おっさん7歳児 罪深き魔女たちに溺愛され 誰にも真似できぬ魔道操作をやり始める そして時どき辺境タワーディフェンス(拠点防衛)
うちはとはつん
第1話 魔女と赤ちゃん
それは、小さな神社だった。
向かって左は、2階建てアパートのブロック塀。
右側は駐車場の金網フェンス。
そんな所に挟まれた横幅1mほどしかない、激せまな
ひょろりとした赤い鳥居越しに見える奥行きは、3mほどだろうか。
奥に鎮座する木造の拝殿も、一斗缶ぐらいしかなくボロボロ。
左右に置かれた狐の石像も、小さくて所々欠けていた。
その右の像より、人影がふわりと立ち現れる。
俗に“
男は“お
腰まで流れる銀髪が、絹のような光沢を放っている。
肌も抜けるように白く、身に付ける紺の着物が良く映えた。
涼しげな目元は人懐っこそうに細められ、
日没には、まだ少し早い時間。
「外はまだまだ存分に明かるいぞ」と、木の根元から這い出したニイニイ蝉たちが、わんさか鳴いていた。
そんな、初夏の夕暮れ前だった。
じーじー、わーわー。
蝉たちの恋の歌を浴びせられるお稲荷さんは、ほんのりと桜色の唇から深い溜め息をもらす。
「もう待っていられぬ、蒸し暑いっ、
色ぼけの蝉どもめっ!
陽が暮れるのを待っていたら、俺の心がカラカラに乾いてしまうっ」
そう言ってお稲荷さんは、腰から生える白い尻尾をぶるんと振り、カラコロと下駄を鳴らして路地を歩き始めた。
向かう先は、駅前のガード下にある居酒屋だ。
陽はまだ高いが、ガード下ならばそんな時間でも、きっと“デキあがっている”奴がいるだろう。
お稲荷さんは期待に胸を膨らませて、三角耳をピンと立てる。
駅へ近付くにつれ、行きかう人々も増えてきた。
そんな町中を、着流しの狐男が尻尾をふりふり。
子気味良く下駄を鳴らせば、当然目立つ――はずなのだが、そうでもない。
人々は、白い妖狐に目もくれず通り過ぎる。
彼ら彼女には、お稲荷さんの姿が見えないのだ。
男は、そういう
「おうっ、やってるやってる、流石ガード下っ♪」
お稲荷さんは目当ての“赤ちょうちん”へたどり着くと、ついついテンションが上がってしまう。
思った通り、明るいうちから飲んだくれている男どもが、ひいふうみい……5人。
店内は暑いのか、店先にある黄色いビールケースに座って、焼き鳥に
お稲荷さんはその内の一人へ、溶け込むように取り憑いていく。
取り憑かれた白髪交じりの男が、ぴくんと跳ねると、それまで泥酔して濁っていた眼が、噓のようにしゃっきりとする。
ビールケースを重ねただけの簡易テーブルを挟み、一緒に飲んでいた別の男が首をかしげた。
「何んでえ、猫背がしゃっきりしやがって、酒が抜けちまったか?」
「おうおう、抜けた抜けた、飲み直しさっ」
取り憑かれた男が振り返り、店先のパイプ椅子に腰掛けた店主へ声をかける。
「店主、ヒヤをもう一杯っ。
あと鳥皮と砂肝っ、それと炙った油揚げもくれっ」
ほろ酔いの時間はあっという間に過ぎていき、いつの間にか陽も落ちて、白かった月が夜空の真ん中でこうこうと輝いていた。
その間、お稲荷さんは取り憑く相手を、幾度も変える。
飲み屋も変えて、飲んだくれたちの財布を平等に軽くしていった。
そして今はどこかの店のカウンターで、見知らぬ誰かと飲んでいる。
「でね私は、本当に人じゃないわけ……
白狐なわけデース。
近所のボロい社に住む、お稲荷さんなわけデスヨ。
今はこうして人に取り憑いて、酒を飲んでるわけナノデース」
「キャミィさん、飲み過ぎだよっ。
言ってること、何かすげえ怖いんだけどっ!?」
「キャミィじゃ、ないデス。
私の名前は“
「あーもう、参ったなあっ」
隣に座る優男の呆れた声など無視して、キャミィこと七緒は、カウンターに突っ伏して喋り続けた。
「ボロいって言ったって、初めからボロかった訳じゃないデース。
昔は綺麗だったし、もっと大きくて広かったデスヨ。
それがさー。
何度も区画整理で社を移築されて、その度に社が小さくなって行った。
鎮守の森も削られて、どんどんどんどん……」
途中からヒノモトに憧れて留学したらしい、キャミィ
「その内、お
すると人も、肌で分かるんだよ。
途端に参拝する者が減ってしまって、寄り付かなくなった。
うちを無視して電車でさー、5コも6コも隣の神社へわざわざ参ってんだよ。
もう、こっちはやってらんないよっ。
そうしたらいつの間にか、俺の左に立っていた相棒も石造から現れなくなった。
消えちまったんだよ。
そして今は俺一人なわけ、あのボロい社に……
やんなっちゃうよなあっ」
七緒が横を見ると、キャミィをナンパしていた優男はもういなかった。
別の女を、引っ掛けに行ったのだろう。
「ちぇっ、男まで俺の前から、消えちまいやがんの。
どいつもこいつも、消えやがって。
本当、なんでかなあ……なんで俺だけ消えないんだろう?」
そうくだを巻きつつ、自嘲気味に笑う。
「くくくっ、分かってるさ。
実のところ、コレのせいだろなあ……」
七緒は空になった、麦焼酎のグラスを揺らす。
「酒が好きすぎて、
寂しくても酒を飲めば、何とかなるんだよなあ。
そのせいだ、きっと。
俺が消えないのは……下らねえ。
でもなあ……もう消えたって良いんじゃないかなあ。
もう一人は、何て言うかさ……
疲れたよ……本当に、嫌になる。
このまま酔い潰れて、消えたっていい。
俺みたいなミジンコ。
きえ、たっ……て……さ」
こうして七緒は今日も酒への未練を引き摺りながら、酔いに任せて眠りにつく。
そして不貞腐れた妖狐が、次に目を覚ましたとき。
そこは、此処ではない何処か――
*
とある、高次元の空間にて。
天から垂らされた蜘蛛の糸。
その糸に吊るされた、銀の鈴が鳴る。
ちりりりりん
無数の腕は稲穂のようにたなびき、それぞれの腕が、高次の空間に絶えず文字を書き連ねている。
その一つ一つの綴りが、転移または転生する者たちの行く先だ。
女神は、酒臭い妖しに顔をしかめる。
〈見事に、腑抜けておるな。
これも時代の流れか……〉
一千万手の女神は、高次の空間へさらさらと、転生先を書き綴る。
吹き荒ぶ嵐の夜に、獣人の赤子が生まれた。
それが不可思議な子で、栗色の髪をした両親から生まれたのは、白銀の髪をもつ赤ん坊だった。
それに加えて泣きもしない。
母の胎内から取り上げられた驚きで、顔を真っ赤にして泣き叫ぶはずが、一声も発さない。
赤子は外界を全く恐れず、のんきに微睡んでいるのだ。
そして、何故かとっても酒くさい。
確実に赤子の肌から、酒精の匂いが立ち昇っている。
取り上げた助産婦たちはどういう事かと狼狽え、不気味な赤子に息を飲み、祝福の言葉が出てこない。
そうしている内に赤子が目を
「ふああ……もう閉店デスカー?
まだまだ、飲み足りないデスヨー」
しかしそれは愛らしい泣き声ではなく、この場の誰もが聞いたこともない未知の言語だった。
八時間の苦痛を越えて我が子へ対面した若き母は、赤子の代りに絶叫した。
開けた途端に、目がぐるんぐるん回った。
「はれれ? 凄い酔ってるー!?
俺こんなに、飲んだっけな?」
赤子(七緒)の声を聞き、母だけでなくその場にいた女たちが、全員金切り声を上げた。
「なになに、どうしたっ!?
え!? なにっ!?」
赤子の動揺と、そしてまた女たちの悲鳴。
赤子を抱いていた助産婦が腰を抜かして、七緒を落としてしまう。
「いってーっ、何すんだっ。
……あれ? 目が良く見えないぞ!?
身体も上手く動かない、どうなってんだ!?
ん-っ、何か血生臭い!? ぬるぬるする!?」
更に女たちの、絶叫につぐ絶叫。
赤ん坊が何か喋る度に、叫び後ずさりして壁に背をつける。
祝福を受けるはずだった若い母は、とっくに気を失っていた。
「おい大丈夫かっ、何があったんだ!?
誰か教えてくれっ!?」
ぎいやああああああああああっ。
ひいいいいいいいいいいいいっ。
「何だよ、その悲鳴っ!?」
阿鼻叫喚の声を聞きつけ入室した男たちが、赤子を見て呻き、
誰かが呪われていると呟き、胸元で大きく
とある辺境で生まれた赤子は、人知れず町の教会に運び込まれ、引き取られる事となる。
しかしその教会も扱いに困り果てて、赤子は岬に住む魔導師の館へと運び込まれた。
誰もが赤子の処分を考えたが、殺した際に呪われるのではないかと怯えてしまう。
なにせ生まれながらに酔い潰れて、未知の言語を話す赤子なのだから。
しかしそんな赤子もタライ回しにされて、魔導師に抱かれる頃には
呪われた子と恐れられようとも、赤子は赤子なのだ。
この子には、保護する者が必要だろう。
魔導師は羊の乳を人肌に温め、布に染み込ませて赤子に与え始める。
ここまでが僅か、二日間のできごと。
そして時は流れて――
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