執事くんは女難の相

高々鷹々

第一話

 寝間着を脱ぎ、真新しいシャツへと袖を通す。成長することを見越した、やや丈の長いズボンを履き、慣れた手付きでネクタイを締めて、鏡で確認する。そうして、木戸きど伊織いおりの一日は始まった。切れ長の瞳に、背中まである長い髪がマッチしており、やや高めの身長も相まって、この四月から高校生になったとは思えないほど大人びて見える。

 彼は自分の制服姿に問題の無いことを確認すると、自分の長い髪を鬱陶しそうにゴムで纏めた。

 そして部屋を出て、廊下の突き当たりにある、他よりもやや豪華な扉をノックする。

「お嬢様、失礼します」

 そう言って、返事を待たずに扉を開ける。この屋敷に勤め始めた頃は返事があるまで待つようにしていたが、そうすると彼女が寝坊したときに起こせないので、今は形式上のものになっていた。

 部屋に入ると、女の子らしいファンシーなぬいぐるみが山ほど置かれたベッドと、彼女の趣味であるテレビゲームをするための巨大なモニターが埋め込まれた壁が目に入る。床には小物や空っぽのペットボトルが散乱しており、埃や塵は見受けられないこそものの、かなり散らかっていた。とても名家のお嬢様のものとは思えない惨状だ。

「あら木戸、今日は早いのね」

「おはようございます、お嬢様。流石に入学式に遅れるのは良くないので。

 今日はお早いお目覚めのようで、安心しました」

 意外なことに、主人である彼女──東雲しののめ百姫ゆきは既に起きていた。着替えも済ませてあり、制服姿である。

 普段は深夜までゲームをしていて中々起きないのに。高校生になって、ようやく生活習慣が改善したのだろうか。

「あ、後で部屋の片付けしておいて。昨日──日付的には今日ね。レイドボスをソロで倒すのに八時間くらい耐久してたから」

「お嬢様。もしかしなくても寝てないですよね?」

「仮眠は取ったわよ、三十分くらい」

 よく見ると、彼女の目の下にはうっすらとくまができていた。化粧で誤魔化せる範囲だが、健康には悪い。

 通りで起きれている訳だ、と内心で嘆息した。

「というか木戸、アナタいつもの執事服は? 家の中ではアレを着るように言ってあるでしょう」

「これから学校なのに、わざわざ執事服に着替えてお嬢様にご挨拶してから、更に着替えろと?」

「えぇ、そうよ。アナタの執事姿を見ないと一日が始まった気がしないもの」

 その無茶ぶりに、彼は表情を変えないまま渋面した。器用なものだ。

「畏まりました。では明日からはそのように──」

「嫌。今日、今すぐ着替えてきて」

 彼女はニッコリと綺麗な笑顔でそう告げてくる。今から執事服へ着替え、登校までには制服に戻らなければならない。二度手間も良いところだった。

 彼は内心に彼女への文句を浮かべつつも、畏まって頷く。悲しいかな、従者である彼は主人へ逆らえないのだ。いや、逆らうと後でろくでもないことになると、経験則でわかってしまっていた。

「承知しました。ただちに着替えて参ります」

 彼もまた綺麗な作り笑いをして、自室に戻った。その後ろ姿を百姫が満面の笑みで見送ったのは、言うまでも無い。


 その後、伊織が登校したのは、車で学校に向かう百姫を執事姿で見送り、制服へ着替え直してからだった。万が一にも同じ家に住んでいるとバレないように、屋敷の裏口から登校する。

 彼らの進学した高校は、私立の中高一貫校で、偏差値もそこそこだった。伊織と百姫は中等部から通っており、多くの友人と同じくエスカレーター式に進学することを選んだ。

「よーっす伊織! 春休みぶりだな」

「積樹か、おはよう」

 後ろからの声に振り向く、挨拶してきたのは中等部からの友人である三和みわ積樹つみきだった。春休みに会った時から短髪を金に染めており、元から軽かった彼の印象が更に軽薄になっている。

「今日から高校生だってな、実感湧かなねーや」

「同感。制服は変わったけど、通学路も変わんないしな」

 並んで歩きながら、軽口を交わす。

 よくこうして話したことを、伊織は思い出した。同時に、学校が始まったことを実感する。

「クラス分け、どんなだろーな。お前と同じだと助かんだけど」

「それ、ノート見せて欲しいだけだろ」

「そうとも言う」

 悪戯っぽい笑みを浮かべる積樹に、伊織も似せた笑みで返す。

「どうせ、クラス違ったら教科書でも借りに来るんだろ?」

「さっすが、わかってんじゃん」

 そう雑談しながら歩いていると、校門が見えてきた。そのまま進み、クラス分けの貼られた掲示板へと向かう。人だかりになっている後ろから、積樹は目を凝らした。

「どう? 見つかった?」

「取り敢えず伊織は一組っぽいな」

 積樹の目がいいことを知っている伊織は、人のいい彼なら自分の名前も探してくれるだろうと、最初から頼る気満々だった。

「お、オレも一組じゃん! 一年間よろしくな!」

「おう、よろしく」

 二人は改めて挨拶すると、お互いに歯を見せて笑った。


 長い上に眠くなる校長の話や担任の発表を聞き流していると、気付けば入学式は終わり、教室へと移動することになった。

「お、木戸じゃん。また髪伸びてない?」

「切ってないからな、そりゃ伸びてるだろ」

「木戸くん、ずっとロングだよね。どうして?」

「色々と事情があってさ。出来れば切っちゃいたいんだけど」

 クラスメイトになった生徒と話しながら、教室に入る。伊織は苦笑しながら、長い髪を邪魔そうに払った。

 彼が髪を伸ばしているのは、百姫にそう命じられているからだ。理由はわからないが、たまに髪に強い視線の感じることがあるので、彼女の趣味なのかもしれない。それを執事に押しつけるのは勘弁して欲しいが。

「あ、おい伊織。見ろよ、東雲さんもおんなじクラスだ」

 肩を軽く叩きながら、積樹は声を潜めて言った。その視線の先に居るのは、新たなクラスメイトと話している百姫だ。どうやら、同じクラスだったらしい。

「東雲さんと同じクラスとかヤバッ! 友達に自慢できる~!」

「え、メッチャ嬉しいんだけど!」

「ふふ、ありがとうございます」

 伊織は、改めて会話をする百姫を見る。腰まで伸びた黒く艶のある髪に、垂れ目で柔和な可愛らしい顔立ち。口元に手を当てて微笑む姿は、まるでドラマのワンシーンかのように様になっていた。それでいて、黒いセーラー服に黒いタイツと色に統一感があり、全体的に落ち着いた雰囲気を纏っている。

「いつ見ても美人だよなー。同じ高校生とは思えねー・・・・・・」

「それな。正に深窓の令嬢、俺達には手の届かない存在・・・・・・」

「美しすぎて眩しい・・・・・・」

 積樹やクラスメイトの男子はそう言って彼女と同じクラスになれたことを喜んでいるが、伊織は知っている。アレは学校だから取り繕っているだけであり、本性はまま極まりない高飛車女だ。しかし、それを口にする訳にもいかず、伊織は曖昧に同意しておいた。

 学校ではお互いにボロを出さないためにも不干渉であること。それもまた、百姫から伊織への指示の一つだ。伊織としても学校でまで彼女に従いたくは無かったので、有り難かった。

「清楚って言葉がこの世で一番似合うの、東雲さんだと思うんだよなー」

「わかる」

「・・・・・・あれで案外、家では我が儘だったりしてな」

 けれど、あまりに彼らが彼女を持ち上げるので、伊織はついそう口にしてしまった。日頃、彼女に振り回されている不満が出たのかもしれない。

「それはそれで興奮する」

「家だと甘えん坊なお嬢様か・・・・・・木戸、お前中々やるな」

 しかし、思春期の男子には逆効果だったらしい。ダメだコイツら、と伊織は嘆息した。

「おら、席に着けー。やること結構あるんだから」

 遅れて入ってきた担任の声に、伊織達は慌てて自分の席を確認して座る。そして、視界の隅に自分の物ではない黒髪を確認して、固まった。

「あら、お隣は木戸くんですか。よろしくお願いしますね」

 ニコリと可愛らしい笑みを向けてきたのは、どう見ても主人である東雲百姫だった。目を擦ってみたが、幻覚ではないらしい。

「・・・・・・ハイ、ヨロシクオネガイシマス」

「ふふふ、緊張しているんですか?」

 そうお淑やかに微笑む彼女に、伊織もぎこちない笑みを返す。

 まさか、同じクラスなだけではなくて、隣の席になるとは。流石に学校で普段のような無茶ぶりをされることは無いと思いたい。それでも、席替えまではこの状態だと思うと気が重くなる。

「おーし、それじゃ取り敢えず委員長と副委員長を決めるかー。誰かなりたい奴―?」

 気怠けだるげな担任の言葉に、すぐさま手が挙がった。伊織の、すぐ隣から。

「はい、先生。立候補します」

「おー、東雲か。それなら先生も楽できそうだな。他に誰か立候補者は居るかー?」

 担任は教室を見回すも、中等部から彼女を知る生徒は手を挙げるはずもなく、高等部からの編入生が態々わざわざアウェーな状態に突っ込むはずもなく。流れるように百姫が委員長に決まった。

「よし、じゃあ副委員長は──」

「先生。副委員長に推薦したい人が居ます」

 またしても真っ先に手を挙げたのは百姫だった。彼女の推薦、というワードに、クラスがざわめく。

「ほう? 誰なんだそれは」

「木戸くんです」

「はっ?」

 自分には無縁の話だと、頬杖を突いて時間が過ぎるのを待っていた伊織は、思わず体勢を崩した。驚きの感情のまま百姫を見るも、猫を被っている彼女の表情は読み取れない。

「木戸か。どうする? あくまで推薦だし、断ってもいいが」

 担任を含めたクラス中の視線に、冷や汗が流れる。百姫は何を考えているのか。

「えっと・・・・・・」

 どうすれば辞退できるかを考えながら、視線を再び百姫へ向ける。彼女の笑顔は、何故か威圧感があった。

「・・・・・・ほ、他に候補者が居ないのでしたら」

「だそうだ。どうだ? 他にやりたい奴は居るか?」

 男女ともに人気の高い百姫の補佐役ともなれば、立候補者は少なくないだろう。そう考えての発言だったが、予想に反して手は一つも挙がらない。

「まぁ、他ならない東雲さんの推薦なら・・・・・・」

「木戸くんなら大丈夫でしょ」

「いいなー木戸、俺も東雲さんに推薦されたい」

 完全に逃げ道の無くなった伊織に、担任は確認を取る。

「じゃあ木戸、やってくれるか?」

「・・・・・・ハイ」

 伊織は頷きつつ、内心で頭を抱えた。どうしてこうなった。せめて学校でくらいは、百姫から解放されると思ったのに。

「おーし、それじゃ委員会決めとかの進行頼めるか? 二人」

「はい、よろこんでお引き受けします」

 楽しそうな笑みを浮かべる百姫とは対照的に、伊織の気分は酷く沈んでいた。


 学校初日が終わり、帰宅した伊織は、自室に着くなり執事服へと着替えると、早歩きで百姫の部屋へと向かった。

「お嬢様、失礼します」

「あら、どうかしたの?」

 件の百姫は、タイツを脱ぎ捨ててベッドに寝転がっていた。制服のしわを気にする様子もない。

「どうしたもこうしたもありません、どういうつもりですか。私を副委員長にするだなんて」

「別にいいでしょ? それとも何、私の隣は不満かしら」

 まるで悪びれない彼女に、伊織は苛立ちつつもそれを努めて隠す。

「そういう話ではありません。学校では関わらないようにしようと、お嬢様からそうおっしゃられたじゃないですか」

「あぁ、それね。めることにしたわ」

 何でも無いようにそう告げられ、伊織は思わず言葉を失った。

「・・・・・・理由をお聞きしても?」

「だって、そんなこと気にするの、面倒なんだもの。ただでさえ私、演技してて疲れるのに」

「だとしても、何もを副委員長にする必要は──」

「『わたし』、でしょ? なに勝手に一人称変えてるの? 私の前では『私』あるいは『わたくし』にして」

 彼女の指摘に伊織は閉口し、改めて口を開く。

「私を副委員長にした理由がわかりません」

「他の人間より、アナタの方がよっぽど私のことを知ってるし、便利だから。

 足を引っ張られるの、嫌いなのよ。私」

 話は終わりと言わんばかりに、百姫は枕元に置かれたゲームのコントローラーを握る。

「あ、今から高難易度周回するから手伝いなさい。十時間くらい」

「お嬢様、明日も学校です。私はお嬢様と違って、睡眠不足で動けるほど丈夫ではありません」

「そう。ならさっさと諦めなさい。

 今夜は寝かさないわよ?」

 少しも嬉しくない発言と共に、百姫がポンポンと自分の隣を叩く。彼は嘆息して、示された場所へ座った。そんな彼に、百姫は満足そうに笑う。


 彼はまだ知らない。この先、自身に様々な女難が待ち受けていることを。彼女の、ひねくれ曲がった感情の名前も。

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