第6話 ラウラ(9)

 トリノで再会した当初の結架は、ヴェネツィアにいたころの彼女と同じ、堅人の影に怯えていた。遠く離れていながらも彼の力を怖れ、他者との深い かかわりを避け、親しく接することを避けていた。

 集一と心を交わせるようになってからも、それは消えなかった。むしろ強まったといってもよい。もし、あのころ集一がシューであると告げていたとしても、彼女は喜びに思うよりも恐怖に襲われただろう。集一を護ることにだけ心を囚われ、かつてシューに対してしたように、安全を最優先とした同じ手段を選ぶかもしれなかった。

 すなわち、別離を。

 それだけは、彼には耐えがたかった。

 ようやく、結架の傍で彼女の自由を護る者になれそうだというときに、記憶という形ですら堅人に阻まれるなど。

「つまり……結架くんを堅人がヴェネツィア留学させていたときに集一くんもヴェネツィアに留学に来ていて、同じ教授に師事していた、と。その教授に引き合わされて知り合った。君は結架くんと再会するために、演奏会の企画に希望を出して、トリノでの長い契約を立てた。そういうことか?」

「はい。あのとき僕は省略名で通っていたので、結架は再会だとは、知らなかったのですけどね。ルチャーノ・スカルパ教授は、生徒の名前を正確に憶えないことで有名な方でしたから」

「エージェントの人って、ミレイチェ・カッラッチ氏のことか」

「そうです」

 それで鞍木は納得がいった。

 彼は、結架の人生を明るくするために、どんなことでもするだろう。彼女の母親、瑠璃架を想いつづけている彼は、ずっと鞍木に連絡をしてきていたのだ。それこそ、結架が幼いころから。ミレイチェの強い希望で、そのことは秘密だが。

 ミレイチェは結架の実父であるアレティーノとも親しい。なにもかも知っていて、長い時間をかけながら、裏で手をまわして結架の幸福を守ろうとしていたのに違いない。彼も結架が堅人の檻から飛び出すことを願っていたのだ。アレティーノにすら、その詳細を黙していたことは謎だったが。

「……本当に、きみと結架くんの間には、さまざまな結びつきがあるんだな」

 以前よりも、さらに実感をこめて、鞍木は呟いた。

 結架は不思議そうな表情をしたが、その細い手をとって、集一が微笑む。

「ええ、僕も気づかないほど。それに、昔から大勢の人が、僕らを取り持ってくれていました」

 スカルパ教授。ラウラ。ミレイチェ。アレティーノと、ラッファエッラ。椿 都美子。伊槻 和弥とロザネッラ。マルガリータも忘れてはならない。勿論、鞍木も、弦子もだ。それから、ロレンツォ・デ・カヴァルリと、ジャーコモ・デ・カヴァルリ兄弟。きっと、ほかにも いるのだろう。集一が結架と出会い、そして離れることのないように力を貸してくれていた人が。

 結架が、自分の手を握る集一の手に、もういっぽうの手を重ねた。

「私も、まだ気づいていない、あなたとの繋がりが、たくさん あるような気がするわ。いつか分かる日がくるかしら。今日、こうして知ることが出来たように。いまだって充分に幸せなほど、たくさんのことを知っているけれど、叶うなら、全部、知りたいのよ」

「そうだね。打ちあけていないことは、もう ないはずだけどね」

 集一の微笑みに、結架は つられて微笑んだ。

 そんな二人の肩に手を置いて、ラウラが言った。

「あなたたちの幸福を願うのは、皆の共通の想いよ。どうか、私たちの願いを かなえて」

「ありがとう、ラウラ先生」

 伸ばされた細く儚げな腕に応えて抱きしめると、天使は嬉しそうに微笑わらった。

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