郵便局強盗

水崎 湊

第1話

ボロいアパートの階段を上がる。

金属板を渡してあるだけの階段はゴンゴンと音を立てるが気にしない。

2階建てのとても古いアパートだ。

廊下のコンクリートは割れているし、2階の廊下の手すりに至っては一部が割れて1階に落ちている。テレビなどつけようものなら内容は隣の部屋に丸聞こえだし、そもそもテレビを持っている住人もいない。安いだけが取り柄のアパートだ。


今日も、皆202号室に集まる。

この部屋だけエアコンがあるからだ。

狭い部屋に男3人が集まる。

202号室の住人は工藤秀、38歳。

無職である。

201号室の住人は山田裕人。まだ25歳のフリーターだ。

そして今階段を上がってきたのが203号室の川瀬大輔。30歳の会社員である。


「帰ったぞー」


川瀬は202号室へ入るとずかずかとキッチンまで行く。

買ってきた卵を冷蔵庫へしまうためだ。


「いくらだった?」


工藤が振り向きもせず、畳に寝転がったまま訊いた。


「346円」


川瀬は卵をパックのまま、ペットボトルだらけの冷蔵庫へ詰め込んだ。


「高級品だよ、まったく」


言いながら工藤は起き上がる。


「炭酸取ってくれ。飲もう」


川瀬は冷蔵庫にぎっしり詰まったペットボトルの1つを取り出した。それから流し台に置いてあるグラスを2つサッと洗う。大容量ボトルから焼酎を適当に注いで、炭酸水をどかどか足して完成だ。


「俺は決めたぞ。工藤はどうする」


グラスを渡しながら、川瀬は訊いた。


「……来月の家賃にライフライン、携帯代を払ったら貯金も底をつく。38にもなるおっさんを未経験の新人で雇う会社は無いし、鬱でクビになったやつを同じ職種で雇おうなんて会社もない」


工藤は一気に飲み干した。


「アルバイトだって山田くんを見てみろ。どんなに働いたって生活が成り立つ程稼げない。もとより選択肢なんてないのさ」


川瀬は黙ってもう一杯作った。


「山田くんが帰ってきたら、計画を練ろう。山田くんは私が脅して従わせたことにする」

「わかった」




川瀬も金はない。

会社員とは言え、給料の大半は税金で持っていかれる。

手元には15万円程しか残らない。

一人だけならやっていけるだろう。

しかし、苦楽を共にした2人を見捨てる気はなかった。だが、後輩ができようと、業務が増えようと役職も給料も上がらない。

このまま3人、生きるのに必死でつましい生活をして終わるのか。

そう考えると虚しかった。

生活に苦しむために生きるのか。


川瀬は真面目な男だった。

不正らしい不正はせず生きてきた。頭も悪くは無い。ただ、要領が悪いためにこの生活に甘んじていた。

彼の限界が来たのは、自分より若い山田が卵を買うのを諦めるところを見た時だった。

3人の主な食事はインスタント麺だ。

5食入りを、特売日に1番安い種類を買う。

ボリュームを増やすためにもやしをレンチンして載せる程度のトッピングしかしない。

川瀬は、それに卵とネギをつけていた。

貯金ができない以上、健康を害しては後がないからだ。


しかし川瀬は見た。山田が、卵コーナーの前で悩んでいるのを。財布と値札を何度も見比べている姿を。そして、最後には手に持った卵を棚に戻すところまでを見届けた。

その日、川瀬は久しぶりにトッピングの焼豚とメンマを買った。

卵も買った。

川瀬はその日、焼豚、メンマ、もやし、ネギ、玉子の乗ったラーメンを作った。作って山田と工藤に食わせた。

山田はうまいと言いながら泣いていた。工藤は次は私が美味いものを食わせると言っていたが、金の残りが脳裏にチラついていることは間違いがなかった。


2人を見ながら、川瀬は腹が立ってきた。

川瀬が知る限り、2人は悪い人間ではなかった。金を稼ぐ能力に優れないだけで、勉強が少し苦手なだけで、コツコツと努力だってできる。

自分だってそうだ。他の、多くの働く人がそうだ。何も悪い事はしていないのに生活はどんどん苦しくなる。趣味や自分の好きなことに金や時間を使えない。生きるのにいっぱいな人がたくさんいる。

工藤だって、頑張った証拠だ。鬱になるまで良くない環境で頑張ったのだ。なのに少し身体や心を壊すと生活が立ち行かなくなる。

一方どうだ、大企業の不正。個人の不正。悪い事をするやつ程稼いでいる。

だったらどうする?悪党になればいい。

バレる心配?捕まる心配?このまま永遠に生活に苦しむよりはいい。

川瀬は悪党になる決意をした。

そして、2人を誘ったのであった。




そして、ついに山田が帰ってきた。

倉庫での荷物整理のバイトだ。いつもくたくたになって帰ってくる。

それを、工藤が外で立って待っていた。


「あれ?工藤さん、どうしたんですか?」


山田は、へらりと笑った。

人懐っこい笑顔で、彼はこれで生きていた。

昼食だっていつもおにぎり1個で、パートのおばちゃん達におかずやお弁当を分けてもらって凌いでいた。

そんな山田に、工藤はしかめっ面で仁王立ちしていた。


「山田くん。今日はシャワーもうちで浴びていきな」

「……?」


山田は怪訝そうな顔をしたが、すぐにわかりました!と着替えを取りに自室へ向かった。

着替えを持ってきた山田が202号室でシャワーを浴びるのを待つ。そして、さっぱりした山田が出てくるなり、工藤はその胸ぐらをつかみ上げた。


「いいかい、山田くん。私は川瀬くんの話に乗ることにした。私は悪党になる」

「あ、そうなんスね!実はボクも……」

「だから私は君を殴る」

「???」


山田は首を傾げた。


「工藤さん、実はボクも……」

「山田くんは悪党にはなりたくない!そうだな!」

「いや、ボクは……」

「いいや!なりたくない!そうだな!」


山田は助けを求めて川瀬を見た。

川瀬も山田を見ていた。


「確かに悪党にはなりたくなさそうな目をしているな」

「川瀬さぁん!?」

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