45th Mov. プレゼントとプレゼント
音楽家という深淵を覗き見た気がした僕は、それを振り払うように練習に没頭した。
結先生からは、ただ弾くだけではダメだと言われていたのだけれども、弾いていないと不安になってどうしようもない。
入り込んだら戻れない。
でも入らないと手に入らない。
怖いけど入らないという選択肢は無くて、気持ちを押し殺して無理にでも進む。
目標としていた彼女の先には、もっと遠くまで進んだ先生がいた。
見えないくらいに遠い場所にいる先生でも、進めなかった先がある。
途方もない話だ。
それでも、その先で得られるものを思い描くと、少し心が高鳴ってしまう。
僕が彼女の心を震わすことが出来たなら。それが、この道を進めば手に入るかもしれない。どうしても、そう考えてしまう自分がいる。
結先生のショパンを聴いて、人を感動させる演奏とそうでない演奏。それの違いがハッキリと認識できた。試しに楽譜を借りて、自分で演奏してみたが、当たり障りない曲になった。無味無臭、無色透明。ショパンらしき曲でしかなかった。
対して、先生の演奏は違った。明らかに色や香りを感じられた。むせ返るようなバラのような香りと爽やかな若さあふれる香り。濃い赤と淡いピンク。
ショパンらしくもあって、ショパンらしくない感じもある。
でも、それが先生の解釈で先生なりの演奏。
ミニ発表会で弾いた『アラベスク』でも、曲への理解を深めようとしていた。けど、全く深みが違う。理解を深めたいけど、どう進んだらよいか分からない。そんな状態だったように思う。
そんな僕が何とか道を見つけようと、見当違いの所を歩き回っているところに正解への道筋を示されたようだった。
先生はそこまで考えてくれていたのだろうか。
……全く考えてなかったと言われても先生らしい気もするけど。
それはともかく。
僕なりの解釈。僕なりの演奏。
難しいけど方向性は見えた。
※
「野田。どうすんだ? クリスマスは」
紬と神田さんが教室にいない時を見計らって、声をかけてきた中野。
「当日はバイトが入っちゃったから、別の日に会おうかって話はしているよ」
「おいおい……。それで良いのかよ? この後は教室移動だから、話しながら移動しようぜ」
「……別に良いけど」
僕の答えを待つか待たないかの所で、廊下へ連行される。
肩をガッチリ抱えられて、逃げられないようにされている様子は、不良に絡まれたようにも見えるだろう。
中野は廊下に出ると、猫なで声で囁く。
「野田くん。君は本当にそれで良いのかな?」
「良いのかって言われても、人手不足でバイトも断れなかったし……。紬もそれならしょうがないって言ってくれたし……」
「それはいかんよ、野田君。そうだな、君はこれから学食に行くと仮定しよう」
「学食?」
「そうだ。学食だ。君は一限からランチは好物のカレーだと決めていた。退屈な授業を終え、学食に向かったのに、今日カレーは無いという。野田はどう思う?」
「残念に思うけど? 無いなら無いで別のを頼むよ」
「そうだ。そんな時に「カレーが食べたかった」なんて駄々をこねずに、別のメニューを頼むだろう。だけど、気分はどうだ? 残念な気持ちは晴れるか?」
「そうだね。全然晴れないと思う」
「それを伏見とのクリスマスの話に置き換えてみろよ?」
「仕方ないと言って諦めたけど、残念な気持ちは消えてない……」
「そうだ! だから野田は、伏見の優しさに甘えている場合じゃないぞ! むしろ二倍は頑張らないと!」
「それは分かったから感謝するけど、急にどうしたの? 胡散臭い押し売りみたいな煽り文句だね」
「クリスマスパーティーをしようじゃないか! 俺ら四人で。そんで、クリスマス当日はバイト終わりでも良いから、時間作って会いに行けよ」
「それって夜も遅いし迷惑じゃないかな?」
「それは野田が判断するんじゃなくて、伏見に聞いてみろよ。時間が遅いのが気になるなら、家の近くまで行けば良いんだし。幸い、家は近いだろ?」
「うん。最寄り駅も同じだし、そこまで離れてない。自転車ならすぐだと思う」
「よぉーし。じゃあ決定な! 今度、日程を決めよう。それとせっかくクリスマスなんだし、簡単なプレゼント交換とかしようぜ!」
「え? でも中野は神田さんにプレゼントあげるんでしょ?」
「それとこれは別! パーティーはパーティーでのお楽しみとしてだよ。高いもんじゃなくて良いしさ。特別な人には特別なプレゼントを贈る。一緒には出来ないだろ?」
「……そう言われるとそうかも」
「じゃあ、スケジュール確認しといてくれよな!」
やっと解放してくれた中野は、僕と同じ場所へ行くにもかかわらず、嬉しそうに駆けていってしまった。僕は紬へのプレゼント選びに難航していたところに、更にプレゼントを選ぶという難題が降りかかり、頭を抱えたい気分だった。
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