ランプの魔人

オニキ ヨウ

「ランプの魔人」を読む

アラビア砂漠の洞窟に、魔法のランプが隠されている。


古びたそのランプには魔人がんでいる。


ランプをこすると魔人が出てきて、お願い事を三つ叶えてくれる。


 


この話の元ネタは、「アラビアン・ナイト」というイスラムのお伽話とぎばなしらしい。


夢の国のアニメ映画で一躍有名になったので、日本人の僕でも知っている。


知らない人もいるかも知れないので、一応、説明を加えた。


 


僕は今、ランプの魔人を前にしている。


場所は中東の某・洞窟。


ランプの魔人に会ったというYouTuberの動画を見て、はるばる現地まで足を運んだ。


日本の大学生は暇なのだ。


古びたランプをこすると、もくもくと煙が吹き出し、ランプの魔人が現れた。


筋肉質の青い体、長く伸びたヒゲ、頭の後ろで結ばれた細いポニーテール。ふっくらしたパンツを履いた足は、ランプの先端とつながっている。


YouTuberが言っていた通りだ。彼の証言がすべて事実だとすると、願い事を三回叶えてくれる。


ランプの魔人は腕組みをして僕を見た。


「我はランプの精、そなたの願いを三回叶えよう」


知ってる、と僕は思った。


ランプの魔人はおごそかに続けた。


「そなたの願いは何かな?」


日本語を喋っている、と僕は思った。


魔人の顔はエキゾチックだ。日本でスパイスカレー屋を開いている外国人シェフと似た、中東系の顔立ち。


なんで日本語を喋れるんだ? 日本に滞在経験があるのか? まさか超自然的な力で、瞬時に言語を習得できるとか?


「どちらでもない」


僕の心を読んで、ランプの魔人は答えた。


「思念を送っている」


「思念?」


「我の思念をそなたが母国語で感受している」


えっ、そうなん? よく分からないけど、便利な機能だ。


「そなたの願いは何かな?」


改めて魔人は思念を送った。


「そなたの願いを三回叶えよう」


「ちょっと待って」


僕は慎重に言葉を選びながら言った。


「まずは魔人さんの力が本物か知りたいです」


「我の力は本物だ」


「ですから、その力を証明してくれませんか」


魔人はしばらく考え、少女に姿を変えた。とても美しい少女だ。僕の好きなアイドルや女優を混ぜ合わせた、ど直球のルックス。


アイドル風にカスタマイズした日本の制服を身につけている。


「そなたの好む風貌を実現した」


声も美少女アニメの声優さんみたいに可愛い。


――ランプの魔人に〝あなたの力を証明してほしい〟って言うとあなた好みの美少女に変わってくれますよ! 願い事のカウントはなし! めちゃくちゃお得です! お願い事をする前に試してみることをおすすめします!


例のYouTuberが言っていた通りだ。一回分、得をした。


「我の力が本物だと分かっただろう?」


美少女が上目遣いに僕を見上げる。


はい、大変よく分かりました。ありがとうございます。


メロメロになりながら僕は礼を言う。


そして願い事を考えるふりをしながら、魔人の美少女を連れて帰国する。


彼女は僕以外の人間の目に映らないらしく、一人分の飛行機代で日本に戻ってくることができた。これもお得といえばお得だ。


例のYouTuberは「何を願うか迷っている」とお茶を濁しながら一年近く魔人の美少女と共同生活を送ったらしい。魔人は動画に映らないそうで、彼女との生活を生配信できないのが残念だと言っていた。


僕もギリギリまで願い事を先延ばしにして、美少女化した魔人と一つ屋根の下で暮らそうと考えている。


ランプの魔人は風呂に入るのだろうか。


ぜひ入ってほしい。


水垢まみれのユニットバスを掃除しながらうっとりする。


ラッキーな展開が、起こりそうな予感。


荷解きしていないバックパックの上に乗ったランプを見てにやにやする。


しかし、風呂を掃除しているうちに、頭が冷えてきた。


頭というか、気持ちというか。


なんだか色々、えてきた。


外見が美少女でも、中身はランプの魔人――おっさんだ。


初めて会ったとき、ランプの魔人は筋骨隆々のおっさんだった。顔立ちもいかつく、声も太かった。おそらく、あれがデフォルトの姿なのだろう。


美少女に様変わりしても、喋り方はおっさんのままだ。


おそらく、思考回路もおっさんのままであるはずだ。


考えるな。⁠⁠細かいことを気にしたら終わりだ。余計なことを考えるんじゃない……いくら自分に言い聞かせても「中身はおっさん」と言う事実が容赦なく浮き上がってくる。


ネカマ。今では死語となりつつあるネットスラングが頭を離れない。バ美肉おじさん。恐ろしい禁句に辿り着く。


「ランプの魔人さん」


名前を呼ぶと、ランプの中から少女が飛び出す。僕の理想を詰め込んだ、非の打ちどころのない美少女だ。


「主人よ、願い事は決まったか?」


「決まってません……」


僕の声は蚊の鳴くように小さい。


「焦ることはない。熟慮せよ。ゆめゆめ後悔するでないぞ」


美少女の顔に、中東系(アラビア人?)のおっさんの顔がかぶる。


魔人がランプの中に吸い込まれた瞬間、僕は無理になってしまった。


 


ランプの魔人には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。彼は何も悪いことをしていない。


むしろ、僕の願い事を叶えようとしている。


でも、なんか、生理的に、無理になってしまった。


申し訳なく感じるほど、僕はランプの魔人がダメになってしまった。下世話な例えで恐縮だが、ゴキブリと同じくらい目にするのも嫌になっている。


関係を断ちたい。思念を交わしたくない。視界に入れたくない。そんな気持ちでいっぱいだ。


願い事を叶えてもらうのも、もういい。


魔人さんには本当に申し訳なく思っている。しかし、これは生理的・動物的な問題だ。


変身した少女があまりにかわいすぎたことも、嫌悪の一端を担っているかもしれない。美少女とおっさんのギャップの差が、僕の生理的無理ゾーンに食い込んでしまった。


僕は魔法のランプを押し入れの中にしまい込む。


このまま魔法のランプのことを忘れてしまいたい。ご主人様の権利も放棄して、なかったことにしてしまいたい。


魔人は怒るだろうか。


魔法のランプの使用ガイドラインなるものがあるとしたら、規約に違反するだろうか。


罰金とか、取られたらどうしよう。


そんなことを悶々と考えるうちに、一ヶ月が過ぎてしまった。


痺れを切らしたランプの魔人が、美少女の形を保って出てきた。


「主人よ、願い事は決まったか?」


「その変装をといてください」


魔人からできる限り目をらして僕は言った。


「一つ目の願いはそれでいいです」


魔人は美少女の変装を解いた。青いガチムチの中東系のおっさんの姿に戻った。


しかし、僕の生理的な嫌悪感は治らなかった。


「二つ目の願い事を聞こう」


ずずい、と魔人が迫る。


圧がすごい。


――このままお帰りください。


――そして祖国の洞窟で、新しい主人の来訪を待ってください。


――これが二つ目と三つ目の願い事です。承認してください。


強い思念を送ったが、魔人は感受しなかった。僕からは思念が届かないのか。あるいは「帰ってほしい」という思念を魔人側が無視しているのか。願い事を口に出すのははばかられる。そこで数分待ってみたが、魔人は一向に態度を変えない。


さらに顔を近づけ、問うてくる。


「主人よ、二つ目の願いはなんだ?」


やめてほしい、パーソナルスペースを侵害するのは。


これは魔人のおっさんに限らず、デリカシーのない日本のおっさんにも言えることだ。他人との距離感を考えられない人と話すのは、ちょっとした恐怖だ。


僕はさりげなく玄関にまわって靴を履き、行くあてもなく外に出る。


魔人も後をついてくる。


背後に感じる圧がすごい。


心を乱されたせいで、前方不注意で電柱にぶつかる。


めちゃくちゃ痛い。


魔人は気が効くタイプではないらしい。無表情のまま、痛がる僕を見下ろしている。


「おおっと! おいおいおいおいおい、アル! どーこ見て歩いてんだよ! ひゅ〜(口笛)! このジーニー様がいなかったら大変なことになっていたぞぉっ!」


……などと言わない。


ミュージカルシーンは皆無だ。


早くお帰りいただきたい気持ちが募る。


痛みに呻きながら僕は言う。


「この怪我を治してください……」


スッと痛みが消えた。怪我の巧妙。どさくさに紛れて、二つ目の願いが叶った。


あと一つだ。


ノルマのように感じながら、願い事を考える。あと一つ、あと一つお願い事をすれば、魔人にお帰りいただける。


生理的に無理になってしまった相手だ。大きな借りは作りたくない。


億万長者になりたいなどと願ってしまえば、大金を使うたび、魔人のことを思い出してしまうだろう。


願うなら、今後の人生に影響を与えない、ささやかなものがいい。


電柱のそばにしゃがみ込んで、思案に暮れていると魔人が言った。


「主人よ。そなたの願いは、我が叶えたものの中でも清貧せいひんな部類に入る」


「そ、そうですか?」


「金銀財宝、酒池肉林しゅちにくりん……あらゆる欲望が叶うというのに」


「何が言いたいの?」


「我はこの腕を大いにふるいたく思う」


再び迫る魔人の顔。向上心の塊だ。本人にそのつもりはないのだろうが、真正面から凄まれて僕はビビる。


体育会系の人って、苦手だ。


特に周囲を巻き込んで、上を目指したがる人。


高校時代のクラスメイトに、みんなが文化祭の準備を手伝ってくれない! と言って泣き出した女の子がいた。


私はこんなに頑張っているのに! どうして分かってくれないの! と彼女は地団駄を踏んでキレていた。周りはすごい引いていた。例に漏れず僕も引いた。


魔人もそのタイプなのだろうか……だとしたら、かなり厄介だ。


適当にあしらって逆ギレされたら、かなり面倒くさい。


「そなたの本当の願いはなんだ」


魔人が迫り来る。


僕は電柱に背中をぶつける。


逃げられない。


「すごく言いにくいんですけど……」


僕は観念する。目を閉じて、きっぱりと告げる。


「帰って欲しい」


「帰る?」


「洞窟に帰って欲しい」


「我を元の場所に戻したい」


「そう」


「何故だ」


魔人は理由を求める。納得しないと動かないタイプだ。雰囲気に流されやすい僕とまるで違う。


やっぱり生理的に合わない。


無理だ。


しかし、無理だとも言っていられない。頭をフル回転させて、それらしい理由を捻り出す。


「一ヶ月かけて、願い事を考えてみたんですけど、何も浮かびませんでした。他力本願で願いを叶えてもらうの、どうかなって思っちゃって。宝くじで何億も当てた人って、悲惨な末路を遂げることが多いじゃないですか。あんな風になったら、嫌だなって」


付け焼き刃にしては、すごくそれらしい答えが浮かんだ。ひょっとしたら僕の本心も混じっているかもしれない。少なくとも、宝くじの高額当選者がたどりやすい末路になるのは嫌だ。


恐る恐る目を開けると、そこに魔人の姿はなかった。


青い筋肉質のおっさんは、ランプとともに煙のように消えていた。


 



魔人は納得したのだろうか。


それとも怒ったのだろうか。


ちゃんと祖国に帰ったのだろうか。


そもそも僕の願いは承認されたのか。


ひょっとしたら、僕の目にも映らない形で、近くに潜んでいるのでは?


一晩、さまざまな思いをめぐらせたが、何の結論も出なかった。


モヤモヤしながらYouTubeチャンネルを開設して、一連の出来事を話してみたら、二万回ほど再生された。


これにはかなり驚かされた。


「魔人と会ったことも面白いけれど、配信者さんの考え方がいい」といった感想が、コメント欄に散見された。


「他力本願で願いを叶えてもらうの、どうかなって思っちゃって」という部分だ。


咄嗟に出た言い訳が、視聴者に美徳として捉えられたようだ。


そこで調子に乗ってゲームの実況動画も上げてみたが、三百回も再生されなかった。YouTubeの収益化は難しい。ただ、魔人のコンテンツは伸びそうだから、僕と彼との関係に絞った動画をUPしたら登録者が増えるかもしれない。


魔人との日常を語り尽くすとか。


魔人を入手する手順を詳しく解説するとか(先駆者がいるけれど)。


魔人についての質問に生配信で答えます、とか。


しかし、僕はそれをしない。


彼との思い出は自分の胸の中だけに秘めておく……という、ほの温かいポリシーからではない。


生理的に無理だからだ。


これ以上、深い話をするのも無理だ。


魔人のことは他のYouTuberに任せ、僕は再生数の回らないゲーム実況を続けようと思う。


日本の大学生は暇なのだ。


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