第5話 Sideハク 欲しいもの
※注意※
今回のお話は三人称視点です。
今後も「Sideハク」のお話は、基本三人称で書いていく予定です。
また今話には流血描写、残酷表現がございますので、ご注意ください。
――――――――――――――――――
「くそっ! くそくそくそっ! ふざけるな畜生っ!!」
某国。某日。
廃工場。
五十過ぎの男は、数十人の部下たちが造作もなく殺戮されていくのを見ながら、その場で情けなく腰を抜かした。
男はマフィアだった。
暴力で成り上がった、根っからの武闘派。
当然、人も大勢殺してきた。
何の躊躇もなく、何人も。
男はもっと成り上がりたいと欲を持ち、途方もなく大きな組織の中のトップに立つため、自分よりも上の者たちを手当たり次第に殺しまくった。
そのようなことが許されるはずもないが、しかし戦闘に特化したこの男には誰も敵わず、最終的に殺し屋が派遣された。
それも、ただの殺し屋ではない。
「全員……や、殺りやがった……! 何て女だっ! くそっ、くそぉっ!」
銃で武装した、百戦錬磨の屈強な部下たち。
彼らをナイフ一本で片づけ、涼しい顔で迫って来る殺し屋。おおよそ人間とは思えない所業を目にし、男はガタガタと奥歯を鳴らす。
裏社会で誰もがその存在を知る、最強の殺し屋集団。
そこに所属する者の中でも、とりわけ優秀な殺し屋――“
年齢は二十歳ほど。
銀の髪と瞳。美麗な容姿には似合わない、獣のような捕食者の眼光。
こいつはやばい。――男の第六感が、そう告げていた。
逃げなければいけないのに身体は動かず、動いたところで逃げ場などどこにもない。
「ちょ、ちょっと待て! 待ってくれ!」
両手を前に突き出し、必死に停止を呼びかけた。
「あんた、何か望みはねえのか!?」
「望み……?」
「金が欲しいとか、男を抱きたいとか! 何でもいい! 殺しが好きなら、子供だろうが老人だろうがいくらでも用意してやる! もし見逃してくれるなら、何だって叶えてやるよ!!」
相手は凄腕の殺し屋。
こんな露骨な命乞いが通じるとは思っていない。
男は時間が欲しかった。
天井に待機させていた部下が、ティエを背後から狙撃するまでの時間が。
(今だ、やれっ! そいつの頭を吹っ飛ばせ!!)
ライフルの銃口が、ティエの後頭部を狙う。
生き残った、と男は心底安堵しており、既にその顔には余裕が浮かぶ。
撃鉄を起こすライフル。
しかしその弾は、誰一人傷つけることなく地面に着弾した。
狙いは完璧。そこにミスはない。
避けたのだ。
完全に視界の外からの銃撃。マッハ2に及ぶ弾丸を、最低限首だけを逸らして。
そしてすぐさま、後ろへ向かってナイフを投げた。
それは吸い寄せられるように宙を切り、狙撃手の脳天に突き刺さる。
「……ば、化け物……っ」
消え入りそうな声で呟く。
同じ生物と相対している気がせず、男は意識が遠くなるのを感じた。
ティエは新たなナイフを取り出し、ザンッと男を切り裂いた。
返り血に染まる肌と髪。
いつまで経っても慣れない不快感を引きずりながら、殺し屋は静かに仕事を終えた。
◆
「お疲れさーん。相変わらずティエは仕事が早いね。あんたのそういうとこ、好きだよ」
「お疲れさま、ドラド。褒められても嬉しくないから、早く車出して。シャワー浴びたいの」
「へーい」
廃工場のすぐそばに停まっていた、黒い軽自動車。
助手席に乗り込んだティエに、運転席に座る褐色肌の女性――ドラドはニコニコと微笑みかけた。
しかしティエは最低限の受け答えをするだけで、タオルで顔を拭いながらドッとため息をつく。
「暗いね。どしたの、何か不満?」
「血が嫌いなの。臭いし、ベタベタしてるし」
「ふーん。だったら殺し屋なんかしなきゃいいのに」
「……これ以外にどうやって生きたらいいかわかんないもん」
ティエの呟きに対し、ドラドは「確かにー」と軽い調子で笑いながら返した。
「ちょっとこれ、確認しといてー。次の仕事の資料だから」
「ん、わかった」
ドラドから紙の束を受け取り目を落とす。
すぐさまティエは首を傾げ、隣へ視線を流した。
「この伊波って日本人……ただの一般人じゃない? 何でこんな人がターゲットなの?」
ティエが今まで始末してきた人間は、程度の差はあれど、誰も彼もが殺されても仕方がないような屑ばかり。その上で表社会か裏社会、もしくはその両方で権力を持っていた。
しかし次のターゲットは、資料を読む限り真っ白な一般人。命を狙われる理由など、どこにも見当たらない。
「そんなの知らないよ。ティエもわかってると思うけど、アタシは上とあんたら殺し屋の連絡役。右から来たものを左に流してるだけ。詳しい事情なんか知るわけないでしょ」
「いやでも、見た感じ完全に普通の人じゃ――」
「やるかやらないか、どっちかだよ。あんたがやらないなら、別のやつに仕事が回るだけだし」
「……わかった、やるよ。任せて」
組織の中には、ターゲットを執拗に苦しめる者もいる。
何も悪いことをしていないのに、人生の最期がそれではいたたまれない。
だったら自分がこの手で、少しでも苦しむことなく終わらせてやろう――と、ティエは思った。
「そいやあんたって、何か望みとかないの?」
「え? い、いきなりどうしたの?」
「さっきのターゲット、天井のとこに狙撃手配置してたっしょ。これは流石のあんたも死ぬかなーって、こっそり見物してたんだよねー」
「……悪趣味だね」
「そしたらあのターゲット、望みがどうとか言ってたでしょ? あんた何も答えなかったけど、欲しいものとかあるのかなって少し気になってさ。アタシら結構付き合い長いけど、あんたがまともにお金使ってるとことか見たことないし」
ティエは外の景色に視線を移し、「欲しいものか……」と小さく零した。
街の中を走る車。
飲食店のテラス席で仲良く食事する親子三人。手を繋いで歩くカップル。元気に遊ぶ子供。――そういう何でもない日常が眩しくて、ティエは目を細めて俯く。
ああいうものに憧れる。
普通の女の子として生活してみたい。
だが、どう渇望したって手に入らない人生。
人殺しの自分が受け入れられるとは思えないし、仮に隠したってどこかでボロが出たら幻滅されることは間違いない。
返り血に染まった自分と普通に接してくれる人など、きっとこの世にはいない。
「……欲しいものなんかないよ。そんな下らないこと聞いてないで、さっさと家に帰して」
「へいへい。つまんないのー」
トンネルに入り、車の窓に自分の顔が映った。
しおれた花のような情けないその顔に、ティエは今日二度目のため息を落とした。
◆
『あ、あんたがターゲットを殺し損ねた!? 相手は一般人なのに!?』
伊波の抹殺に失敗した夜。
ティエは電話にて、ドラドに今日のことを話した。
「えへへー、そうなの。失敗しちゃった」
『え、えへへって、いやいや。あんた、何かおかしくなっちゃった? あの泣く子も黙るティエが――』
「ティエじゃなくてハクだよ。私の名前。伊波につけてもらったんだ」
『はぁあああああ!!?』
わけがわからず絶叫するドラド。
ティエ――否、ハクはベッドに寝転がりながら、ニヨニヨと頬を緩ませていた。
そして今日の出来事を一から順に説明すると、ドラドは重々しいため息を漏らす。
『……要するにあんた、ターゲットにほだされちゃったわけか』
「ち、違うよ! ただ伊波は、自分を殺そうとした私と一緒にご飯食べてくれて、一緒に笑ってくれて、名前までつけてくれてさ。それに帰る時、気をつけてって……えへへっ、普通の女の子みたいに扱ってくれたの! だから食材もあるし、今日はいいかなって!」
『そういうのをほだされたって言うんだよ』
ドラドはもう一つ嘆息して、『何でもいいけどさぁ』と投げやり気味に言った。
『気をつけなよ。絶対妙なのがあんたを殺しに来るから』
「何で?」
『ティエがしくじったなんて話を聞いたら――』
「ハクだよ、ハク。間違えずにそう呼んで」
『……は、ハクがしくじったなんて話聞いたら、腕が落ちたって思うでしょ。この機に乗じて、あんたを殺して名を上げようってやつが出て来てもおかしくない。実際この前も、その手の輩に絡まれてなかった?』
「あぁー、そんなこともあったなー」
『……全然気にしてなさそうだね。まあ、日本みたいな国で暴れるのはリスキーだから、白昼堂々撃ってきたりはしないだろうけど。一応、警戒は忘れないように』
「うん、わかった」
通話を切ってスマホをサイドテーブル置き、ベッドの上を右へ左へゴロゴロと転がった。
瞼を閉じれば、伊波の姿が思い浮かぶ。
背は高め。ちょっと幸が薄そうだが、端正な顔立ち。
調理中の横顔は真剣そのもので、素直に格好いいなと思った。
手にはまだ、彼の服の袖の感触が残っていた。
いつもは血まみれで不快なだけの手が、今日はやけに温かくて心地よくて落ち着かない。
「……ほ、ほだされたわけじゃないよ。ちゃんと仕事はするし。そのうち、するし……うん……!」
そう独り言ちて枕に顔をうずめ、バタバタと足を動かした。
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