思いついた恋愛の話
むーこ
縁日の夜
角が所々欠けた石製の鳥居の向こうは少しばかり騒がしい。天高い所に連なった赤提灯の光と、フルーツ飴やらたこ焼きやら美味そうな文言の書かれた色とりどりのビニール屋根が二列向かい合って並ぶその間に挟まれて、老若男女が楽しそうに行き来している。
私といえば暗がりの中にポツンと佇む社の段差に腰掛けて、楽しそうな連中を遠巻きに眺めている。ほんの10分前までは私も幼馴染である4人の友人らと屋台を巡っていたというのに、ふと目についたりんご飴の艶々として美しいことに気を取られていたら彼女らとはぐれてしまっていた。仕方なしにスマホを出してグループチャットで『はぐれた』『神社で落ち合おう』『了解』と簡単なやり取りをして参道の奥の社へ駆け込み、賽銭箱の上に取りつけられた、砂埃を纏った蜘蛛の糸と羽虫の死骸がこびりついた寂しい直管蛍光灯の下に立ち、友人らの到着を待っている。
ああ、それにしても我が友垣はいつ来るのやら。いくら混んでいようとて5分もあれば参道を端から端まで渡り歩けるような敷地の中で、一向に姿を現さぬ女衆を今か今かと待ちながら、買ってしまったりんご飴の艶々とした表面を舐め溶かす。足下を見やれば雪駄のすれすれを黒光りしたゴキブリが通り過ぎて気分が悪い。
何となしに社を囲む雑木林を見回すと、一際大きな神木の下で、中学生かそこいらのあどけない顔をした丸刈り男が、水縹色の浴衣を着た少女と隣り合っていた。お互い目も合わせず、顔も僅かに伏せていたが、隣り合った小指が擦り合わさったり絡まったりして、そんないじらしい様が10年以上も前に過ぎ去った私の青春を思い出させた。
そう、もう10年以上も前だ。私の青春の盛りは10年以上も前に過ぎて、もうすぐ30を過ぎようとしているのに、精神だけは青春を忘れられず、私よりいくらも若い幼馴染に交じって今のように祭りなんぞに繰り出している。今頃あの娘達は私を「まだ自分を20代と勘違いしているのじゃないか」などと嗤っているのかもしれない。
「月子さんじゃないか」
頭上に立ち込めた悲観の靄を裂くように、粘っこくてがらがらとした低音が私の名を呼んだ。聞き覚えのある声だったので、脳裏に声の主の顔を思い浮かべながら頭を上げれば、浮かべたものと全く相違の無い、肩までついた長い髪をハーフアップにまとめた、エラの張った四角い顔が小さな口をニヤつかせていた。
「あら、キョウさんもいらしてたのね」
名を呼んでやると、キョウさんは元々ニヤけていた顔に更に喜色を浮かべてみせた。
このキョウさんという男は私より5つか6つ年上で、私の住むアパートから程近く、ちょうど通勤路上にあるボクシングジムの指導員をしている。田舎町の人っけの無い往来で顔を合わせてしまうと挨拶の1つでもしなければ気まずいというもので、朝っぱらからジムの前を掃いているキョウさんに出くわしては2〜3言でも言葉を交わしていたらいつの間にやら惚れられていたようで、何かにつけて褒めそやしてきたり、食事に誘ってきたりするようになった。
私はキョウさんの少しばかり気怠げなところが取っつきやすくて好ましいものだから好かれて悪い気はしないが、付き合うとなると決定的なきっかけに欠けるような気がして、今に至るまでアプローチに応えられていない。
「月子さん、浴衣に綺麗な芍薬を咲かせてるってのに、こんな寂しい所に立ってちゃ勿体ないってもんだ。いま俺は牛尾田の奴と酒を飲みに来ててね、ホラそこに禿頭がいるだろう、ソイツが牛尾田だよ」
キョウさんの数歩後ろに立っていた、キョウさんと歳の近そうな禿頭の男が会釈をした。
「なあ月子さんよ、1人なら俺達と飲まないかね。いつも朝はお互い忙しいからね、今日こそゆっくり話したいものだよ」
「残念だけど友達と待ち合わせをしてますの」
「何だい、じゃあ友達が来るまでに悪い虫が寄ってきちゃあ悪いから一緒に待とうじゃないか。なあ牛尾田」
「月子さんがそれで良いと言うんなら」
「良うございますわ。こんな暗がりですもの、一緒にいて下さったら心強いです」
ヘッヘッヘッと喜びの滲み出ているのが窺える笑い声を上げながらキョウさんが私の隣に立った。
キョウさんは横から見ると立派な鷲鼻をしていて、そこから顎先にかけての線が綺麗なEラインを描いている。暗がりにおいては西洋人と見紛う程くっきりとした横顔だ。そんな横顔は正面を向いた時の野暮ったい顔に比べればめっぽうに男前だが、別の人を見ているようでどうにも落ち着かない。私は正面から見るキョウさんの顔が好きらしい。
「月子さんは話し相手の顔をしっかりと見る人ですな」
牛尾田さんの呟きに私が恐縮する間も与えず、キョウさんが更なる喜びを滲み出させた笑い声を上げた。
「牛尾田よ、それなんだよ。月子さんは真っ直ぐに俺を見るもんだからね、好きになってしまったんだよ。お前も月子さんと話してたらそのうち好きになっちまうからよ、俺の為にあんまり月子さんを見ないでくれよ」
「俺は嫁さんが1番だよ」
「既婚者め、俺もそんな台詞が吐いてみたいや。なあ月子さん、嫁になれとは言わないが彼氏面はさせてくれないか」
唐突に手を握られたかと思えば、目の前で野暮ったい顔が小さな口を引き結んで、薄い目で真っ直ぐに私を見つめていた。
いつか面と向かって口説かれる日は来るだろうと思っていたが、いざ口説かれてみると嬉しいやら恥ずかしいやらで頭の中がフラッシュでも焚かれたように真っ白になり、牛尾田さんの口笛を遠くに聞きながらキョウさんの顔を見上げるのみである。
「つっこちゃん!」
唐突に響いてきた甲高い声によって私の思考が明瞭になった。鳥居の向こうから色鮮やかな浴衣を着た人影が向かってきていた。
「つっこちゃん、お待たせしたわね」
「そこらでナンパに捕まってね、なかなかしつこかったのよ」
人影の先頭、額に汗を滲ませた仁美と恵那が駆け寄ってきた。2人は私の前に立つ男の姿を認めるなり顔を強張らせ、私の腕に取りついてきた。
「つっこちゃん、この人だあれ?」
「キョウさんよ。いつも話しているでしょう」
「キョウさん!」
固く強張っていた仁美と恵那の顔が嘘のように緩み、花が咲いたような嬉々とした笑顔を見せた。少し離れたところで私達を見守っていた莉世と春奈も、満面の笑みで互いを見合わせている。
「もしかして告白かしら?」
「私達お邪魔かしら?」
「もう少し屋台を回っていようかしら?」
「むしろお開きの方が良いかしら?」
「俺は1人酒を嗜んでこようかしら」
友人らと牛尾田さんが語尾を合わせて冷やかしにかかった。キョウさんまでもが「おうおう邪魔するない」などと乗ってみせる。
そうしてせっかく友人らが迎えに来てくれたというのに、そのまま本当にお開きにしてしまいそうだったので、私は待って待ってと友人らと牛尾田さんを引き止めた。
「告白なら今さっき受けましたから。皆で屋台に戻りましょう」
「何、月子さん、俺の彼女になってくれるのかい」
「ええ、なりますとも。さっきは少しビックリしてしまったけれども、私の心は決まってましたの」
友人らが黄色い声を上げて拍手をし、牛尾田さんが厳つい顔に満面の笑みを浮かべてキョウさんの肩を叩いた。
「俺から恭介と月子さんに祝い酒を贈ってやろうじゃないか。お嬢さん達も飲んでいくと良い。酒はいける口かい?」
友人らは揃って「はーい」と元気の良い返事をした。彼女らの笑顔の眩しいことといったら、私がつい何分か前まであらぬ被害妄想に取り憑かれていたのが情けなくなる程である。
やがて社の周りにテキ屋の主人やら自治会長やら他の客やらがぞろぞろと集まってきた。友人らの上げた黄色い声が参道まで響き渡り、何か起きたのでないかと心配して駆けつけてきたらしい。
集まった人々に平謝りして帰ってもらおうとしたらば、友人らが「カップルが生まれました」などと言うものだから、そこで更に盛り上がってしまって、私は顔から火が出るような思いをした。キョウさんも少しばかりきまりが悪い様子であった。
とはいえ想い人と良い仲になれた喜びは恥ずかしさすらかき消すものなので、見ず知らずの人にまで交際を祝われるなどという恥ずかしい思い出も、いつか『忘れられない夏の思い出』などと言って語り草にできるような気がしている。
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