第39話 ベッドに溶けた猫

 夜まで図書館にいて騒ぎを知らなかったレンジは赤煉瓦棟でギンに事情を聞いた。武装していなかったのが幸いだった。試験官がびっくりして騒いだだけだということがわかって、チンチラはすぐに解放された。


 高等部の試験を中等部の試験問題にすり替えるのがギンの精一杯だったが、


「ああいう子だから、もうちょっといろいろ教えてあげてからにすればよかった。可哀相だ」


 帰ってからずっと部屋で寝込んでいるという。


「夕方頃までライオン丸がなぐさめてたけど、出てこないな」


「ライオン丸? あぁ、ゾーイか」



 レンジは軽食とワインを用意してチンチラの部屋に入った。まるで武器庫だ。防具はひとつも見当たらない、四方の壁全体に武器が飾られている。その配置に、分類やなにかテーマのようなものは感じられない。彼女らしく好きなものを適当に並べたんだろう。それでも狂気や威圧感ではなく、不思議な秩序と美しさを感じさせるのがチンチラのセンスだった。


 彼女はベッドに溶けた猫のように、うつ伏せにぐったりと横たわっていた。自慢の銀尾がしなだれている。


「遅いぞレンジ、やっときた」


「ごめん、図書館にいたんだ。ワイン持ってきたよ」


「またガブちゃんを見にいったんだろ、エロ大将」


 彼女はシーツに顔を埋めたまま文句を言う。


 それもないことはないけども。ガブリエルとチンチラは友達らしかった。そういえば図書館の書架の隙間で昼寝しているチンチラを何度か見かけたな。


「ボクがネコマタだからかなぁ」


 チンチラはベッドに座ったレンジに転がり寄った。


「ネコマタの学生はいくらでもいるよ」


「じゃあなんでだよぅ」


 また涙が振り返したのか、レンジの腰にしがみついて股間に顔を埋めた。


 しばらく頭を撫でていると落ちついたのか、チンチラは軽食とワインを所望した。


「たくさんお食べ」


 チンチラが起き上がってもぐもぐとサンドイッチを頬張るあいだ、レンジは横になってなにがしか元気が出ればと思って言葉をかける。


「学校なんて退屈なだけさ、ゾーイはいま停学中だし」


「また?」


「こないだは手作りブーメランに鉄の刃付けたやつ教室に持ち込んだからだけど」


「一緒にトリカブトの毒塗ったやつ?」


「そう、それ触った生徒が半身麻痺して倒れたからだけど。今回はほら、この間みんなで古本市行ったろ、あのときゾーイが買った『マンジャロ様かく語れり』の新訳、みんなで持って帰ったやつ」


「重かったやつ?」


「そう、全部で六十九巻もあってどうしてもゾーイが買うって言ってさ。ミューズではマンジャロ様は猥褻図書指定されてるらしいんだ、寮に置いてあったとこみつかって没収されてまた停学になってる」


「猥褻?」


「エロ本のこと」


 チンチラは目と鼻を広げてふんふん鼻息を荒くした。よかった、笑っているみたいだ。


 完食してワインも飲み干すと、またゴロリと横になって布団に顔を埋めた。


 かける言葉も尽きてきて、しばらく横になっているとレンジも眠くなってきた。そのままうとうとしていると横でモゾモゾとチンチラが動き出した。


 くあぁっと牙を剥き出して大あくびをしながら両腕を前に伸ばして、お尻を高々と突きだして伸びをした。ばふっと小気味のいい音のオナラを放ってから、チンチラは恥ずかしがりも悪びれもせずに、柔らかい体をレンジに絡めてきて唐突に聞いた。


「レンジ、ゾーイとキスした?」


 驚いて彼女の表情を見ようとすると、視線を逸らすようにレンジの頭をその胸に強く抱え込んだ。そのまま彼女の心臓の鼓動なのか、自分の鼓動なのか音が紛れて分からなくなるころ、


「ボクの方が先に会ったんだよ」


 チンチラは消え入りそうな声で呟いた。


 それからレンジの頭を抱え込んだまま、ゆっくりと顎からこめかみまで愛おしそうに舐めた。舌はざらざらしていない。滑らかにゆっくりと二回三回と舐められる度に、レンジの全身に官能が走ってなされるがままだった。


 やがてゆっくりと這う舌の動きが止まって、チンチラは舌をレンジの頬っぺたに密着させたまま可愛いいびきをかき始めた。


 レンジはしばらくそのまま緊張の時を過ごしたが、やがていつの間にか眠りについて、気がついた時は彼女はレンジに背を向けて眠りこけていた。


 彼女を起こさないように気を使いながらゆっくりと起き上がる。ベッドについた手首に豊かな尻尾がきゅっと巻きついた。


 チンチラはレンジに背を向けたまま、


「……ゾーイには内緒」と言った。


 レンジはチンチラの耳の後ろをそっと撫でる。手首に巻きついた尻尾がほどけてゆっくりとひと振り揺れた。

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