第13話 ヒエロニムスの審判
気品に満ちて流麗な音の連なりでありつつも、この胸いっぱいに響き渡るのは、世界を覆い尽くすほどに圧倒的な勇壮さ。
この ふたりが これほど息の合った演奏をするなんて。
フーガ的に旋律を編む、織り目の緻密な曲。
──なんて煌びやかで艷やかで、どれほどまでに幸福を満ちさせるの。
恍惚となるほど整った構造に、美しい響きの音と巧みな技術が合わさって、得も言われぬ。
夢見心地の浮遊する心で通奏低音を紡ぎ、
重なる旋律の対比と寄り添う音の流れが、どの楽器を追っても完全無欠の歓びを与えてくれる。わずかな
信頼を願う瞳に、挑みかける目つきが応える、その傲慢ささえ楽しげで。
ずっと、こんなふうに合奏することを望んできたことに、
きっと、ヴィヴァルディとモンテヴェルディの甘い二重唱を知った、あのときから。
私の大切な人。私を守ってきてくれた人。敬愛と尊重が
私の音楽の天使。
集一が照らす光を、お兄さまの風が吹き広げる。
響いて
軽妙でいて愛らしく、厳かさも携えた優雅。
絶え間なく続く主題。
──ふたりとも、いつ
テンポを刻む
空気を斬れるほどに鮮明な高音にも、泣きたくなるほどの優しさが行き渡っていて。
──どうか、このまま。
けれど、静かに消えゆく音楽とともに、その姿も薄れゆく。
「お兄さま!」
立ち上がって見つめる。
やわらかく天に引き上げられている無表情を。
その漆黒を宿す瞳と、薄い唇に。たしかに微かな笑みが見えた気がした。
「お兄さまっ!」
「結架」
涼やかな声。
背中から愛しい体温と気配に包まれる。
すべての苦痛を癒してくれる、この世が終わりを迎えたとしても絶対に失えない人。
私の生きたい理由。
生かしてくれる愛。
どれほど罪深くとも求めてしまう。
あなたにも見つけてほしかった。
──幸せに、結架。
蒼い空へ
私を守り、愛し、そして絶望の苦しみに叩き落とした、酷い人。気の毒な、お兄さま。死ぬときも孤高であろうとした、あなたを、どうぞ地獄にと呪ったのに。
──幸せに。
涙が止まらず、目を開けていられなかった。
だから、もう光も闇も見えない。
「……結架」
涼やかで、心配を含んだ声。
頬を包む温もりに目を開ける。
鳶色の両眼が
「ゆめを、みたわ」
「うん」
唐突な言葉にも集一は驚きを見せない。
「幸せな合奏をしたのよ」
伸ばした腕を縮めて抱きしめると、マグノリアが優しく香る。痛む心を慰め、受け入れ、許してくれる。──ああ、このひとが居なくては、もう私は私で居られない。
「オーボエと、フルートとで、バッハを」
それだけの説明で、集一は理解してくれた。
「そうか」
「生きてらしたころに、あんなふうに、一緒に私たちと演奏してほしかった。あんなふうに幸せに」
「そうだね」
抱きしめてくれる腕と、同意をくれる声にあるのは、いつだって私を尊んでくれる深い思いやり。怒りも恨みもある
「あなたを愛している私を祝福してほしかった」
夢のなかでしか叶わなかった合奏。
もう二度と、この世では望めない時間。
完全無欠の幸福。
けれど。
きっと、また、夢の中でなら。
そして、いつか肉体の時間を終えてからなら。
ふたたび響き合えるはず。
そのときは。
三人だけでなく、慕わしい人々、皆で。
どうか、いつか……
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