These Stones 小説版
@nixtians64
時計の病心編 第1話
その一群は、人のそれに見えた。
しかしながら、その『群れ』はどこへ行こうというのか、荷物らしい荷物も、移動のための動物や乗り物も見当たらないままに、森の中をゆっくりと進んでいくだけである。
その一人ひとりを注意深く見てみれば、その異様さはより際立つことだろう。
なぜなら、彼らは会話すらなく、体を糸で吊られた人形を思わせるようなおかしな姿勢で、足を引きずるようにして歩いているからである。
その様子はさながら、一昔前に『マイオラ皇国』という国で流行った書籍に書かれていた『ゾンビ』と呼ばれる生ける死者の怪物のようですらある。
凡そ、散歩の集団というにもあまりにも奇妙なそれを、一人の少年が望遠グラスの向こう側から覗いていた。
少年の目には、その一群の全員に、人における『心臓』たる臓器の存在するであろう部分から淡い光が漏れているのが見えていた。
少年の喉が、息を吸い込んだために震える。
「────見つけた。」
少年は呟くと、後ろに振り向かないように注意しながら、後ろの気に佇む気配に気をやった。
「ササラギさん、見つけました。」
少年は自らの後ろに立つ『はず』の人物に向かって声をかける。
少年は進み続ける奇妙な人の群れの動向を追いながら、声をかけた相手の返答を待ったが───返ってきたのは、気の抜けるような欠伸と………。
「……って、ちょっと⁉ 帰ろうとしないでくださいよ⁉」
……無慈悲すぎる、土を蹴って歩く音であった。
少年は思わず、己が声をかけた人物───ササラギ=トリッパーの方に顔を向けかけたが、何とか思い留まった。
立場上、あの一群から目を逸らすわけにもいかず、しかしそれをしてこのやる気のなさそうな己の上司を帰すわけにもいかず、少年は困惑の表情を浮かべた。
が、少年が改めて止めるまでもなく、ササラギの靴音が止まった。
そして、次に少年に聞こえてきたのは長いため息だった。
「クリスくん。冗談でしょう?」
やれやれ、とでも言いたげな声色で、ササラギは少年───クリスに言葉を投げかけた。
「どうして私があんな、君より弱い雑魚を相手にしなければいけないのですか?」
ササラギはクリスに向かって、彼に見えないのにわざわざ首を傾げながらそう言った。
クリスは呆れて、「あのですね……」と言いながら、やはり群れから目を逸らさずに言い返すことにした。
「弱さの基準を僕にしないでくださいよ。仕方ないでしょう、『心臓』を持ってるんですよ?」
「第一、あれが『心臓』持ちだという事実が残念すぎます。本部の厄介払いも、全く勘弁してほしいですね。」
全く、ああ言えばこう言う、とはこのことだろう。
クリスは頭を抱えそうになった。
『厄介払い』。
確かにそうではある。
クリスたちが所属する、『アストサウス国家政府軍管轄警備隊』。
この警備隊は現在、国に蔓延る『ある脅威』を排除すべく、本来の名前の通りの国家警備の仕事に加え、数十年前よりとある任務が課せられていた。
その『ある脅威』こそ───今しがた、クリスの見つけた異様な人の一群。
『ノムレスの心臓』と呼称される、正体不明の異形の生物である。
彼らは時に人を襲い、命を物言わぬ肉片に変えようとしてくる、正しく化け物と言って過言ではない者たちである。
その異形が齎す被害は数知れず、戦闘能力の持たないものが出会えばまず生きて帰れるか定かではなく、生きていたとして五体満足かどうかの保証すらできない。
主に省略され、『心臓』や『心臓持ち』と呼ばれる異形たちには、ある程度の個体差というものが存在する。
出現が確認された場合、その強さに合わせて、適切な強さを持つ警備隊のいずれかが派遣される……という仕組みになっており、クリスの所属するササラギ小隊も、当然駆り出されることはある。
……しかし、このササラギという隊長を筆頭に、クリスが所属する隊の者たちは決して弱くはないのだが……。
任務の殆どが、個体としては弱いが群れていて数が多いものへの対処なのである。
そのことを、ササラギはよく『厄介払い』と揶揄していた。
本人は「一つひとつは脅威ではないが、細々として面倒な対象の排除」のことを指して言っているようだし、クリス自身もそれを言われると言い得て妙だ、と思いはするが、クリスは別のことを考えていた。
厄介なのって、実のところどっちなのか……、と。
「厄介なのはアンタなんじゃ……」
「何か言いましたか?」
「言ってません。ただ……」
クリスが言い返そうとしたとき、森の中の空気が少しだけ変わった。
クリスはそれをササラギに伝えようと言葉を続けようとしたが、それは中断せざるを得なくなった。
「ぎょえーーーーっ‼ お助けぇーーーっ‼」
「……え?」
森の何処かから、とても情けなくも明らかな焦りを含んだ悲鳴が響いた。
「今の声………」
クリスは思案する。
彼は今の声をどこかで聞いたことがあるような気がして、記憶を巡らせた。
しかし、それよりも人命がかかるような事態になっていることをどうにかしようと、彼はついに望遠レンズから目を離して、ササラギの方に向いた───はずだった。
「……って、ササラギさん⁉」
彼の近くに立っていたはずのササラギの姿は、彼がどれだけ周囲を見渡しても見えず、気配すらもしなかった。
いつの間にか、彼の上司は消えていた。
彼は焦ってササラギの後を追いかけようと足に力を込めて走り出そうとしたが、もともと自分たちが追っていた『心臓』のことが気になって足を止めた。
今さっきまで、自分が監視していた森の方へ眼を向けて───彼は目を見開いた。
彼の眼に、強烈な光が映り込んだのである。
クリスの喉が、今度はごくりと音を立てた。
「これは……っ、ササラギさん!」
彼はその場から離れる決意をすると、光の見えた場所に向かうべく走り出した。
ササラギは声の主を追いかけたに違いない、そしてその向かう先が光の方角であろうことを、彼は自身の経験上から確信していた。
彼は森の中をできうる限り全速力で駆けていく。
その途中で、彼の視界には明らかに異様と言える光景が映り込んでいた。
まるで体躯の大きな動物でも通りがかったかのように薙ぎ倒されていたり折られたりしている木々たちと、地面には元々箱であったのだろう加工された木材の断片や、『缶』と呼ばれるイギレスト地方で開発された飲み物の容器の残骸が、彼が足を進めるごとに存在していた。
この『缶』が見つかった時点で、クリスは襲われている人物が自身の知り合いであることを確信していた。
しばらく森の中を進むと、やがて木々の間隔が広がり始め、道が少しずつ広がってきた。
この先を更に真っ直ぐ行くと、街道があるはずだった。
先程の悲鳴の主は、おそらくその街道で襲われ、森の中に逃げ出してしまったのだろう───しかも、かなり運の悪いことに、別の『心臓』たちが屯している方へ。
クリスは疲れを見せ始めている己の身体に鞭を打ち、先を急ぐ。
そうしてさらに進んでいった先に───彼は見知った顔を見つけて「あ!」と声を上げた。
その人物───エフ=ビッチューはクリスの方向に走ってきていた。
クリスが上げた声に気がついて振り向いて、「あ!?」と声を上げた後───更になにかに気がついたように驚きに顔を歪めて口を大きく開けた。
「あーーーー!! くっ、クリスさん、危なぁーーい!!」
「え」
あらん限りの声で叫ばれ、クリスは足を止める。
危ない? 僕が?
その言葉の意味が分からず立ち止まった瞬間、彼の身体に不自然な影が差した。
「クリスさん!!」と情けない声色の呼びかけが聞こえる中、クリスが影が作り出された方向に目を向ければ───彼に襲いかかろうとする『人型の異形』の姿がそこにあった。
不自然に伸び、左右の長さすら違う腕。
岩が隆起したかのような突起物を生やした脚。
人であるならば顔面と言える部位は、口や目に当たる部分がありえないほど裂けていた。
その異形の振り上げる腕が、クリスが腰のホルダーに下げている剣に手をやるよりも前に、彼の身体に向かって振り下ろされようとしている─────。
クリスはもう、攻撃を受け切る覚悟を決めて目を強く瞑り、来たる衝撃に対して身体を固くして待つ。
しかしその衝撃は来ず、変わりに、彼の耳に岩に金属を打ち付けたような音が届いた。
彼が閉じていた目を開ければ、そこには何者かの背中があった。
二対の剣を前に出し、異形の攻撃を受け止めていた。
異形の力は強いようで、受け止める側も力を込めているのか、小刻みに体を震わせている。
その人物は少しの間鍔迫り合いのような姿勢を続けていたが、さらに力を込めて上半身を前に倒し、前に突き出した二対の剣を握る腕を勢いよく左右に払った。
異形の腕が二対の剣の刃に裂かれて、ブチッと音を立てて血を撒き散らしながら落ち、その体躯は後方に大きく飛んで地面を転がったあと、動かなくなった。
クリスは目の前の人物が吹き飛ばした異形の姿を確認した。
クリスの目に『異形の持つ光は映らず』、『心臓』が死んだことを確認出来たからか安堵の息を吐いた。
だが、彼が『視た』強烈な光の持ち主ではない。
『色だけが同じ』だった。
………戦闘は、終わっていない。
クリスは気を引き締め直した。
「間一髪だったねぇ、観察くん。」
この場の雰囲気に対して随分と軽快な声でクリスに声をかけてきたのは、今しがたクリスを助けた人物であった。
クリスがハッとなってその人物に目を向けると、風体としてもそこまで生真面目さを感じない一人の男の姿があった。
「……イーハイさん!?」
クリスは驚きながら、その男の名前を呼んだ。
イーハイ=トーヴ。
ササラギ小隊と同じく『アストサウス国家政府軍管轄警備隊』に所属するトーヴ隊の隊長たる人物である。
しかしながら、トーヴ隊は今回は出撃命令は出ていないはず。共同作戦ではなかったはずだったが……と、クリスは首を傾げた。
「なんでここに……?」
「やー。オレも巡回中でさー。良いエモノがいたなぁー、なんて思ってたんだけど……」
イーハイはちらり、と先程逃亡してきた人物が現れた方角を見た。
クリスがそれに倣って首を向けてみると、二つの影が木々の間から飛び出して、空中でぶつかりあった。
それを見ながら、イーハイが納得したように頷いた。
「ザンネンだけど、キミたちのエモノだったみたいだね。」
「え……まぁ、はい。」
「んんん?」
曖昧な返事を返したクリスに、イーハイは首を傾げてみせた。
「何でキミがそんな返答なのさぁ?」
「……関係があるってわかったのは『ついさっき』なので。あなたにこれ以上は言いませんよ」
現状は部外者ですから、とクリスは付け加えた。
「やだなぁ、同じムジナの仲間じゃないか。気になるなぁ。」
イーハイは戯けたように言う。
クリスはそれを気にしないようにして、先程飛び出してきた二つの影を見た。
影の一つは、ササラギ。
彼はもう一つの影───『心臓部から強烈な光を放つ異形』に、戦闘用のプロテクターを付けた自らの膝を叩きつける。
鈍い音が響いたかと思えば両者は地面に落ちるように降りてきて、ササラギは鉄を仕込んだブーツで攻撃を仕掛け、『異形』はササラギの鳩尾を狙おうと腕を振りかぶる。
攻撃の命中はササラギのほうが早く、『異形』の頭が大きく下へ傾いだ。
しかし、『異形』は怯むことなく、ただでさえ顔を割らん程に割けた己の口を更に割かんばかりに開き、その顔を勢いよく上げたが───今度はそこに、ササラギが放った回し蹴りが命中した。
その時、『異形』の口の中から無数の拳ほどの大きさの石つぶてがクリスたちの方向へ向かって飛び出した。
「うわっ!」
「ぎょえぇぇっ!」
「おっと!」
イーハイがクリスとビッチューの二人をかばうように躍り出て、石つぶてを剣で弾く。
「ちょっとさー、ササラギくーん?」
自分たちの方に石つぶてが飛んでこないことを確認したイーハイは未だ戦っているササラギに声をかけた。
「仮にもキミの部下がいるんだからさぁー、もうちょっと配慮してくれても」
『異形』の首がまたササラギの攻撃によってクリスたちの方向に未だ石つぶてを吐き続ける顔が向くように捻じ曲げられた。
先程よりも『異形』は命の危機を感じているのか、それとも単に自らの行動を阻害する存在が邪魔で仕方ないからなのかは不明だが、攻撃が苛烈になっていた。
「ひょぶええぇっ!?」
「あらら。」
そのせいか、先程よりも多くの石の雨がクリスたちに襲いかかる。
イーハイはとりあえず自分たちに当たりそうな石を手当たり次第に撃ち落とすと───、割と真剣な表情をその顔に浮かべながら、クリスの方を見た。
クリスを見つめる彼の目には、多少の同情が混じっていた。
「キミ、配属変えたら? カンゲイするよ?」
「……ははは」
部下のことを考えない上司からは逃げた方がいい、というイーハイなりの気遣いらしい、とクリスは思った。
が、彼が乾いた笑いを返すよりも少し早く、先程よりも遥かに大きくて長い岩の塊がイーハイに向かって飛来した。
当然、それはイーハイの振るう刃によって叩き落されて地面に落ちたが──落ちた瞬間にぐじゃり、と水音を含んだ落下音がして、クリスはそれが落ちた地面を見た。
ビッチューの「ひえっ!」という悲鳴が聞こえる。
今地面に落ちたそれは……たぶん、腕だったものだ。
イーハイも地面に落ちたものを見て、呆れたようなため息を付いた。
そして、近づいてくる足音の方へ顔を向ける。
「だからぁー、部下はダイジにしなって。」
「……………」
足音の主であるササラギに、イーハイは声をかけたものの、返答がなかったからか、耳に手を当てながら茶化すような仕草をした。
「……あれ? やっぱザコに興味ない?」
「あなたは部下ではありませんので」
短くもはっきりとした答えにイーハイは面食らったが、言葉の意味を理解したらしいイーハイは徐々に顔を綻ばせる。
「…………へぇー、ふーん、そう。良かったね、観察くん。」
「えっ、ええ……?」
突然自分に話を振られて、クリスは困惑せざるを得なかった。
どういう意味だろう? とクリスが首を傾げていると、イーハイが「そういえば」と声を上げた。
「ところで、キミたちが助けに来たのかわからないケド、あの人良いの?」
「あ」
「く、くりすさぁ〜ん……」
いつの間に自分たちの近くから逃げ出していたのか、クリスが思っていたよりも遠い場所に生えた木の後ろにビッチューは隠れていた。
ビッチューは木の後ろから体を出すと、よろよろとした動きでクリスたちのところに戻ってくる。
「ビッチューさん。無事でしたか?」
「なんとか無事でしたよ!! この方に助けて頂いてたんで!」
ビッチューはイーハイを手で示しながら、思いの外元気な様子でそう答えた。
イーハイはそれを受けて、「と、言ってもだケド」と付け加えながら言葉を続けた。
「オレがカレを助けたくらいにササラギくんが飛び込んできたんだよねぇ。」
「………………」
イーハイはササラギに視線を送ったが、無視された。
それを気にせずイーハイは少し申し訳無さそうな顔をしてから、「あぁ、でも……」言葉を続けた。
「残念ながらカレが持ってきた商品までは守れなかったんだけどね」
イーハイの視線はビッチューに注がれた。
「……………」
視線を受けたビッチューは呆けたような顔をした後、何かを思い出したかのようにハッ、となり、慌てて周囲を見渡す。
そして数秒間、彼は動作が停止していたが……最終的に頭を抱え、
「あぁーーーー?! そうだぁぁ!! 俺の商品達ぃーーーー!!」
とすごい勢いで叫んだ。
「ここに来る途中で散らばってた箱ってやっぱり……」
「ウチの商品達ですよ……。とほほ……。」
ああ……、とクリスは思った。
クリスがこの場所に来る途中にあった、道に散らばっていた『缶』はビッチューが運んでいた『ヒールタカマツ』という飲料商品の残骸だったのだ。
どれ程の荷物の量だったのかは分からないが、ビッチューが慌てて自分が持っていたメモや計算機を使いだして何やらしているのを見るだけでも、その損失は痛手になるのだろうことがクリスでも伺えた。
実際に、『ノムレスの心臓』による商人への被害は命以外でも多く、今回のように命が助かっても生活に支障をきたすレベルの損害を受ける、なんてことは少なくない。
その点、ビッチューはエナジードリンクと呼称される飲料水を作る『ヒールタカマツ社』の社長であり、その会社自体もそれなりの大きさのために明日食う飯に困るほどの損害は受けないだろうが、何かしらの計算が終わったらしいビッチューががっくりと肩を落としたのを見てそんな事を言うことはできないな、とクリスは思った。
「ぐえっ!?」
急にクリスの体が横に曲がった。
軽くはあれど首を締められ、潰された蛙のような声を出す間もなく、体が引っ張られる。
「帰りますよ、クリス。」
彼の首に腕を回し、身体を引きずっていたのはササラギだった。
「ビッチュー、然るべき処理を行いますから、同行を。」
ササラギはクリスを無理やり引き連れながら、ビッチューに声をかける。
ビッチューは嬉しそうに「おおっ!!」と声を上げた。
「マジっすか!? いつも太っ腹ですねぇ!?」
『然るべき処理』? とクリスは首が締まりそうになるのをなんとか止めながら考えた。
被害届でも出すのだろうか、と彼が思っていると、イーハイが「え?」と声を上げた。
「ちょっと、ちょっと。お金のアツカイには気をつけないと……」
声が先程より遠くに聞こえるな、とクリスがイーハイの声のした方を向くと、イーハイはいつの間にかササラギが斃した『異形』の横に膝を付き、何かをしていた。
そういえば僕たちも調査をしなくていいんだろうか、と思い、クリスは口を開こうとしたが、先に声を出したのはササラギだった。
「おや、あなたに言えた義理ですか?」
ササラギは一度足を止めて、イーハイの方に顔を向け、イーハイに向かって空いた方の手の小指のみを立て、「さて……」と呟いた。
「アレのお代にはいくらかかったんです?」
「あー……ハイハイハイ。」
イーハイがササラギの方に目を向ける。ササラギのやっているジェスチャーの意味が分かったらしいイーハイはわざとらしく「う〜ん」と唸って考えるような仕草を見せ、ややあってからササラギの手を指さした。
「その指のとおりだったかなぁ?」
「そうですか。」
クリスには一瞬言葉の意味が分かりかねたが、何となく察して顔を赤くする。
そういえば、イーハイにはそんな趣味があったな……とクリスは思い出した。
しばし微妙な沈黙が流れたがイーハイは気にせず、
「あ、そうそう。」
と言い、ササラギに向かって何かを投げて寄越した。
が────。
「痛ぁ!?」
クリスは自分の首から腕が離れたと思って安堵したら、今度は体が少し浮き、少しだけ移動させられた。
ササラギに持ち上げられたのだ、と理解したと同時くらいに、イーハイが投げたらしい『何か』がクリスの額に命中した。
何とか吊り下げられながらもイーハイが寄越したものをクリスは自分の手に収めた。
「普通に取ってくださいよ?!」
彼はササラギに抗議してみたが、案の定無視された。
「だからぁ、部下はダイジにしなってー。」
イーハイも彼を嗜めてみたものの反応がなかったので、諦めたクリスは今しがた自分の手に取ったものを見た。
イーハイが投げて寄越したらしいものは、使い古された時計だった。
戦いの影響か、砂や土に塗れている上に時計の針は止まっている。文字盤のガラスは割れてまではいないものの、擦れた跡がたくさん付いていた。
「……これは?」
「この『心臓』ちゃんの遺体についてた♪」
イーハイは体が真っ二つにされた『心臓』の死体を掲げてみせた。
クリスはもう一度、手の中のものを見る。
イーハイはそんな彼を少しの間見守ったが、「さて」と声を上げて切り上げさせ、
「キミたちが良いなら、後はオレたちがやっておくケド良いの?」
と、言葉を続けた。
ササラギは自分で掲げているクリスを少しだけ退かし、イーハイの方を見る。
イーハイは温和な表情をその顔に浮かべたまま、無言でササラギの返事を待っていた。
ササラギは特にこれといった反応をせず、視線を戻す。
「好きになさい。」
とだけ、彼は答えた。
イーハイはササラギを真っ直ぐに見つめたが、ササラギは気がついているのかいないのか、それともこの場の現状に興味を失ってしまったのかは分からないが、クリスを再び引きずり始め、近くにいたビッチューも空いた手で掴み上げて歩き出した。
「帰りますよ」
「………あららぁ。」
イーハイはその様子をただ見守り、彼らの背を見送った。
引きずられているクリスとビッチューがイーハイに向かってそれぞれ手を振りながら大声でお礼を言ってきたのにイーハイは手を振り返して応えながら、
「ホンキでキョーミないってカンジ。」
と、小さく呟いた。
そのうちに彼らの姿が見えなくなったところで、イーハイは片手に持っていた『異形』の半身をまさぐる。
そして『異形』の死体の中から何かを取り出すと、死体は手放して地面に落とした。
「コレも良いのかなぁ?」
イーハイの手にはこぶし大の石。
はたから見れば、本当にただの大きめの石である。
手触りは、なんとも言えない。
ざらついた表面もあれば、研磨されたかのように光る面もある。
イーハイはその石を少しだけ掲げてみた。
それを見つめる目に、少しの闘志を宿しながら。
「どう思う? 『ノムレスの心臓』ちゃん?」
石は、当然応えなかった。
These Stones
第一章 『時計の病心』編
「た……ただいま戻りました……マッキンリー副隊長」
酷くぐったりした状態で、クリスはササラギ小隊の衛戍する詰所の庭で洗濯物を干している体格が良い大柄な男───ササラギ小隊の副隊長、マッキンリー=コゴットにそう声をかけた。
マッキンリーはクリスの声に振り向きながら、笑顔を見せた。
「おお! 無事に帰ったか。ご苦労だったな。」
……と、労いの言葉をクリスにかけたまでは良かったが、マッキンリーはクリスの尋常ではないほど疲れた顔を見て、何事かと目を開いて驚いた。
「……って、どうした?」
「と……途中までウチのトンデモ隊長に引きずられてきたんで……」
「アイツ……」
マッキンリーは心底呆れた、といった表情を浮かべて溜息を吐く。
詰所まで帰ってきたクリスは実に様々な意味で疲労困憊だった。
あの後、詰所に戻って来るまでの半刻ほどの間、ずっとビッチューと共にササラギに引きずられた状態で帰ってきたのだ。
姿勢のおかしいまま無理やり引きずられるというのは当然体の負担が大きく、しかもササラギが障害物などを一切考慮せず歩くものだから、クリスは何とか出来る範囲でそれを自分で避けなくてはならず、無理な姿勢で行ったせいで体中が痛んでいた。
ビッチューの方は途中で諦めたのか、着いた頃にはクリス以上に身体のあちこちが大変なことになっていた。
前に彼自身が自慢していたマイオラ製のビジネススーツというらしい服はありとあらゆるところが小さいながらも裂けまくっていたな、とクリスは思い返す。
それでもなぜか、詰所の門となる場所にたどり着いた時のビッチューはやたら元気な様子でササラギについて行ったのだが。
「いや……待て。……ってことは、何かあったのか?」
何をどう解釈したか不明だが、クリスの様子からマッキンリーは何かを察したらしく、そう質問をした。
クリスは軽く身を整えると背筋を伸ばし、
「はい。」
と、返答する。
マッキンリーの顔が強張り、クリスの言葉を待つ。
クリスは一呼吸おいてから、ゆっくりと口を開いた。
「間違いありませんでした。」
酷く簡易的で、聞く人が聞けば分かりづらい報告であったが、マッキンリーにはそれで十分だったようだった。
「やっぱり、『心臓』絡みか……」
マッキンリーが手で自分の顎を触りながらそう呟くのを、クリスはじっと見た。
クリスはそれを見ながら、イーハイに渡された『時計』のことを思い出し、自分のポケットを探ると、一枚のハンカチを取り出した。
それを丁寧に広げて、マッキンリーの方に差し出す。
「それから……これ……。」
マッキンリーの視線が、クリスの広げたハンカチに注がれる。
ハンカチの中央には、あの土に汚れ、壊れた時計があった。
「………そうか。」
マッキンリーは目を瞑り、黙祷を捧げる。
少しの間、静かな時間が流れた後に、マッキンリーはゆっくりと目を開き、クリスの目を見た。
「………ご苦労だった。」
クリスは悲しげな表情を浮かべて、少しだけ俯いた。
彼の視界に、傷だらけの時計が映る。
「………犠牲者が増えてきてしまいましたね」
「……………ああ。」
マッキンリーは桶の中から濡れた衣服を取り出し、水を絞る。
クリスはマッキンリーが今、この場の空気にそぐわない行動をしている意味を噛み締めた。
聞き慣れた生活音は、心地良いものだった。
「そのうち行方不明者を上回らなきゃいいがな……」
クリスはマッキンリーの言葉に小さく頷く。
『ノムレスの心臓』については、現状、誰も何もわかっていない。
何時から、そして、どこから出現したのか。
何故、出現したのか。
正確なことは一つもない。
そもそもその存在について、発見された当初は目撃者の妄言だと思われていたらしいのだから。
そんな物語の中にしかいないような怪物が、現実にいるわけもなし。
そのように当時は切り捨てられたのである。
しかしながら、時間が経つに連れて目撃者が増え、それに伴って多くの死者が現れるようになってから、ようやく人々は未知の恐怖の存在を意識するようになった。
その内に、政府は拡大していく犠牲者の数をどうにかするべく、『恐怖の象徴』として君臨した異形どもの解剖を行い、その生態を暴かんとした。
結果としては───何もわからなかった、というのが最終的な結論として飛んできただけだった。
『彼らは一様に、身体の何処かに核となる石を持っている』『目的は分からないが、人や動物への敵対意識がある』ことだけが国民に伝えられた全てだった。
その内に、政府はその生物をこう呼んだ。
『我らがノームの神の加護を知らぬ生き物・ノムレス』と。
そして彼らはそれぞれが核となる石を持っていた────それを、いつしか『ノムレスの心臓』と呼ぶようになったのである。
その『ノムレスの心臓』の襲撃はここ最近になって数が増えていた。
今日のクリスたちが行った任務も、目撃情報があって行われた偵察及び討伐という目的があったものだが、ビッチューを襲ってきた個体は目撃されたものではない。
つまりは、警備隊や政府が観測するよりも多く、『心臓』たちの活動がある可能性が出てきている。
それに伴って、ここ最近の『アストサウス』地方の中で、行方不明者が多発していた。
見つかったところで死体になっているものもいれば、死体すらも見つからずに捜索が打ち切られることも少なくない状態になっている。
そんな国の中ではすでに、「死体が見つかればいいほうだ」という話が横行し始めていたし、逆に「死んでいるかわからないほうが幸せだ」という話すら出てくる始末だった。
そういう話の背景から、「犠牲者が行方不明者を上回らなければいい」というのはマッキンリーなりの皮肉なのだと、クリスは理解した。
警備隊という立場においても、死体を見つけたいとはあまり思わないからだ。
クリスがそんなことを考えていると、マッキンリーは「あ」と漏らした。
「ところでお前ら、なんかビッチューのやつを連れてきてなかったか?」
クリスはビッチューについて聞かれて、マッキンリーが自分たちが帰ってきたときに見ていたらしいことを察して、
「あ、実は森の中で『心臓』持ちに襲われてて」
と、説明を始めようとしたが、それは突如、クリスとマッキンリーの後ろで勢いよく開いた扉の音にさえぎられて止まった。
クリスとマッキンリーが面食らって音のした方を向けば、両開きの扉に手を突いたまま、荒い息をついている女性が一人、そこに立っていた。
「お、お、お、おじさぁぁぁん!! どーーいうことぉっ!?」
彼女はマフィー=アップリー。ササラギ小隊の事務員にして、マッキンリーの姪である。
マフィーは叔父であるマッキンリーの側まで寄ってくると、一枚の紙を前に突き出し、
「ヒールタカマツ社から『この度は我社の損失の補填をしていただきありがとうございます』とかいう謎の通信が来たんだけど?!」
と、身内とはいえ一応上官であるマッキンリーに対して敬語を使うのも忘れて、彼女は一気にまくし立てた。
当のマッキンリーはというと、マフィーに突き出された紙をじっと見つめて、
「……はぁ?!」
と、声を上げた。
クリスもその紙を横から見てみると、しっかりと『領収書』と書かれていた。
金額は────と、記載欄を見たクリスは、何も見なかったことにして目を逸らした。
クリスでなくとも、少なくとも一年は困らずに暮らせる値段を見れば、こうなるだろう。
が、クリスは己が見て聞いた事実を伝えないわけにもいかず、二人とは目を全く合わせないままに、重い口を開いた。
「そういえばさっき、ササラギさんが『然るべき処理を行う』とかなんとか………」
マフィーとマッキンリーがあんぐりと口を開けて呆けた顔になったのを、クリスは全く自分に非がないにも関わらず申し訳なさそうな顔で見つめた。
が、それは長く続かず、また別の場所から扉を勢いよく開く音が聞こえ、三人は吃驚して体を震わせた。
三人より少し遠い場所で、大きく足音を鳴らしながら一人の壮年ほどの年齢に見える男が飛び出してきて、何やら叫んでいた。
「うぉぉぉい!! あのバカ糸目の税金ドロボーは何処だぁっ!? あいつ、儂の家を潰す気かぁぁっ!? 今度は何をしやがったァァ!!」
壮年の男はどうやら隊長の執務室を目指しているようで、それに続く廊下の扉を目指して走っているようだった。
彼はジーニアス=ダノ=ストレイズ。ササラギ小隊の技師兼……資金源である。
そのジーニアスがとてつもない表情を浮かべて走って行ったのを見て、マフィーの顔が青ざめていく。
ついには彼女は頭を抱えて大げさに背をのけ反らせて、
「いやぁーっ?! どうしたらいいのーっ?!」
と、叫びだした。
「私達明日から非常食の乾パンを切り詰めて食べる日々がぁーっ!?」
「マフィー、落ち着け。」
「で、でも……」
もはや涙目になっているマフィーの肩に手を置いて、マッキンリーは彼女を落ち着かせようとする。
彼は悟り切った表情で、マフィーの目をまっすぐ見た。
「いいか。」
マッキンリーは落ち着いた口調でマフィーに語り掛ける。
「乾パンはマシだ。」
「いやああああああ!?」
非情な現実を突きつけられたマフィーは手で顔を覆ったままその場に蹲ってしまった。
それを死んだ魚のような目で見つめるマッキンリー。
「水道が止まらねぇことだけを祈るしかねぇな」
「死活問題過ぎませんか」
と、クリスは返しつつ、実際にササラギがヒールタカマツ社に入れ込みすぎて、ササラギ小隊が生活難に陥った日々を思い出して口の中に苦みを感じていた。
隊員総出で川に水を汲みに行き、食べられる雑草を探すという日々は勉強になりつつも、利便性の中で生きている自分たちには続けることは難しいと感じた一件であったからだ。
……というより、自分一人ならもしかしたらなんとかなるかもしれないが、大勢でその生活をすること自体が無謀に近かったのではないか───とは思うのだが。
ゆっくりと立ち上がり、何事かを呟きながら項垂れて歩いていくマフィーをマッキンリーと共に見送りながら、クリスはそう考えた。
「……しかし、『心臓』か。」
マッキンリーが不意に呟いた。
マッキンリーとクリスの視線が交わる。
「今回は単体か?」
マッキンリーにそう聞かれて、クリスは首を横に振った。
「はい……、とは言えないかな、と……。」
「? どういうことだ?」
「僕たちは最初、時計の持ち主ではない個体を発見していたんです。」
「倒したのか?」
クリスはもう一度首を横に振る。
「倒していません。『本体』がいたんです。」
「……なるほど……。本体を『視た』のか。」
「はい」
「それなら、連日の商隊襲撃事件も片付いてくれるといいんだがな。」
「波長が同じだったので、大丈夫だと思います……」
「………そうか。」
実のところ、クリスが最後に見た現場を思い出す限り、クリスたちが最初に見つけた『心臓』は全員倒せていないようだった。
クリスは詰所に戻るより少し前にイーハイから一応の連絡が飛んできていたのを思い出す。
彼の連絡で、あの後に巡回していたらしい彼に発見された『異形』の死体の中に、倒した覚えがないのに欠損の見られない個体が地面に横たわっていたという話があった。
結論としては機能停止しているようだという話がされて、クリスが『視た』、強烈な光を放つあの異形が『本体』だったのだ……と、クリスは『確信した』。
まれに、強力な『心臓』を持つ個体が複数の別の『心臓持ち』を作り出すことがある、という政府の発表を聞いたことがあったからだ。
先ほどマッキンリーの口から出た商隊襲撃についても、ササラギ小隊が駆り出された際にクリスが『視た』かの『異形』たちは『心臓が植え込まれていた部分はすべて同じ色の光を放っていた』。
それが意味するところは……ということである。
どこまで効果のある話か不明ではあるが、もしも『本体』となるものの喪失による他の『異形』たちの機能停止が確認できたのなら、少なくとも日常を脅かす脅威の一つは排除できたと考えていいだろう。
マッキンリーも同じことを思ったのか、長く息を吐くと、
「だが、また同じことが起こらないとは限らない。……前例もある。」
と続けた。
クリスは無言で頷く。
「すまないが、しばらくお前の『眼』に頼りっきりになるだろうな……。」
マッキンリーから言われて、クリスは己の目の近くに片手をやった。
そして、手を顔から離して一度目を瞬かせてから、マッキンリーの目を見た。
「いえ、『その為』に僕はここにいるんですから。」
クリスははっきりと言い切った。
クリスはマッキンリーの目に少しの罪悪が宿るのを見たが、マッキンリーは少しの笑みを口元に浮かべて、
「……すまないな。」
と、口にした。
マッキンリーは一度周囲を見回し、クリスにまた向き直る。
「他の隊員も何事もなければ明日には戻ってくる。それまでは休んでていいぞ。……どうせ、ヤツからは何も言われてないんだろ?」
クリスはマッキンリーのその言い草に少しだけ噴き出した。
ヤツ、というのはササラギのことらしい。
「いつも通りです」
クリスが苦笑しながら言うと、マッキンリーは笑いながら「しかたねえな……」と呟く。
「じゃあ、好きにしててくれ。夕飯は呼ぶからな」
「分かりました。お夕飯、楽しみにしてます」
「……ああ、そうだ。その時計、預かっておくぞ。」
「え、ああ……そうでした。お渡ししておきますね。……それじゃあ、お疲れさまでした」
「おう、お疲れさま。」
クリスはマッキンリーに時計を渡すと、その場から離れていく。
マッキンリーはそれを見送った後、今しがた渡されたばかりの時計を見た。
その目に、あるものが映る。
「……こいつは……」
マッキンリーが見つけたのは、時計の文字盤に描かれた、ある時計店の『ロゴ』。
マッキンリーは、それを見つめ……息を吐くように呟いた。
「そうか……あの人が、作ったのか……。」
マッキンリーは砂埃に塗れた時計を、優しく握りしめた。
(続く)
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