8th Mov. ワクワクとシミ一つ
早めに着いたことで、先に発表会の演奏を聴いていた僕は、中野たちと合流するため会場を出た。
待ち合わせ場所として決めていた会場入り口付近あたりをウロチョロし、出入りの邪魔にならない落ち着く場所で足を止める。
そこへ待ち人の来たわけなんだけども……。
「おーい! 野田。早いじゃん! もう来てたんだな」
「ちょっと時間が余ったからね……って、神田さんと一緒に来たの?」
急に声を掛けられて振り返ってみれば、中野と神田さんが連れ立って来た。
神田さんの身形も気になるけど、もっと気になることが。まさか二人で来るなんて。
「そんな訳ないでしょ! 私は更衣室借りて着替えてきたところ。さっき、そこでバッタリ会っただけよ」
「そうそう。いくら何でも、そこまで距離を詰められてないよ。おっ、やっぱ野田の着こなし良いじゃん」
「ああ、これね。こんな感じで良いのかな。僕には良く分かんないや」
少し両袖を引っ張り、自分の服装を見回す。たぶん、そこまで変じゃないとは思うけど。
「良いと思うぜ? なあ、神田さん」
「そうね。制服のイメージより野暮ったくなくて良いと思うわよ」
「ありがとう……って、そんなことより神田さんだよ。凄い大人っぽいね」
そう、僕なんかの服装よりも神田さんの格好の方が注目すべきだ。ついつい彼女に目が行ってしまう。それこそ普段の制服とは比べ物にならないくらいの大人っぽさ。
制服姿ですら大人っぽいなぁと感じていたけど、私服だと、それが段違いに表れている。いくらか化粧もしているようで目鼻立ちがよりハッキリしている気がするし。
――――女子って私服や化粧で全然変わるんだなぁ。
神田さんは黒のワンピースに丈の短いジャケットというかカーディガンみたいのを羽織っている。服のことが良く分からないから、何て言う名称か分からないけど、結婚式に参加しているお姉さんたちがしているような格好だ。
「野田ってそういうこと、さらっと言えるんだよな。ボレロもワンピースに合ってるし、雰囲気違うって意見に同意だけどさ」
「二人とも、そんな風にジロジロ見ないで! これくらい普通だから! それに今日の主役は私じゃなくて紬!」
「そうだね。さっき中で演奏聞いていたんだけど、プログラムのタイムスケジュール通りに進んでいたよ」
「へえ。先に来ただけじゃなくて演奏を聴いてたのか。野田ってピアノに興味あったんだな」
「そういう訳じゃないんだけどさ。早く来すぎて暇だったのもあるし、せっかく来たなら聴いてみようかなって。でも早く来て正解だったかな。演奏者の子たちは、みんな一生懸命で綺麗なメロディーを弾いていたよ」
「野田はクールで泰然自若って訳じゃなかったんだ。ピアノやってたわけじゃないでしょ? 知らない子たちのピアノを聴いてそこまで言ってくれるなんて思わなかった」
ボッチ属性をクールと表現してくれる神田さん。彼女が大人だからなのか、性格が良いからなのか。クールかどうかをあえて触れては、僕が気にしているように見えるし、今は触れないでおこう。
そんなことより、もっと重要なことがあるんだから。
「それは僕も一番驚いている。今までの僕なら、そこまで心が動くことはなかったと思うよ」
「じゃあ、なんでそんな気になったんだ?」
「伏見さんのお陰かな。もらったプログラムを見たら伏見さんの演奏曲が目に入ってね。彼女の演奏曲ってショパンだよ? クラッシックに疎い僕でも知っている有名な音楽家で、その人が作った曲を同級生が弾いちゃうんだよ。学校でも今回の発表会に向けて練習頑張っているって話も聞いていたし。十数年もピアノを真剣にやってきた彼女の積み上げてきたものが、今日の演奏で聞けると思ったら、なんだかテンション上がっちゃってさ」
「たしかにあんまり音楽家なんて知らんわな。ベートーベンにバッハとかそんくらいか。伏見さんも普段は音楽の話はしてなかったし」
「まあね。紬も気を使ってたんだと思うよ。紬って音大付属の高校に入ろうと頑張ってた子だから。あまり本気すぎる話を聞いても分かんないっしょ?」
「そんなに凄いんだ。あんな感じなのに……」
普段のポヤポヤした感じからは想像もつかない伏見さんの前半生。音大って入るの難しいやつだよな。それの付属高校ならなおさら難しいんだろう。世界観は良く分からないけど、野球やっている子が甲子園常連校の高校を狙う感じか?
僕のつぶやきは二人にも聞こえていたようで、神田さんは怒るよりも吹き出すように笑っている。
「あんな感じって! 確かにそうだけどさ。本当、野田ってハッキリ言うよね」
「それについては俺も同意だな。野田は話させると面白いんだよ。伏見の印象は、ちょっと間が抜けていて、憎めない感じ。だからなのかもしれないけど、ピアノに向かっているイメージが湧かないな」
「中野の言いたいことは良く分かる。あの子の生活は、ピアノに振り切ってるから。それを知らないと人畜無害な不思議ちゃんよね」
「たしか、伏見さんとはピアノ教室で知り合ったんだっけ?」
「そうそう。私もここの音楽教室に通ってたのよ。……すぐ辞めちゃったけど。その時から紬の両親二人とも忙しかったみたいで、保育園が終わった後は、お母さん先生が面倒見ていたの。千代ちゃん、紬と同い年だから仲良くしてねって、先生に言われたのがキッカケで仲良くなったんだ。レッスン終わりに一緒に遊んで帰ったりしてさ。辞めちゃった後は会わなくなってたけど、小学校で再会したの。それからは小・中・高ってずっと一緒」
「幼馴染ってやつだね。どうりで仲が良いはずだよ」
「本当なら高校は別になる予定だったんだけどね。紬、音大付属の高校落ちたこと、まだ引き摺っているから触れないであげて」
「それは大丈夫だけど……」
いつも明るくハキハキしている神田さんが浮かべる心配そうな顔。そのいつもと違った雰囲気に、気軽に触れられない伏見さんの傷を見たような気がして言葉に詰まる。
「心配いらねえよ。友達の嫌がることをするような人間じゃないしさ、俺ら。さあ、伏見さんの演奏を見逃さないように、中に入ろうぜ」
「そうね。そこは信用してる。あっ、いけない。紬に渡すお花を更衣室に置いてきちゃった。ちょっと待ってて」
そう言うなり走り出す神田さん。ヒールを履いているのに走れるものなんだな。
さほど、時間もかからず戻ってきた神田さんとともにホールへと入る。
先ほどまでは、小さな子たちの演奏を聴いてワクワクしていた僕の気持ち。
伏見さんの受験に失敗したという話が、浮かれていた僕の心に小さなシミを作った。
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