気づいたら異世界で
伍等せい
前編 はじまり
気づいたら、ヨーロッパもかくやという大きなシャンデリアと円卓が眼前に広がっていた。
「え…?」
さきほどまで社内のエレベーターに乗っていたはずだ。腕時計の秒針はフロアをでた時間から5分程度しか進んでいない。
(誘拐…?いや、まさか…、撮影?ドッキリ?)
ぐるぐると頭の中でこの状況になる可能性を考えていく。日本国内でこのような内装の場所はあるだろうか。
伊織はアラサーの社畜だ。今日も真面目に残業をこなし、退勤報告をして帰宅予定だった。こんな普通の社会人にドッキリをする企画なんて…と伊織は考え、視線をあげた。
「ようこそ、我が国へ。
声がする方へ目を向けると、そこには司祭服をきた老人がいた。
手に杖を持っている。児童小説の魔法使いのような風貌に、息が止まった。
「今回の稀人さまは、お二人のようだ」
(ふたり…?)
老人の低く通った声を聞きながら、伊織は彼が向ける視線の先をたどった。
そこには学生服をきた男の子が倒れていた。
「あ、あなた大丈夫!?」
慌てて近寄り、口元に手をあてる。小さく呼吸をしていて時よりスースーと寝息がした。
「よかった…」
胸をなでおろした伊織は少年の頬を叩き、声をかける。だが瞼を震わせ眉を顰めただけで起きる気配はなかった。どうしたものかと悩んだ末、老人へ向き直った。
「ごめんなさい。彼、気絶しているようなんです。寝ているだけなのか、怪我しているか私では判断できないので撮影を止めていただいてもいいですか?」
伊織は室内に声がとおるよう伝えた。震える腕は少年の肩に置くことで誤魔化せているはずだ。
「はて、サツエイ?とはなんじゃろうか」
「メルローズ卿、稀人は混乱しているのだろう。治療と休息のため部屋へ案内を」
円卓のさらに奥にいる男性が言った。
「承知しました、陛下。ではお二人をお部屋へ」
魔法使いの老人は胸に手をあてると杖をかるく振った。
「ロンネフェルト卿、よろしいかな」
「はっ」
よくみれば、円卓の周りには騎士のような恰好をした人が十数人いた。まったく気が付かなかった。伊織は少年に身を寄せ、そばに近寄ろうとする騎士に目をむけた。
肩口まである金茶色の髪に西洋人のような顔をしている。外国人の男性俳優?そう思いながら、いまだに横たわる少年を見た。
(名前も知らない少年だけど、未成年。状況がよくわからないけど離れない方がいい)
「乱暴にしないでください、怪我をしているかもしれないので」
「さきほどメルローズ卿が治療されております。お怪我はないかと」
ゆっくりと少年を抱えた騎士は無表情のまま言った。治療したのいつ!?と切り返したい気持ちを堪えて伊織は自分のバッグを肩にかけ、近くにあった少年のリュックを両手で持った。いつまで続くかわからないが撮影の終了の合図があるまではこのままなのだろう、伊織はそう飲み込んで騎士の男に視線をあわせた。
「心配だから、起きるまでそばにいます」
男からの返事はなく、斜め後ろにつく形で歩きだした。円卓の間から大きな扉をでて回廊をすすむ。伊織は抱えられた少年の足を視界にいれながら、少しでも情報を得ようと辺りを見回す。自分よりはるかに背が高い男が前にいるため左右の扉や窓を見るしかないが。
(窓の先は緑しか見えない…。扉も閉まってるし、どんだけ広いセットなのよ)
二人の足音だけが廊下に響く。伊織は前にいる男から得るものがないか下から見ていった。
「…っ!?」
帯刀している正に騎士といった風貌だなと納得しかかった瞬間、伊織は悲鳴をあげそうになった声を押しとどめ目を見開いた。
(耳が、とがってる!?)
人間と同じ位置にある耳の先が、とがっていた。髪の隙間からのぞくソレは人工物にしてはリアルで偽物だと思いながらも凝視してしまう。
「ロンネフェルト様、お待ちしておりました」
背の向こうから女性の声がした。
伊織は歩きながら体をそらし視界を広げる。そこにはクラシカルなメイド服をきた女性がいた。
男は女性の近くの扉付近で立ち止まり、チラリと伊織へ視線を向けた。
「こちらの稀人様をベッドへ、かまわないか」
「はい、準備はできております」
目をふせた女性は扉を開け、中へと案内する。男は抱えている少年に当たらぬよう丁寧な動作で室内にはいりベッドへ寝かせた。伊織は女性に会釈して歩きすすみ、付近にあるテーブルに少年のリュックと自分のバッグを置いた。
「ありがとうございます。あとは目を覚ますまで私が見ているので…」
伊織は男が口を開く前にそう伝えた。彼と一緒にいますという意思表示だ。
「稀人様の部屋ももう一つご用意しておりますが」
女性が男へ向かって言う。伊織は初めて男の瞳をみた、ビー玉のような水色だった。
吸い込まれるような美しさに意識を奪われそうになったが、無理やり瞬きをすることで回避した。
「さきほどもお伝えしましたが、私は彼と一緒にいます」
「部屋はそのままに、何かあれば私へ知らせを」
端的に男は女性に伝え、踵を返して室内からでていった。
この空気どうしたら…と伊織は頭を悩ませながら、あるお願いのため女性へ向き直った。
「すみません、えーと…イオリと申します。あなたの名前を教えていただいてもよろしいですか?」
「はい。わたくしはメイドのカタリナでございます。稀人様付きとなりますため、何なりとお申し付けくださいませ」
そう穏やかに胸に手をあてて言うカタリナの耳も、とがっていた。
エルフという3文字が脳に浮かび即座に否定した。伊織はそろそろドッキリやカットの合図がほしいと願いながら、カタリナに手洗いの場所と使い方について尋ねた。
(レバーじゃなくて、手をかざすだけでいい…)
日本はそこまで進化したのか、伊織は少年が寝るベッドに腰かけ扉の外にいるだろうカタリナを思い浮かべる。丁寧な説明を受けた。大人が子供に教えるように、といっても過言ではなかった。魔法で流れるしくみで、魔力のない稀人でも使えるよう魔石が使用してあるそう。
シャワーもお手洗いも明かりも同じだと聞いた。今は使わない暖炉だけは、メイドであるカタリナがやってくれるらしい。
(魔法…魔石、日本でしょ…ここ)
身をもって体験してしまった、どんどん否定できなくなっていく。バッグからだしたペットボトルのラベルと、電源がつかないスマートフォン、お財布、そして目の前で眠る少年だけ。この空間だけが日本だと思えた。それ以外は…、まだ受け入れられそうにない。
伊織は大きくため息をつき、頭痛を抑えるため常備薬を水とともに流し飲んだ。
(これから、どうすればいい)
あの円卓から、1時間は経っている。まずは何も知らずに寝ているだろう少年に話を聞きたい。起きたら何から伝えればいいのか…伊織は少年の邪魔にならない程度に座ったまま上半身だけ横になる。目をつぶり、さきほどの騎士の男やメイドのカタリナについて考える。『異世界』と口にしていいのか、言葉にしてしまったら受け入れることになるのでは…ぐるぐると思考をめぐらせながら意識は闇に落ちていった。
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