八尺バベル 弐
おれの名は
今世界で最も熱いカードゲーム、ヴァリバブルサーガ。通称ヴァリサガ。男性も女性もみんなヴァリサガしている。これを読んでるおまえも既プレイヤーだ。
八尺バベルとの戦いから1ヵ月が過ぎた。結局、あの日以来、あのお姉ちゃんとは出会っていない。その代わり、ヴァリサガをするたびにおれを呼ぶ声は大きくなっていった。コッチヘコイ、コッチヘコイ……そんな声が鳴り響き、戦いに集中できないようになっていったのだ。
そして、そんなおれは……いま……。
実家の縁側でスイカを食べていた。
照りつけるような日差し! 風鈴の音! ちまちまと種をほじくったあとに食べる甘いスイカ! おかわりもあるよと、おばあちゃんが数切れのスイカを持ってきてくれた。夏休み、最高だ!
……もちろん、夏休みの実家帰りではあるけれど、もう一つ目的があった。お祓いだ。今のおれの状態はナニカが取り憑いてるんじゃないかと、神社育ちの友達、大が言っていたのだ。彼の家は妖怪封印が専門で、撃退は別の場所じゃないといけなかったらしい。そしてたまたま、実家近くの神社がそういう場所だったのだ。名を退魔神社。悪いものをめちゃくちゃ追い払ってくれそうだ。
実家に住む爺ちゃんも、退魔神社にかなりお世話になったらしい。くねくねといかいう奴を見てラリった時も、森で「はいれたはいれたはいれた」とかナニカに入られたときも、すぐに撃退してくれたと言っていた。そういうわけなので、爺ちゃんも退魔神社を推してくる。憑かれすぎだろと思ったが、今年で90になる爺ちゃんがこれだけ元気なのだから、神社は確かな力を持つのだろう。
そういうわけで、スイカを食べ終わったら退魔神社に行く予定になっていた。もう、あんな1000枚以上のデッキの悪夢からはおさらばだ。そう思っていた。この時までは……
◆ ◆ ◆
田んぼ沿いの道を歩くこと30分。退魔神社の鳥居が見えてきた。爺ちゃんばあちゃんも付き添いたそうにしていたが、流石に二人とも足が悪く、おれの方から断った。そういうわけで、おれは今一人で神社の前まで来ていた。
暑い時期だというのに、神社の前では二人の子どもが虫とり網を振り回して遊んでいる。チョウとかトンボを捕まえようとしているのだろうか。おれも小さいころに覚えがある。じっと見ていると、やがて二人もおれの事に気づいたようで、すぐに駆け寄ってきた。
「悪魔くん、帰ってきてたんだ!」
「悪魔くんも一緒に虫とろーよ」
田舎の顔の狭さというのは恐ろしく、爺ちゃん世代から子どもまで、みんなだいたいの顔を覚えている。遠くに住んでるやつの顔もなんとなく覚えてる。一方、おれはというと、都会のじゃんぐるで過ごす中で結構な名前を覚えなければならず、ぶっちゃけ二人のことを覚えていなかったのだ。それでも、無視するのは悪かったので、悪魔らしい振る舞いをすることにした。
「バーカ、おれはヴァリサガ一本で行くって決めてんだよ。お前らがデッキ持ってたら
すると、二人は拗ねたような顔をした。遠目に見たときはより小さいやつらだと思ったが、ちゃんと向かい合ってみると背丈は同じくらいで、同年代くらいだと思えてきた。
「なんでい。悪魔くん、むかしはカブトムシとか獲るの好きだったくせに」
「ばりさがってなんだ? 都会の遊びか?」
二人のリアクションに、どこか覚えがあった。そうだ、この二人はケンジとナオキだ。幼稚園までの頃、田舎に帰ったときはよく遊んでいた。でも、小学に上がってからは帰省自体も毎年じゃなくなって、ほとんど疎遠になっていったんだ。イックスのアカウントも交換していない。そうか、おれは二人の事をまるで忘れていたのに、二人はおれの事を覚えててくれてたんだな。そう考えると、ちょっと悪い気持ちが湧いてきた。
「……まあ。今はほら、忙しいんだよ。まだこっちにいるつもりだから、暇なときに呼びにこいよ」
おれはそういって、スマホを取り出そうとした。二人はイックスをやってなかったので、残念ながらアカウントの交換はできなかった。……それでも、みんなまだ小学生していて、互いに楽しいと思う事に打ち込んでるんだ。悪いことじゃない。またあとで、十分に遊ぶことができる。
「またな、悪魔!」
「都会の話も聞かせてくれよ」
ケンジとナオキはそう言って、虫を追って遠くに駆けていった。二人を見送って、おれはいよいよ神社の鳥居へと向き合った。
鳥居はかなり年代物のようで、柱の朱色がところどころ剥げている。カクツカ……って言うらしい、神社名の部分は、文字がかすれているのか、よく見えなかった。
神社は森で囲まれていて、まだ真昼だというのに、境内の中は薄暗かった。そのため、参道から先がよく見えない。もしかしたら、自然界の法則とは別の力が働いているのかもしれない。なにしろ、妖怪が実在するのだ。なんかこう、神様パワーみたいなのがあってもいいじゃないか。
中に入ろうかと渋っていると、いつからいたのだろう、白い着物にむらさき色の袴を履いたおじいさんが鳥居の傍に立っていた。おれはビビッて距離を取ったが、おじいさんは特に不快さを示さずに、おれみたいなガキ相手だというのに、恭しくオジギをした。
「神戸さま、話は伺っております。ささ、どうぞ。本殿にてお祓いを始めましょう」
どうやら、神主さんらしい。その人に誘われるまま、おれは神社へと足を踏み入った。参道を歩いていると、道の脇に絵馬掛のようなものを見つけた。どんな願いが描かれているかと興味を持ったが、絵馬に描かれているのは願いではなかった。そこには妖怪の特徴や報酬金が細かに書かれており、更に討伐済を示すばつ印が描かれているのだ。ここは初詣などで行く場所ではなく、ただ魔を祓うだけの場所なのだと、改めて実感した。
「お上がりください」
そうこう歩いているうちに、本殿へとたどり着く。ぱっと見は小さい施設に思えたが、中に入ってみると存分に広く、正四角形が中にすっぽり入りそうな空間になっていた。壁という壁にはおびただしい量のオフダが貼られていて、思わずおれは目をそらした。
「それでは始めます」
神主さんはなにか荘厳な装備を持ち、それを振り回し始めた。しきりになにかを呟いているが、その意味を読み取ることはできない。だが、次第に部屋一面にモヤがかかってきて、なんだか空気が重くなってきたように感じる。おそらく、効果はあるのだろう。そして。
「ハァッ!」
神主さんが叫ぶと、突然おれの身体からなにかが抜け出てきた! 人型の雲のように見えるそれは、見上げる度にどんどん大きさを変えているように思えた。初めは2メートルくらいあるのかなと思ったが、天井があるはずの高さよりもはるかに高くなっていき、最終的には……見上げるのも辛いほどの大きさになっていた。富士山とどちらが大きいだろうか。
「大入道の類か。面白い。貴様ほどの大物は久々だ!消えるがよい……滅ッ!」
神主さんがなにかを放つと、部屋中が眩い光に照らされた。凄い。なにか、魔を滅しそうな効果があるように思った。初めはデカいヤツがでてきてビビったが、しょせん出オチだったようだ。ビビらせやがって。俺は安堵と共に目を閉じ……
目を開けると、そこには壁にもたれ倒れる神主さんの姿があった。
「ば、バカな……我が六十七式退魔術が通じぬ……とは……」
それより、神主さんはしゃべらなくなった。気を失ったのだろうか。それよりも。
『グ、グ、グククク……魔札を持たぬ貴様に儂を倒せる道理などないわ』
遥か上空から声がする。それは頭の中に直接響いてくるような、邪悪な声だった。見上げると、今度は2メートルくらいのところに男の顔があった。おれの視界に入るように縮んだのだろうか。そして、男の手にはデッキの束があった……こいつもヴァリサガバトラーなのか!
『小僧。貴様は魔札を持っているようだな。儂に挑むか?』
嘲るように男が言った。大入道とか言ったか。こいつが俺に憑いていた妖怪の正体なのだろう。神主さんですら倒せなかった相手だが、果たしておれに倒せるだろうか?
「……わかった。受けて立つ!」
いいや、おれは超強いヴァリサガバトラーだ。挑まれた勝負から逃げるわけにはいかない!
『グハハハハ! 面白い、決闘だ。小僧』
大入道が手を叩くと、地面から四角形状のものが床を突き破ってせり上がってきた。よく見ると、それはヴァリサガの対戦テーブルだった。大入道は自分のデッキを置いた。それは60枚のデッキだった。バベルではなかったので、おれはホッとした。
妖怪との戦い、それも超凶悪そうな相手。なにより、神主さんを傷つけた相手を許すわけにはいかない。低学年の頃に見ていた、ヴァリサガのアニメがふと頭によぎった。そうだ、おれは今主人公なんだ。だったら、悪いやつを倒さないといけない。そのとき、自然と対戦前のキメ台詞が頭の中に浮かび上がった。おれと大入道は、同時にそのセリフを口にした。
「『コンフリクト!』」
決闘が始まった。
◆ ◆ ◇
『儂の手番じゃな』
先行1ターン。大入道は早速カードを繰り出した。《一尺法師》、見たことのない生物だった。
『こやつは能力を持っておる』
生物が場に出たとき、空中にパッ……とカードが1枚生成され、ひとりでに俺のデッキの一番下に加わった。
「おれのデッキに何しやがる」
おれは憤った。魂を込めて作ったデッキに、謎のカードを勝手に入れられたのだ。大入道は一しきり笑い、説明をはじめた。
『貴様の山札に加わったのは、《尺》じゃ』
「尺?」
長さのことだっけ、とおれは思った。
『然り。貴様のデッキはほんの1枚分長くなった。《尺》は何もない魔札じゃ。引けばたちまち消え去る。山札の底に沈んでおるのじゃ、気にせず決闘を続ければよい』
大入道はそう言ったが、おれは嫌な予感がした。こいつが同じような魔札を使えば、その度おれの山札は増えていくんじゃないか。今は56枚。1000枚までは程遠いが、しかし。コッチヘコイ。そんな呼び声が、更に強まった気がした。
『儂は手番終了じゃ。さあ、小僧のお手並み拝見といこうかのう』
「……!」
決闘は始まったばかりだ。おれは雑念を振り切り、決闘に集中した。
◆ ◇ ◇
『儂は《尺伸ばし》を発動。相手に送りつけた《尺》の倍数を倍にする。グハハハハハ、だいぶデッキが伸びてきたな』
「く……!」
案の定、大入道のデッキは、こちらに《尺》を押し付けてくるカードばかりだった。今、おれのデッキの《尺》は2倍になり、遂にデッキ枚数は256枚に突入した。最悪だ。バベルの悪夢が、今手元で実現しようとしている。
もっとも、《尺》は底にたまっていくので、こちらの展開自体には影響がなかった。順調に小鬼を並べ、相手の結界障壁ポイントもそこそこ削れている。相手が何かを仕掛けてくるまでに勝ち切ることは可能だ。そう思えた。
『更に、儂は
大入道はデッキの脇、1枚だけ置いてある特殊なカードを手に取った。破られれば即敗北に繋がる切り札的な存在、アヴァター生物を召喚するつもりだ。おれは身構えた。
『出でよ、《
大入道が場にアヴァターを置くと、突然全体が震え出した。まるで、重いものが落ちてきたかのように、大入道の背後からメキメキと音が聞こえている。周囲の霧で様子は分からない。だが、ナニカがいる。その確信だけは持てた。チリン。そこから、鈴の音が聞こえた。すると、
「あれ……?」
気が付くと、おれの手元のカードが小さくなっていた。それだけじゃない。見下ろしている自分のデッキの高さも、相手のカードも、一緒に小さくなったようだった。いや、流石に違和感がある。ふと服に手を伸ばすと、お腹の辺りで布が途切れている。そんな、買ってもらったばかりの服で、こんなに小さいわけがないのに。
「いや、嫌だ……」
流石に、理解できてしまった。理解したくはなかった。あのアヴァターが鈴の音を鳴らした途端、おれはめちゃくちゃでかくなってしまったんだ。そう、まるであの時戦ったお姉ちゃんのように。
『尺禍童子の能力。手札を1枚捨て、相手の山札の枚数分、相手の山札の底に《尺》を加える』
いよいよ、邪悪そのものの表情を浮かべた大入道が、こちらの様子など気にならないとばかりに、プレイを続けていく。
『もう1枚、手札を捨てる』
チリン。また手元のカードが小さくなった。ちがう。俺が大きくなった。そしてデッキ枚数が512枚になった。
『更にもう1枚』
チリン。同じことがおきた。デッキ枚数、1024枚。
『安心せい。儂を倒せば、お前の身体も、山札に溜まった尺も元に戻る。さあ手番終了じゃ。かかってくるがいい』
後攻6ターン目。まだだ。まだ、勝てる。このターンで奴の結界障壁を破り、勝利することができれば。おれはカードを引いた。引いたカードは《不死身軍団長》。全員で殴れば、ちょうど削り切れる。勝てる。おれはすかさずカードを出そうとし……。
『魔札発動。《はじめから》」
途端、おれの手札がすべて《尺》に変わった。《尺》は溶けるように消えていく。まるで、初めから何もなかったかのように。更に、おれの場にいた筈の小鬼たちも消えていた。わけが分からなかった。
『大した呪文じゃない。互いの場の生物を持ち主の山札に戻し、お互いに山札を切って5枚引く、それだけの呪文じゃ』
よく見れば、相手のアヴァターも山札に戻っていた。自分が破壊できたわけじゃないので、勝利にはならない。これでは、アヴァターを直接破壊することもできない。もっとも、その手段もたった今、やつに消された。
「……ターンエンド」
おれにもアヴァターを呼ぶ権利はある。しかし、大入道を倒すのに、手札も何もない状況では、どうすることもできなかった。おれは無意味に積み上がった、自分のデッキを見ることしかできなかった。
『グフフフフ……』
大入道は、この日最も恐ろしい笑みを浮かべた。丁寧に焼いた肉が、まさにちょうど食べごろになったような、そういう喜び方をしているように思えた。
『終いにしようか。儂の手番』
大入道は、もはや引いた札を見なかった。既に決着できるカードが手札にあったようだ。そして、すぐにそのカードを場に出した。カード名は、《八尺詛呪》。
『デッキが1000枚以上の相手を、無条件に敗北にする。終わりじゃ、小僧。これからは貴様も呪いとして生きていくがいい。グフフ、グフフフフフ……』
「ア……ア……アアアアァァァァッ……」
怪しげな霧がおれを包んだ。身体が、全身が、ナニカに変えられていく。痛みはなかった。かえってそれが怖かった。やがて何も見えなくなると、意識が徐々に遠のいていった。大入道の不気味な笑い声だけが、どこまでも耳に響いていた……。
◇ ◇ ◇
神社を出たおれを、夕焼けの赤が迎えた。もうすぐ山の向こうに落ちようとしている頃だった。あの後、おれはボンヤリとした意識のままここまで来たらしい。神主さんはどうなったのか。大入道はどうしているのか。よくわからない。とにかく帰りたい。それだけだった。
とぼとぼと歩いていると、虫取り網を持った子どもが二人歩いてきた。ケンジとナオキだ。こんな時間まで遊んでいたんだろう。だが、二人はこっちの様子に気づくと、急に顔を青ざめさせたと思いきや、飛ぶように逃げて行った。二人の子どもは、さっき会ったときよりもどこか小さく感じた。
やがて完全に日が落ち、夜になった。田舎の街灯は思ったよりも少ない。それでも、なんとか灯りのある場所まで歩くと、そこにあったカーブミラーが、今のおれの姿を映していた。
白いワンピースに、白い帽子。どこまでも長い黒髪に、手元には1000枚超のバベルデッキ。その姿はまるで、大に聞いた八尺様の姿、そのものだった。
「……ぽ」
悲鳴を上げようとしたのか、泣こうとしたのか。おれ自身にも分からない。口から出た言葉は、ただ『ぽ』だけであった。
「……ぽ、ぽぽ……ぽぽぽ……」
おれは崩れ落ちた。それでも座高が2メートル以上あるようだった。どうして、こんな身体になってしまったのか。おれが何をいたというのか? わけがわからなかった。
『……そう。やっぱり、あなたもこうなってしまったのね』
その時、背後から女性の声がした。振り返ると、そこには身長3メートル超の、やはりワンピースの女性の姿があった。何故だか分からないが、おれは確信できた。そのお姉ちゃんこそ、あの時戦った八尺バベルの女性だった。
<続く>
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