第54話 戦争の味

 レンジは砂塵と血風が舞う戦場の光景に心を奪われていた。危機が迫るほど、血を浴びるほど頭の中心が熱をもって疼いて、焦燥の感覚がつのる。


 まだ遠い、もっと迫りたい、俺はまだ渦中にいない。不思議な熱が心を犯していた。


 オロチに呼ばれるように、いつのまにか最前列へ出てしまった。間近でランボーが「レンジ出過ぎだ、距離をとれ!」と命じる声もどこか遠くに響く。


 オロチの槍の先には二人の兵が串刺しにされたまま事切れている。怪力で容赦無く振り回されてその体が損壊されていく。屈強なマムルークたちにも焦りの色が見えている。荒野に倒れる兵の死体が増えていくばかりだ。


 そしてレンジはオロチと目を合わせた。


 頭蓋に響く衝撃と共に視界が真っ赤に染まって、鼻の奥に焼かれたような鈍い痛みと血の匂いが広がる。魔法にのったオロチの声を聞いた気がした。


 見つけた。


 オロチの純粋な怒りと殺意だけの空虚な心に意識が引き摺り込まれそうになる。レンジの意識を引き戻したのは鼻腔に満ちた血の匂いだった。口に流れ込んできた血は戦争の味がする。


 ギンは蒼白になってオロチの赤光に貫かれたレンジを見つめる。


 レンジは惹かれるままに、オロチが発する光の中に入る。


 死戦を軽々と越える彼を見て、ギンが息を呑む、「レンジ! どうした!」オロチに目をやると、化け物は動きを止めてじっとレンジを見ていた。感応しているのかこの二人は。レンジは、笑ってる?


 レンジの燻っていた神経の滞りが、オロチの毒に焼かれて咳を切ったように流れ出す。


 ランボーは屈辱と怒りに震えている、多くの部下を殺された。レンジがさらに突出しているのを見て、驚いて声をかける。


「レンジ、ギン博士と一緒に先に下がれ!」


 レンジは命令を無視して、口に流れ込んでいた血を吐き出した。


 オロチの視線はレンジを捕捉している。再び放たれたオロチの神経毒魔法の赤い光は彼の目に突き刺さる直前に勢いよく弾かれた。


 レンジの新しい感覚が開いた。太刀を握る指先にチリチリと痺れる感覚がつたわる。直接皮膚を走るような感覚から、さらに繊細な波長にいたる不思議な力の諧調を感じる。全身を巡る血流とはまた別の力の流れが確かに感じられる。荒いエネルギーは物理的な感覚に近い、魔法の力だ。


 軽く剣を振ってみると、なに色にも見える光が、太刀の軌道を彩った。


 上段にかまえて、青光りする刀身にたっぷりと魔力をのせて、渾身の力を込めて振るった。


 音速を超えた刀身から魔力が放たれる。レンジとオロチの間の空間が爆発して白い衝撃波の輪が発生する。大音響が轟いて、オロチの巨体を揺らす。


 多くの兵がその異様な光景を目撃した。そのレンジの姿を見て、退却を良しとしない兵の一部が前線に戻り始めた。



 レンジは心身の変化に恍惚とする。世界との距離がやっと埋まった。心と体がシンクロして、雑念が落ちて完璧な集中状態にある。失われていた運動神経が戻ってきた。


 いまなら、自分の思い通りに体が動くはずだ、意識の速さに体が追いつくはずだ。暗い渦巻銀河に吸い込まれて失くしていた感覚が蘇る。病む前の、夏空の広場で遊んでいた子供の頃のような晴れやかな気分と身体の感覚が戻ってきた。


 レンジは人差し指と中指を、オロチ視線を挑発するように揺らした。再びオロチの目から放たれた光はレンジの指の手前でまたしても弾かれて四散した。


 ヘビ野郎、小細工を使うな、真っ向からこい。


 オロチは槍の半ばに、原型を留めない赤黒い肉の塊をぶら下げたまま、唸り声をあげている。傷ついた蛇腹と何本か槍の刺さったままの蛇の胴から出る黒い血が荒野を汚している。ゾーイが切り落とした手首からも血が吹き出し続けていた。重心もすでに万全ではない、効いてはいる、もう一押しだ。


 アカネマルもギンもランボーも、一瞬動きを止めて神懸かりのレンジを驚愕して眺めた。


 殺しにこい、オロチ、早く俺を殺しにこい。


 痛みと吹きあがる血を想ってレンジは陶然とした。生きている、これが生きているということだ。


「この酔いが覚める前に! 早く俺を殺しにこい!」


 レンジが叫ぶと同時に、オロチは怒りの咆哮をあげる。



 オロチの気を呑み込んだレンジが戦場の空気を支配した。彼の気に当てられたギンとランボーも肝が据わった。


 アカネマルも最後の決断をする。「兵の損耗が大きすぎる、これ以上の犠牲はだせないわ、次の攻撃が失敗したら全軍即時撤退!」


 レンジの左右にギンとランボーがついた。


「俺が肉薄して攻撃する」レンジが宣言する。


 ランボーが「オロチの気を散らせ、一秒も止まるなよ!」集まったマムルーク達に最後の指示をだす。「魔道士の援護も効いている、長く留まらなければ耐えられる。間合いは気にするな、一気にけりをつけるぞ!」


 アカネマルは馬上から退却の進路を探りながら、最前線の様子をうかがって満足げな笑みを浮かべた。一番前にでたレンジが太刀を肩に担いで、真っ向から不敵にオロチと睨み合っている。


「気合入ったわね、あの子」



 ランボー隊の陣形が整った。


「レンジ」ギンが声をかける。「おまえの初陣だ、討ちとって名をあげろ」


「よっしゃ、こいやヘビ野郎!」


 レンジが叫んで、マムルーク達全員が雄叫びをあげる。鬨の声が荒野を揺らす。覚悟を決めた兵達の興奮が最高潮に達した。


「刺身にしてやる、いくぞ!」


 レンジが先陣を切って正面から突撃すると、マムルーク全員も一斉に攻撃を仕掛ける。連携もなにもない、仲間を殺された怒りに任せた捨身の攻撃を繰り返す。


 魔法に耐性をもったレンジがオロチの懐に入ったまま絶え間ない斬撃を繰り出し続ける。


 オロチが槍を振りかぶって空いた隙に、レンジはほとんどバットを振る容量で横薙ぎの太刀を振るった。蛇腹に食い込んで、苦痛の叫びをあげるオロチはたまらず荒野に突き刺した槍で体勢を支えた。


 槍を足場にしてランボーが飛ぶような勢いでオロチの頭にとりついた。彼に一息遅れて続いたマムルークは半身を喰い千切られて落下する。


 ランボーは激しく動くオロチの頭にとりつきながら短刀をその右目に突き刺した。黒い返り血を全身に浴びる。


 振り落とされまいとオロチの尖った耳に噛みついて、ランボーは突き立てた短刀をさらにえぐる。彼の人間離れした勇気と気迫に全員がさらに奮い立つ。


 ギンは視界を失ったオロチが闇雲に振り回す槍を巧みにかわして機会を窺っていた。


 薙ぎ払われた槍の下をかいくぐって、狙いすました精妙な一閃でオロチの指を切り落とす。紙一重をかすめた槍が頭に巻いた手拭いを舞いあげた。


 オロチの手を離れて惰性の力で飛んだ槍が直撃して、不運な兵士を絶命させた。


 オロチの武器と視界を奪った。レンジはとどめの一撃を入れるために肉薄する。


 怒りと生存の本能のままに力を振り絞って暴れまわるオロチ。マムルークたちが跳ね飛ばされていく。


 オロチが黒い血を振り撒きながら絶叫して、上体を大きくあげて激しく頭を振ると、堪らずランボーが振り飛ばされる。空中で体勢を整えながらレンジに叫ぶ、


「空いたぞ! 正面、腹ぁ!」


 レンジは全体重と脚力と魔力の全てをのせて真正面から突進して太刀を突き入れた。衝撃波がオロチの全身を震撼させて大空震を起こす。至近の中空にいたランボーをさらに遠くに弾き飛ばした。


 刀身の半ばまで刺さる太刀を逆手に持ちかえて、ぶら下がる要領で体重をかけて蛇腹を斬り下げる。順手に持ちなおして気合と共に刀身にさらに魔力を込める。水平に捻って渾身の気合を入れて振り向きながら斬り抜いた。


 一瞬遅れてオロチの蛇腹が爆発して体液と内臓が大量に飛び散った。


 オロチがゆっくりと自らの黒い血溜まりに昏倒して地響きをたてる。


 一瞬、荒野が無音になり、すぐに兵たちの大歓声があがる。


 巨人の戦斧が振り下ろされて、痙攣するオロチの頭蓋を砕いてとどめをさした。

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