第10話

昼食を食べに階段を使って6階の社員食堂へ向かった。


落ち着きを取り戻しつつあるものの高橋のような人間と今後も一緒に仕事をしなければならないのかと思うと階段をのぼる足取りが重くなり、みぞおちがズキズキ痛みだした。




俺は食券を使いAランチを注文する。

肌荒れしている調理師の男性は俺がAランチと発声する前に「Aランチ入りました。」ともう1人の愛想の良い中年女性調理師にハキハキした声で伝えた。


もう半年以上、Aランチしか注文していない為、調理師は俺がAランチしか注文しないと思っているのだろう。

今では俺の顔を見ると勝手にAランチの準備をしている。

その日のメニュー表を見てあれこれ悩む事はない。

食べ物に好き嫌いもない俺は出来上がったAランチをただ食べるだけだ。




4人がけのテーブル席でサバの味噌煮をつっついていると関連会社の社員、2名が向かいの別のテーブル席に座っており今朝の大量の破損事故について話しているのが聞こえてきた。


午前中に起きた事故なのに、もう情報は回っているのか。

前回の事故の時もそうだが通常なら事故を起こした本人と責任者、目撃者がいたら目撃者も含めて会議になる。

皆に伝わるのは、だいたい翌日の朝礼だ。


今回は情報が伝わるのが早いなと疑問に思ったが、あれだけの事故だし早めに伝えたのだろうと思いながらサバの味噌煮を口に入れた。塩っぱかったのですぐ水を飲みあまり噛まず流し込んだ。


周囲の騒音のせいで彼らの話は所々ハッキリ聴き取れなかったが破損事故を起こした作業員は誰なのか知っているような口調だった。

彼ら2人のうち、大柄で坊主頭の作業員が破損事故を起こした人物を犯人と言っていた。

「事故は仕方ねーよ、そりゃ。人間はミスをするよ。

俺だって、ここの会社ではねえけど前の職場でやっちまったもん。でもちゃんと報告したぜ!今朝の件は誰が犯人かは既に知って…。」

ここで、事務所で働くオシャレでアイドルのような20代の女性事務員がバカでかい声で、地味な30代後半の女性事務員にマウントをとっていた。

内容は港区在住で会社経営をしている男のベントレーに乗ってドライブをして都内の有名な寿司屋に行ったあと、男の住むタワマンから夜景を観たとかどうでもいい話だった。



''私は可愛くない"とか"25歳だからもうおばさんなのになぜかモテる"と連呼するマウント女性のせいで肝心な話が聞こえなかった。

偶然聞こえた関連会社の社員らの話す今朝の事故についての件が、すごく気になって仕方ない。


俺は味噌汁の味噌が沈澱しているのを箸で軽くかき回したり、ご飯を勢いよく口にしたりした。

どうもその仕草が下手な演技をしているようで、自分でもよそよそしく思った。

誰かに挙動不審だと思われてしまうのではないかと心配するほど気になってしまっていた。

社員食堂にいる人々は恐らく俺の事なんて気にもしていないだろうが、2人の作業員の話を盗み聞きしているのをバレてしまうのが怖かった。

この場に趣味が"人間観察"と平気な顔で自慢げに自己紹介出来てしまう悪趣味な輩がいるわけがないと自分に言い聞かせつつ、ぎこちなく食事をしながら彼らの話に耳をそばだてていた。


関連会社のニキビがたくさんある社員の1人が興奮して話している。

「もし、彼の言うことが事実だったとしたら犯人は吊し上げだな。」

「吊し上げっちゅうか、#クビだろ__・__#。」大柄で坊主頭の男が答えた。


「そうなのかな?クビになるか?確かに大量の破損事故ではあったけど、この手の現場ではありがちな事故だろ。

やらかした人は辞めたとしても以前のように、いたたまれなくなって辞めるだけだろ?クビではなくさ。」ニキビ面が更に興奮しながら言った。


俺のテーブル席から見て大柄で坊主頭の男は俺に背を向けて座っている。

後ろ姿だけなので彼の表情が分からないが、首を早く横に振って否定する様を見てどんな表情でニキビ面の発言を否定したか何となく分かった。


「クビだよ!クビ!犯人は隠蔽してんだからな。

隠蔽はここの職場じゃもうアウトだって!前代未聞だぞ。」


「確かにな…。」ニキビ面が冷静さを取り戻して納得した。


彼らの話を聞いて、やはり高橋が大量の破損事故を起こして隠蔽しているのだなと俺は思った。

大柄で坊主頭男の言っている事は信憑性がある。

以前に比べ"やらかした人"に対して厳しくないが隠蔽などした場合、この会社なら解雇宣告はするだろう。


そうなると高橋はクビだ!

サバの味噌煮の味噌を少しご飯につけて一口で食べた。

とても美味く感じる。


幼い頃、テレビで放送していた料理番組に有名な料理人達が出演していた。

プライドをかけて作った美味しそうな料理を美食家にふるまっていた。

視聴者は、ただただ料理を作っている時の迫力や画面からでは食べることの出来ない料理にゴクリと唾を飲むだけだ。


俺は今、番組の視聴者ではなく権威ある美食家のような気分に浸っていた。

300円で食べられる社員食堂のAランチのオカズであるサバの味噌煮を天才料理人が作ったもののように優雅に食べていた。


高橋…ようやく俺は暴力的で狡賢い、クソ野郎のお前から解放される。

ミスをした後、バレバレの隠蔽を図るとは愚かな行為だったな。

さんざん俺を苦しめた分、バチが当たったんだ。



これで俺は仕事に集中出来る。

時代は鎌倉時代から平安時代に一気に変わるんだ。

そんな事を考えながら一口分しか残っていないサバの味噌煮を口に運んだ。

口いっぱいに塩っぱい味が広がった。

俺は先ほどのように水を飲まず、いつもより数回多く噛んだ。

飲み込む際、名残惜しいとさえ感じた。


高橋が職場から消えるのが嬉しくて、こんな気持ちになったのだろう。


しかし、一つ疑問がある。

あのニキビ面の社員が話した"もし彼の言う事が事実だったとしたら犯人は吊し上げだな"と言った事が少し気になりはじめた。

いったい"彼"とは誰だろう?


誰かが、この2人に直接話したのか?

或いは、その"彼"がこの2人の上司に話て上司が2人に伝えたのかもしれない。


それとも社員食堂が騒がしかったから俺の聞き間違いだったのか?


今は昔と違い事故を報告しても誰がやったミスか一部のお偉いさん以外には名前を伝えてはいけない規則がある。


俺は高橋がやったのだと思っているが、今朝の段階では誰がやったミスか分からない状況だったはずだ。


それにも関わらず今朝のメンツの中に、規則を破り関連会社に密告した人物がいる。


モヤモヤする気持ちを抑えて俺は、おぼんを下げようと席を立ち上がった時だった。

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