楽園

ムラサキハルカ

〇〇ゲーム

 とある高校の修学旅行。その夕食後。畳敷きの広間内で生徒たちが各々談笑を楽しんでいると、一人の黒づくめのスーツに身を包んだ若い男が上座に立った。室内にいる誰もが見たことがないその人物は、かけているサングラスを右手でずらしながら、どこか砕けた調子でわざとらしい咳ばらいをしたあと、

「こんばんは。私の名前は……どうでもいいか」

 そんな前置きとも言えない前置きをして、

「早速で悪いが、この修学旅行は我が組織がジャックした。君たちには、大変残念なことかもしれないが」

 などと告げた。これを聞いた大半の生徒たちは、レクリエーションの一環だと思ったのだろう。ノリのいい男子生徒のグループは、いいぞもっとやれぇ、とはやし立て、その周りにいた大人しめの女子生徒たちの集まりは、騒ぎ立てる少年たちに冷ややかな目を向け、そこから少し離れたところに座った男子の委員長は、いつの間にか担任教師たちがいなくなっているのに気が付いたりした。

 そんな各々の反応を気にしているのかいないのか、スーツ姿の男性はサングラスの縁に指をかけたあと、

「これから君たちには、ゲームをやってもらう」

 などと思わせぶりに宣言した。

 こうした流れに、エンタメに詳しい一部の生徒たちはピンと来たらしい。

 ノリのいい男子グループの代表であった、沢渡邦彦さわたりくにひこは、はいはいはい、と勢いよく飛び跳ねながら手をあげた。野球部伝統の坊主頭と、高い身体能力感じさせる跳躍力は、猿を思わせた。

「君は……沢渡邦彦君か」

「お兄さん、俺のこと知ってんの」

「このゲームを実行するにあたって、上司に覚えさせられたんだ。だから、君らの顔と名前は一応、覚えている……はずだ」

「やけに自信無さげじゃん」

「年をとると記憶力が……いや、そんなことはどうでもいいな。それで、沢渡君は私に何を聞きたいのかな?」

「今から俺らがやるのって、デスゲームってやつ?」

 この沢渡の発言に対する反応は分かれた。沢渡の周りにいた男子生徒は、よっ待ってました、などと手でメガホンを作るなどして盛り上げようとし、その周りの女子生徒たちは呆れたようにため息を吐き、男子委員長を含めた一部の生徒たちの目は真剣さを帯びた。

「いやいや。さすがにまだ大人になりきっていない君らの命を奪うのは、私たちの組織としても忍びない。そこまではやらないよ」

 その発言に、なんだよつまんねぇな、と大袈裟に盛り下がるグループやほっとするもの、興味なさそうに友人たちとの雑談をくりかえすものなどがいる中、男はサングラスの角度を調整しながら、

「ただし、ことと次第によってはそれ以上のものを失うかもしれないがね」

 どこか悪魔的に笑った。そこで手を上げたのは、大人しい生徒たちのグループの中心を担う、新田理沙にったりさだった。

「あの」

 四角い眼鏡のレンズ越しに不安げな目をする少女の左手は、黒いブレザーの赤リボンを神経質そうにいじっていた。

「はい、ええっと……新田理沙さん」

「あれ、なんですか?」

 リボンに触れているのとは反対側の手で指さしたのは、スーツの男の後ろ。そこにはいつの間にかカメラを構えた多数の男女が控えている。

「よく、気付いたね」

「いや、こんなにたくさんいたら、誰でもわかるでしょ」

「それもそうだな。このカメラを通して、君らの様子は逐一、リアルタイムで配信されているんだ」

「なんのため、ですか?」

「楽しい楽しいゲームの配信のためだ」

 男はニヤリと笑ったあと、小説の探偵が見せるような無意味な徘徊をしはじめる。

「君たちにやってもらうゲームを一言で表すならば……クソゲーとでも言っておこうか」

 なんのことかわからずポカンとする一同の前で、実際に見てもらえればわかるだろう、と告げた男は、プロジェクターをおろす。そこに映し出されたのは、先程までこの場にいたはずの担任教師たちだった。彼ら彼女らは手足を柱に縛りつけられ、各々が険しい表情をして、なにやら喚いている。いったい、なにが起こっているのかわからない生徒たちの前で、

 ブリュブリュブリュブリュ!

 トイレなどでお馴染みのあの音が響き渡った。途端にもよおしたと思われる中年女性教師が顔を抑える。それに釣られるようにして、もらいブリュブリュブリュが発生したらしく、プロジェクター内ではある種の地獄が顕現した。

「おわかりいただけたかな」

 壇上から放たれるドヤ顔の語りに対しての反応は、わけがわからずに呆然とするもの、汚ねえもんみせやがってと憤慨するもの、そして点と点が繋がり顔が真っ青になるもの、といった風に分かれた。

 こうした生徒たちを見た男は、これは失礼と、右手で顔を覆った。

「私だけわかってニヤニヤしているのはお行儀が悪かったな。もっと端的に分かりやすく説明しよう」

 などと更に迂遠な前置きをしたうえで、

「君たちがバクバクと食べていたおいしいおいしい旅館飯。そこには象さんでももよおすほどの効き目の速い下剤が仕込まれている。間もなく、君らもそこのプロジェクタ内で恥を曝している大人たちと同じ運命を辿るだろう」.

 瞬間、広間は阿鼻叫喚のパニックに陥った。室内のおおよそ半数がトイレへと走りだそうとする。しかしながら、広間前後の出入口はいつの間にか外から鍵がかけられ、開けられないようになっているらしかった。先頭の生徒たちがドンドンと扉を叩いたところで、ああ無常、ビクともしない。そんな生徒たちに、まだまだ話の途中だ、とさわやかに話す男の声は、プロジェクタから教師たちの悲鳴が鳴り響き続けているせいもあり、明らかに浮いていた。

「そんな君らに朗報だが、これからしばらくしたら、扉を開放する。だが、旅館内にある君らが目的にしているであろう楽園は、夕食の時間中に全て封鎖させてもらった」

 なぜ、そんなことをするのかわからない、という多くの生徒たちの視線が男に突き刺さったが、当の本人はさほど気にしていないらしく、

「これから君らにやってもらうクソゲーは、つまるところ君らにとっての楽園をみつけてもらうことだ。少しだけヒントを上げるのであれば、楽園は旅館の近隣十キロ以内にたった一つだけ存在する。その一つを探して、君らの目的を遂げるのが今回のゲームの目標だ」

 いけしゃあしゃあとゲームの趣旨を述べた。

「てっめぇ」

 その際、恐慌状態に陥っていたいた生徒たちの内、沢渡が飛び上がりながら壇上の男へと殴りかかろうとした。しかし、体重の十分乗ったはずの拳はたやすく受け止められ、よっと、という気の抜けた声とともに、哀れ少年の体は畳の上に叩きつけられた。

「ちょうどいいし、君には生贄になってもらおうか」

 そう告げた男の声に反応するように、後方に控えていたカメラマンたちが集まってくる。いったい、何が起こるのか、と固唾を飲む生徒たちの前で、ほいっと、と男の拳が沢渡の腹に刺さった。

「はがっ」

 気の抜けた声と絶望に染まる少年の表情。直後、

 ブチュチュチュッブリュブリュブリュ!

 豪快な脱糞音が広間中に響き渡る。途端に周りの生徒たちも、下剤が効きだしたのか腹を抑えはじめる。

「見るなぁ! 見ないでくれぇぇぇ! なに撮ってやがんだ! 撮るな、撮るなってば!」

「このように、君らの脱糞の様子は誰一人漏れることなくカメラマンがおさめ、リアルタイムで配信される。脱糞の瞬間が重なった場合も、後にリプレイで放送され直されるから安心してくれ。これで君らは全世界の人気者だ、良かったね。残念ながら、人気者になりたくないという子たちは、必死に楽園を目指して走ってくれ。ああ、別に野糞をしてくれてもかまわないが、その様子もモザイクなしでしっかり放送するから、よろしく頼むよ」

 沢渡の悲鳴をBGMにしながら、涼しい顔で、本人の言うところの『クソゲー』について喜々として語る男。向かい合う生徒たちの多くは腹を抑えつつ男を睨んでいたが、大半は目下の問題をどうするべきか、回らなくなった頭を駆使して考えようとしていた。

「最後に、私たちのボスからのありがたいお言葉を頂戴する。ちなみに、今前にいる沢渡君のように、ゲーム開始前に漏らしても、世界中で有名人になれるのには変わりがないから、安心してクソをひりだしてくれたまえ」

「ふざけんな! チクショウ。止まんねぇ、ウンコが止まんねぇ!」

 ブリュブリュブリュとブリーフに全てを吐き出し続ける沢渡の悲鳴が鳴り響く中、我慢できずにミを漏らしはじめる不幸な生徒が出はじめていた。赤信号と同じでみんなで渡れば怖くないの精神であったのだろうが、残念ながら暇をしていたカメラマンたちが脱糞の様子をビデオにおさめにいく。見ないでよぉ、だとかいう女子の声や、十万払うから放送しないでくれ、という小太りの少年の願いもむなしく、こちらもまたリアルタイムで放送・消費されていく最中、プロジェクタからは全員が漏らし終え尊厳を奪われた担任教師たちの姿が消える。代わりに現れたのは、黒い紋付き袴に袖を通した白髪の老人だった。

「はじめましてだな、諸君。儂は……名乗るほどのものでもないな。ただの少しばかり金を持った老いぼれだと思ってくれればいい。今日は、なぜ儂が君らにこのような試練を課したかを話して、開会の挨拶に変えさせてもらおう」

 そう言って、老人はすーっと目を細めた。漏らした者も、一部の尻の穴を抑えている者も、ここには余人には語れぬ事情があるのではないのか、そう思わせるなにかを感じ固唾を飲むついでに、括約筋への意識をおろそかにした二名が闇に飲まれたことをここに付記しておく。

 スーツ姿の男にボスと呼ばれた老人は穏やかに微笑んだ。

「儂がこんなことをしたのはな――ただただ、儂の楽しみのためだ」

 しかしながら、実際にお出しされた理由はあまりにも薄っぺらなものだった。怒りか呆れからか、ぶりっとした小柄な少女がまた一人有名になったところで、老人は右掌を仰向けにし、そこに乗ったなにかを転がすようにして五本の指を動かした。

「儂がこうして指先を動かすことで、否、指を一ミリを動かさないまま、儂のために若人たちが無意味な存在の危機に曝され必死になる様。儂が見たいのは、諸君らの命の輝き、すなわち美しさだ」

 そこまで告げたところで、老人は黄ばんだ歯を見せつつ下品に笑う。

「いいか、諸君。死ぬつもりでやれ。そして、儂にその輝きを見せてくれ」

 直後にプロジェクタから老人の姿が消え、次に映しだされたのはパンツを脱がされた教員たちの前で、漏らした尿や糞が付着し下着が曝される様だった。映像に反応したのか、気色悪そうな顔をしたひょろりとした男子生徒が屁とともにミを出したのに、カメラマンが殺到する中、スーツ姿の男は背筋を伸ばした。

「ボスのありがたい言葉いただけたことだし、はじめようか。ゲームスタートだ」

 その宣言と同時に広間の前後にある扉から、ガチャリ、という音が聞えた。


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