命名への応援コメント
われもこう様、とても遅くなりましたが、「ジュヴナイルの里」へのご寄稿、有難うございました。書かれた言葉から、さらに背後空間の垣間見えてくるような詩的な短篇でした。瑞々しい朝景色の透明さの傍らで、ふと出会った孤独や、為す術もなくただ見つめ続けて行くしかない別れの交錯が、いかにも不条理な寂しさでした。呟きのような作品ですね。簡単ですが近日中に更新予定の「ストックブック」の「ジュヴナイルの里」のページで、ひと言ご紹介させて頂きます。
作者からの返信
とても素敵なご感想をありがとうございます。作品を紹介して下さるとのこと、重ねてお礼申し上げます。またのちほど、読みに伺いますね。
命名への応援コメント
この度は自主企画への参加、ありがとうございました。
女の子と女性の邂逅もですが、旅館の描写の解像度がかなり高いと思いました。
そこに行ったわけでもないのですが、かなりの臨場感がありました。特にスリッパの質感が嫌なひすずの空虚な感情がいいですね。
最初、女性の名前が「ないの」さんだと思ってしまいました。なぜ彼女がこんな心境になっているのか気になるところであります。
作者からの返信
あのに犬さん、こんばんは。
こちらこそ企画に参加させて頂き、ありがとうございました。
旅館は、泊まるのも働くのも好きなのですが、学生時代に一番長く勤めたところの間取りと風景を参考にしました。読むことでプチ旅行体験をして頂けましたら、書き手としても嬉しく思います。
そうしでしたか。それは、失礼しました。笑 書いている方は、分かりませんね。
朝陽と日鈴は、ちょうど人生の風向きが⤵︎状態のところで出会っています。いつか彼女のことや、二人の今後についても、書けたらいいなと思っています。
命名への応援コメント
拝読しました。
タグに「詩」とあるのを見つけ、少し身構えて読んでいたのですが、お話の内容的には自分の好きな「現代ドラマ」というジャンルの小説だと思います。ただ、「詩」と思われる部分もところどころにあって、どう読むのが正しいのか今だに悩んでいる最中です。
なにぶん詩を嗜んだことのない人間なもので、的外れなことばかり書いてしまうかもしれないことを、ご容赦頂きたいです。
ひすずという詩人に代弁させた叙情詩、と言えばよいのでしょうか。
ただ、その詩を歌うひすずという少女が、あらゆる意味で恐ろしく現実的な存在として映ったので、そのアンバランスさが「惑う子供」として、良くも悪くも鮮明に作中に反映されているように感じました。
それに対して、あさひと命名された女の子。
ひすずとは対を成すように希薄で、存在自体が詩的な女の子。
惑う存在としてはひすずに似ていますが、本質はもっと別のところにあるように感じました。
作中であまり語られていないので、これ以上深く読むことは難しいですし、既にこの時点で邪推の域にあるのかもしれません。この作品の続きがあるとしたら、あさひの物語になるのでしょうか? まだ書かれていない物語に、すでに興味を引かれています。
印象的なシーンは、やはり命名のところです。
叙情的な文体で丁寧に描かれています。読者の感情を揺さぶりたいという意図が少なからず見て取れるシーンです。
ここを「詩」として読める場合は、美しいものに見えるのかもしれません。
ただ、「小説」として読んだ場合は、正直、感じ入るものがあまりありませんでした。恐らくこれは、あさひという存在が希薄過ぎて、表面的な事柄しか読み取ることができないからです。名前がない理由が一つも明かされていないので、涙を流す場面も脈絡がないように見えてしまいます。
詩的な希薄さが、仇となっているようにも思います。
素直に「子供の無邪気さに救われるほっこりするシーン」と受け取れれば良いのですが、最初に読んだときに違和感を覚え、何度も読み返している内に、少し違った見方もできてしまうようになりました。
自身が好きな「あさ」と、自身の名にも含まれる「ひ」を、名もない少女に与えることで、どこか浮世離れしていた名もない女の子を、ひすずが忌み嫌う世界の側へ誘ってしまった、という風にも見えてしまいます。
お気に入りのぬいぐるみに名前つけるように、無邪気に行われるその行為が、少し恐ろしくも見えてきます。
自身に近い存在との繋がりを得たあとに起こる出来事までを考えると、とても皮肉な運命を描いているようにも思えます。
この辺りの、現実的に物事を捉えようとしてしまう感覚は「詩」に触れたことのない人間だからこその受け取り方なのかもしれません。作者様の意図するところとは大きく違った読み方をしているのだろうな、という自覚はあります。
直近で読んだ「優子さんは改名を願う」で受けた印象を引きずったまま、この「命名」を何度も読み返している影響もあるかもしれません。
あと、これは細かいことなのですが、あさひに関して、年齢が少しわかりづらかったです。
あらすじを読まずに本文突入する人間もいる(僕です)ので、本文中におおよその年齢を示唆する一文があると助かります。
作務衣を着ているということは仲居さん=成人女性、お姉さんと呼ばれているからまだ若い人なんだろうな、という認識で読んでしまっていたので、本文を読み終わった後にあらすじを見て「……あれ? 女の子?」となりました。
もう一つ、印象に残ったシーンはこの台詞ですね。
>(おまえに権利はないのだ)
ここまで丁寧に積み重ねていた作品の世界観を、一気に壊すような荒っぽいやり方だな、と率直に思いました。良し悪しがわかれる部分だと思いますが、個人的には好きです。この一文を他の読者がどう捉えるのか、すごく興味が湧きます。
ひすずが自らに吐いた言葉なのか、それともひすずが見ている世界からの暗示なのか、判然としないままですが、これ以降、ひすずが別のものになってしまったようにも見えました。
父親と母親を、それまでそこに居なかったかのように、再認識していますね。
まるで別の物を見ているような。もしくは、自身が別のものになってしまったような。
「朝」というひすずにとって特別な(詩的な)世界から、無情な現実に意識を引き戻されたような。
名前の無かった女の子とは手を繋いで歩いていたのに、両親のどちらとも手を繋ぐことなく、その背中に続くのみ。世界に従順でなければならない、という姿を見せながらも、箏の音に耳を澄ましているのは、終わりゆくそれまでの世界に縋りつきたい気持ちの現れなのかな?とも思いました。
個人的には、この(おまえに権利はないのだ)以降のシーンが、一文一文に深みがあってとても好きです(すべて見当違いな読み方をしている可能性が大いにありますが……)
叙情的な描写や、一つ一つの情景を繊細に折り重ねて作り上げた作品を覆う空気感等は他の方も絶賛されており、自分も同感なので省略させて頂きます(これ以上長くなってしまうとあれなので
「批評」というよりは終始「考察」のような形になってしまいましたが、こういう読み方をする偏屈な人間もいるんだなー程度に思って頂けたら幸いです。やはり「詩」は門外漢なので、自分の好きな「現代ドラマという小説」に作品を無理やり引っ張り込んで読むことしかできませんでした。。。
力不足で申し訳ないです。
この作品について思考している時間は、とても楽しく、非常に有意義なものでした。
この度は企画へのご参加、ありがとうございました。
作者からの返信
東雲そわさん、この度は企画に参加させて頂き、ありがとうございました。深い洞察と、真心のこもったコメントを頂戴し、とても感動しています……。心よりお礼申し上げます。
「命名」のシーンが印象的ではあるが、感じ入るものがないとのこと、とても有り難いご指摘でした。他に注意いただいた箇所なども、書いている本人は、まったく気づかなかったので、たいへん勉強になりました。
タグに「詩」をいれたせいで読みづらくさせてしまったようです。すみません。もちろん、書くからには小説として執筆しているつもりではあるのですが、『命名』は物語というよりかは、「心象風景をいかに表現するか」に注力した作品なので、小説というよりは詩に近いかなと思って、タグにいれた次第なのです。ですから、これは詩です!と言えるわけではなく、人によっては、詩を馬鹿にするな!と言われてしまうかもしれません。
色々とご考察いただきありがとうございます。とても嬉しく読ませて頂きました。「命名行為」に関してなどは、ほとんどご推測いただいた通りです。名前をつけるという行為は、ある種「存在の容認」や「許可」にあたるのかな、と思います。名前をつけてもらうことによって、初めてこの世に生まれると言いますか。その意味が強すぎてかえって呪いになってしまったのが優子さんで、朝陽はきっと、そういう苦痛からは無縁で生きていけると思います。日鈴の行いは傲慢なようにも見えますが、この物語では無意識に相手の望みを叶えられる、というのが、二人が互いに特別な関係になり得ることを示しています。
日鈴に関しては、なるほど、そういう意味があったのか、と逆に教えて頂けたような気分です。「命名」は優子さんのお話と違って、自分の頭の中に流れているビデオを、文章に変換している作業が多いので、自分でも深く理解していない箇所が多々あります。
「おまえに権利はないのだ」の一文は、言われてみればたしかに、唐突感がありますね。気が緩んでしまったのかもしれません。世間からの圧力、というつもりで入れた部分なのですが、書き手の声がうっかり小説に入ってしまったのだと思います。
要領を得ないお返事ばかりですみません。
企画に参加された作品を読んで批評するというのは大変な作業かと思います。お陰さまで学びになりました。寒い日も続きますのでご自愛ください。この度は本当にありがとうございました!