第35話 ホルスの丸焼き

 ヨーガなんてゾーイに教えてもらっても気が散ってしょうがない。どんな姿勢をとっても彼女の白い胸が尻が太ももがこぼれ落ちそうになる。彼女もレンジの視線を意識して顔を赤くしている。博士に頼まれたからと言って頑張ってくれたが、さすがに気の毒になる。レンジは早々に切りあげて散歩に誘った。


「それでも制服は着ないんだね」


「着ない」


 ゾーイは笑って答える。季節は晩秋に近い。柔らかい午後の光がゾーイの産毛まで照らしていた。



 キャンパスの広大な中庭を横切って学食に向かって歩いていると、突然ゾーイは「あ!」と言って、素早く腰を低くしてかまえた。そのままじっと空の一点を見つめながら腰の後ろに下げた凶器に手をかける。ゆっくりと皮の鞘から凶器を抜き放つ。


「ゾーイ、どうしたの?」


 サイドスローで投げられたそのブーメランは始め水平に地を這うように飛んでいく。突然その勢いを増して急上昇する軌道を描いた。横あいから不意にレンジの視界に入ったのは大きな鳥。鳥はそのブーメランに気づきもしなかっただろう。急激に勢いと角度を増したブーメランが命中してパッと羽が弾ける。鳥はだらりと首を下げて真っ逆さまに中庭に落下してきた。目撃した生徒たちが感嘆の声をあげる。


 ゾーイが軽やかに駆けながら、弧を描いて戻ってきたブーメランをジャンプして掴みとる。着地と同時に慣れた手つきで腰のホルダーにブーメランを素早く戻した。一連の動作は流れるように軽やかで、フラミンゴが踊っているようだった。周囲からまた歓声があがった。


 ゾーイは瀕死で痙攣する鳥の首を躊躇なく捻ってとどめをさした。レンジに笑いかけながらその大きな鳥の首をもって、ずるずると引きずりながら戻ってくる。


「レンジ~、体育館の横に集めた落ち葉があるから丸焼きにして食べよう。花壇があるから内臓はそこに埋めればいいよ。すぐに食べた方が美味しいから」


「ああ、いいね。その辺のみんなにも分けてあげよう」


 レンジはゾーイから鳥を受け取って引きずってみる。飛んでいる時より、地上の鳥はよほど大きく見えた。


「なんて鳥?」


「ホルス、隼の仲間だよ」



 ラディンは学長室の窓から中庭に目をやって、無法者の裏口入学者二人の所業にやれやれと首を振る。ここはサバンナか?



 体育館の横の空き地はホルスの焼けるいい匂いと、誰かが持ち込んだ楽器と太鼓が鳴らされて軽いお祭り騒ぎになっている。ゾーイがナイフでホルスの丸焼きを切り分けて、葉っぱに包んで配った。


 ちょうど午後の休憩時だった。高等部の制服を着た生徒たちが何人か寄ってくる。焚き火にうまく当たるように、ホルスを串刺しにした棒の位置を調整していたレンジが顔を向けると、


「なにをしてるんですか!?」咎めるように声をあげる気の強そうな女生徒。


「おい、こっちにきて」


 レンジは声をかけて、持って、と寄ってきた彼女に棒を持たせて、焚き火が消えないように落ち葉と薪の位置を整えた。


「ちょっと! 熱い、重い」


「男子! 手伝え」


 女生徒が手こずるのを見て男子生徒達に声をかける。


 ゾーイはレンジに無理やり手伝わされる羽目になった高等部の生徒たちにちらりと目を向けて、鳥の肉を切り分ける作業に戻る。レンジには少し気になる所作に映った。


「だめですよ、こんなことしちゃ」


 さっきの女生徒がまた咎めてくる。


「ゾーイ、もう一切れちょうだい」ゾーイが手早く切って葉っぱに包んで渡す。レンジはそれを「うまいぞ」と言って、その女生徒に渡した。


「男子、棒をもうちょっと上げてくれ、焦げちゃうから」


「クロバネ先輩! 学長呼びますよ!」


 レンジは初めてその娘を正面から見据えた。黒髪を頭頂で団子二つに束ねたきつい顔立ちの美人が、挑むようにレンジを睨んでいる。


「おい、さっきからなにをイラついてんだ君は。焼き鳥食べろよ、それとなんで俺の名前を知ってる?」


「アッティラ家の人でしょ、ゾーイも。ゾーイとは同じクラス、わたしは生徒会長のチャウチャウ・カジルボーン」


「それがどうした、焼き鳥となんの関係がある?」


 ゾーイのクラスメイトなら、言葉が荒くならないように気を付けようかと思っていると、彼女はまたつっかかってきた。


「ホルスはアレクサンドリアの神話にも出てくる神聖な鳥で、狩猟は禁止されてるんですよ!」


「存じあげませんでした、先に仰っていただければよござんしたのに」


 レンジは馬鹿にした調子で言い返す。


「キャンパス内で武器を使って校章にもなっている神聖な鳥を狩って焼いて食べてはいけない、ぐらいのことは言わずもがなかと思いまして」


「左様ですか、もう焼いちゃいましたから、お熱いうちに召しあがれ」


 レンジとチャウチャウはしばらく睨み合う。レンジの目力が勝利したのか、怯んだ彼女はゾーイに矛先を変える。


「ゾーイ! また授業でなかった」


 ゾーイはもうひと包み作って、棒を持ったまま成り行きを見守る男子生徒に放り投げると、レンジの横に並んで言った。


「試験は満点とるからいいの」


 チャウチャウよりもゾーイの方が頭一つ背が高い。レンジと並んで睨まれると威圧感がすごい。


「みんなはちゃんとルールを守ってるのに、ほんとやりたい放題!」


 捨て台詞を吐けたのはなかなかの度胸かもしれない。ずいぶんと怒りのこもった視線を投げて、チャウチャウは踵を返して去っていく。


 やりとりの間、棒を持ちっぱなしだった男子生徒たちを見やる。レンジは「おまえらはなにしにきたんだ」と言葉をかけて解放した。

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