【地蔵様】

一弓

回想

 子供の頃の私は、不思議なことに、地蔵様の前では息を止めなきゃならんと思ってたんですね。別に誰かに教えられたわけでも、風習があったわけでもありません。母に何故かと問うた時には、当然ながら、母は困った顔をして分からないと告げました。幼少は父母の知識が世界の全てでしたから、不明なまま、私は地蔵様の前で息を止め続けていたのです。

 それで、田舎だったもので、何が由来か分からないような地蔵様がぎょうさんあったわけです。誰も世話せず放置してるのか、苔生したり、欠けたりとそれは酷い有様でした。

 小学生の高学年の頃ですかね。私はまだ、その自分の中の規則を守り続けていたんです。誰に言われたわけでもない規則を、意識して、後生大事に抱えていました。小学校からの帰り道───行き道でもあるわけですが、そこには地蔵様が横一列に並んでいる道があったんです。だから登校するときは、毎回その並べられた地蔵様の前を息を止めて歩いてたんですね。当然苦しくなるので、いつも地蔵様の前でだけ、私の歩く速度は少し早くなりました。

 ある日、一緒に下校している私の友人のけいちゃんが尋ねてきたんです。なんでお地蔵の前でだけ足を速めるの、って。なんでと言われましても、説明できないですよね。私は誰かに強制されたわけでも、誰かにそう教えられたわけでも無く息を止めていたわけですから。

 小学生の中でも、そう頭の良くなかった私は、それでも友人の質問には誠実に答えようと言葉を探しました。息を止めているから、苦しくて足を速めてる、と答えると案の定、けいちゃんはなぜ息を止めているのか、と訊きました。けいちゃんは頭のいい子で、なんでも理屈がなければならない小学生でした。同時に、小学生の尺度でなくとも、かなりの物知りでした。

 今度こそ如何しようもなくなって、私は分からないと答えました。けいちゃんは幾つかの視点から質問を繰り返しましたが、私が誰に聞いたわけでも、強いられているわけでもない事を知ると、暫く考えてから、ぽつりと呟きました。

「そんなに恐れなくてもいいんじゃないか」

 急に言われても、私にはなんのことだか分かりませんでした。しかし、苦虫を噛み潰したようなけいちゃんの表情を見ると、何を恐れているのか聞くことはありませんでした。

 中学生になってからは、小学生の通学路を通ることは無くなりました。けいちゃんは卒業以降会うことはありませんでしたが、何故会わなくなったのかは、分かっていませんでした。そんなわけもあって、私は地蔵様のことをすっかり忘れていました。いつしか、自分に課した規則すら私の頭の中からは消えてしまいました。小学校の同窓会に、けいちゃんの姿はありませんでした。

 高校生になって通学路が変わると、また横一列に並んだ地蔵様の道を通ることになりました。私は規則を忘れていたのですが、彼らの前を通る時にどうしても息苦しさを感じたので、無意識下で息を塞いでいたのかもしれません。

 高校の課題で、地域の不思議について調べるなんて課題がありまして、私は頭を悩ませていました。十数年も暮らして、地域への疑問もあまり抱かなかった人生だったもので、私のレポートは真っ白だったわけです。

 そこで、帰宅中に地蔵様が目に付きました。やはり私は地蔵様の前で息を止めていて、これこそ不思議だと、地蔵様を調べることにしたわけです。高校生にもなって、インターネットなんて便利なものが普及していましたから、図書館にいかずとも物を調べることができます。そこで初めて、私が息を塞いでいた地蔵様が、水子地蔵だと分かりました。

 少しして、昔の規則の記憶がぶり返すのと同時に、けいちゃんの言葉が想起されました。何を恐れているのか、という質問に対して、私はまだ明確な回答を見つけることが出来ていませんでした。そこで私は、昔と同じように母に尋ねてみました。結果だけを述べるならば、私には昔兄がいたそうでした。

 都会に出てからはめっきり地蔵様を見ることはありませんでしたが、それでも私は時折地蔵様を見かけると、息を止め、礼をしてから前を通るようにしています。


【終】

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【地蔵様】 一弓 @YUMI0625

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