルクの肩を軽くたたいて言った。


「生き残った者たちは、近隣の島へ一時、避難させるといい。交渉はお前に任すが、まだ、島を閉じる前にリリアや警護隊に恩義のあった島主なら、どうにか受け入れてくれるだろう」

「それなら、隊長も俺たちと一緒に来てください!」

「駄目だ。俺はジャンとレインボーヘブンを探しに行かねばならないんだ」


「レインボーヘブン? 伝説の至福の島になぜ、隊長が?」


 ゴットフリーは、その問いに黙って東を指差した。七色の虹が空に弧を描いている。


「あれが呼んでいるんだ。レインボーヘブンを見つけたら、お前とみんなを必ず呼んでやる。だから、使える船をさっさと探し出してこい!」


 タルクは狐に包まれたような顔をしている。そんな大男にジャンは笑って言った。


「早くしろ! 時間は限られてるんだ!」


 タルクは苦手なジャンに大声をあげられて、慌てで仲間の方へ駆けて行った。


*  *


「レインボーヘブン……なぜ、誰もがその地を求めるのだろう」


 ゴットフリーは、背後から声をかけてきたジャンの方を振りかえりもせず、黙って虹の道標を見つめている。


 灰色の瞳を持つ、その男は何も答えなかった。


 だが、かすかに胸に伝わってきた感覚にジャンは目を細める。ジャンは、にこりと快活な声でゴットフリーの名を呼んだ。


「何だ、いきなり」


 ゴットフリーは迷惑そうに、少年の方を振りかえる。


「知っているか。僕はレインボーヘブンの大地なんだ」

「どういう仕組みかわからんが、そうらしいな」

「気付いていたか? お前やみんなが憧れてやまないレインボーヘブンは”この僕”だってこと!」


 一瞬、言葉を切り、ゴットフリーはあからさまに嫌な顔をした。


「なるほど、そう聞くと行く気が失せるな」


 ジャンは声をあげて笑った。


「心配するなよ。僕はレインボーヘブンのいすずえにすぎない。完全ではないんだよ」


 小馬鹿にしたような一瞥を送ると、ゴットフリーは知らぬ顔でタルクが走っていった方向へ歩きだした。ジャンはその後姿を見つめて思う。

 

 “レインボーヘブンへの真の道標を見つけなさい。そして、一心にその道を進めばいい。あなたはきっと、その過程で足りない箇所をおぎなってゆく”


 霧花が言った言葉、そして、なぜ、女神アリアリスが僕を人間の姿にしたか……僕は今、その意味が少しわかるような気がする。


 人間になる前、僕はレインボーヘブンの大地として、ただ漠然と息づいているだけの存在だった。

 もちろん、自分の豊かさ、その地に住む人や動物たちの満たされた心……それは知っていた。しかし、僕の中で暮らしている一人一人の事なんて考えた事もなかった。

 だが、今は痛いほど伝わってくる……ココ、ゴットフリー、サライ村の人々……霧花きりか、そしてBWブルーウォーター……それぞれの心の奥が。

 レインボーヘブン、万民が憧れる至福の島。それはきっと、人々の心の拠所よりどころなんだ。

 僕は、他の六つの欠片と共に、そんな人々の心を受け入れてあげたい……そして、至福と呼ばれる島をゴットフリーに託したい。彼は女神アイアリスが選んだレインボーヘブンの王……人々が間違った方向へ進まないための真の統率者なのだから。


 ジャンは、にこりと笑顔を見せるとゴットフリーの後を追うように歩きだした。

 その時だった。

 白っぽい人影がぴょこんとジャンの横に飛び出してきたのだ。


「リュカ! お前、どこへ行ってた」


 それは、BWとともに海に消えたリュカだった。ジャンはその姿を見てくすりと笑う。


「お前、少し大きくなったか」


 そして、付けたすように言った。


「悪かったな、弟なんていって。リュカ、お前って女の子だったんだ」


 肩まで伸びた薄銀の髪、そして、こぼれおちそうな青い瞳……どこかで会った事があるような……不思議な少女。


 リュカはジャンの手をそっと握った。その手がかすかに蒼くなる。その瞬間、はっと顔を上げて、ジャンはリュカを見やった。そして、破顔した。


 力が沸いてくる。まだ、僕の力は尽きてはいない。


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