第3話


 家の中にいるとあんなに主張していたと思った雨は、外に出てみると思ったよりも小ぶりだった。


 しっとりとしたアスファルトの匂いと雨の音に包まれる街。

 灰色の空はどんよりと重くて、俺の心まで重くする。と思っていると、雲の隙間を閃光が走り抜けた。直後、けたたましい雷音が轟く。


 薄汚れた世界を走り抜け、俺はさっきまでいた河川敷の橋の下に向かった。

 立ち止まると、全身から汗がどっと噴き出した。息が切れ、苦しくて思わず膝に手をつく。

「ったく、最悪だ……」

 雨の中走ってきたせいで全身くまなくびしょ濡れだし、蒸している空気のせいで体に熱が籠っている。息を整えつつ、額に浮かんだ汗を拭う。


 そして、夜のように暗いそこへ向かった。するとそこには、予想通りの光景があった。


「やっぱり……いた」

 とりあえず、無事ひとりと一匹を見つけられたことにほっと息をつく。

「あれっ、裏切り者じゃん。どしたの、そんなに濡れて」

 暗い橋の下でうずくまるようにしていたのは、細い腕に白黒の仔猫を抱いた葉月だった。葉月はきょとんとした顔で、俺を見上げている。

「どうしたのじゃねぇよ。お前、なんでまだここにいんだよ」

「あーそれはね……アハハ」

 笑って誤魔化す葉月に、無性に腹が立った。


 家出少女かよ。


 こんな天気のときにこんな薄暗い河川敷で、しかも女子高生一人でいるなんてとんでもない話だ。

「家は?」

「ない!」

「これまでどうしてた?」

「…………」

 黙秘かよ。

「とにかく帰れ」

「大丈夫! ここにいる」

「ふざけんな。もしこのままここにいてお前がなんかの事件に巻き込まれたり、風邪引いたりでもしたら俺の気分が悪いだろうが!」

「そんなこと言われても、行くとこないんだもん」


 まじかよ。ガチの家出少女かよ。


 ため息が出た。


「……分かった。とにかくほら、行くぞ」

「でも、この子が……」

 葉月は仔猫を抱き締めたまま、困ったように俯く。またため息が出る。

「……それも一緒に連れてこい」

「え、いいの?」

 ぱっと、葉月の表情が明るくなる。

 仔猫を抱いた葉月の腕をグッと引き、無理に立たせると、俺は傘を差して歩き出した。


 一歩部屋に入ると、むわんとした空気と煮たまま放置したインスタントラーメンの匂いが、体にまとわりついた。

「うわぁ、ここがあなたの部屋? すごーい」

 葉月は恋人も趣味もない一人暮らしの男の部屋を見て、なぜだかはしゃいでいる。

 そして、葉月の服装を見てハッとした。

「……待てよ。お前、学生なんだよな? この状況がバレたらもしかして俺、捕まるんじゃ……」

「あ、いやそれは大丈夫だよ!」

「なんでだよ?」

「だって私、家出少女だから。誰も探してないし」

 葉月は特に悲しそうにするでもなく、淡々と言った。

 あんな状況で仔猫と二人きり。なんとなく、そうではないかと思ってはいたけれど。

「……やっぱりかよ。学校も行っていないのか?」

「うん。この制服はただなんとなく着たかったから着ただけ。だから安心して!」

「でも、親はお前を探してるんじゃないか?」

「……それはないよ」

 その質問にだけ、葉月は僅かに瞳を揺らした。

 そのときの葉月の青白い白目が、やけに俺の心に焼き付いた。

 沈黙が落ち、間を持たせるような言葉を探していると、葉月はパッと笑顔を作り、俺を見た。

「ね、それより私、ラーメン食べたい!」

「ラーメン?」


 ハッとする。家を出る前に作ったラーメンのことをすっかり忘れていた。片付けなくては。さすがにあれはもう食えないだろう。


 既に湯気もなく冷めきった鍋を見つめ、ため息を漏らす。

「ねぇ、お腹減った! ラーメン!」

 葉月は両手をグーにしてテーブルをポンポンと叩く。

 子供か。

「……味噌と塩、どっちがいい?」

「味噌ー!」

「人に作ったことなんてないから、不味くても文句言うなよ」

「うん!」


 葉月は無邪気に笑った。その笑顔に、またも俺の心臓はどくんと脈を打つ。俺は思わず、それを振り払うように台所に立った。

「……律の味噌ラーメンは美味しいよ」

 葉月は台所に立った俺に向かって、小さくなにかを言っていたが、よく聞こえなかった。

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