022 > 厳戒態勢の洋館


 辰樹を迎える洋館では厳戒態勢が敷かれていた。

 彼のヒートが並大抵のものではないことを、この家にいる人間は知っているからだ。


 家政婦のおとよはヒートの影響を受けない高齢のΩであるため、辰樹がヒートの時と『託宣』の時は準備と不足の事態に備えて待機している。だがそれも、深夜になると帰宅するのが常であった。


「辰樹ぼっちゃんが……」


 心配そうな声を出したのは無論、お豊の方だった。辰樹を乗せたベンツが向かってる最中に岩清水からの連絡を受けた野上のがみが厚みのある体を揺すってスマホを指し示し、お豊に伝えたのだ。


「あまり……無理をなさって欲しくないのですが……」

「……」


 言葉を出さずに野上は首肯しゅこうした。言葉を出さないのではない。ゆえあって野上は声が出せない──舌を切り取られたからだ。

 だが、お豊は語らない野上の言葉を知っていたため、悲しそうにうなずくだけだった。


 この家の守衛となるのは岩清水と舎弟の野上・花澤の2人、それと岩清水の部屋住みが5名。岩清水自身の組はここから徒歩5分の場所に事務所を構えているため、辰樹が在宅中で岩清水が動けない場合は、野上か花澤、その2人が動けない場合、部屋住みから2人寄越すことになっている。


 辰樹自身の護衛が必要なのは彼がヒートの時だけである。


 本人の意識がなくなるとき、その間の身体を預かるのは専ら岩清水の役目だった。


 辰樹本人の意識と記憶がない時に何が行われているのかということを、康樹と岩清水以外の人間はあまり知らされていない。

 他の人間はその間、Ωである辰樹がヒートに耐えて家でうずくまっていると思っている。


 だが──事実を知る人間は最小限度に留めておくべきだという判断から、実態は伏せられていた。


 辰樹を乗せた車が到着する前には野上もガスマスクを装着しており、念のためお豊もマスクを着用している。

 岩清水は辰樹をベンツから引きり出して肩にかつぎあげると、そのまま無言でエントランスに入る。


「辰樹ぼっちゃん!」


 駆け寄ろうとするお豊を制して、岩清水があごで2階をしゃくる。


「ええ、ええ! もう準備は終わっておりますとも……」

「…… もう帰っていいぞ」

「ですが! 予期してなかったヒートなのでしたら! 私が適任なのでは……!」

「……良い。親父からの命令だ」

「康樹さまの……」

「悪いな」


 言葉少なに階段を登っていく岩清水を見上げながら、お豊は反論する手立てを失ってしまう。絶対君主である康樹に逆らえる者などどこにもいない。滝信会が『康樹帝国』と呼ばれる所以である。


 辰樹を担いだまま階段を登った岩清水が部屋の前に立つと、鍵になっている3センチ四方の金属プレートに自分の右手親指を当て──ガチャリとドアが開く音がした。


 無言でそのまま寝台まで行き、ドサっ、と辰樹を投げ捨てた。


「……」


 投げられたままの姿で意識を失っている辰樹を見ても、岩清水は何の感慨も感じない──感じないようにしていた。

 無言で、いつものように辰樹をベッドに押し込むと、胸ポケットから何かを取り出す。


「……明後日の『託宣』は中止になりました。その代わり……明日、仕事があります。夜の10時に迎えに来ます」


 それはペン型のボイスレコーダーだ。それを辰樹の机に置くと9時間後に再生されるようタイマーをセットし、岩清水は部屋を出た。


 出た直後、自動で鍵が掛かった音を確認した岩清水は、また胸ポケットから何かをまさぐると──白い1センチ大の平たい錠剤3粒を──手に出して口に放り込み、ゴリゴリと噛み砕いた。


「こんなもん、常用してなきゃ無理だろ」


 1人ごちりながら辰樹のいる部屋を後にした。





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