あたしの周りは少しおかしい

九JACK

第1話 多様性なんてくそくらえ

同性愛、性同一性障害、ハーフ、PTSD、スマホ依存、オタク、性転換、同人誌。多様性の世の中と言われる現代。

 そんなになんでもかんでも「多様性」という言葉で許すのなら、

 あたしのことも、許してよ。


尚弥なおや、尚弥、おはよう」

 あたしの一日は少女のようでいて少年のような思春期のアンバランスさがよく表れた兄の声で始まる。

 カーテンが一枚開けられて、レースカーテンが陽の光を通す。それは朝の健康的な光景だ。あたしはよく眼力が強いと言われる目で、あたしを起こした人物を見上げる。

 その人物はばちりと目が合ってしまう前に、ふいっとよそを向いた。こういう反射神経だけいいの、どうかと思うんだけど。

 兄の島﨑しまざき香折かおりは極度の人嫌い……というわけではなく、人と目を合わせることだけがどうしてもできない人間だ。あたしは兄の顔を真正面から見たことがない。兄がいつもこうやって顔を逸らすからだ。思春期とかそういうレベルの問題じゃない。

 まあ、それは今はいい。あたしは今中学二年生。十四年近くも同じ家で暮らしていれば、慣れもするというものだ。普通に腹は立つけど。

 それにしたって、兄はもう準備万端だ。髪の毛が綺麗に編み込まれている。

 兄は人の髪を弄るのが趣味だった。自分の髪で毎日色んな編み込みを練習して、こうして毎朝、あたしの髪を結いに来る。今はインターネットが普及しているので、本とか買わなくても、スマホ一台あれば大抵のことは調べられる。兄の検索欄は「編み込み やり方」「編み込み 動画」「編み込み トレンド」など履歴十五個全部編み込み尽くしである。

 別におかしなことはない。男の美容師なんて昔からいるし、気取った感じのヘアメイクアップアーティストなんてのは大抵男がやっているイメージだ。まあ、自分のヘアメイクまでするかどうかは別として。

 兄の髪結い好きは単なる趣味だ。可愛くなりたいとか、女の子になりたいとか、そういう願望があるわけではないらしい。名前のせいでそういう趣味と捉えられることが多いみたいだけど。

 多様性の世の中。

 あたしはこの言葉が大嫌いだった。

「着替えるから、出てって」

「あ、うん」

 あたしはベッドから出て、兄がドアをぱたんと閉めるのを見計らい、さくさくと制服に着替えた。特に何の面白味もないセーラー服に袖を通す。ちなみに兄は中三で、学ランなのだが、これがまた編み込みをした兄に超似合わない。ワイシャツまでは普通なので、学ランが良くないのだろう。

 あたしは背中の真ん中らへんまで伸びた長い金髪を服の内側から外側に出す。毎日兄が手入れしてくれるおかげで、憎たらしいほどに綺麗だ。陽光を透かすと、オレンジ色に煌めく。

 あたしの両親は生粋の日本人だ。兄も編み込みをしているため多少派手に見えるものの、綺麗な黒髪。そんな中で生まれたあたしだけが地毛の金髪だった。

 本当に意味がわからない、突然変異の話だ。

 別にファンタジーとかそういうことはない。わかりやすく言うなら、あたしの髪が金髪なのはアルビノのようなものらしい。メラニンだかなんだか、髪の色素が少ないんだと。

 ただ、アルビノというのはあくまで例えであり、あたしはアルビノではない。仕組みとしては近いけど、それは髪の色素が薄いというだけであり、目は茶色をしている。ついでに調べたら、アルビノは目の色素も薄いせいで、目が見えにくいんだって。そこまで不便にならなくてよかった、と思うけれど、正直、これはこれで不便だ。

 まず、「多様性の世の中」と言われているものの、外国人でもないのに金髪のあたしは社会から白い目で見られた。学校からなんかも、地毛であることを何度も疑われ、何度も同じやりとりや証明をしなければならなくて面倒くさくて仕方がない。まあ、親がそこはフォローしてくれたけれど、あたしは正直、両親も気に食わない。

 兄という男の名前に「かおり」妹である女のあたしに「なおや」なんて性別錯誤な名前をつける時点でどうかしている。兄の場合は「かおり」じゃなくて「かおる」だったらまだ男の名前として通るけれど、あたしの「なおや」はさすがに言い逃れできないだろう。

 それに兄が人と目を合わせることができないのは両親による厳しすぎる幼少時代の教育の賜物だ。対して年子であるあたしに対してはゲロを吐きそうなくらいに甘い親。あたしからしたら、充分に「毒親」と称するに値した。

 だから、あたしは両親が嫌いだ。兄は腹立つけど、そんな毒親の被害者と思えば、同情もするし、何より……

 ぱたりとドアを開けて、洗面所に向かえば、兄がそこで待っていた。さらさらと揺れるあたしの金髪を見て、目を細める。

「相変わらず、尚弥の髪は綺麗だね」

 多様性の世の中。そんな上っ面だけの言葉で彩られた世界でも許されないあたしの金髪を、何の裏もなく、純粋に「綺麗」だのと言ってくれる唯一の人だからだ。


 ……と、兄が唯一というわけではなかった。

 朝食を食べて、鞄を引っかけて通学路を歩いていると、あたしたちの名前を呼ぶ声が聞こえる。

「香折ちゃーん! 尚弥ちゃーん!」

 とたたっと元気よく駆け寄ってきたのは兄の幼なじみで同級生の女の子。光の加減で茶髪っぽく見える髪をボブカットにしているその子の名前は色埜いろの美青みお。元気っ子で不思議っ子な女子中学生である。

美青姉みおねえ、おはよう!」

「おっはよう! なおちゃん今日も飾り編み素敵だね! 金髪だとより映えて綺麗!」

 あたしはノリで美青姉とハイタッチをする。

 美青姉はあたしの金髪を綺麗というもう一人の人だ。そこが不思議ちゃんなわけじゃないけど、人と目が合わせられなくて、人間関係の狭い兄とは対照的にフランクな性格で、誰とでもすぐ打ち解けられるコミュ強である。

 美青姉はあたしの顔をまじまじと見て、それから太陽みたいににかっと笑った。

「相変わらず、尚弥ちゃんの目は力強い金色をしてて見てると背筋が伸びるよ」

 美青姉が不思議っ子なのは、人の目の色が実際の目の色と違う色に見えるという点だ。本人は自覚はしているようだけれど、その異常性のことは全く気にしていない。目の色が違って見えるだけなので、「不思議っ子」という認識で周囲もあまり気にしていないようだ。

 ただ、目の色だけが違って見える、という自分の感覚を美青姉は非常に楽しんでいるらしく、兄と対照的に自分から人と目を合わせたがる気質を持つ人だ。そのため、幼なじみである兄の目の色を確認しようと、毎日隙あらば兄の顔を覗き込もうとする習慣がある。

 あたしと美青姉の間ではそれを「香折ちゃんチャレンジ」と呼んでいて、放課後、家に帰ると、美青姉から「今日の香折ちゃんチャレンジは失敗」なんてメッセージが送られてくるのだ。いつか間違って成功しないか、という楽しみでもある。

 そんなこととはつゆも知らない兄は美青姉とも顔を合わせず、そっぽを向いて「おはよう」と小さく返すのみ。これもあたしが兄に苛立ちを覚える点である。

 普通の人からすると異常な点を抱えるあたしたちに普通の人と同じ態度で接してくれる美青姉の偉大さとありがたさを幼なじみをやっておきながら一ミリも感じていないような兄の態度が気に食わない。あたしは美青姉が好きだからこそ尚更。

 聞けば、人と目を合わせられないために、極度のコミュ障として認識されている兄とクラスメイトの仲を取り持ってくれているのは美青姉だという。兄は親の鬼教育により、ちゃんと「ありがとう」の言える人間ではあるけれど、それすら目を合わせて言わない。自分のことではないが、腹が立つ。

「かーおーりちゃん、こっちむーいて!」

「……ごめん」

 兄は幼なじみで親友と言ってもいい美青姉とすら目を合わせない。重症だ、というのと同時、やはりいらいらする。

「むう……まあ、いいけど。おはよ、香折ちゃん」

「うん、おはよう」

 顔は見ないけど、ちゃんと挨拶はするだけマシなのか?

 とにもかくにも、美青姉はこんなやつによく何年も付き合っていると思う。本当に尊敬する。

「わあ! 香折ちゃんの髪、今日もぴしっと決まってていいね!少し編み込みの量、増やした?」

「うん、普段は二つに分けてのやつなんだけど、三つに分けてのやつを一つにまとめる動画が今バズってて、丁寧に説明つきでやってる人のを見て真似してみたんだ」

 趣味のこととなると饒舌になるが、やはり誰とも目を合わそうとしない。通りすがりの人の目線すら警戒しているような徹底ぶりである。

 学校が近づいてくると、同じ制服の生徒たちの姿が増えてくる。美青姉はテンションが高くて声も大きいので、生徒たちには自然と「香折ちゃん」と呼ぶ声が耳に入る。それに振り向くと、美青姉の隣を歩くのは男子生徒なので、何人もが戸惑う。それがあたしたちの通学路の日常風景だ。

 ただ、その中には兄たちのクラスメイトもおり、兄の性別を知っているため、ちらほらとからかい声で「香折ちゃんだー」なんて声をかけてくる輩もいる。

 香折という女っぽい名前は兄のコンプレックスの一つだ。けれど、人の目を見て話すことのできない兄は上手く言い返すことができない。

 そんなとき、美青姉がじろ、とそいつらを睨んで退散させている。本当に頭が上がらないよ。

 兄が迷惑をかけて申し訳ない、と美青姉に言ったことがあるんだけど、美青姉は「全然迷惑なんかじゃないし!」とあっさり答えた。あのときは呆気にとられて、口をあんぐりと開けたまま固まったなあ。

 あたしの金髪も、兄の異常性も「個性でしょ? 多様性の世の中っていうし」と素直に答えてくれたのは今のところ美青姉だけだ。美青姉が口にした「多様性の世の中」だけはちゃんと正しく多様性を受け入れていて、心が温かくなった。

「なおちゃんは今日部活?」

「はい。バレー部は土曜に練習試合があるので」

「聞くになおちゃん、次期エースと呼び声高いらしいじゃん。頑張ってね!」

「ありがとう、美青姉。おにいのこと、よろしくね」

「任されたー!」

 なんて言葉を交わして、あたしは兄と美青姉と昇降口前で別れた。

 ローファーから上履きに履き替え、階段を上っていくと、背後から突き刺さる目、目、目。

 染めていないのに金髪であるあたし、それを咎められないあたしのことをほとんどの生徒は妬んでいる。

 綺麗だから羨ましがってるんだよ、と兄は言うが、受けていて心地のいいものではない。

 自分のこと以外、多少楽観的なところのある兄の発言はムカつくが、一理や二理くらいはあるはずだ……と信じたい。

 溜め息を吐きたくなる。何が多様性の世の中なんだか。どんなに無実を主張したところで、あたしに突き刺さる偏見の目は変わらない。大人すら認めてくれない。「個性を大事に」とかほざいておきながら「地毛が金髪」というあたしの個性を世の中は認めてくれない。

 あたしも思春期だし、思春期関係なく、ずっと髪のことは悩んできた。もしかしたら、多様性の世の中で地毛が金髪なんて異常を認めてもらおうというあたしの考え自体が間違っているのかもしれない、と思い悩んだこともある。

 でも、みんなの言う多様性にあたしは含まれないの? 多様性多様性言っておいて、それはあんまりにも不平等じゃない?

 あたしはそう考えるから、堂々としている。幸いなことに、学校側は証明だの説明だのをしたら、あたしの地毛が金髪であることを容認し、「染めろ」だのと面倒くさいことを命じてはこなかった。

 校則では学校の方針が公式だ。だから、公式から認められたあたしの地毛が金髪であることは何も後ろめたいことはない。

 だからあたしは堂々と歩く。前を向いて。後ろ指を指されていようと知ったことか。あたしが俯く理由なんて、微塵もないのだから。

 そう胸にあたしはつかつかと階段を上り、教室に入り、自分の席に就いた。

 今日も、一日が始まる。

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