第2話◇ヴィルギュル 放蕩男爵の終わりを告げる手紙◇
◇ヴィルギュル
放蕩男爵の終わりを告げる手紙◇
アンジュ・ロアエク男爵は今日も夜の街へ華やかに降り立つ。
立ち上げた事業が次々と当たり、甘いマスクと人を惹きつけるマニアックな知識で人脈も豊富、男爵の爵位を賜ってからはあっちでもこっちでも引っ張りだこのパーティ三昧。
地位も、名誉も、人気も財産も手に入れて、放蕩する毎日に終わりを告げる手紙が届く。
姪っ子からの手紙だ。
すっかり忘れていたが放蕩男爵には姉が一人いた。
美貌と学問を両立する嫌味な姉だ。野生の感を頼りに成り上がった放蕩男爵とは月とスッポン。
魔法省の最年少教授として活躍するだけでなく、法曹界で幾つも称号を持つ親にとって自慢の姉は、右党派と呼ばれる伝統と秩序を重んじる、地主や貴族を支持基盤に持つ政党に所属する議員に嫁いだ。
ちなみに左党派は政権交代を繰り返し、低所得者や地方出身者、若年層からの支持を得る政党。この二大政党がこの国の政治の要である。
つまり、嫌味な両親と嫌味な姉に見下されて育った野生児が家出して成り上がったら、会ったこともない姪っ子から手紙が届いた雪の日の昼、アンジュは読まずに引き出しに閉まった。
わかっている。これは嫉妬だ。
優秀な両親、優秀な姉。ダメな子ほど可愛いという例に漏れず僕は甘やかされて育った。叱られることもなく、期待されることもなかった、あれこれって放置子ってやつか。ハハ。
一方的に嫉妬して一方的に反逆し、運良く成り上がっただけのお坊ちゃん。
有り余るほどの才能を努力と根性、並外れた集中力で飛躍させた姉は化け物だ。
勝てっこないのは弟として育った僕が誰よりも一番わかっている。
嫌味な姉と比べられない世界に飛び込むしか自分の自尊心を守る方法が思いつかなかったのだ。
姪っ子?あの姉の子だ。きっと子供らしからぬ嫌味な手紙なんだろうな。真っ当な道を外れた僕のことは忘れてくれ。僕も姉さんのことはすっかり忘れて楽しい毎日を過ごしているから。
そうしてまたつまらない毎日が繰り返された三ヶ月後の朝、嫌味な姉の訃報と会ったこともない姪っ子の投獄を知らせる弁護士が書類にサインを求めてやって来た。
「は?」
訳がわからない。
この男は何を言ってるんだ?
待て待て。あの姉が盗みだと?誰の話だ?人違いだろう。姪っ子の頭の筋は一本どころか何本も切れまくっているアバズレだ?
ぶっ殺すぞこの野郎!あ?落ち着けだ?煽ってきたのはお前だろうが!また嘘を吐いたな、煽ってないだと?あー聞き飽きたから今度は俺の番だな、この俺に嘘を聞かせた数だけお前の体に聞いてやる!
強化魔法を掛けた拳で弁護士の肋骨を折り内臓を痙攣させて片玉を踏み潰した。
半死で気絶した弁護士を見下ろしやっと少し冷静さを取り戻したアンジュは、取引のある魔道具協会のお抱え形成師を呼んで表面上の治療を施してもらった。
私は魔道具師の切り傷や打ち身、見栄えを少し良くするくらいの形成術しか使えないと言って治療を嫌がる彼に、取引先は大事にした方がいい、治ったように見えるだけで良いからと言って札束が入った封筒を握らせた。
やる前から出来ないという言い訳をしてくれたおかげで口止めも簡単だった。
出来ないと分かっていて治癒の真似事をしたのだから共犯だよ?この事を誰かに話したら僕は訴えられ罰金刑だろうけど、治癒が出来る整形免許がない形成免許持ちの君はどうなるんだろうねえ。でも安心して?この男は僕を騙しにきた詐欺師だから
君も僕のことは知ってると思うけど、僕は、嘘を聞かされるのが大嫌いなんだ。このことは二人だけの秘密だよ?
そう言って人差し指を口に添えて見せると、彼は壊れた振り子のように激しく
弁護士の骨折や潰れた玉は元に戻ったが生殖機能は失われたまま戻ることはないらしい。ま、教えてやる義理もない。
嘘さえ聞かされていなければ普通に治癒師に
形成師を返した後、違和感の残る体に弁護士が文句を言ってきたのでもう一回やっとくか、と身体強化を始めたら土下座して謝ったので良しとした。
その弁護士が恐る恐る語るには、嫌味な姉の愚行と乱行、会ったこともない姪っ子の蛮行の数々は地元紙を騒がせるスキャンダルで、嫌味な姉の嫁ぎ先である貴族は大変迷惑したと。もうすぐ会ったこともない姪っ子は貴族籍と財産を剥奪、平民として裁かれ良くて国外追放、悪くて死刑。
従って相続権を放棄し慰謝料としてよこせ、ということをへらへらとのたまった。
なるほど。この弁護士は調子に乗ってぺらぺら喋りすぎたらしい。相続を放棄させたいほどの財産が姪っ子に引き継がれている、もしくは姪っ子自身が築いた財産がある。その相続権を私に放棄させたい?姪っ子の財産の相続権が私にあると?いずれにしてもとても魅力的な案件だ。
そして僕の手元には、どうやらこの弁護士が把握していないだろう、会ったこともない姪っ子からの手紙がある。
なのでアンジュはおしゃべりな弁護士を叩き出すついでに、またその不愉快な顔を見せたら二度とこの国でまともな仕事が出来なくしてやると軽く脅迫して名刺を渡した。
アンジュ・ロアエク弁護士の名を見た男は青ざめる。
あれ?あれ?アンジュ・フォンテーヌ《天使の噴水》では?とへらへら狼狽える男に丁寧に説明してやる。
ああ、由緒正しいフォンテーヌ家の面汚しの話は知ってるみたいだな?アンジュ・フォンテーヌだと笑えるよな?へらへらしてる理由くらい想像がつく、いつものことだからだ。天使が足を洗った噴水だとよく笑われたっけな、君も心の中で笑ってるんだろう?わかるよ、笑えるよな。だから捨てたよ家名ごと。
知ってるよなアンジュ・ロアエク。同じ弁護士なんだ、有名な弁護士の噂くらい知らないわけないよな、平民だって知ってるんだ、アンジュ・ロアエク男爵だよ。こないだのくだらない週刊誌に書かれていた文句教えてやろうか、冷酷無比男爵に狙われたら最後、復讐の女神ネメシスに愛されたバロンだと、笑ってみろよへらへらと。
そう言って男の尻を家から蹴り出すと、まるでGのようにカサカサと四つん這いで逃げて行った。
そうして、引き出しから会ったこともない姪っ子からの手紙を取り出した。
ふんふふーん。どれどれ?
拝啓見知らぬ叔父様。
そこから綴られる文章は嫌味な姉の子らしく、理路整然として読みやすく、簡潔に意図する情報を伝え、そして、僕が最後の希望であると涙ながらに助けを求めていた。
どうか、見も知らぬ叔父様の手に、この手紙が届きますように。もしも、この手紙が最後の希望にならなくとも、私が叔父様を恨むことはありません。きっと、この手紙は叔父様の手に届かなかったのだと、自らの悲運を嘆くだけですから。ただ
助けを求めながら、希望を持つことだけが救いだという最後の文字は涙で滲んでいるようだった。
放蕩男爵はコートを着て部屋を出る。
その肩や足には目に見えない重い
◇簡単に各話の称号の解説とイメージを語るメモワール◇
ヴィルギュル
文の区切り、またピリオドよりも弱い休止を意味する 運命に流されて生きてきたお気楽な人生の終わりに向かわざるをえないアンジュの、子供から大人になっていく男の哀れなあがきをあらわしてみました。
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