第2話 七緒少年とフーリーさん朝の稽古をする。
ここまでが僅か、二日間のできごと。
そして時は流れて――赤子であった
七緒少年の朝は早く、日の出と共に目を覚ます。
「ふああ……あふんっ」
むくりと起きてベッドの上であぐらをかき、
銀髪のショートには寝ぐせがつき、獣耳がぺたんと垂れていた。
七緒少年はキツネの獣人らしく体の線が細く
アンニュイな、7歳児なのである。
だらりとした尻尾を気だるげにふり、寝ぼけた頭にほど良く血が
麻のシャツに半ズボン姿の七緒は、首にタオルをかけ、部屋から出て暗い石の廊下をぺたぺたと裸足で歩く。
台所へおもむき
洗い終わり首にタオルをかけ直して、後ろを振り返る。
振り返るそこには台所用の大きなテーブルがあり、女がひっそりと椅子に腰かけていた。
少し
七緒が台所に入ってきて顔を洗うまでの間、ずっとそこに座っていたのだ。
というか、昨晩からそこに座っていた。
獣人ではない。
薄紫の髪を後ろでふんわりと束ねた、陶器のような肌をもつ女だった。
この世界では珍しい、どこか和を感じさせる服を着ている。
ヒノモト出身の七緒としては、とても馴染み深い格好だ。
七緒は近づき、声をかけた。
「お早うございます、フーリーさん」
するとフーリーと呼ばれた女の体から、微かな駆動音が響き、彼女が顔を上げる。
今始めて七緒を見るような、目つきをしていた。
「お早うナナオ、もう朝か」
七緒はこの世界でも、“ナナオ”と呼ばれている。
喋れるとバレていたので、赤子の頃からこちらの言葉を叩き込まれて、素性を根掘り葉掘り聞かれていたのだ。
赤子の頃の思い出としては、中身が何百年と生きた“妖狐”だとバレたのに、おしめを変えてもらうと言う、羞恥プレイを味わい続けた事だろうか。
「フーリーさん、朝の手合せをお願いできますか?」
「いいだろう、付いてこい」
フーリーはすくりと立ち上がり、台所脇の木戸から外へ出ていく。
七緒もその背に続いた。
屋敷の庭先で対峙する、七緒とフーリー。
2人の手には刃渡り50㎝ほどの、細身の剣が握られていた。
刃引きされていない、真剣である。
既に稽古は始まっているのだが、七緒の方が踏み込めず攻めあぐねている。
対するフーリーは、剣を持つ手をだらりと下げて
視線も、どこを見ているのか分からない。
一見スキだらけのようだが、それなのに七緒は剣を構えたまま動けない。
どこに打ち込んでも受け流されて、自分の方が腕を切り飛ばされる気がする。
七緒にとってこれは、フーリーの前に自分との勝負だった。
切り飛ばされる恐怖を越えて、踏み込む胆力が必要なのだ。
体に絡みつく迷いを断ち切り、七緒が短く息を吐き踏み込む。
それはとても7歳児とは思えぬ、間合い詰めだった。
妖狐としての筋力が踏み込む足裏のヒフを破り、庭の
刹那と言っても良い、超速の一歩。
ただし、フーリーには通じない。
七緒の全身全霊を込めた上段切りを、超速を超える神速で受け流し、七緒の両手首を切り飛ばした。
手首は握っていた剣とともに宙を舞い、庭木に突き刺さる。
七緒は切り飛ばされた両腕の脇を強く締めて、その場にうずくまった。
フーリーはそんな七緒を残し、切り飛ばした手首を拾いにいく。
七緒が足元に広がる、血だまりを見つめていると――
フーリーが拾ってきた手首を傷口にあてがい、懐から小さな風鈴を取り出してリリリンと鳴らした。
「
風鈴は上位の回復魔法が込められた魔法具で、その効果により、七緒の切り口が見る見るうちに閉じていく。
フーリーは修復しながら、短い感想を述べる。
「良い踏み込みだ。
お前の初撃をいなせる者は、そうそういないだろう」
フーリーは治し終わると、ぎこちなく七緒の頭をぽんと叩いた。
「私は朝食を作ってくる。
ナナオは血が流れた分、ここで少し寝ておけ」
「はあ、はあ、はあ……ありがとうございます」
「できたら呼ぶ」
そう言ってフーリーは、台所へ入っていく。
ひとり残された七緒は、ごろりと横たわって空を眺めた。
稽古の恐怖と痛みが過ぎれば、少年の顔にはただ満足感が残る。
「くくく。
初めは
なかなかどうして、面白い」
ものは試しとやって見れば、手加減を知らぬフーリーとの稽古は、短いものであっても死線を肌で感じてヒリヒリとするものだった。
それはヒノモトで腑抜けていた七緒の根性を、叩き直すには充分過ぎると言っていい。
気持ちがしゃっきりしてみれば、ものの見え方も変わってくる。
と言うか、本当に見ているものがヒノモトとは違った。
七緒は空を見つめ、土の匂いを嗅ぎ、草木の匂いを嗅ぎ、血の匂いを嗅いだ。
そのどれもこれもが、ヒノモトより濃すぎる。
妖狐として眼を凝らせば、空や草木に、“気脈”の流れが輝いて見えた。
気脈とは生命の輝きであり、それがはっきり見えるなど、ヒノモトであれば山深き霊場でしか拝めぬものだ。
つまりこの世界はヒノモトの基準からすると、至る所が社の境内以上の神域なのである。
この世界では気脈のことを、“魔力”や“
七緒は自分の流した血をすくい取り、ぺろりと舐める。
「うまい」
自分の中にも気脈が、魔力が、魔素が溢れていた。
「この俺がこの地へ転生したのは、恐らく何処かに
彼岸の御方が、うらぶれた俺に慈悲を御かけになってくれた……」
どなたかは存じませぬが、有り難きこと――
そう心に念じ問いかけるものの、神からの声は聞こえてこない。
「この七緒……生まれ変わったからには、その御恩に報いなければならぬなあ」
ヒノモトのように、腑抜けてうらぶれるのはもう御免だった。
妖狐の少年が、こんと鳴く。
「くっくっくっ、こーん、こんこんっ♪」
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